乱入
握手会を終え、宿舎について一息つくとすぐに夜になった。勇者になったら休む暇なんてないのだろうけど、既にハードなスケジュールで疲れてきた。
『草の根』なる活動が何なのか分からないけれど断ろうかと思い始めたところでダリアが迎えに来た。ダリアがかなりめかしこんでいるので断りづらくなり、メリアと三人で宿舎を出る。
宿舎のある場所は裕福な商人や下級貴族が住む地域なので街灯が適度な間隔で設置されているし、各屋敷の門番もいるので女だけで歩くのも不安はない。
特に会話もなく連れてこられたのは宿舎からもそこまで離れていない一軒の屋敷だった。名のある商人か誰かの家なのだろう。
ダリアが門番に名前を告げると、特にチェックもなく通してくれた。
塀から屋敷までも長い通路が続く。
「あの……ここって誰の屋敷なんですか?」
ダリアに尋ねる。
「ルナット・ルフナよ。ルナット商会って知らないの?」
ダリアは小馬鹿にしたように教えてくれた。ルフナ姓だが親戚ではない。リリィの親戚なのだろうか。メリアと二人して首を横に振るとダリアは鼻で笑う。
「二人共、田舎から出てきたのね。ルナット商会は食品を主に扱っているから、市場で買い物をしても意識せずにお世話になっているのよ。他にも大物が大勢来ているから、失礼のないようにね」
「一体何の会なんですか? ギルド設立のパトロン探しでもするんですか?」
ダリアはウィンクだけを返してくる。嫌な予感がヒシヒシと湧き出てきたが逃げる訳にも行かずに屋敷に入る。
ダリアの先導で二階に続く階段を登る。階段を登ってすぐのところにある両開きのドア。そこをダリアが両手を使って開く。中は薄暗い大部屋だった。
そこには目を覆いたくなる光景が広がっていた。あちこちで男女がまぐわっている。嫌な予感の中でも最悪なパターンだった。
平民で権力もなければ、実力も金もない。そんな人が金持ちの商人をパトロンとしてつけ、身を立てるための手段。過酷な現実から顔を背ける。
「さ、挨拶に行くわよ。いらっしゃい……メリアはどこ?」
ダリアがキョロキョロと辺りを見渡す。最後尾をついてきていたメリアがいないのだ。私を置いて逃げたようだ。抜け目ないけれど、友達を置いていくなんて薄情すぎる。
「あ……あの……私、メリアを探してきます。ちょっとこの空気は苦手で……」
私も踵を返し、一目散にこの空間から逃れたい。その一心で扉に手をかける。だが、ものすごい力で腕をひねられた。力を増強する魔法だろうか。明らかに女性の腕力ではない。
「い……痛いです。離して!」
「踊り子の貴女にはうってつけな場所でしょう? メリアも上玉だったけれど、貴女だけでもいいわ。ほら、ついてきなさい」
「嫌! やめ……」
ダリアの空いていた左手が鳩尾に食い込む。衝撃で息ができなくなり、前のめりになったところをダリアに抱きかかえられる。
そのまま大部屋を通り過ぎ、隣接する小部屋に連行された。天蓋付きの大きなベッドが部屋の真ん中に置かれ、誰か若い女が男に跨っている。
「ルナットさん。お待たせしました。今日は夜通し楽しみましょうね」
ダリアの声を聞くと若い女を跨がせたまま、男が上体を起こしてこちらを見てくる。この人がルナットらしい。
「おぉ。ダリア、遅いじゃないか。早くこっちに来い!」
「そんなに慌てないでください。今日は踊り子をお持ちしたんですよ」
「踊り子は既に呼んでいるぞ」
ルナットは自分に跨っている女の子を指さしながら言う。
「勇者候補生の踊り子ですよ」
ルナットが動きを止め、こちらを凝視してくる。舐め回すような視線が気持ち悪い。これに耐えないといけないのだから、私には踊り子としてこういう生き方は出来ないと痛感する。
「こちらに来い」
ダリアに背中を叩かれ、私が呼ばれていた事に気づく。正確には薄々気づいていたけれど、ささやかな抵抗として動かないでいた。
痛い思いは嫌なので歩いて近づく。すると、またルナットが私を凝視してきた。
「悪くないな。踊ってみろ」
「い……嫌です。私、帰ります。こんな事をすると知らずに連れて来られたので……」
少しの沈黙の後、ダリアとルナットが顔を見合わせて笑う。
「貴女、正気なの? ここまで来たのに? ここだけの話、あの方はオーディションに興味のない国民の票をかき集めているの。一次審査くらいなら余裕でパスできる規模よ」
ダリアが私を説得するように話す。
一次審査をパスできる程の投票権をルナットが握っている。結局、こうやって権力のある人が裏で操作をしているのが実態なのだろう。
「それって……不正ですよね?」
「そんなの分かってるわよ。だけど仕方がないじゃない。下位の平民なんて他に何の武器があるというの?」
ダリアも四十九位だ。魔法使いなので、ライバルになるのはネリネ。実力、人気共に差があるのは明らかだ。
「貴女のためを思って言ってるのよ。勇者は諦めて大人しくルナットさんに身を任せた方がいいわ。仮に脱落しても面倒を見てもらえるのよ。メリットしかないじゃない」
勇者オーディションに出られれば人生が変わるなんて、そんなに甘い話ではない事は私も薄々感づいている。結局、その中で飛び抜けなければ勇者にもなることは出来ず、ギルドからの勧誘も来ない。脱落が見えてきた平民に残された唯一の道は若さを武器にパトロンを探し、自分のギルドを立てること。
だけど、私はここでプライドを捨ててまでそんな生き方をしたくないと思った。
「嫌です。私は正々堂々と戦います。それで落ちたなら諦めもつくんです。だから、帰らせてください」
「往生際が悪いぞ。ここまで来て逃げられると思うなよ」
ルナットは自分に跨っていた女の子を乱暴に退かすと私の方へズカズカと近寄ってくる。そのまま左手で首根っこを掴まれた。
お楽しみを中断された挙げ句、私が反抗的な態度を取っているので怒りも溜まっていたらしい。空いている右手で私の顔をビンタしてきた。
左の頬がジンジンと痛む。更にもう一発。顔を逸らしたせいで耳に当たってしまった。キーンと甲高い音が鳴り、頬から耳にかけてが熱い。唇を噛んでしまったのか、口の中に血の味が充満する。
「『抱いてください』と言えば許してやる。逃げたところで、この会について外で何を言おうと私が揉み消す。私にはその力があるんだからな。もう諦めろ」
下卑た笑みを湛えたルナットがそう宣言する。彼我の力の差は明らかだし、ダリアもいるので逃げるのは無理だ。もう痛いのは懲り懲りだ。謝って好きにしてもらおう。どうにでもなってしまえ。
ヤケクソになり、敗北宣言をしようとしたその瞬間、大部屋と繋がるドアが勢い良く開け放たれた。
「ルナット! そこまでよ」
扉から駆け込んできたのはリリィ、オリーブ辺りの貴族連中。それとランやレンなんかもいる。
リリィに蹴飛ばされたルナットは私から手を離し、貴族連中の手で床に組み伏せられている。
「リリーちゃん!? 大丈夫!?」
後ろの方にいて気づかなかったがメリアも来ていたようだ。一目散に私に駆け寄ってきてくれた。
「あ……メリア……逃げたかと思って……」
「そんな訳ないじゃんか! 助けを呼びに行ってたんだよ。怖い思いをさせてごめんね。今、手当するから」
メリアを見て、やっと自分が助かったという事が分かってきた。安心して涙が溢れる。
メリアが私の顔に手をかざすと仄かに暖かさを感じる。少しくすぐったさもある。
うっすらとした光に夢中になっていると顔の痛みは嘘のようになくなった。口の中も徐々に血の味が薄まり、やがていつもと同じに戻った。
部屋の中を見渡すと、乱入した勇者候補生によって制圧が完了したところだった。
大部屋で楽しんでいた人達も服を着せられて一箇所に集められている。
私も楽しんでいた人の一味として、その集まりに入れられてしまった。よく見るとダリア以外にも勇者候補生の女の子が参加していたようだ。順位は分からないけれど印象も薄いので中位から下位の人だろう。皆、下を向いて座っている。
私達と向かい合うように立っているのはリリィを筆頭とする貴族連中と、上位の平民出身の勇者候補生だ。座っている私達を見下すような、憐れむような視線で見つめてくる。メリアもちゃっかり向こう側にいるけれど、本来はこっち側な気がする。それか、私もセットで向こう側にいるべきだ。
とはいえ、状況だけを見るなら私は今居る場所がもっともらしい。その実は巻き込まれたのだけど。
皆の誤解を解きたいのだが、リリィの演説が始まったので大人しくするしかなかった。




