氷
リリィが私の唇をこじあけて氷をねじ込んでくる。リリィの口内で少し溶けたようで思ったよりも小さい。
私の口内に到達した氷はゆっくりと水に姿を変えながら口内を冷ましていく。口から溢れそうになる水を飲み込む度、この関係の真意が身体に落とし込まれていく。友人でも協力者でもない。ただ快楽を求める者が二人いるだけだ。
それでも冷静には戻らない。こんなの、誰に話しても馬鹿げていると言われるはずだ。同性の勇者候補生と、友人でもなく、ただ快楽を貪り合うだけの関係を結ぶ。おかしいと自認する二人だからできる事だ。
熱を帯びていた鼻息も口内が冷めていくに連れて冷たくなる。冷たい鼻息と唾液を交換している。
溶け切る前にもう一度リリィに氷を返すことにした。リリィにされたように口をこじ開け、氷をねじ込む。待っていたとばかりに氷を受け取ってくる。
唾液がまた熱を帯びてきたところでリリィが離れていく。私とリリィの口の間に透明な橋がかかる。氷が溶けただけではこうはならないのは何となく分かる。
物足りない。それが正直な感想だった。これは始まりに過ぎなくて、ここからもっと濃密なアレコレが始まる予感をさせる行為だった。それなのにリリィはそこで焦らすように止めた。
「あ……あの……もっと……」
「焦らないの。次は貴女からよ」
リリィは微笑みを残して氷を取りに行く。摘んだ氷を私の前に持ってくる。
「早くして。冷たいの」
リリィが急かしてくるので慌てて口を開くと氷が放り込まれた。対称性を好むリリィの事なので、お互いに同じような事をしないと気が済まないのだろう。少しずつ、彼女もこだわりを見せてくれている気がする。
大きな氷は容赦なく口内の温度を奪っていく。冷たいを通り越してジンジンと痛むほどだ。少し前歯に滲みる。
リリィの唇を奪いながら腰に手を添え、ダンスのようにくるりと半回転して二人の位置を入れ替えた。これでさっきとまるっきり対称になる。リリィを壁に押し付けるのは後が怖いけれど、興奮しているのでそれほど気にならない。
氷を押し込むとリリィは目を瞑って受け入れてくれた。しおらしいリリィを見ていると何とも言えない嗜虐心が芽生えてくる。上位側もこれはこれで楽しそうだ。
リリィは積極的に氷を返してくる。一度目よりも氷のやり取りが増えるとそれだけ唇も口内も良く動く。
何度も氷を交換しあったので一度目よりも満足感は高かった。リリィは少し息が荒くなっていて、トロンとした目をしている。私も同じようになっているのだろう。
この先、どうなるのか全く見えない。私もリリィも知らない世界だ。リリィも覚悟を決めたのか私に手を伸ばしてくる。
頬に触れた瞬間、部屋の扉が叩かれる音がして我に返る。
「リリィさん。オリーブです。入っても良いかしら」
私は下着姿。それで無くても平民の私と貴族のリリィが部屋に二人きりだなんてあらぬ疑いをかけられてしまう。私というよりはリリィの立場が危うくなりかねない。
声が外に聞こえるとまずいのでアイコンタクトをリリィに送る。リリィはベッドの下を指さしている。狭いけれど隠れる事はできそうだ。すぐに脱がされた服を回収してベッドの下に潜り込む。
その事を確認したのか、リリィがオリーブを出迎える声がした。
「オリーブさん、いらっしゃい。夜分にどうしたの?」
オリーブは「シッ!」とリリィを制すると部屋の奥に連れて行ったようだ。内緒話でもするのだろう。
「なんだか臭いますわね。平民の住んでいるスラム街の匂いですわ」
「き……気のせいじゃないかしら」
オリーブは骨の髄まで貴族なのだろう。犬のような嗅覚で私の存在を嗅ぎつけかけている。まだ今日は風呂に入っていないのだけど、私ってそんなに臭いのかと少し落ち込む。
「そんな事より、一次審査の課題の内容、聞きまして?」
「え……えぇ。聞いたわよ」
貴族界隈ではそんな話が出回っているのかと驚く。当然私は知らないし、メリアともそんな事を話した記憶はない。
「当然、私を選んでくださいますよね?」
「それは……その時になって考えるわ。そもそも郊外に行くかも決めていないもの」
例年だとチーム対抗の模擬戦だが、どうも今年は違うらしい。郊外に行くという選択肢があるのだから魔物の討伐でもやらされるのだろうか。
「エリヤ家がリリィさんを一位にするために貢献している事はお忘れなきよう」
「分かっているわよ。私が勇者に選ばれたら恩返しはするわ。今はまだその時じゃないの」
心臓の早鐘が止まらない。リリィの暫定一位の座は組織票によるものだったという事になる。リリィもその事を知っていた、というかリリィから仕組んだようにも聞こえる。
「そういえば、あの踊り子の話聞きまして? 汚い酒場のオーナーに踊りを習っているらしいですのよ。恥を晒すために参加したようなものですわね」
オリーブの高笑いに対してリリィは無言だ。愛想笑いくらい返してくれて良いと思った。そのくらいなら私は傷つかないから。
「オリーブ。個人の悪口を話したいなら他所へ行って頂戴。そんなに暇じゃないの」
「大臣のご息女は礼節を弁えていらっしゃるのね。ここには私達しかいないじゃありませんか」
「私は皆が悪口を好きすぎてその方がどうかしていると思うわよ。まぁ、宮中なんて誰しもがそうやって蹴落とし合いをしているのでしょうね」
冷たくあしらわれたオリーブは話を適当に切り上げて部屋から出ていった。
「リフィ、もういいわよ」
リリィの掛け声でベッドの下から這い出る。立ち上がるとリリィは申し訳無さそうな顔をして私を見てくる。
「急だったとはいえごめんなさい。あんな狭いところに押し込めてしまって」
私の頭についた埃の塊を取り除きながら謝ってくる。むしろ罵声を浴びせられながら狭いところに押し込まれるくらいの方が良いのだが、今はそういう時間ではない。友人としての時間なのだ。だから、返事は首を横に振りながらする。
「良いんです。それより、課題ってなんなんですか?」
リリィはバツの悪そうな顔をする。あまり口外したくはないのだろう。
「とりあえずお風呂に行きましょ。埃まみれで話したくもないでしょう?」
リリィからのお風呂の誘い。断る理由がない。大きく頷くとリリィはフッと笑って準備を始めた。




