本能
布団を頭から被り、真っ暗な中でリリィの匂いだけが充満する。これだと私にとって全くの罰ゲームではない。これではむしろご褒美だ。だが、何をされるのだろう。
「足を伸ばして」
言われた通りに足をピンと伸ばす。すぐに布団が捲られていき、私の腰辺りでそれが止まった。下半身だけが布団から出ている。
「あ……あの……痛い事とか……しませんよね?」
「しないわよ。そんな趣味はないの」
ひとまず安心出来た。足を切り取られたりはしないらしい。
「貴女は今からマネキンになるの。何をされても動いてはダメ。分かった?」
唐突にそんな事を言われても分かった、とは言えない。布団越しなのでリリィの顔も見えず不安になる。私が返事をせずにいると、リリィが続ける。
「これが罰。私は貴女を人として扱わず、物として扱うの。変態なんだから人間なんて辞めちゃってるでしょ?」
人外だなんて、そんな自覚はない。だけど、普通の人かと問われると、そうでは無いのだろうとこの数日で気づきかけている自分もいる。
「分かりました」
布団の中に自分の声が響く。それだけ返事をして自分はマネキンだと思い込むことにした。感情のない、人形だ。
リリィは前回同様、人形の脚に顔を擦りつけてくる。前回同様だと思ったが、それよりも激しい。前よりも素直に欲望を開放しているみたいだ。
一度リリィの頭の感触がなくなる。ベッドからも降りたようだ。本格的に何かが始まると思ったのだが、ただ髪が邪魔でまとめ上げただけらしい。くすぐったかったリリィの細い髪の毛の感触が消えた。
ただ、ずっと頬や鼻を脚に擦り合わせてくるだけ。別にリリィがしたいようにすれば良いのだが、何かが原因で遠慮させてしまっているのではないかと思い始めた。
「あの……どうしたんですか? もっと色々としていいんですよ?」
リリィの動きが止まる。数秒して布団を剥ぎ取られた。パッと視界が明るくなり、冷たい新鮮な空気が顔を包む。
リリィの顔は林檎と見分けがつかないほど紅潮していた。
「私だって……どうしたらいいのか分かんないのよ! 貴女を見ていると勝手に言葉が出てくる。勝手に体が動く。でも、ふと我に返ると体が止まってしまうの」
「分からない……ですか?」
「その……興味はあるけれど……どうしたらいいか分からないの。教えなさいよ。貴女は経験が豊富なんでしょ?」
さっきまでの威勢はどこへ行ったのかと思うほどに目を泳がせてモジモジとしている。プライドは高そうだし、どちらかというとリリィの方が上位のポジションなので言い出しにくかったのだろう。
だが私だって、男も女も知らないのだ。何を持って経験豊富だと思われたのだろうか。まさか、踊り子だからそういう人だと思っているのか。
「い……いやいや。私も無いですって! 踊り子だからって内心ではそうやって見下していたんですか。経験豊富そうだなって思ってたんですか!」
ハッとした顔でリリィが私を見てくる。
「ち、違う! 私みたいな素人にも従順にしてくれるから、経験者じゃないかって直感しただけ。私は……そんな目でなんて……見ていない……」
伏し目がちに言い訳をする彼女の態度は、私の質問に「はい」と答えているのと同じように見える。疑いが拭いきれず、怒りを抑えるために鼻から息を吐くことしかできない。
「本当よ! 本当に偏見なんて持ってない! 私は貴女の踊りを見て美しいと思った。踊りなんてパーティで披露する下らないものだと考えていた私にとって、貴女が見せてくれた平民舞踊は本当に……美しくて……」
リリィは早口でまくし立てたかと思うと最後まで言い切らずに涙ぐむ。リリィの涙を見て思い出した。お披露目会での私の踊りに最初に拍手を送ってくれたのは彼女だった。
周りの目も気にせず、誰かが追随してくる事も期待せず、自分だけでも良いと言わんばかりの態度で拍手を送ってくれた。そんな彼女が私に、踊り子に偏見を持っているはずがない。
偏見を持っていると思われた事が悲しいのか、私の踊りを思い出して感動しているのか、何なのかは分からないが彼女は泣いてしまった。
とりあえずこの場を収めるため、リリィを抱き締める事にした。これは匂いを堪能するためではない。ただ、彼女を安心させるための抱擁だ。
一方的に彼女の背中に腕を回す。彼女の腕はダランと力が抜けて垂れ下がったままで私の背中を這いずり回ろうとしない。
「すみませんでした。リリィさんみたいに立派な人がそんな事を考える訳ないですよね。失礼なことを言ったので、またお仕置きをしてください」
「だから……私はそういうのが分からないの」
私も、自分でも知らなかった一面がこの数日で一気に芽吹いた。芽吹くどころか花開いたと言ってもいいくらいだ。これが私の本質だったのだと、リリィに気付かされた。自分でも自分の目覚めるスピードに驚いたのだから、傍から見て経験者だと思われても仕方がない。
リリィは引き気味に私から離れていく。そこにいるのは、いつものように冷酷に振る舞う女王ではなく、化けの皮が剥がれ、鳥籠で大事に育てられただけの淑女だ。本当にこれ以上の事を知らないのだろう。
私を見下すような目つきも、下着を嗅いで私が達した時に見せていた恍惚の表情も、普段の冷徹な態度も、全てが私が欲してしまうものだった。彼女も本質に素晴らしい物を持っている。そのはずなのに、本能とせめぎ合う理性がそれを押し留めている。
彼女が本能のままに動いて私を見出したように、私も彼女を導いてあげたいと思った。それは私のためでもあるし、自分の中に芽生えた正体不明の感情の扱いに困っている彼女を救うことにも繋がる。
自分の弱みを曝け出したリリィはいつもよりしおらしい。今日は無理にそういう話をしてもダメだろうし普通に話をする事にした。そういえば踊りを見てもらう人が欲しかったのだった。
「そういえば、踊りを人に見て貰えってコーチに言われたんです。少し見てもらえませんか?」
話が急に変わったが、リリィとしても今日は私を虐めるテンションにならなかったようで、小さく頷いてベッドに腰掛けてきた。私もベッドの横の広い空間に移動する。