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復活の古河公方

古河の大半が関東管領方に落ち、足利成氏が本佐倉に逃亡した事は、京の応仁の乱にも影響を与えていた。

西軍は古河公方と同盟し、東軍の細川勝元は関東管領・上杉家と組んでいる。

西軍の大将・山名宗全の山名家では、かつて奪った赤松家の所領を全て奪い返されたり、宗全以外は遊女の子の畠山義就擁立に反対だったりと、これ以上の合戦を望まなかった。


一方の東軍・細川勝元だが、どうも姻戚関係にあった西軍の山名宗全よりも、将軍側近の返り咲いた伊勢貞親が目障りだったようである。

伊勢貞親と公家の万里小路春房に謀反の疑い有り、そんな噂が立てられた。

そして伊勢貞親は近江の朽木家に亡命し、多くの公家が失脚した。

将軍・足利義政はまたも政策決定上重要な側近を失い、公務能力が低下する。

関東に作った味方の利害調整が一切出来なくなってしまった。


この「政争」に満足したのか、細川勝元は山名宗全と和議を模索し始める。

だが、この和議には身内から反対が出た。

その反対派に担がれた嫡男で養子の細川勝之を突如廃嫡、実孫の聡明丸(後の細川政元)を嫡男と決めた。

この男、ついに身内相手に政争を行ったのだった。

 享徳二十一年/文明四年(1472年)、古河再奪取の時は早速訪れた。

 京の足利義政からは、次々と帰順せよ、どこそこを攻めよという命令が届く。

 しかし、肝心の恩賞が約束されない。

 常陸の佐竹氏、江戸氏、小田氏、鹿島氏は対立し合う関係である。

 彼等に利害調整もせず、味方になった、さあ結城城を攻めよ!なんて言われても困る。

 呉越同舟を求めるなら、何か目的を統一させる必要がある。

 さもなければ、従わねば潰されるような力の裏付けが必要だ。

 それら無しの命令に、彼等は従った形跡が無い。


 三年前の応仁三年/文明元年/享徳十八年に死んだ伊達持宗がそうなのだが、立場としては室町殿に味方するが、その命令には従わない、動く時は自分に利がある時というのが、各地の大名のやり方である。

 伊達の家督は成宗が継承したが、彼は足利義政の関東出兵には従わず、隣国の国分氏を攻撃している。

 国分盛行は足利義政から宮城郡・名取郡・黒川郡の統治を認められた室町殿派であり、同じ室町殿派の伊達成宗が攻撃する大義名分等無い。

 基本的に大名たちは、都合が良い時は公方の命令に従い、それを大義名分とするものなのだ。


 こういう諸将を調整していたのが、先代の山内上杉家家宰・長尾景仲であった。

「関東不双の案者(知恵者)」と呼ばれた景仲は、当主相次いで死ぬ負け続けの関東管領陣営の兵力を減らさずに維持していた。

 これは統率力や威厳だけで出来る事ではない。

 利害の調整能力が有ったからである。

……味方限定であるが。

 関東の諸将が知恵者と褒めるのは、自分にとって有り難かったからであろう。

 如何に知将や名政治家であっても、自分にとって都合が悪い存在を彼等は褒め称えない。


 その景仲の死後、後を継いだ長尾景信は戦の才は亡き父を上回るものの、こういう調整能力では遥かに及ばない。

 関東管領が若く、征夷大将軍は京に居て関東事情には疎い。

 関東管領山内上杉家に次ぐ相模守護扇谷上杉家の当主・政真も若干二十歳に過ぎない。

 関東管領山内上杉家家宰の長尾景信の責任は重大であったが、彼は合戦が収まっている時期に味方諸将の士気を維持出来なかった。


 室町殿・関東管領に味方する大名は増えたが、統制には一切従わない。

 自領に戻って動かない。

 最早攻め時であった。


 二月三日、成氏の弟で鶴岡八幡宮若宮別当(雪下殿)の定尊(じょうそん)が出陣する。

 定尊は太田庄を奪還する。

 更に成氏の依頼を受けた白河結城家の結城直朝が、上那須家と下那須家の和睦に成功した。

 下那須家の那須資実は古河公方方、上那須家の那須明資は関東管領方であった。

 那須資実が那須明資の娘を正室に迎え、上那須家を下那須家の舅とする事で両家関係修復の契機とした。

 これに伴い、那須明資は古河公方方に寝返る。

 こうして背後の敵を味方とした那須資実は、定尊に合流すべく兵を南下させる。


「では鎌倉殿、古河御所にてお待ちします」

 武田信長が本佐倉城を出陣する。

 武田信長、里見義実の軍勢が進発し、関宿城に入る。

 ここで簗田持助と合流。

 成氏を討つべく関宿を攻めていた長尾家の軍勢を撃破すると、そのまま古河を目指して北上。


 定尊は騎西城の金田定綱と共に西から古河を攻める。

 結城氏広は一旦、古河城の東にある自領・結城城に戻り、そこから軍勢を率いて古河に向かう。

 かくして東西南北から援軍が駆け付ける事を知らされた古河城の野田氏範、(こうの)師久は

「流石は公方様じゃ!

 待っていた甲斐が有ったものよ!」

 と喜び、援軍到着に合わせて城を打って出た。

 四方に加え、城からも攻められた長尾軍はたまらない。

 如何に長尾景春の勇猛さがあろうと、陣形的に既に詰んでいる。

 長尾軍は散々に打ち破られ、長尾景信は五十子陣に撤退する。


 享徳二十一年二月二十五日、古河一帯は再び足利成氏陣営のものとなった。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




「古河は奪い返しました。

 鎌倉殿は安心してお越しあれ」

 古河城奪還の報を聞いた成氏は、二月二十六日に小篠塚御所を発し、結城城に向かった。

 護衛には千葉孝胤率いる千葉党が付く。


 古河公方陣営の動きは早い。

 成氏が結城城に向かった二月二十六日には、もう那須資実が上杉方に寝返った宇都宮家を攻撃に出ている。

 武田信長・簗田持助は、上杉方に再奪取された小栗城を攻める。

 結城城から足利成氏も、そのまま小栗城攻めに参加。

 小栗城攻撃の陣で、信長と成氏は再会した。


「河内守、右馬助、左馬助、(かたじけな)い。

 其方たちのお陰でわしは戻って来る事が出来た。

 それも、このように易々と」

 簗田河内守持助、武田右馬助信長、里見左馬助義実は頭を下げる。

 この小栗城を落としたら、信長と里見義実は領国に帰らねばならない。

 今回、足利成氏が再起出来たのは、背後の房総半島が安泰であったからだ。

 背後に味方の後詰めが居る事は、戦争において実に有用である。

 だが、そうである為には国主である信長と里見義実が何時までも領国を留守には出来ない。

 現に上総武田家が留守にした時に、一部の国人が上杉方に寝返ったりもした。


「鎌倉殿に申し上げます」

「うむ、何か?」

「小栗城を落とした後、古河御所に入られましたら、まずは小山下野に使者をお送り下され」

「なんと!」


 足利成氏にとって、小山持政は許し難い。

 義兄弟の契りまで交わしたのに、足利義政の調略に応じ、彼の先導で上杉軍は古河を占領した。

 挙兵以来最大の危機を招いたのは、小山持政のせいである。

 八つ裂きにしてやりたい程だ。


「憎まれておられますな。

 殺したいと思われてますな。

 なればこそ、彼の者をお許しあれ」

「??

 どういう事じゃ?」

「牛裂き、車裂きにしても飽き足らぬ相手を許せばこそ、他の関東諸大名もまた味方になりましょう。

 小山下野が許されて、自分が許されない筈が無いと、皆が安心しますゆえ」


「じゃが、それだと公方様が甘く見られぬか?

 見せしめに血祭りに上げた方が良くはないか?」

 簗田持助が成氏に代わって質問する。


「皆が皆、お主のように鎌倉殿に忠義を尽くして来た者な訳ではないのだよ。

 わしとて、鎌倉殿の父・長春院殿(足利持氏)に矢を向けておる。

 許してやらねば、敵が増えるだけよ。

 それに、小山が味方にならねば、鎌倉殿が関東で政治(まつりごと)をするのは難しかろう」


 成氏は苦虫を嚙み潰したような表情で考え込んでいたが、やがて

「右馬助の申す事、一々もっともである。

 小山に限らず、一度上杉方に寝返った者たちも赦免しようと思う。

 それで良いな」

 と決断した。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 足利成氏は古河御所に復帰すると、すぐに四方に使者を出し、自軍への帰参を呼び掛ける。

 驚いたのは下野の小山家と宇都宮家である。

 小山家は既に書いたように、最悪の事態を招く裏切りをしてのけた。

 宇都宮家は等綱の時に続き、二回目の裏切りをした。

 宇都宮家は現在、成氏方の那須資実の攻撃を受けている。

 それを、帰参すれば許すと言うのか?


「既に那須奴に所領を押領されておる……」

「公方様は今帰参すれば、これ以上の押領は停止(ちょうじ)させると言って来ています」

 当主宇都宮正綱に、実弟の芳賀高益が説明する。

「高益、其方の元にも公方様の使者が来ておるのか?」

「はっ、今更兄上に隠しても栓無き故、包み隠さず申します。

 公方様はわしに兄上を説くよう命じて来ました」

「しかし、何故宇都宮を許す?

 いや、宇都宮を味方にした方が公方様の得となるのは分かる。

 じゃが、二度に渡る離反を許すには理由(わけ)が要る。

 名分も無しに許したのでは、公方様も甘く見られるだろう。

 あの方はそんな甘い方ではない」

理由(わけ)は有るそうです」

「それは?」

「二荒山神社の式年遷宮を大々的に行って貰う為、宇都宮家を許す、との事です。

 那須家では二荒山神社の事は分からぬので」

「なるほど、それを名分にし、那須家に奪われた分は諦めればそれで罰は済んだとするか」

「左様」

「高益、お主はどう思う?

 上杉に味方すべきと言ったのは其方であっただろ?」

「あの時は上杉が勝つと思いましたゆえ。

 しかし、公方様が勢力をこんなに早く取り戻すとは予想出来ませなんだ。

 存外上杉もだらしがない。

 公方様に帰参すべきかと」

「そんな程度なのか?」

「そんな程度ですよ、兄上。

 強い方につき、家を守る事こそ当主の勤め。

 まあ読み間違えたのは相済まぬ事で御座います」


 宇都宮家は成氏に降伏。

 成氏もそれ以上の懲罰は行わなかった。


 一方の小山家。

「兄弟の契りを交わしたのに寝返った。

 例え許すと言われても、このままのうのうと古河に出仕する等、恥ずかしい事が出来ようか!」

「では、帰参せず、このまま室町殿に従うと?」

「いや、帰参する。

 今の室町殿に仕えて良く分かった。

 命を下すだけで、我等の益になる事を何もして来ない。

 与える所領が無いなら、官位を上げるくらいすれば良いが、それも無い。

 先々代(足利義教)程恐ろしい方なら、それでも従ったが、そんな怖さも無い。

 ただ(いたずら)に坂東を搔き回す京の公方には従っても意味は無い」

「では……」

「じゃが、わしとて誇りがある。

 赦免されても、わしを兄と呼んだ公方様に会わせる顔が有ろうや?

 わしは隠居し、もう世には出ぬ。

 養子の梅太丸に家督を譲る。

 梅太丸には公方様の一字を頂いて元服させよう」


 結城家と関係の深い山川家から養子に入った梅太丸に家督を継がせる事で、小山持政はケジメを着けた。


 かくして下野の有力大名、宇都宮家と小山家が帰参した事で、他の諸家も続々と帰参を申し入れる。

 こうして下野・常陸・下総・上総・安房の軍勢八千騎を集めた足利成氏は、古河を出陣して足利荘を攻撃。

 勧農城を守っていた長尾景人は討ち取られた。

 守って戦えば良かったのだが、打って出たのが失敗であった。


 次いで利根川を渡り、上野国新田荘を襲った。

 ここには数多くの坂東諸大名を離反させた岩松家純が居る。

 古河公方軍は岩松家純の居城・新田金山城を包囲する。

 昨年から大幅な改修工事をして強固になった新田金山城は落ちない。

 岩松家は七十日に渡る籠城戦の末、新田金山城を守り切った。

 足利成氏は長尾景人を討ち取ったし、上杉軍の肝を十分に冷やしたとし、成果は十分と兵を引く。


 関東は古河公方・足利成氏健在を知る。

 相変わらず古河公方は強い。

 利根川以東は成氏に帰参する。

 特に常陸の有力大名の小田持家が戻って来た事が大きい。


 勢力図は、以前と同じく利根川以東が古河公方陣営、利根川以西が関東管領陣営となった。

 そして一度は帰順させたものの、見限られて離反された室町殿・足利義政の権威はいよいよ地に落ちてしまった。

おまけ:

新田金山城が古賀公方軍に包囲された時、岩松家純は五十子陣に居た。

家純は長尾景信を説いて援軍を出そうとする。

長尾景信は別な思惑があり、直接新田金山城を救出するのではなく、搦め手から古河公方を攻めて、それをもって岩松家を救おうとした。

しかし、長尾景信が五十子陣を離れた後、陣中に不穏な噂が流れ出した。

勇猛な足利成氏が攻めあぐねているのは、城を守る横瀬国繁が既に成氏と通じていて、上杉家本隊をおびき出す為にわざと苦戦しているように見せている、芝居であると言うものだ。

上総の曲者が流したものかもしれない。

まだ大軍が残っている五十子陣だったが、上杉方は援軍を一切出さず、横瀬国繁は独力で戦い切る事になる。


戦後、横瀬氏ら新田金山在城衆は上杉家に人質を出し、潔白を証明する。

そうするよう促されたのだ。

だが、これだけ室町殿や関東管領の為に働いたのに疑いをかけられた事で、新田岩松家には上杉家に対する不信感も芽生え始めていた。

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