さらば、甲斐よ
鎌倉公方の御所は、鎌倉時代の足利家が出仕する時に使っていた邸宅を流用している。
ただし、鎌倉幕末の動乱で焼失していて、その時は永福寺別当坊に政庁を置いた。
足利持氏だけで見ても、上杉禅秀の乱後しばらくは浄智寺で政務を執った。
前年、応永三十二年八月にも大火災に遭っている。
一年経った今年、応永三十三年八月は再建された御所で政務は行われているだろう。
武田信長の軍は、ついに鎌倉方・一色時家の軍に敗れた。
兵は散り散りとなり、信長の周りに居るのはごくわずかな者だけである。
そして、今まで日和見を決め込んでいた者だけでなく、信長に付き従っていた者も、落ち武者狩りに乗り出す。
「悪八郎殿、如何する?」
義兄・土屋景遠が問う。
信長一党は、加藤家の者と土屋・土肥の相模衆が従い、甲斐の中のとある寺に隠れていた。
「なあに、木賊山で親父殿が腹を切った時と同じになっただけよ。
わしはまだ死んではおらん」
武田信長、全然諦めていないし、凝りてもいない。
「いっそ、鎌倉殿に降らぬか?」
「何を言うのけ?
左馬(持氏)めに降ったら、斬首に決まっておろう」
大分追い詰められているのか、今まで敵であろうと付けていた「殿」を省いた。
もっと切羽詰まれば、敵の諱を口にする無礼もするだろう。
今はまだ、見苦しい態度を見せない、相手を受領名で呼ぶ余裕が残っている。
「何故そう思う?」
景遠が問う。
「わしと左馬は同じじゃ。
人に頭を下げたくないが、必要とあらばそれも行う。
その時の屈辱を晴らさんと力を出す男ずら。
じゃから、己に背いた者は許さん。
わしが左馬なら、武田悪八郎は殺す」
「なるほど、わしも其方と鎌倉殿が似ているという意見には同意する」
景遠は続ける。
「だが、似ているが故に助かる道もあろうぞ。
悪八郎殿、其方は確かに敵は許さぬ。
じゃが、その敵が丸腰で何も彼も捨てて降って来たなら、お主は殺すか?
哀れな姿の敵、情けを求めて来た相手を、お主は殺せるか?」
「うむ……」
「恐らく殺せまい。
葉向かう敵には恐ろしいが、従う者には寛大。
わしは鎌倉殿にもそれが有るように思う」
「いや、左馬は執念深い。
わしと違って、いつかは殺すだろう」
「いつか、ならば良いではないか。
例え一日でも安泰な日が有れば、その日の内に立て直しの術も思いつこう」
安心出来ない日というのは、心身を消耗させる。
如何に知恵者、策士を謳われた者でも、落ち武者となれば頭も鈍る。
いつ捕えられるか、百姓に襲われないか、付き従う家人に寝首をかかれぬか、不安が常に付きまとう。
張りつめた日々の中、ふと気を抜く瞬間、その時命を落とす。
山野を逃げ惑う者の中には「もう耐えられぬ」と出頭する者も多い。
「殺されぬという保証は有るのか?」
「無い」
「なんじゃと?」
「そんなものは無い。
じゃが、八方塞がりよりは、いっそこれに賭けてみぬか?
一か八か、全てを投げ打とうぞ。
なあに、外れても失うは首ひとつ。
伊豆千代君の命は助かろうぞ」
確かに、ずっと反抗を続けると、とりあえず武田宗家の主として黙認されている伊豆千代丸にも類が及ぶ。
信長が死んでも、伊豆千代丸が生き残れるなら御の字かもしれない。
「グワッハハハ!
土屋殿、お主も博打打ちよのぉ。
捨身になるのも一興。
悪八郎殿、死ぬなら拙僧もお供しますぞ」
「入道だけじゃない。
義弟を死なせ、何故わしだけ生き永らえようか。
其方が死ぬなら、わしも共に逝くわい」
「…………」
悩んでいるところに下僕がやって来る。
「お殿様、使者が来てるでよ」
「使者?
わしらが此処に居ると知っておるのか?」
「うらには分からんでごいす。
通しますかい?」
「よし、通せ」
使者は跡部明海からだった。
内容は……
「悪八郎殿、一体何と?」
「義兄上の言われた事と同じ内容よ。
鎌倉殿に降れ、と。
じゃが、やはり彼奴の方が義兄上よりも悪辣じゃ」
「と言われると?」
「跡部入道は連署しておるに過ぎん。
差出人を見てみろ」
「!!
これは若君!!
甲斐国守護職武田伊豆千代の名が有りますな」
そこには平仮名で「いすちよ」の文字があり、しかも筆頭に書かれていた。
「ふん、倅が大事なら大人しく自分に従え、という事よ。
全く、信濃の親類殿はとんでもなく厄介な者を送り付けたものよ」
「それで、どうされます?」
「うむ、降ろう」
「……急転直下ですな」
「義兄上や梵玄入道の言われるように、一か八か、大博打をしてみよう。
だが、賭けに負けてもわしは勝つ。
誰かある?
矢立(携帯用筆記用具)をこれへ」
信長は石和館に返書を認めた。
「父上、悪八郎殿は一体何と?」
跡部景家が父の明海入道と話す。
「流石は悪八郎殿、虚け者ではない。
我等の申し出を承知した、と言って来よった」
「ほお、あの男も年貢の納め時って事ですか」
「ただし、条件を付けて来よった」
「条件ですと?
そのような事を言っておられる立場だと思っておるのか!
それで、何と言って来ております?」
「自身の身柄引き渡しは、甲斐国守護の名で行うべし、との事じゃ」
「つまりは……」
「倅の手柄という形にするのだ」
「抜け目無い男よ……」
「そうであろう。
多分に未熟で、直情径行ではあるが、追い詰められると食えぬ男に変わる。
中々に難儀な男じゃ」
ふわっふぁっと、含み笑いをする明海。
「無視致しましょう。
我等跡部には手柄も必要ですゆえ」
「田分け者が。
我等にとっても、伊豆千代君を担ぐのは利が有る事と分からぬか?」
「はて?」
「伊豆千代君に守護の資格無しとなると、何者が守護になろうや」
「三郎入道は行方知れずと聞きました。
あっ……」
「気づいたな。
そう、逸見中務丞殿じゃ。
その逸見に対し、我等は何をした?」
「援軍も出さず見殺しにし、さっさと悪八郎殿に乗り換えました……。
その上、逸見殿縁者の所領を押領しました」
「そうじゃ。
それに、既に大人の逸見殿に後見は不要。
即ち、守護代も不要となる。
我等は京より任じられた守護代である。
いつ国人に背かれても分からぬのだぞ」
故に、隙有らば甲斐の地を所領としまくり、甲斐に根を下ろそうとしている。
その途中で甲斐国全てから背かれてはたまったものではない。
「分かったの。
伊豆千代君という、国人たちから見ても、居ても害の無い守護を除けば面倒になると。
我等は国人の意見を代弁する形で、伊豆千代君を盛り立てた方が良い。
逸見殿に対する楯ともなろう。
ここは悪八郎殿の条件を呑んだ方が良かろう」
跡部景家は、徐々に武田悪八郎の事が分かって来た。
基本的には直情径行でネアカな人物である。
しかし、生存に関して異常に粘り強い。
追い詰められると何でもする。
そして、その時の方が賢く、侮れない。
(まあ良い。
どの道あの男は鎌倉で生涯を終える。
龍ノ口辺りで首を斬られる事になるだろうよ)
誰もがそんな目で鎌倉公方足利持氏を見ていた。
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武田信長は、縄を掛けられるような面目を失う待遇はされなかった。
周囲を我が子・武田伊豆千代丸に命じられた(という体の)郎党に警固されていたが、普通に馬上に有り、烏帽子・素襖で鎌倉まで連行された。
三度に渡って鎌倉方の軍勢を破った男、その姿を見ようと人だかりが出来る。
だが彼等は、信長よりもその馬の隣を歩く、如何にも重そうな金砕棒を持った法師に目が行った。
「あれは何者か?」
「知らぬ。
だが、見るからに豪傑じゃな」
「あの重そうな鉄棒を、軽々と……」
加藤梵玄が衆目を集める。
晒し者、好奇の視線が逸れている事で、信長は恥辱を味わわずに済んだ。
その後信長、土屋景遠、加藤梵玄は六浦街道にある御所に入る。
そして平服する。
(さて、わしの首を取るか、哀れみを掛けるか、どうか?)
鎌倉公方・足利持氏が入って来た、ようだ。
持氏は従三位であり、公卿である。
まだこの時代、三位以上の官位は安売りされていない。
坂東では比類無き地位であり、政所の設置が公的に許可され、御簾の内から地下人と会う。
鎌倉府政所別当・駿河入道二階堂行祟が言葉を取り次ぐ。
「武田八郎信長殿」
「はっ」
「上様のお言葉を伝える。
度重なる鎌倉への反抗許し難し。
なれど、此処に神妙に出頭するを潔しとし、格別に赦免致すものなり」
(なんと! わしを許すのか!?)
内心驚きつつ、きちんと礼儀を尽くす。
「上様の御恩、有り難き幸せに御座候。
この御恩、必ずや懸命の働きをもってお返し致します」
「その言葉に二言は無いか」
「有りませぬ」
「なれば、次のお言葉を伝える」
(なに? これで終わり「下がって良し」では無いのか?)
御簾内から書状を渡す持氏。
「甲斐の国の住人、武田の八郎・源信長を従五位下・右馬助に任ず。
加えて右馬助信長に命ず。
このまま鎌倉に留まり、出府せよ。
其方は鎌倉御所の奉行の一人として、御恩に報いるべく働くように」
「ははー」
(やられた……)
官位を与えられ、奉行に任じられたなら、「守護でも無いのだし、出府する謂れは無い」等と反論も出来ない。
信長は甲斐から切り離され、鎌倉に「お役目」で持って繋がれてしまった。
武田信長が直情径行に見えて一筋縄ではいかぬ人物なのと同じく、足利持氏もまた曲者であった。
似た者同士の相克は続く。
~~~~~~~~~~(第一章 終)~~~~~~~~~~
おまけ:
岩松家の土用松丸こと源慶は、師僧に呼ばれる。
「武田の八郎様が破れたそうだ」
土用松丸は血の気が引いたのを自分でも理解した。
悪八郎信長は、彼を庇護する、守ると言っていたのだ。
後ろ盾が無くなった今、自分はどうなるのであろう?
「安心いたせ。
何者が来ようと、一度寺に入った者は守り抜く所存じゃ」
そう言われ、思わず安心して表情が緩む。
彼はまだ若かった。
「源慶、御坊は幾つになった?」
「(数え)十七に御座います」
「うむ。
わしとしてはまだ御坊への修行が足りぬと思っておる。
じゃが、別の話も来ておる。
御坊は美濃へ赴く気は有りや?」
「美濃ですか?」
「土岐美濃守様が其方を招きたいと言っておられてな」
「土岐のお殿様が?
一体何故に?」
「それはいずれ分かるじゃろう。
それで、どうする?
此処に残っても良いぞ」
土用松丸は、何かの縁で引かれている、自分は行かねばならないように感じた。
「それでは、方丈様には今までの修行に対し、篤く御礼申し上げます。
私めは御仏の思し召しに従い、美濃へ参ろうと思います」
「左様か。
そうであろうのお。
では美濃へ行っても、修行を怠らぬようにな。
我等は一つ空の下、何処へ参っても縁で繋がっておる故、別れではないぞ」
「有り難きお言葉に御座います」
こうして土用松丸は甲斐を離れ、美濃へと旅立った。