微熱
休み明けから、邸での日常業務に戻ったエルネスタに、新たな習慣が加わった。お遣いついでに立ち寄るテオフィルの処で、雑談する傍ら、魔力循環の練習をし始めたのだ。
自力で魔力循環出来るようになれば、魔力を自在に操る第一歩となる。今は僅かしかない魔力量も、使う程、許容量が増すという。せっかく身に備わった能力を、放っておくのも勿体ない。
「こんにちは、テオ」
「よぅ、エル。じゃ、始めようか」
いつもの四阿で隣り合って座り、手を取り合う。魔力操作に一日の長のあるテオフィルから魔力を流し、お互いの魔力を循環し合う。
この練習は、自力での魔力発現が出来ないエルネスタの為に始めた事だが、練習に付き合うテオフィルにも恩恵があった。物事は、教わるよりも人に教える方が、理解が深まるものだ。テオフィルの魔力操作は、精度が格段に上がった。
「テオと一緒なら、簡単なのになぁ」
「一人で練習するなら、手を組んで、今の感じを思い出すといいよ」
「こう?」
「そう。後、使えば使う程、伸びるから、寝る前に使い切ってしまうといいよ。寝てるうちに回復するから」
テオのアドバイスを受け、エルネスタは仕事を終えて邸の自室に下がると、寝台で自主練習に励んだ。両手を祈るように組んで、魔力を押し出してみる。一旦、回り出したものなら、循環は容易いが、なかなか最初の切っ掛けが上手くいかない。
それでも、うんうん唸って、何とかかんとか魔力を巡らせると、掌からぽわんと魔力を押し出す。ゆらゆら揺れて光る色とりどりの光を眺めながら、エルネスタはすうーっと眠りに落ちた。
邸での仕事も、小間使い的なものから、侍従見習い的なものへ割合が増えていった。主の身の回りの世話はバルドルがするものの、こと主の仕事関係の補佐は、エルネスタが担う場面が多くなった。
「エル、明日から、朝の出仕に同行するように」
「朝からですか?」
「……不満か?」
「いいえ。明日から、ご一緒します」
夕食後のお茶を出している時、アレクシスから言い渡された話に、エルネスタは動揺した。朝から役場に詰めて仕事となれば、今までのように、お遣いついでにテオフィルのところへ寄る訳にはいかない。
どうしたらいいか、せめてテオフィルに伝える手段はないか、エルネスタは思い悩んだ。頭の中がぐるぐる回って、終いに何も考えられなくなった。元々、エルネスタは考えることが得意ではない。魔力循環の練習も、当然、上手くいく筈もない。エルネスタは、考えることを放り出した。
「まぁ、いっか。なるようになるよね」
すっぱりと諦めてしまうと、気持ちが軽くなった。それから、駄目で元々とばかりにやってみた魔力循環の練習は、不思議と上手くいった。掌から出した光をぼんやり眺めながら、エルネスタはほっとして眠りについた。
翌朝、出仕する主に同行して、エルネスタは馬車に乗り役場へ来た。これまで何度となくお遣いに通った場所なので、エルネスタは新たな職分にすんなりと馴染んだ。仕事自体は、主の補佐なので、お遣いと大差ない。ただ、ずっと役場の中に居て、主の傍で仕事するのは、思ったより気詰まりだった。
お昼時、食事時間も含めた長めの休憩を貰えて、エルネスタは役場の外に出た。役場前の中央広場は、多くの露店や買い物する人々で溢れている。露店で軽食と飲み物を買うと、エルネスタはテオフィルのいる邸へ足を向けた。
いつものように、生け垣の破れ目から庭に入り、片隅の四阿へ行く。邸に向かって声を掛けると、暫くしてテオフィルがやって来た。
「エル、こんな時間に珍しいね」
「ボク、今日から役場勤めなんだ。お昼時の休憩位しか抜け出せなくて」
「そうか」
「お昼、一緒に食べよう!」
エルネスタが露店で買った軽食を掲げ昼食に誘うと、テオフィルは頷いた。四阿に並んで座り、軽食を分け合う。軽食は、薄焼きのパンを開いた中に、野菜やチーズ、燻製肉を詰め込んだ物で、エルネスタの好みの味だ。あっという間に平らげたエルネスタに対して、テオフィルは心ここに在らずという風に、もそもそと食べていた。
「どうしたの、テオ。美味しくない?」
「ううん……エルが忙しくなると、今までみたいに、ここに来れなくなるなって思って……」
「なるようになるよ! ね、練習しよう?」
エルネスタが手を差し伸べると、テオフィルはその手を取って、魔力を流した。いつもより、幾分強めで不安定な魔力に、エルネスタは戸惑った。それでも、懸命に押し返し、パッと手を離すと、エルネスタは掌から光を放つ。しかし、循環の時の勢いで、かなり強めに出してしまった魔力の為か、エルネスタは目を回した。魔力切れを起こしたらしい。
「ふぁあ……何で……」
「エル!」
慌てたテオフィルは、エルネスタの手を取って魔力譲渡しようとするが、上手くいかない。思い余って、師匠から緊急用にと教えられていた譲渡方法を使った。エルネスタを抱き寄せ、口移しに魔力譲渡する。手からの魔力譲渡より、早いし量も多い。
「エル、大丈夫?」
「……テオ……熱い……」
エルネスタの魔力切れは回避出来たが、今度は譲渡した魔力量が多過ぎて魔力酔いを起こしたようだ。テオフィルは、もう一度エルネスタに口吻し、今度は魔力を吸い込む。これで魔力酔いは治まる筈だ。だが、間近にエルネスタの紅く染まった頬や、トロンとした目を見続けたテオフィルの方が、治まらなくなった。
テオフィルは、もう魔力譲渡の必要もないのに、エルネスタから唇を離せない。お互いの魔力が混ざり合い、手からの魔力循環より深い領域での交流に、本来の目的を忘れて夢中になった。先に正気を取り戻したエルネスタに躰を離されて、気が付いたテオフィルは恥ずかしさに俯いた。
「テオ……」
「……ゴメン、嫌だった?」
「ううん、嫌じゃないよ。けど……」
そう言いつつも、照れてお互いに顔を見られない。
「じゃ、そろそろ戻るね」
「ああ、またな」
その日の午後、エルネスタは全く仕事に集中出来ず、使いものにならなかった。周りから、初日で緊張したせいと思われて、大目に見られたのは、不幸中の幸いだった。




