鍛錬
エルネスタは、そう言えば、と思い出したように言う。
「長旅する為に、躰を鍛えたいんだけど、何をしたらいいかなー?」
使用人用の控室で夕食を共にしていた面々が、この唐突な話に顔を見合わせた。その中の一人、バルドルが問う。
「長旅って、一体何処に行くつもりだ?」
「行ってみたい所があって、そこって凄く遠いんですよーだからーボク、知り合いの冒険者さんに、連れて行って欲しいってお願いしたら、躰を鍛えておけって言われてー」
「落ち着け、エル。まず、質問の答えがズレている」
「え? そう?」
バルドルがふうっと息をついて眉間を揉んでいる横から、今度はマーサが声を掛ける。
「エルの行ってみたい所って、何処?」
「東部大森林地帯です!」
「まぁ……それは遠いわね……」
問いの続きは、復活したバルドルが引き継いだ。
「エル、何故行きたいかは置いとくとしても、東部大森林地帯はとんでもなく遠いし、広いぞ? そんな漠然と、行ってみたいってだけで行けるような所じゃない」
「そうなんですかー?」
「王都からなら、行って帰るだけで一ヶ月近くかかる。そんな長い間、休みを取るのか?」
「ボク、ここを辞めてから行こうと思ってますー」
エルネスタの言葉に、その場に居た全員が固まった。暫くして、硬直の解けたマーサが口を開く。
「エル、その事は旦那様のお耳に入っているのかしら?」
「はぁい。真っ先に、転職の相談をしたんですけど、引き留められて保留になってますー」
「そう、ご存知なのね……なら、いいわ」
「それで、躰を鍛えるには、何をしたらいいんでしょう?」
周りの慌て振りには頓着せず、エルネスタはマイペースな態度を崩さない。再び溜め息をついて眉間を揉んでいたバルドルが、やれやれといった風情で言った。
「長旅に耐える体力作りなら、冒険者に聞くのがいいだろう。俺達のような町人には、そんな長旅をする機会も体力もないからな」
「冒険者さんにかー知り合いに頼んでみるねー」
「鍛えるのはいいとして、エル、ここを辞めて、どうするつもりだったんだ?」
「はぁい。前に居た街で、子守りの仕事をしようかと思ってー」
「王宮勤めから街の子守りか……エルはそれでいいのか?」
「ボク、あんまり頭良くないから、難しい仕事はこれ以上無理かなーと思って」
「エルはよくやっているぞ? 頼まれた仕事を真面目に熟す事は、上に立つ人にとってはとても有難い事なんだよ」
「ボクの代わりなんて、いっぱいいます」
「でも、アレクシス様が側仕えに望んだのは、エル、君なんだ」
「……ボク、もう少し考えてみます」
「躰を鍛えるのは賛成だよ。何をするにしても、体力は必要だ」
エルネスタは、つくづく自分の考えが足りない事に厭気が差した。誰も彼も、自分の転職に難色を示す。自分としては、居る場所と格好が変わっただけで、今の仕事は小間使いと変わらないと思っている。小間使いが子守りに転職して、何が悪いのか。皆は何故、反対するのだろう。
とりあえず、転職問題は棚上げにして、エルネスタは躰を鍛える方を何とかしようと思った。冒険者の伝手は、兄の所か、ラインハルトくらいだ。どちらに声を掛けるか、エルネスタは暫く悩む。兄に声を掛けると、過保護が暴走しそうで気が重いし、ラインハルトにしても、兄の頭越しに声を掛けるみたいで、トールに悪い気がする。
(ボクって本当、頭使うの駄目だなー)
考え倦ねたエルネスタは、魔術師団塔からの帰り道で、テオフィルに相談した。
「長旅する為に躰を鍛えたいんだけど、何をしたらいい?」
「長旅?」
「いつか、東部大森林地帯に行きたいんだー」
「そりゃ遠いな。長旅にもなるか」
「でしょー?」
テオフィルは何か考えている様子だったが、暫くして口を開いた。
「俺が武闘派共とやった実戦訓練でよければ、教えるよ」
「実戦訓練?」
「魔物討伐に駆り出された時に受けたヤツだよ。軍に随行する為に、かなり実戦的にやったから、キツいけど体力は付く。その中から、エルに出来そうなのを選んで教えるよ」
「キツいのかーボクに出来そうなのって、本当ー?」
「やる気あるなら」
「ある!」
「決まりだな」
エルネスタは、翌日から鍛錬を始めた。朝、起きて身支度したら、朝食前に邸内を一周走る。昼、食堂へ行く前に、中庭を一周走る。夕方、魔術師団塔へは走って行く。魔術訓練後は、動き易い服装に着替えて、テオフィルと基礎訓練してから走って帰る。合間を縫っての鍛錬だが、地道に積み重ねる事で、着実に体力を底上げしていった。
「そうだ、ヴィルさんのお祝い、まだ決めてなかった」
「……次の休みに、また見に行くか?」




