存在価値
何だかモヤモヤとした思いを残して、エルネスタは主の許を辞すると、自室に戻った。次の人が決まり次第、引き継ぎして此処から去るつもりでいたのだが、そう事は単純にはいかないらしい。
何も持たない孤児だった自分が、何時の間にやら様々な柵に囚われて、身軽ではなくなっている。刺激的で楽しくはあったが忙しない王都を離れ、街でのんびりとヴィルヘルム達の子守りをして暮らす計画だったのに、暗礁に乗り上げてしまった。
「何なんだろう? 上手くいかないなー」
エルネスタには、アレクシスの反応が予想外だった。幾らか引き留めはするにしても、辞めるのに支障はなかろうに、こうも抵抗されるとは思ってもみなかった。自分のような、言われた事を熟すだけの使い走りなど、代わりはすぐ見つかるだろう。それを、何故……
勤め始めた当初、エルネスタはアレクシスが苦手だった。じっとり睨みつけてくる反面、取り付く島もない感じのアレクシスに、どう接していいのか分からなかった。それが変化したのは、何時頃だったろう。
自分なりに、一所懸命に頑張ってきた。その仕事振りを惜しまれるのは、正直言って嬉しい。でも、ずっと此処で生きていくのかと問われると、即答は出来ない。自分の頭では、文官など勤まる筈も無く、秘書を続けるのも限界を感じる。
エルネスタは思う。自分が求めているのは、仕事ではないかも知れない。うっすらと像を結ぶ将来の自分を、未だはっきりとは捉えられないでいる。
「疲れちゃった。もう寝ようっと」
とりあえず、明日に備えて寝ることにする。長い休みで、たっぷり鋭気を養ったので、しっかり働こう。つらつらと思いを巡らせながら、エルネスタは魔力を放って、周りを光の粒で満たした。訓練の一環でもあるし、こうしておくと寝ている間の夢見がいい気がする。
何処からか、声が聞こえる。
『その光は****よ。仲良くしてね』
『****はお前を助けてくれる。大事にしてくれよ』
『私達一族の支えなの、****の加護は』
『****の力を引き出すのは、お前次第だ。しっかりな』
その夜の夢は、久しぶりに見るあの風景だった。何処か知らない森の中で、両親と共に見る無数の光。その時、両親は何か重要な事を言っていた気もするが、夢の中では相変わらず、何を言っているのか分からない。ただただ懐かしく、幸せな気持ちに満たされる。
夢の中の自分は、両親に甘えて頼りきり、全ての問いに答えを貰っていた。安心出来て、何の憂いも無く、心地良い。温い湯の中に全身を浸すような、ゆったりした時間を甘受している。
そんな場所から引き離されて、今、自分は何処に居るのか──
「あれ? これ、涙? ボク、泣いてたんだ……」
目が覚めた時、雫が頬を伝うのを感じた。眠りの中で泣いていたらしい。エルネスタは、夢ではどうしても聞く事の出来ない両親の言葉を、どうにかして知りたいと思った。今の、宙ぶらりんで何処にも進めない自分を、教え導いて欲しかった。
自分は、何処から来たのか。そして、何処へ行くのか。自分に、何が出来るのか。親しい筈の人達が自分へと向ける言葉に、一層悩みを深くする。
『俺と所帯を持ってくれ』
ただ過保護なだけだと思っていた兄の本心を知らされて、裏切られたような気がする。他の兄達から、今までずっと末っ子だった反動で、下の子を構いたいだけとの言葉を信じていた。何の根拠も無い事を信じたのは、自分がそう思っていたかったからだ。
『待ってるのさ。気持ちに気付くのを』
魔力に目覚めて以来の訓練仲間で、一番気安い間柄だったのに。何処で違ってしまったんだろう。まるで知らない人のように見えた顔が、瞼の裏にちらつく。これから、一体どんな顔をして会ったらいいのか、分からない。
『此処に居て欲しい。私が大丈夫じゃない』
苦手な雇い主だったのが、何時の間にか、頼れる保護者になっていた。此処を辞しても、細々と交流は続くものと思っていた。職分を変えてでも側に居て欲しいと望まれるなど、そんな激しさは思ってもみなかった。
求められる自分に、相手の望むような価値はあるのか。
寝起きのぼんやりした頭で、エルネスタは輪郭のはっきりしない思いを、浮かんでは消えて行くそれをただ眺めていた。
ノロノロと起き上がり、身支度を整えると、徐々に頭の中がしゃきっとしてくる。エルネスタは自らの頬を掌でパンッと打ち、気合いを入れた。今日も一日、張り切って行こう。
「おはようございます!」




