魔法使いの弟子
エルネスタが読み書きに慣れてきた頃、主の職場である街の役場へのお遣いが増えていた。役場のお堅い雰囲気に、最初は尻込みしたエルネスタだったが、何度もお遣いに行くうちに顔見知りも増え、次第に馴染んでいった。
役場のある街の中央へは、高級住宅地である北区を通り抜ける。ここは大きな敷地を持つ邸が多く、緑豊かな所だ。エルネスタはお遣いの行き帰りに、様々な木々や色とりどりの草花を楽しんだ。
そんなお屋敷町の一角に、周りの景観とはそぐわない、まるで廃屋のような邸があった。広い敷地は雑草が蔓延り、建物の手入れもされていない。かろうじて窓や門扉の破れはなかったものの、到底、人の住んでいる様には見えない。
その庭に、珍しく人影があるのを見掛け、エルネスタは足を止めた。好奇心に駆られて、生垣の隙間から覗いていると、その人物と目が合った。
「誰? 何か用?」
「あっ、こ、こんにちは! ここって、空き家じゃなかった?」
その人影が近付いてくる。黒っぽいローブ姿で、背格好も年頃も自分と大差なさそうに見える。肩に付くか付かないか位の銀髪に、銀色がかった蒼い瞳をした、冷たい印象を与える容貌だ。変声期特有の掠れた声で、エルネスタに問い掛けてくる。
「ここは、確かに先週までは空き家だった。で、君は誰?」
「ボクはエルだよ。ここに住んでるの?」
「俺はテオフィルだ。師匠がここを借りたんだ。それで、王都からこっちに移ったんで、俺も付いて来た」
「師匠?」
「魔術の師匠だよ。先週までは、王都の宮廷魔術師だった」
「凄いな! じゃ、キミも魔法使いなんだね」
エルネスタは目を輝かせて言った。身近に魔術を扱うような人はいなかった為、最近読んだ冒険小説の中の登場人物みたいで、格好良く見える。テオフィルは毒気を抜かれたように、暫くポカンとしていた。
「またお話してね! テオフィル」
「ああ、テオでいいよ」
「テオ、またね」
エルネスタは手を振り、帰って行った。その後ろ姿を見送るテオフィルが、その姿が見えなくなるまで立ち尽くしていたのを、エルネスタは知る由もない。
それから、エルネスタは役場へのお遣いの度に、テオフィルの居る邸へ足を運んだ。そうして、束の間に雑談しては、交友を重ねていった。
生垣越しの立ち話では何だからと、二度目からはテオフィルの誘導で、生垣の破れ目から庭先へと招き入れられた。荒れ果てた庭の隅に、かろうじて四阿があり、そこで二人は会話に興じた。
「テオは魔術師見習いなの?」
「まあね」
「魔法と魔術って違うの?」
「魔法は元々持ってる魔力で出る力のことだよ。魔術は、魔法の力を体系化して効率良く使う術さ」
「……何かよく分からない」
エルネスタの理解力を超えた話に付いて行けず、話題を変える。
「テオは王都の人?」
「出身は北の方だよ。魔力が多いからって、王都に修行に出されたんだ。エルは、この街出身?」
「ボクは、孤児だから分からないや。この街の養父母の所で育って、今はこの近くの邸で侍従見習いだよ」
「そっか……」
少し気まずい沈黙が降りる。失言を悟り、気分を変えようと、エルネスタは明るく問い掛けた。
「テオは魔法が使えるの?」
「俺はまだ見習いだから、あんまり。魔力の量は多いらしいんだけどさ、自力で出せたことないんだ」
「魔力?」
「うーん……口で説明するの、難しいや。手、貸して。両手」
エルネスタが手を差し出すと、テオフィルはその手を握って、魔力を流す。テオフィルから発した少しひんやりした魔力は、エルネスタの両手にすーっと染み込んでいった。
「こういう感じ。分かる?」
「なんとなく」
「……あれ、エルにも魔力ある?」
握った手を通じて、ほんのりと感じるエルネスタの魔力をテオフィルが探る。しかし、反応が微かではっきりしない。
「よく分からないけど、有りそうだ。ちょっとゴメン」
そう言ってテオフィルは、エルネスタの額に自分の額を押し付けて、更に魔力を探ってみる。魔力は確かに有りそうだ。でも、魔力量が少ない上に、かなり特殊な質の様に感じる。
「魔力は有るのは間違いないんだけど、かなり珍しいのみたいだよ。こんな感じの魔力は初めてだ」
「それは分かったけど……テオ、近い!」
あまりにも無遠慮なテオフィルの接近振りに、エルネスタは顔が火照る。テオフィルの肩を少し強めに押して、躰を離した。
「あ、悪い」
「そういうの、『デリカシーが無い』って言うんだ」
「難しい事、知ってるな」
「マーサさんがよく言ってる」
微妙な空気になり、居た堪れなくなったエルネスタは、さっさと帰ることにして席を立った。
「じゃあ、またね」
「エル、一度師匠に鑑定して貰ったらいいよ。またな」
顔の火照りを冷ますのに、遠回りして帰るエルネスタだった。