仕事始め
エルネスタは、邸の主に引き合わされた。
「私はアレクシス・リーベルトだ。君が今度、新しく雇い入れる小間使いか?」
「はい。エルといいます。よろしくお願いします」
「挨拶は出来るようだな。仕事は、バルドルに聞くといい」
「分かりました。失礼します」
お辞儀していたエルネスタが顔を上げ、アレクシスと目が合った。歳はエルネスタの倍位はありそうな感じで、白いものが混じった黒髪を短く切り揃えている。アレクシスは目を瞠った。その薄緑の瞳に見つめられたエルネスタは、何か自分の顔に付いていたかな、位の疑問は持ったが、深くは追求せずに部屋から下がった。
宛がわれた使用人部屋で、エルネスタは小間使いのお仕着せに着替える。お仕着せが、少年用の物で助かった。女中用のスカートやエプロンでは、着慣れなくて動けない。
着替えると、使用人頭のバルドルに付いて仕事を教わった。この邸の使用人は少ない。その分、一人当たりの仕事量が増える。エルネスタは、片付けや使い走りなどの多くの雑用を熟していった。
邸の使用人は、使用人頭のバルドルの他、料理人兼女中のマーサと、通いの庭師がいる位だった。いくら小振りな邸とはいえ、少な過ぎる。エルネスタは、前の小間使いが辞めた後釜として雇われた。ということは、以前からこの人数で、仕事を回していたのだろう。
「バルドルさん、何故こんなに人が少ないの?」
「大人の事情ってヤツだ。気にするな」
「……はぁい」
質問をはぐらかされてしまったが、もとよりそんな無駄口をきく余裕も無い。主の身の回りはバルドルが、厨房周りはマーサが、庭は庭師が管轄し、その他部分がエルネスタに降り掛かる。邸の掃除だけでも、とてもじゃないが、手が回らない。
「マーサさん、掃除が終わりません」
「エルは洗濯と買い出しを主にやってくれたらいいわ。掃除は皆が手の空いた時にするから」
「はぁい」
どうやら、優先順位があるらしい。エルネスタは山盛りの洗濯物をやっつけ、買い出しに走り、目立つ所の掃除に勤しんだ。
くたくたになって、一日が終わる。夕方、主の出迎えを使用人全員でやり、主の纏わりつくような視線を感じながら厨房脇の使用人控室に下がる。ここで、住み込みの使用人達は食事や休憩をとるのだ。賄いは、主用に作った食事の材料を流用するので、家の食事より高級な食材が入っていて美味しい。
「エル、一日仕事してみて、どうだった?」
「まだ慣れなくて大変だけど、家で手伝いしていたのと変わらないから、何とか出来そう」
「ゆっくり覚えていけばいいからね」
夕食時に、マーサと仕事初日の感想などを話す。マーサは養母より少し年上のような感じで、薄茶色の髪がかなり白くなっている。優しげな茶色い瞳を眇め、微笑んだ。横からバルドルも口を挟む。バルドルは、養父とほぼ同年代であろうか、精悍な躰付きに黒髪と緑の瞳で、主と血縁者かも知れない。
「エルはよく働くし、覚えも悪くない。いずれ、主の身の回りを任せても大丈夫だろう」
「ボク、読み書き出来ないし、侍従は無理かも」
「俺が教えるよ。すぐ覚えるさ」
バルドルの職分は、世間一般でいうところの執事の立場に近い。バルドルが執事と称さないのは、主が貴族階級でないことと、担う雑用が多岐に渡るせいだろう。届く手紙の仕分けや帳簿付けなど、読み書きが出来なければ仕事にならない。
エルネスタは、学校に行ったことがない。読み書きは、最低限の自分の名前や、日常で使う物の名前が読める程度だ。計算も、買い出しの時に支払う金勘定の単純な足し引き位で、指折り数えてやっていた。
「読み書きに慣れたら、本が読めるぞ」
「本?」
「いろんな話が書いてあっていて面白い物だ。あと、手紙も代読して貰わずに、自分で読める」
「それはいいな」
「計算だって、慣れれば指折り数えなくても出来るようになれるぞ」
「え、すごい! 教えて下さい、バルドルさん」
エルネスタは夕食後、少しの時間を割いて、バルドルに読み書きや計算を教わるようになった。教材は、邸にあった古い子供向けの本で、主の子供時代の持ち物かも知れない。
その本は、絵が沢山載っていて、字が読めなくても楽しい。繰り返し見たであろうページは、折り癖が付いていた。騎士が魔物を退治して姫を助けるシーンで、凛々しい騎士の姿に心躍る。エルネスタは可愛い姫より、騎士の方に興味が惹かれた。
今の時代、騎士などは存在せず、王都や領都に軍隊が置かれている位だ。この街には軍隊など無く、衛兵や自警団位しかない。後は、冒険者の護衛だろうか。冒険者と言えば、すぐ上の兄、クリストフを思い出す。元気にしているだろうか。
クリストフからは、毎週のように手紙が届いていたらしい。家の方に届くので、エルネスタは知らなかった。仮に、邸に届いていたとしても、エルネスタはまだ自力で読めないし、返事も書けない。
そして、邸での暮らしに少しずつ慣れてきた頃、夕食時にバルドルが急用を言い付かって出掛けた。主の夕食の給仕は、当然マーサだろう。エルネスタが厨房の後片付けに取り掛かろうとした時、マーサが戻って来た。
「アレクシス様が、給仕はエルにさせろと仰るの。出来る?」
「無理!」
「そうよね、まだ基本も教えていないし……」
そうは言っても、主の要望だ。無視は出来ない。マーサは食事を出す順など最低限のことを教えると、エルネスタにワゴンを押して行かせた。