新生活の始まり
その後はこれといったトラブルも無く、一行は無事に王都へ到着した。盗賊に壊された馬車の扉は、応急措置で留めているだけなので、邸に着いて直ぐさま職人のところへ修理に出された。
アレクシスの王都邸は、街での仮住まいより数段大きく立派なものだった。貴族の邸程ではないが、敷地も広く建物も瀟洒なもので、使用人も多い。
使用人達は総出で主のアレクシスを出迎えた。年配で黒いスーツ姿の人が、多分、執事だろう。その隣の年嵩な女性は、女中頭か侍女長かどちらかではないか。後は、女中が数名と、小間使いが数名いるのが見える。同年代の小間使い達を見ながら、自分も本来ならこちら側なのに、とエルネスタは思う。
女中の一人に案内されて、エルネスタは自分に宛がわれた部屋に落ち着いた。僅かばかりの手荷物だけしか持たずに来たので、片付けもすぐに終わった。聞けば、住み込みの使用人は街から移動した三人の他、執事と女中頭だけらしい。後は、通いで勤めているとのことだ。先程は見掛けなかった料理人や庭師も、通いなのだろう。
「エル、片付け終わったかしら?」
「はぁい」
「それなら、邸内を案内するわ。いらっしゃい」
マーサに呼ばれて、エルネスタは部屋を出ると、後から付いて歩く。
この邸は二階建てで、屋根裏部屋と地下室がある。一階がホールやダイニングなどの公のスペースで、二階が主の部屋や書斎などの私的なスペース、屋根裏部屋が住み込み使用人達の部屋になっている。例外は、執事の部屋が一階の端、侍従の部屋が主の部屋の隣にある位だろうか。今はどちらも使われておらず、皆、屋根裏部屋の一室を使っている。
街の邸と同じく、厨房の脇に使用人控室があり、そこで料理人から休憩のお茶を振る舞われた。エルネスタはそこで、同年代の小間使い達と交流を持った。
「こんにちは。ボク、エルだよ」
「よろしく」
「よろしくね、エル」
人懐っこいエルネスタはすぐに小間使い達と打ち解け、邸周辺の情報を色々教わった。聞いていた通り、王都は街よりも広く、慣れないと迷子になりそうだ。外出は暫く、彼らと一緒に付いて歩くことになるだろう。
夕食は、執事とバルドルが主の給仕に付いている間、通いの人達と一緒に摂った。そして、食べ終えて帰る彼らを見送ると、バルドルに呼ばれる。
「エル、二階においで」
「はぁい」
「ここが二階の給湯室だ。お茶の用意はここでして、ワゴンでアレクシス様の居間へ運んでくれ」
「ここでの夕食後のお茶も、ボクの担当なんですね」
「アレクシス様の希望だ」
「はぁい」
エルネスタがワゴンを押して、主の部屋をノックすると、誰何の声が掛かる。
「エルです。お茶をお持ちしました」
「入れ」
二階のアレクシスの部屋は、居間と寝室と浴室が続き部屋になっていて、反対側に侍従の控室もある。以前はバルドルが控室に入っていたらしいが、今はバルドルが上の屋根裏部屋に移り、空いている。
エルネスタがお茶を淹れて差し出すと、アレクシスはソファに掛けて受け取り、エルネスタにも腰掛けるよう促した。
「そこへ掛けなさい」
「……? はぁい」
街では、食堂で夕食後にお茶を出していたので、傍らに控えていればよかったが、ここでは私室の居間へ呼ばれる。色々と、街とは勝手が違って、慣れるまで時間がかかりそうだ。
「私は来週から、王宮の外宮に出仕する。エルは、秘書見習いとして同行しなさい。仕事内容は、概ね街でしていた事と変わりない」
「分かりました」
「お仕着せは、侍従見習いのとは変えよう。明日、仕立て屋を呼ぶ。採寸するので、待機するように」
「はぁい」
翌日、午前中に仕立て屋の採寸が終わり、午後は半休が貰えた。エルネスタは、クリストフの下宿を探して行ってみようと思い、小間使い達に場所を聞いた。
「ねえ、『黒槌』のトールがやっている下宿って、場所を知ってる?」
「うん! 有名だよ。冒険者協会の建物から、すぐ近くにあるんだ」
「教えて!」
「じゃあ、お使い行くついでに、連れて行ってやるよ」
「ありがとう!」
王都は、王宮を中心にして同心円状に広がっている。王宮を取り巻く貴族達の邸の外側に、裕福な平民の邸が連なり、庶民はさらにその外側に住む。王宮の前に広場があって、そこから八方に伸びる大通り沿いに店舗が連なっていて、大通りは方角の名前で呼ばれていた。
アレクシスの邸は、貴族エリアと庶民エリアの中程にあり、北西大通りに近い。冒険者協会の建物は、庶民エリアで、南大通りにある。トールの下宿は、そこから少し東に入ったところにあるという。エルネスタは、先輩小間使いに連れられて、トールの下宿の前にやって来た。
「ここだよ。帰り道は分かる?」
「なんとなく」
「大丈夫か? エル」
「なんとかなるよー」
先輩小間使いはお使いに戻り、エルネスタはトールの下宿を訪ねた。ちょうど庭先に出ていた女性に、声を掛ける。
「済みません。ここに、クリストフという冒険者がお世話になっていませんか?」
「クリストフ? いますよ。あなたは?」
「兄がお世話になっています。ボクは、エルといいます」
「あらあら、クリスの? 今、呼んでくるわ」
女性はバタバタと走って行った。




