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遙か彼方  作者: 岩尾葵
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第一射撃/十メートルの距離

 咽喉に張り付きそうなほどに噎せ返る多量の埃が宙を舞う。跳弾から身を守るためのコートにぎゅうぎゅうと体を締め付けられ、長いこと上げ続けていた腕はもう限界に近い。たった十メートルの距離に気が狂いそうになるほど霞んだ視界。黒い円筒にある僅かな隙間から覗くその先に、潰れたまんじゅうのように拉げた小さな的がある。

 あの小さな的を撃つんだよな、と藤枝は何度目になるか知らない銃を構えてまた思う。レバーは先ほど、カタン、と音が鳴るまで一杯に引いた。勢いよく噴射すれば肉をも貫く鉛弾も詰めた。あとはこの銃の照準を、今覗いている十メートル先の的の真ん中に、出来るだけ正確に合わせて、引き金を引くだけだ。藤枝の銃の引き金はとても軽い。人差し指の第一関節に少し力を入れただけで、すぐに発砲してしまうし、気を抜くと、照準を合わせているうちに誤って引き金を引いてしまう恐れもある。この間の大会など、その一発が暴発扱いになったせいで、得点が自己平均より五点も低くなってしまった。軽い引き金にこそ、細心の注意を払わなくてはならない。

 呼吸を整え、狙う先をしかと見つめる。引き金を引く寸前に苦しさで手元が狂う可能性があるから、息を止めてはならない。胸を大きく動かさない程度に吸って吐く動作を繰り返すのが正解だ。あまり手元を意識しすぎれば、その分筋肉が固くなってしまうから、体のことは土台くらいに思っておかなくてはならない。大事なのは、この軽すぎる引き金を引いたその直後から、十メートル先の的を弾が貫通するまで、体を動かさないことに尽きる。今ならば、弾は正確に的を射抜くだろうか。いや、このタイミングなのか。まだだ、もう少しだけ待つ。だが、もう腕の方が限界だ。

 パコン、と隣の射座で空気の抜ける音がした。と、同時に、二的射撃終了、という、銃声よりもずっと高い軽やかな声が、静かな射撃練習場に響く。もう終わったのか、さすがカズだ。銃を撃つ手に迷いがないのだろう、と覗き続けていたサイトから顔を離して脇を見る。まるでさなぎが蝶に羽化するように重苦しいコートを脱ぎ棄てた隣の射座の住人は、今まさに撃ち終えた後の的を輪ゴムでまとめ、他の射座の選手が終わるのを待つべく背後に置かれたパイプ椅子にどっかりと腰を下ろしていた。彼の体重とコートを支えた椅子が、射座のコンクリートと擦れ合ってぎぃと鳴く。手にしたペットボトルから流れる透明な水に、乾いた自分の咽喉が同じ感覚を得るのを想像して、唾を飲み込む。額に光るそれと同じく手のひらに滲む汗は、ペットボトル外の水滴と混じり合い共に初夏を控えた太陽の前に少しだけ霞んだ。隣でうまそうに水を飲む光景が、緊張しきった体と神経をたやすく攫う。

だが自分も、あと一発、あとこの一発さえ撃ってしまえば、茹だるようなコートの熱からも解放されるはずだ。神経を集中させた最後の一発は、一体どこを射抜くのか。ここまで来るのにそれなりに点数は取っているはずだから、八点圏に収まればまあ合格ラインといったところ。九点圏に収まれば十分嬉しい。だがやはり、目指すは十点圏、それもセンター。十センチ四方の的のど真ん中にある半径一ミリに満たないあの白い点を鉛の弾で撃てさえすれば、今日こそきっとカズにも勝てる。

ならば撃たねばならない。そのど真ん中、一ミリに満たない白い点を。

先を見つめて、まっすぐな姿勢のままで銃口を構え直し、サイトを覗いたちょうどその先がまさにぴったりと照準に合った瞬間。藤枝は人差し指の第一関節に僅かに力を入れ――その軽すぎる引き金を引いた。

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