第一章三節 李氏朝鮮脱出
歴史シミュレーションなのをお忘れなく。
3 武将と使者と思惑と・・・
秀秋は大広間の襖の前に到着した。既に一緒にいた柳生宗章は、別の部屋に待機する為に秀秋から離れている。秀秋は供を連れずに、ここにいるのである。
その秀秋の周りには暑い中、甲冑姿で武装している警備兵が二人が門番の如く立ち見張っていた。この二人は、秀秋に対しての笑いを必死に耐えている。どうやら、この二人も秀秋を馬鹿にしてるようだ。 どうも秀秋の評価はかなり悪い。秀秋が激怒したら、かの者達程度の実力ではまず勝ち目がないのに上から目線である。自分達が、さも優秀であると錯覚している愚かな警備兵である。
(ええぃ、どうにでもなれぃ。)
秀秋はここで一瞬だけ思考した。石田三成がこの李氏朝鮮に使者を送ったをである。だが、やはり全く分からなかった。秀秋は、もうここは事の流れに任せようと思い、意を決して襖を開けた。
「うお・・・・・・っ。」
秀秋は大広間に入室する第一歩に、派手に転んだ。部屋と廊下の段差に足を躓いて転んだのだ。思考してたことにより、足元を疎かにしてた為である。秀秋の青い平服がやけに目立った。秀秋に擦り傷はないようで、膝は床に激しく打ったが、血は滲んでいない。
これには大広間に座して待機していた、殆どの武将が失笑した。各、色々な平服の色がわらわらと不気味に蠢く。ただでさえ、評価が低く馬鹿にしている秀秋には、この格好は正に様になっていると大名達は感じた。この暑い中、大広間といってもあまり広くないし、換気が悪く蒸し暑くなって服などに、汗が染み付いて大名達は気持ちが悪いし、気分を害していた。しかもこの李氏朝鮮に三成の使者が来たことにも大いに不快だったので、秀秋の無様な姿は良い憂さ晴らしだった。
三成が、李氏朝鮮に出兵した殆どの武将に怨まれていた。理由として、日ノ本軍は死ぬ気で李氏朝鮮で戦をしているのに、三成は後方の安全な所で、指示をだしていることが気に食わないのだ。これだけだと理由としては弱い。三成は戦が下手なのだ。なので、大した武功もあげていないのに指示している点。それなのに、地位は五奉行の筆頭までなった寵愛の点。性格が高圧的で妥協がなく、嘘を嫌い情を政務などでは一切切り捨てる点。李氏朝鮮の武功を過大評価で嘘をついたとはいえ、その後はどんなことも過小評価で報告している点。これ等の嫉妬や憎悪が、李氏朝鮮の出兵大名の殆どが三成を嫌う理由なのだ。
秀秋はこの多くの失笑の中、転んだまま蹲っていた。意外に、痛かったからである。だが、痛さの中に急に、秀秋の頭の中で稲妻が走った。
(もしや、秀吉に何かあったのか。確か、最後に会った時は耄碌に成り下がった猿老人だったから・・・。これは可能性は大いにある。)
転んだことで秀秋は突如、頭にその考えが出てきた。正に怪我の功名とはこのことである。痛みの感覚も全くなくなった。
のっそりと無表情で立った秀秋は、左右に座する大名達の一番左側下座に座した。その隣に座にいる毛利従五位下豊前守勝信は少し嫌な気分になった。かの者も、秀秋を馬鹿にしている。こんな馬鹿に近くにいると、馬鹿が移るっとしかめっ面を隠せなかった。だが、今の秀秋には気にする余裕はない。
秀秋が、何故このような下座を座しているのかといえば、秀吉が命じたからだ。秀吉は国替え減封が出来なかった代わりに、李氏朝鮮で出来るだけ秀秋を苦しめる。それで秀頼に牙を剥いて、豊臣家の当主の座を狙わせないよう、秀秋を疲弊させる策略だ。実に陰険である。そんなことをしなくても、秀秋に豊臣家など興味はない。いや、興味はあるが、嫌悪しているのが実情だ。だから秀吉がこのような策略は無意味である。だが、秀吉の命なので、秀秋は淡々と命を受け入れている。
秀秋は、大した物ではない座布団に座しながら思想を続けた。
(ならば、秀吉が死去ならば・・・撤退か。そうだ撤退を命じに使者をこちらに遣したのか。それならば全ての辻褄が合う。三成がわざわざ使者を使い、釜山城にいる大名達を急ぎ集めるのもな。)
秀秋は我が思想、真実得たりと思わずポンと太ももを右拳でたたく。
この行動に勝信は余計に嫌な顔をしたが、やはり秀秋は無視する。秀秋自身はこのような顔を、幼き頃から見てたので、無視するのは容易なのだ。そういう点からしてみれば、秀秋は歳のわりには大人になっているのかもしれない。
だが、思考を続けると、とある問題に秀秋が気付いた。
(ならば、問題はやはり小西殿達をどうするかだな。)
秀秋は小西従五位下摂津守行長達がここにいないことが可哀想だと思った。顔も少しだか強張り、汗がツツーっと一滴、額から落ちた。
行長は有馬晴信等小大名の連合軍、第一先陣の大将を任されていて、現在は全州の順天倭城で篭城していた。
ここ最近、九月、そして十月の初旬になって明・李氏朝鮮連合軍が、各地に総攻撃をかけている。秀秋自身は全く出陣しなかったので関係ないが、殆どの武将は、この猛攻に何とか耐えた。この猛攻に行長もさらされた。順天倭城は海が要塞の守りとした城であり、このこともあってか何とか敵を退かせた。だが、敵が退いたからといっても油断は出来ない状況なのは変わりなく、城からは迂闊に出れない状況なのだ。
(もし、小西殿達が撤退に遅れたりしたら取り残されるな。)
それは後味が悪いっと思考すると今度は、秀秋は眉を顰めた。秀秋も元は現地総大将であった以上、味方は最小被害にしたい。またそれもあるが、小大名は勿論だが、行長の替わりを探すのは中々いないという打算的な考えもあった。ただでさえ、日ノ本は出兵で国が荒れている。これ以上に荒れたら今度は、日ノ本が元寇みたく攻められる恐れもあるからだ。
そうこう思想を巡らす内に釜山城にいた全ての大名が集結していて、使者が入室するとのことを警備兵の一人が大声で言った。どうやら、かなり秀秋は考え込んでたようである。秀秋も流石に思考を止めた。更に、身なりも整えておいた。この他の大名達も、一応は神妙な顔をして緊張感を作ろうとしている。大広間が静まり返った。心なしか、蒸し暑かったのが涼しくなった気がした。
(使者との命じの間に聞いてみるか。)
正直に答えるかは分からんがっと秀秋は誰にも聞かれない程の小声で呟いた。
(大丈夫、成功する。)
一方、廊下に立っている使者は緊張が隠せない。顔も引きつって、体が少し震えている。青との平服に使者の顔色が、見事に同化してしまっている。しかし、舐められたら使者の役目が果たせないのは重々承知している。使者は先程から、心中で自分を鼓舞ばかりしていた。
意を決して、大広間の出入り口の襖を開けて見ると、ずらりっと大名がいる。その大名達は、使者が襖を開けると平伏した。中には嫌そうな顔を隠そうともせず、地に向かってした者もいる。まるでモーゼの如く大名達の道を歩く使者はだったが、その心境に余裕がないらしく、早々と最上座に座した。
最上座に座した使者は、ザッと大名達を見下ろした。どれもこれも名の知れた大名達ばかりである。もし、使者だろうと無礼に働けば、首がなくなる。そう使者は思考すると、怖くはある。
「一同、面を上げられよ。」
使者は必死に震えないよう声を出した。だが、恐怖と緊張からか、震えはしなかったが声は恐ろしく甲高かった。ひょろっとした体付きには、面を上げた武将達の体の逞しさに、威圧感を与えるのは難しい。
面を上げた大名達は一斉に使者の顔を見る。その見方は不審と何がごとかと不安が殆どであり、一声も聞き漏らさないよう緊張している。大名達の緊張してる顔が、使者にはより大名達に対して、怖さを強くさせた。使者は必死に心中で鼓舞しながらも、言葉を吐くしかなかった。
(大丈夫、成功させる。)
「石田従五位下治部少輔三成っ、及び、これは五大老、五奉行の連立任命である。方々はそのことを肝に銘じておくこととせよ。」
使者は三成の名が出た時に一斉に殺気だったので、慌てて五大老と五奉行の名を出した。使者も三成の人気のなさはよく知ってるからである。その使者の機転に案の定、大名の殺気が薄らいだのでホッとした。使者はここで発言を止まってはいけないっと、必死になって続けた。
「内容は、李氏朝鮮から撤退を命じる。これが命令である。」
使者は言い終わると懐から書状を出して、自ら折ってあった書状を、広げて皆に回し読みさせた。それを見た多くの武将が驚愕した。正に青天の霹靂であったからである。泥沼化してる戦に、こんな間合いに撤退とは・・・。大名達は騒ぎ立て始めた。その混乱の為か、撤退理由は書状の何処にも書いていないのに、殆どの大名は驚愕し過ぎで、目は素通りさせてしまっていた。
使者は渡し読みの間、大名達の顔を見た。大名達が驚愕しきってる間に早期撤退を命じさせたら、反対しないだろうと確信した。それは大名達が動揺して、まともな思考な状態ではないからである。ある意味、催眠術みたいなものである。そう、使者に書状が返還されるまでは・・・。
「少し、いいでしょうか。」
下座の秀秋が、他の大名達に向けて声を出した。秀秋の声は、遠慮からか小さかった。しかし、大名達は混乱してたので敏感になっていた。一斉に大名達が秀秋に視線を集めて沈黙した。秀秋を馬鹿にしているとはいえ、現在は頭が先の混乱で注意力が欠けていた。なので、秀秋の発言を聞く気になっている。
「如何なされましたか。」
使者は高を括っている。秀秋の技量なぞ知るものはないと軽々しく秀秋に声をかけた。寧ろ、書状が返還第一に、使者は発言しようとしてたのに出鼻を挫かれた形である。その為か軽々しい発言の中には棘があった。だが、そんなことは一切秀秋は無視した。
秀秋は書状を見て確信していた。秀吉の死である。だが、まだ秀秋の予測にすぎない。秀秋はそこを確認する為に、発言を開始したのだ。
「何故撤退を命じるのです。太閤殿下はここに執着なされてるのは誰もが知っての筈。」
「そ、それは・・・。」
使者は動揺した。秀秋の発言が予想外の内容だからである。
豊臣太閤秀吉は李氏朝鮮に執着してるのは、日ノ本にいた人間は誰もが知っている。現に一度は講和して、条件が合わないと破ったのは秀吉自身である。それ程、執着してたのを急に撤退とは解せない。
秀秋の発言は武将達を、冷静さと興奮をさせるのに十分だった。秀吉は、明もそのまた果ての天竺も自分の物だと自慢げに法螺を吹いていた。その秀吉がまだ目先である、李氏朝鮮の戦を止める訳がない。なら考えることは一つしかない。
大名達はゴクリっと息を呑んだ。沈黙してたのが、更に沈黙が強くなった。外の陽もそろそろ撤退の準備をしていたからか、部屋から涼しい風が入り始めた。その涼しさが、今は非常に不気味に感じる。秀秋が声を低くしながらも、皆の代弁を言った。
「もしや、太閤殿下は死去なされたのではないか。」
秀秋の発言に、シーンっと大広間が恐ろしく静まった。他の大名達の息の音すら聞き取りにくい。この時ばかりは風も遠慮してか入ってこない。秀秋の顔を見ながら、皆が硬直している。
「い、いやそんなことはない。そんなことはない。太閤殿下はご健在だ。」
使者はいきなり、狼狽しながらも否定した。
この発言に大名達は一斉に、今度は使者の顔を見た。使者の狼狽を大名達が見た。使者自身が秀吉の遺体を見てないし、世間に秀吉の死去の公表もされていない。だが、秀吉の死去の噂は知っていた、つい使者は狼狽してしまった。これでは肯定しているのも同然である。
「お前が知っていることを話せ。」
上座にいる一人の大名が大声で叫んだ。叫んだ武将は大髭を生やし、巨漢である。強面な顔で使者を睨みつける。一気に興奮したからかもしれないが、頭の頂上から湯気がでている。
この大名の名は、福島従五位下左衛門大夫正則であった。賤ヶ岳の戦いで大活躍した、賤ヶ岳の七本槍の一人である。この大名は子飼いであった為に秀吉を敬愛し、忠義心は日ノ本では十の指に入るであろう。その秀吉が死去していたならば、正則にとっては一大事である。
「はっ・・・。」
使者は正則の殺気めいた目と、威圧感に自分が知っていることを暴露した。秀吉の死去は間違いないとはいえないが、ほぼ確実との使者からの回答を得て、正則は号泣した。秀吉が長くはないことは、大名達も全員が知ってはいる。
秀吉死去が嘘だと信じようとしても、ここの撤退が大きな死去したという証拠となっていている。それ以外に李氏朝鮮撤退の理由が、納得出来る回答はないのである。正則と同じく賤ヶ岳の七本槍の一人であり、子飼い武将でもある加藤従五位下主計頭清正も号泣する。
(やはり、死んだか。)
蒸し暑さも突如として現れた水で涼しいが、悲しい空気に変換していく雰囲気の中、秀秋は心中でほくそ笑む。あの秀吉がやっと死んだことが嬉しくて仕方がない。無論、それを一切顔に出さなかったが。
秀吉の死去が効いたのかは分からないが、早期撤退に誰も反対はしなかった。元々は厭々やっていた戦で早く終えて帰国したかった。
(手順は違ったが、上手くいきそうだ。)
その後は上座に座してる大名を中心に、真剣に早期撤退を話し合っている。熱い討論で、夕暮れに近くになってからは、一転涼しい気温になっているのが逆に討論が熱いのを目立たせる。
使者は特に口を挟まない。ただの傍観者の立場になっている。フッと使者は秀秋に一瞬恨みがましい目を向けたが、今のこの状態を見ると結果はいい方に向かっている。使者は自分は早期撤退を命じ、行動させればいいっと割り切った。ならば、秀秋が武将の戦意を挫いたのは良かったことだと思いなおした。
使者はもう自分は必要ないと思い、大広間を出る前に一言告げようと思った。ゴホンっと業とらしい咳払いをする。大名達の声が少し小さくなった。大名達は討論こそ止まらないが、使者の話を聞く体勢はしていたようである。使者はこの好機を逃さずに言葉を発した。
「では、後は方々、よろし・・・・。」
「少し待たれよ・・・。」
使者はまた遮られた。使者に関心がなくなった大名達は発言主を注目する。使者も発言主を恨みの顔で睨もうとした。だが、秀秋みたいに恨みがましい顔が出来る相手ではなかった。
「撤退はよいが、早期撤退となると小西殿等は如何いたすのか。」
発言主の的の得た指摘である。これにはここにいる大名達は困惑した。早期撤退ならば、無理をすれば一週間あれば何とか準備が出来るが、それは行長等の先陣を除外しての話だ。いつの間にかここにいる大名達は、行長等が除外が当たり前になっている空気にこの大名は待ったをかけた。
「残念だが、見捨てるしか・・・。」
「某はそれに反対しもうす。」
上座に座してるこの発言主の発言に皆は驚愕した。この大名と行長と仲がいいとは誰も聞いていない。無論、反対を述べた本人もそのことは分かっている。だが、何故かその顔はどこか憤怒している顔であった。熱い討論もシーンっと冷たく静まった。
「それは何故でしょうかな。立花殿。」
秀秋は下座で久しぶりに発言した。秀秋は先程から、沈黙して討論を聞いていた。秀秋は行長等の救出を口にしたかった。だが、秀秋の立場では反感だけが出る恐れがあって出来なかった。だから秀秋は好機をずっと待っていたが、遂にやってきた。秀秋は先程からの発言主であり好機を作った、立花従四位下左近将監宗茂に興味を持ち尋ねた。
宗茂は忠義、剛勇は鎮西一っと秀吉が称した名将である。この時、三十歳。武将としても脂がのった歳である。 宗茂は鍛え上げられた肉体を隆々と見せている茶色の平服をしていて、それが逆に筋肉を目立たせている。身長も六尺(約百八十センチ)はあろうか巨体である。だが、無駄な肉はついていないし、顔も強面ではなく青年武将っぽく凛々しい。どこか涼しき空気が漂う男である。それはこの宗茂は義を大事にする大名であり、その為ならば自分の地位や名誉を捨てれる快男児だ。
「このまま、小西殿等を見捨てたら何と言われよう。日ノ本の武将はさても義もない獣、勇もない男だと世界に噂が立つに決まっている。そんなことは日ノ本の武士として恥だ。」
宗茂は秀秋に対して堂々と理由を言い放った。なるほど道理だと誰もが思った。友軍を見捨てる行為は恥以外何ものでもない。
「小西なぞを放っとけばいいのだ。大体、一緒に貴殿も死ぬぞ。」
清正が不快感を前面に出して反論した。
元々、行長と清正の仲は悪い。性格は行長は温厚で計算高いのに対して、清正は獰猛で情深いので正全くの正反対。出生は商売人の薬屋の倅で清正は鍛冶屋の倅。二人の領地は、肥後を二分割している。この二人の全てが合わない。油と水なのだ。だから、清正が自然と反対に回るのは、当然の成り行きだ。
清正の反論に対して、宗茂は淡い笑いを浮かべて清々しく痛快に言い放った。
「それは仕方がないことです。」
これには大名の全てが驚嘆した。あまりにも清々しい覚悟である。正しくかの者こそが『もののふ』なのだろう。そう思うと、大名達の心に通うもののふの血が踊る。
(これ程の漢が死んだとなれば、我々は天下の笑いものだな。しかし、これで小西殿が救えるな。)
秀秋はこの宗茂に好意を持ったし、体の血も滾り踊った。秀秋はこの漢を死なすのは惜しいっと思えてならなくなった。それに、行長等を救出の賛同を得るには、もう一押しが必要であった。
秀秋はすくっとその場に立ち上がった。秀秋の当然の行動に、皆は当然だが不審がる。だが、ここは行長等の説得の正念場と承知の秀秋は、宗茂に向かいさっと頭を垂れた。そして体勢を整えると秀秋の口は朗々と動き始めた。
「天晴れ。流石は西国一の名将。正に真のもののふでございますな。」
まさか、馬鹿にしていた秀秋の褒め言葉に宗茂は少し困惑した。他の大名達も困惑した顔で秀秋を見上げる。何を思考してるかサッパリ分からないからだ。
そんな中で秀秋は眼光を一瞬だけ鋭くし、威圧感を大名達に与えた。その威圧感は大広間の空気を、一瞬にして絶対零度にさせた。しかしこれは、微量な威圧感である。現に、他の多くの大名達はこの威圧感に気付かなかったが、何故か緊張感が否応なく強くなったはさせた。自然の方が感知力が優れている。だが、名将と呼ばれた数人の武将がこの威圧感を敏感に感知した。秀秋の威圧感を感知した大名達は身震いし、何人かが首を一瞬傾げた。信じたくなかったのかもしれない。
秀秋は、眼光を元の垂れ目に戻して威圧感も発散させた。秀秋の発言は続く。
「我々も大名となり、上の立場になりました。だが、その前に我々は一人のもののふであり、武士であり、何より武将なのです。武将の恥は何よりの辛き事。ここは一つ、皆様の力を結集して、小西殿等を救出しようではありませんか。そして、その武将精神を後ろにいる者達に見せ付けてやりましょうぞ。」
見下した者の鼓舞に、何故か大名達は反論が出来なかった。これこそ武将が行く道だと多くの大名達は思った。爽やかな風が大広間を吹いた。その風に一瞬、多くの大名達が酔った。
すくっとその風に乗ったように一人の老人が立ち上がった。老体だが、筋肉が隆々である。顔も好々爺だが、目つきが鋭い。
「儂も立花殿の意見に賛成いたそう。武将じゃからな。」
その老人は、先日の泗川の戦で七千の兵で明・李氏朝鮮連合軍の約三万人を討ち取り、鬼石曼子っと李氏朝鮮で恐れられている。名を島津従四位下参議義弘という。既に六十二歳と高齢だが、まだまだ若さが残っている澱んでない声に釣られて、寺沢従四位下志摩守広高も宗茂を支持した。広高の発言の波紋が広がって、次々と他の大名達も宗茂支持を口にして立ち上がる。
そんな中、一人だけポツリと清正は不機嫌そうに座していた。清正の心中にはまだ行長の嫌悪があるからだ。不貞腐れる清正に、正則がため息交じりに話しかける。
「虎之助・・・いつまで座しているのだ。お主が小西殿が嫌っておるのは承知しとる。だが、この小西殿救出は武将である我々がやる武のことぞ。それに嫌いな小西殿に恩を売れるし、武も示せて一石二鳥ではないか。」
虎之助は清正の通称である。この二人は通称で呼び合う程、仲が良いのだ。
清正がここまで聞いて、座していることは出来ない。かの者は秀吉の天下統一を武で支えた自負がある。その武を出さずして、武の自負が許される訳がない。そう、自分は大名の前にもののふであり、武将なのだと・・・。
清正はやっと最後の一人として立ち上がった。大名達も清正に注目している。かの者の発言を固唾を呑んで見守る。
「確かに、小西に頭を堂々と下げさせるのは一興だ。今回だけは助けてやるか。」
苦笑しながら清正ボリボリと頭を照れぐさそうに掻いた。緊張した大名達は清正の行動に笑った。ただそれだけで笑ったのではない。武将の気持ちの爽快さ、武の気持ちが一致した心地よさに笑いが出たのである。
だが、唯一笑えなかった者がいる。最上座に座してる三成の使者である。先程から成り行きを見守っていたが、どうも不味い雰囲気になった。
(冗談ではない。このままでは早期撤退は難しくなる。)
顔を青ざめる使者は戦慄した。このままでは使命が果たせないからだ。もののふの魂なぞこの使者にあるわけなく、大名達は狂っていると思った。
このままではいけないと、使者は恐々と小声で進言しようとする。
「恐れながら・・・・。」
実に空気が読めない男である。現にどの大名も、一斉に冷めた目で使者を睨んだ。その大名達の冷めた目は、使者の体を一瞬にして硬直した。
大名達は、気持ちが一つとなって盛り上がった中で冷水を浴びされたような感じだ。大名達は使者の進言の内容を大体は予想している。
大方、早期退却をした方がいい。ならば、小西殿等は見捨てたほうがいいっというに違いない。大名達の予想は、的を得てる。
だが、今の気持ちでそれを聞くのは嫌だ。
「まだいたのか。早く後ろにいる者達に伝えよ。我々は友軍救出までは帰国しないとな。」
清正が意地悪な顔をして使者に言い捨てた。これに他の大名達も首を頷く。どうやら、清正の発言に賛同の意を表明しているようだ。
使者は、もう何をいっても無駄だと流石に悟った。顔面は青から白になっていて、体が小刻みに震える。この不気味な者達は何者であろうかと恐怖した。
(皆、狂ってる。狂った者には言葉は分からんわ。)
使者は勝手に自分を納得させると立ち上がった。そして使者は、こんな狂人とは一緒に居たくないっと恐怖した。立った使者は、そそくさと大広間から出て行った。足も体も震えながらであった。
使者が出入り口の襖をピシャリと閉めると、大名達は使者の態度に一斉に笑い出した。清正は目から水を出している。これからの大変なことが待ち受けていても、何故か笑いが止まらない。
このいい雰囲気に正則は、自分に対してだがいいことを思いついた。
「これから気合を入れねばならん。それには酒がいいと思うが、皆はどうであろう。宴をしないか。」
最もらしい言い分だが、大の酒好きである正則はこんな楽しい宴会を逃す手はない。ただ、酒を飲める口実が欲しかったのである。案の定、皆が賛成した。こんな楽しい雰囲気の宴を、ここで逃すのは惜しいからである。
大名達は一旦は、部下に大広間の決定事項を報告した後に大広間に再集合することで、軍議を終決させることとなった。
秀吉の死や李氏朝鮮撤退のことを一旦は忘れて、もののふ達の宴が始まろうとしていた。
もののふの宴が始まった。ある者は笑い、ある者は泣き、ある者は怒る。そんな中で秀秋に一人の男が話しかける。
次回、転換!関ヶ原!第一章四節李氏朝鮮脱出『4 もののふの宴』。 「ここ、宜しいかな・・・・。」