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転換!関ヶ原!  作者: 歴史転換
叶ワナイ恋編
27/29

外章二話 恋ノ夢ハ永遠カ・・・


どうも歴史転換です。少々ペースダウンしてます。

ですが頑張って書します。

 では歴史シミュレーションなのをお忘れ無く。


2019年6月25日に移動。内容は変わってません。

 

 2 男、事情ヲ知ル。ソシテ、女ノ居ル所ニ出発ス。



 時は一五九五年の七月十七日。李氏朝鮮に出兵した日ノ本軍は一時期の平穏を満喫していた。それというのも、豊臣秀吉が李氏朝鮮の出兵を控えているからである。

 これは秀吉が李氏朝鮮と、講和を模索し始めたからだ。そして講和の話し合いの前提に、互いの兵を引かせるのが条件だった。なので秀吉は、出兵させてた大名達を撤退させたのだ。日ノ本軍は疲弊しきってたので渡りに船で、我先にと撤退した。

 出兵した日ノ本軍の大名達は、荒れた領地を回復させるのに躍起であった。だがそこには、故郷の日ノ本にいる安心感を喜びながらであった。


 そしてここは、摂津の大阪城に設けてある小早川秀秋の屋敷。そして舞台は屋敷の寝室である。ここには秀秋と正室の古満が向かい合って座していた。秀秋はここの屋敷に来てから、三日目になる。

 秀秋は去年に小早川隆景の養子になった。そして秀秋は、その隆景の養子になってから一年が経っていた。秀秋は養子前は、何事も後向きに思考する性格だった。秀秋のこの性格は、劣悪な環境が作り出したものである。

 だが養子に出されてから、秀秋は劇的に変貌した。何事も前向きにとはいかないが、大体のことは前向きに物事を思考するようになっていた。そして今は、自分の全てのことを高めようと努力している。

 学は義父の隆景、隆景が派遣した近侍取締役の清水景治に、武は家老の松野重元に頼み込んで師とした。普段は隆景と秀秋は、それぞれ違う城の城主をしている。だから景治に、隆景が書物を送る。その書物を参考に、景治が秀秋に教え込む。なので学の師は二人いるのだ。武は重元一人だったが、これは秀秋が最も信頼していて、一番強い武将だと感じてたからである。

 そして現在、秀秋は十三歳となり努力の成果か著しく成長していった。だがその成長はまだ伸び盛りであり、どこまでその成長が伸びるかは誰も分からなかった。それはさておき秀秋は、外面が立派な青年となりつつあった。

 秀秋は普段、居城の亀山城にいるが、今回は正室の古満に会いに来たのだ。古満とは結婚して一年目なので新婚ホヤホヤであるのが、まだまだ雰囲気にぎこちなさが残っていた。だから政務もそこそこにして秀秋は、大阪城の自分の屋敷にやってきたのだ。正室だから仲良くなりたいが一心であるからだ。


 七月の中旬だからか暑かった。それに加えて外は天気も雲一つない。天は陽の独り占めをしていて、その陽は高々と独壇場で踊っていた。その熱血な形相の踊りに、地にいるものには暑さを与えていた。

 地にいるものは、その陽に負けないように活動していた。ある意味意固地になっている気もするが、そこは動かなければ明日は来ないから仕方がなかった。

 そして戦好きのものが横行していた。そう、甲虫である。かのもの達は、自らを極限で鍛え抜く。無論だが、他のもの達に負けぬようにでる。そして、現在は眠る筈だが、何故か活発に行動している。そして何処でも樹液を独占化したいが為に、戦をしている。だがそこには、甲虫達自身も面白さを感じてるようで頻りに武器を鳴らす。その激しい武装音色に、他の生物も樹液を求めてワラワラっと集まっていた。


「良く眠れられましたが、大丈夫ですか。」

「ああ問題ないです。古満殿も同じく寝てたではありませんか。」

ぎこちなく笑う秀秋に、古満もぎこちなく笑い返した。

 秀秋はまだこの頃は、人間不信は続いていた。小早川家に養子に出される前は、秀秋は秀吉の道具当然な扱いだった。その道具として扱われた傷が、秀秋は癒していないのだからである。

 養子になって直ぐのことである。義父になった隆景が無理矢理嫌がる秀秋と初めて共に風呂(蒸し風呂)に入った時に、秀秋を見て息を呑んだ。秀秋の体は服で隠されてたから分からなかったが、あちらこちらに擦り傷と切り傷、そして青痣があったからだ。秀秋は前々から隆景との風呂を頑なに断っていたが、その痛々しい体を見せたくなかったのだろうっと分かった。

 隆景はその体について、何も聞かない訳にはいかなかった。その結果、他言無用で秀秋は能面な顔つきで淡々と答えた。この体は秀吉につけられたっと・・・。

 秀吉夫妻に養子と出された秀秋だったが、その夫妻には全く愛情を注がれなかった。いや寧ろ、嫌悪されていたと言った方が正しい。かの者達は、秀秋を事あるごとに嬲っていた。鞭や扇子、太刀の峰で打ち据えられた秀秋の体は、まさにボロボロであったのだ。

 これを聞いた隆景は、そうかっと無表情で言うと、さっさと風呂に一緒に入ったが内心では憤怒していた。子にやっていいことではないからである。隆景夫妻は結局、実子が産まれなかった。だから子を想う心は一際強い。そして秀秋を可愛がる隆景にとって、こんなに悔しいことはなかった。そして秀秋に愛情を与えたくなった。

 その後の一年間、筆秋は様々な人から愛情を注がれた。なので秀秋は親しい人間には明るい一面を見せ始めたのだが、まだまだ完全に人を信用していない。これは残念ながら、隆景夫妻と古満なども含まれている。だからこういう密接な所で人と話す時は、秀秋の態度はかなりぎこちないのである。

 一方の古満は、そんな秀秋の事情を隆景夫妻から聞いている。まだ若いからっと秀秋が、頑なに夜の活動をやりたがらないのも古満は理解した。そのボロボロな体を見せたくないからだっとも理解した。

 だがそのことで、秀秋に対する愛情が強くなった。秀秋の全てを知り、その全てに愛情を与えたいっと想った。しかし秀秋はまだ心の整理が出来ていないのか、人間関係には躊躇している。古満は焦らずこれに合わせることにより、秀秋の焦りや不安を解消しようとした。だから古満もぎこちないのである。


 暫しの間、二人は特に記述する必要もない会談していた。流石に秀秋も、話していく内にぎこちなさが徐々にだが取れてきた。笑いも引きつった顔ではなく、少し無愛想だが微笑するような顔になっている。

 一方の古満もそれに合わせて、ぎこちなさを取っていく。笑いも綺麗というより、可愛さが目立つ微笑で秀秋に対応する。微笑に秀秋もやっと、はにかむぐらいの笑いをしてくれるようになったその刹那。

「失礼します。最上義光様が殿との面会を希望なされたいます。」

出入り口の襖で近侍が、二人のそんな雰囲気をぶち壊した。

(最上殿か。まさか今、面会に本当に来るとは・・・。)

秀秋は顔が引きつっている古満に気づかず、ただ思考した。

 

 最上従四位上出羽守義光は、年齢が五三歳っと老けている。領地は出羽山形二四万石である。奥州でかなりの名家として栄えたこともあってか、奥州での存在感は非常に高い。なので誇り高く、少々傲慢さがある性格をしている。

 義光は羽州の狐と称されている。これは義光が謀略家として名が通っているからだ。これは敵を暗殺したり、毒殺したり、奸計を使って分裂させたりの行動が多いからだ。その成功率も非常に高く、かの者は冷酷残忍な男と思われていた。

 そんな義光と秀秋の関係は皆無であった。居城が近畿と奥州ではあまりに離れているからだ。だが十五日になって突如、義光がどうしても面会したいっと秀秋に書状を送りつけた。しかも一度に、かなりの書状を出している。秀秋は当然だが、義光の行動に内心不審がった。だが返事には、分かりました。なら近々にっと無難な返答を書状に書いて出した。その後も義光から必ず面会しますなどの書状が五・六枚来た。義光は大阪城にいたのか、返事が異常に早かった。そんな書状を見た秀秋はますま不審がった。

 十六日には今日にでも面会しないかっと書状に出してきた。随分と急な話だし、何処か焦っているような感じが見て取れた。何故なら字が、殴り書きで汚かったのだ。昨日の字と比べたら、恐ろしく下手な字である。しかも書状は、前書きや後書きも一切無い質素なものだった。この時は秀秋は、屋敷の維持などの話し合いで忙しかった。今日は忙しいのでっと断る書状を、見慣れてしまった義光の近侍に渡しておいた。その後は、いつ会えるのかなどの書状が相次いだ。これには流石の秀秋もウンザリして、近々に必ずお会いしたいっと書くだけに止まった。


 そして現在の十七日の朝十時。夫婦が仲良くなろうと対談している中、義光本人がここの屋敷に来たのだ。今日は義光に面会する予定は無論ない。義光が勝手にやってきたのである。

「分かった。応接間にお通ししておけ。後、さっさと掃除もな。」

秀秋は特に会いたくはなかった。だが来てしまった以上、無下に追い返すのは無礼過ぎる。仕方なしに秀秋は、近侍にこう命じさせた。その声には、若干だが苛立っていた。それは折角の夫婦の談話を、まさかの来訪で邪魔されたからである。

 近侍が去った後、二人の間に気まずい空気が漂う。ジリジリッと寝室からは嫌な熱風が押し寄せていき、その気まずい空気の援軍としてここに入ってきたようだ。

「何の御用時だろうか。」

「分かりませぬ。ですが最上殿は用心深いお方。そのお方が何の御用もなしには会いませぬ。」

「そうよな。所で古満殿、貴方も一緒に面会してはどうですか。」


 応接間は十畳あまりの部屋で、屋敷の中では一番広い部屋だ。畳もここだけは贅沢に、二月に一回で交換させている。なので畳から常に、畳臭がジワジワと暑い空気と供に漂っていた。

 そしてその部屋の空間には、三人の人間が座していた。秀秋夫妻と義光である。二人は青い寝服から、青の平服にと着替えをすました。そしてふたり仲良く義光に対面する形で座していた。

「これは最上殿、お初にお目にかかりまする。私が小早川・・・。」

「秀秋殿ですか。儂の名は知ってはいるな。なら無駄な話しは省略してもらいたい。二日前、関白殿下が太閤殿下に切腹を言い渡されたのがご存じであろう。」

義光の強引な話の向け方に、秀秋夫妻は困惑を隠し切れなかった。義光が応接間に入って座してから、いきなりの本題である。この困惑も無理のない。嫌な緊張感が部屋を漂う。正面には歪の茶碗が水を盛っているが、三人ともそれには手をつけない。夏でジワジワと暑い空気が流れるのに、あまりの緊張感で存在すら忘れられていた。

 その夫妻は、老狐にそっくりの義光を凝視した。なる程、その顔と謀略家の雰囲気からか怪しげなものを感じとれた。その雰囲気を促すように、義光の黒い平服が似合っていた。普段ならばかの者は、心から信用したら痛い目に遭うような雰囲気であろうっと夫妻は感じた。

 だが現在の義光は何処か落ち着きがないようである。義光が座してから直ぐに、ソワソワと胡座をしている足を頻りに動かす。顔色も少々だが青く、目に隈がハッキリと分かる。義光に何かその身に異変が生じてる事柄が発生したのが、夫妻はハッキリと分かってしまう程の様態なのだ。


 秀秋は義光に指摘された、豊臣秀次の切腹のことを無論だが認知している。一五九五年七月十五日、紀伊の高野山に蟄居を命じられた秀次がこの日に切腹した。享年二七歳っと若かった。

 切腹の理由として、秀吉に謀反疑惑があること、殺生関白っと残虐行為をしたということ、文治派と対立してたこと、秀吉に息子の秀頼が産まれそれに関白を継がせたかったことなどが世間では噂になっている。

 秀秋は前二つの理由は、絶対にあり得ないっと確信している。秀次は肝が小さい男だ。恐ろしく度胸がなく、いつも強者にはオドオドしている。これは秀吉の養子時代に、秀秋が感じ取った性格だった。だから秀吉の勘気を被る行為は絶対に出来ないっと思った。あんな蚤の心臓がそんな大それた事は無理だと・・・。

 殺生はどちらかというと、兄弟の豊臣従三位権中納言秀保だと秀秋は思った。この男も先日に享年一七歳で亡くなってはいるが、文字通りに残虐の限りを尽くした。妊婦の試し切りなどは畜生そのものであった。これは日頃から言われたことだったので、諸侯では有名だった。だが秀次は最近になって、急にこの話が出てきた。だから信憑性にこの説は欠けているっと秀秋は結論つけた。

 文治派との対立は、事実である。秀次と文治派筆頭の石田三成の仲は邪険である。そしてその三成には、天下の中枢の頂点になりたい野望もある。だから言うこと聞かない秀次が鬱陶しく感じてはいる。だが秀秋は、理由にはなるが決定打にはならないっと思った。三成も肝はあまり大きくない。それに三成が豊臣家を、大混乱させることを積極的にやるとはあまり思えなかった。

 秀秋は最後の理由が、秀次を殺した最大の理由であり決定打だと確信している。秀次自身は凡将ではあるが、そこそこの実力があった。そこが今後の秀頼の為により秀次を殺したくなったのだろう。

 秀秋からしたらこの事件は、大変不快であった。仲は良くはなかったが、同じ養子仲間であった。その養子があんな無惨な殺し方があるのかっと報告を受けた時は憤りを感じた。一時期は跡継ぎに任命しときながら、自分の私情で天下を動かす秀吉に改めて憎悪を覚えた。

 そして豊臣家は、秀吉だけで持つことになるっと読んだ。これで主な血筋はいなくなったからだ。多くいた養子は死亡したり、秀秋みたいに他家に新たな養子に出された。秀吉の血筋は、凡将の小さい大名しかいない。血筋ぐらいに信用が高い者はいない。秀吉にはもう頼りになる大名はほんの一握りになってしまったのだ。これを秀秋は読んでいたのだった。


「ええ、無論です。」

「なら続ける。太閤殿下が妻子、側室などを聚楽第で幽閉したのも知ってるか。」

秀秋は頷いた。古満もこれに続いた。秀次は正室がいて、かなりの側室がいる。子も五人と子持ちで、これが育ったら豊臣家は安泰の道に進んだであろう。

 その者達は、秀次の政庁にして居城の聚楽第(一部世間では聚楽城っと呼ばれている)所に、まとめて幽閉されているのだ。これはここに秀次が住んでたし、二人も知っていた。

 夫妻のその様子に義光は少しだけその後、言葉を詰まらした。どうやらかなり大事な話らしい。だがここで夫妻は焦らず、義光の言葉をジッと待った。額からは様々な理由だろうか、汗が三人とも滴り落ちていた。

「その幽閉した者達を太閤殿下は皆殺しにするらしいのだ。」

これには夫妻は息を呑んだ。義光はこの言葉を言うと、何故か涙目になっている。そのあまりの秀吉の残虐行為に、三人は憤りを隠せなかった。坊主や尼になるのは仕方なしだと夫妻は考えてたが、まさかの皆殺しである。これには緊張で顔も強ばったものになり、義光を見る。

 その義光の顔は、真っ青になっている。その真っ青になった顔でありながらも、義光は言葉を震えさせながら続けた。

「その幽閉には儂の娘、駒がいる。駒はまだ十五歳で、しかも側室になる寸前に関白殿下が蟄居された。まだ駒が京に着いて、間もないのに死ぬのはどうしてもおかしい。」

義光はそう言うと、漸くだが夫妻も義光の目的の意図が分かった。その側室未満の駒に関してここにやって来たことをである。

 ここで補足すると秀次が蟄居されたのが七月の八日で、駒は十日に聚楽第に着いた。なので駒は秀次の顔すら全く知らないのである。だから側室になる寸前だったのだ。

 義光は確かに冷酷残忍だ。多くの血筋の者も、邪魔なら容赦なく処断した。だがそんな義光は、子には愛情を感じているようである。子にはかなり甘かった。

 特に駒は、義光夫妻が可愛がった子だ。あの秀次に側室に行かせたくなかった。だがそれは、駒が奥州一の美人だと聞いた秀次が強引に側室にと書状などで脅した。義光夫妻も関白殿下には逆らえず、泣く泣く側室に出した。

 そしたら、今度はそのことで命を取られる。これ程に義光夫妻にとって、馬鹿げた話はない。だからいち早く情報をとった義光夫妻は、駒の助命嘆願に乗り出した。秀吉は世論を気にすることを認知してる二人は、多くの大名などから書状で連判書を書かせようと動いているのだ。

「だから、是非この助命嘆願に名前を書いてもらいたい。」

義光は懐からその書状を出して秀秋に手渡した。そして手渡しをすました義光は、躊躇なく平伏した。

 因みに、義光の正室である大崎夫人は同じ大阪城の屋敷に滞在している。無論だが、豊臣家の人質としてである。この夫人が助目嘆願の書状を書いて、その書状を義光が手当たり次第に大名達に手渡す。そして書状に大名が手書きで名を書くことによって、その助命嘆願書は完成するのだ。

 

 秀秋はその書状をじっくり読んだ。その横に居る古満も同じく見せるようにして、二人は沈黙しながら一句逃さないように慎重に見た。その間の義光は平伏を止める気配がない。どうやら秀秋が名を書くまで、それを止めない決意がそこから滲んでいた。

 書状を見ている秀秋は、読み進めていく内に困惑し始めた。最近の秀吉は、私欲で天下を動かすことが多い。その秀吉がもし、その者達を処刑すると決断したら必ずするだろう。そしてそれを妨害した者達には、秀吉が今後に嫌がらせをするのは容易に思考出来る。だから賛同しない方がいいのかも知れない。

 だが秀秋は秀吉を嫌悪しているし、このような何の意味もない残虐行為も胸糞が悪い。それにここで固辞しても、平伏する義光が簡単に諦めないのは、一昨日からの書状でよく分かる。秀秋は丹波亀山十万石で、豊臣家の中ではそれなりの大名だ。そして一応は秀吉の養子だったし、義父の隆景は五大老(この当時、隆景死去後は上杉景勝が任命)である。その隆景は、大阪城のは滞在していない。なので秀秋の書状は、後ろに隆景の意志があることを示す役割もある。つまり代理の書状である。だから義光はどうしても、秀秋の直筆で書いてある助命嘆願書が欲しかった。そしてそのことを秀秋は、漸く悟って厄介な事柄だと困惑した。


(うーん、どうしようか。)

書状を読み終わった秀秋は書状を足下に置いた後、ジッと平伏している義光に対しての答えに窮した。一歩でも読みを誤れば、小早川家に傷がつくからだ。まだ養子になって一年だが、秀秋にとっては小早川家しか居場所がない。その小早川家が改易されたら、自分も死ぬから慎重になるのは仕方がなかった。

 そうこうして思考すると、秀秋からは尋常ではない汗が噴き出ていた。それは脳を回転数が異常に早い為に、体がその熱を冷やそうとしているからである。こういう時は、同じく足元の茶碗に入っている温い水を飲めばいい。しかし秀秋にそんな思考をする余力は一切無いのか、その茶碗の水は全く減らなかった。

「殿、宜しいですか。」

必死に思考してた秀秋に、横に座している古満が声を掛けた。仕方なしに秀秋の視線は平伏している義光から、横に座している古満に向けた。

 その古満も、秀秋と同様に思考していた。そして古満ならではの答えを導き出したのだ。その答えを秀秋に聞かせることで、秀秋の助けになるのではないかっと思った。だから声を掛けたのである。

「このような大事な事項は、即答しかねてるのは当然なことです。しかしながら、私個人的なことでは、駒殿の助命嘆願書に自分の名を書きたく思います。」

「有り難い。」

古満の後押しに、義光は平伏しながら感謝を述べた。平伏している義光は涙が出そうになっている。その影響なのか、義光の声は少し小さく震えていた。

 だが義光に何の返答もなく、古満は秀秋に話を続けた。

「殿、宜しければ駒殿に面会なされてみれば如何です。ここから京まで、早馬なら二日もあれば着きましょう。最上様の返答はそれからでも遅くはないっと思いますが・・・。」

「うーん・・。」

古満の意外な提案に、秀秋は思考してみた。

(確かに、これ程の件にならば時間が欲しい。駒殿の居る京の聚楽第までは二日、それだけあれば答えがまとまる。それに張本人の顔も見てみたいし、意見も聞きたい。それならば・・・。)

「最上殿。私は一度、京に行ってくる。駒殿の顔を拝見して見たいだけだ。嗚呼、別にそれでかの人に手は出さないから安心なさって下さい。その後に、この助命嘆願書を京で決めたい。なのでこの助命嘆願書はお預かりしますので、今日はこの辺で・・・。」

「・・・・・・分かった。今日は帰ろう。良い返答を待っている。」

義光はそう言うと、平伏を止めて一度夫妻に一礼して屋敷を後にした。義光は確かに、秀秋の名の助命嘆願書は欲しい。だが他にも多くの助命嘆願書を渡す大名達はいる。なので良い頃合いだっと義光は判断し、あっさりと帰ったのだ。ただし、良い返事がこなかったら、またここに来るのは明白だったが。

「さて、直ぐにでも出発したい。古満殿・・・。」

「分かっています。少々お待ちを・・・。」

そういうと古満は、慌ただしく応接間から出た。秀秋の出発の支度をする為である。近侍等に任せてもいいが、古満は自分で用意したかった。なので慌てて出て行ったのである。

(さて、どうなるのかな。)

秀秋はそう応接間で一人、ポツンと座して思考した。そして思考しても仕方ないっと直ぐ打ち切って、秀秋も自分の支度をし始めた。時刻はもうすぐで正午になろうとしていた。

次は駒との初顔合わせです。

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