第一章十六節 李氏朝鮮脱出
あれから何年も経ちました…申し訳ございません。生きてはいますが、これからも次はいつ投稿するかは未定です。では、これが歴史シミュレーションなのをお忘れなく。
16 吉正の奸計
小早川家重臣会議が行われた次の日、天候は晴れ。うっとおしく太陽が自己主張が激しく気温が盛り上がっている。生き物達がその熱気に様々な悲鳴を上げており、煩い限りである。
そんな中でも小早川家重臣たちは早速行動を開始した。時間は有限で、日ノ本撤退命令も出てるので、各自そんなにもかけられない。だが、これは小早川家は元より、主人秀秋の為にもなる。小早川家は現在の所、心から味方になる他家の存在がいない。もし小早川家…いや秀秋に心から味方する存在がいれば殿の心が安定することも出来る。重臣達は難しい難題を持ったが、誰一人も嫌とも思わずに積極的に行動した。
その中で、吉正の立花家の情報収集を開始した。吉正は頭脳派なので自分だけでは難しいのも考えて、宗章の部下を何人かを借りての行動である。柳生家といえば、世間的には剣術家として知られている。なので、本来はこのような謀略事は真反対であり不向きな筈である。だが柳生家にとっては、このようなことも得意分野である。一流剣術家は、気配を消すことなどお茶の子さいさいである。更に身体能力の高い者は、屋根裏登りや、壁張りなどもいとも簡単にやってのけてしまう。そこを吉正は利用して情報収集を命じた。後は集まったのを吉正がまとめればよかった。
(なるほどなるほど…よし、概ねだが把握した。これなら離間策も…。)
情報が集まり、それをまとめている吉正はほくそ笑んだ。この男は地位こそ右筆で高くないが、秀秋から謀略面などの頭脳面で高く評価されている。そして、何よりもこの男自身、暗き裏方の生業が好きであった。そこを見込まれたこういう仕事はお手の物で、本人は生き生きとしてやっている。
(しかし、意外にもここまで仲が悪いとは思いなんだ…)
集めた資料を他に見られないように焼却しつつも、その内容に吉正は少しばかり驚いたが納得はした。
世間の秀包の評価は能力が高く小早川家の分家でもあり家柄も高い。そのためにはた目からしたら高評価に繋がっていた。ただ、性格は能力も高いのと家柄も高いことから身分や能力が低い者には傲慢である。また、やや文官気質なのもあり、武辺者にはやや下に見る悪癖もあった。また、完全な毛利優先ではなく、豊臣家にも顔色も気にして世間では動いている。俗にいう蝙蝠外交をしていた。なので、人柄を認知している人からの秀包評価は好き嫌いがはっきり出る。
少し話は逸れるが、秀包は秀秋からしたら、小早川家の相続争った相手である。実は内心では本家だろうが分家だろうが義父の隆景と繋がりがある[小早川]の名さえあれば本人は良かった。隆景は結果として、本家相続には秀秋しか眼中になかったがこれは後程語るとして…。その本家相続の負い目もあるので疎遠化してしまったのもあるが、秀秋からしたら秀包の毛利優先主義ではないのが許しがたかった。口では確かに日頃、毛利の為とは言ってはいる。しかし、隆景から廃嫡された時に秀吉から寵愛を受けたこともあり豊臣家にもいい顔をしている。秀包からしたら、豊臣家は恩人になるのでそうあるのも仕方はない。ただ秀秋からしたら、憎悪している秀吉を敬愛し、隆景の毛利優先主義を蔑ろにする秀包は、心情的には相いれない存在になっていた。しかもそこには隆景が死去してから出奔した家臣もいるので、当人だけでなく家同士で仲は最悪になっていった。
さて話を戻すとする。立花家当主の宗茂は武官よりの将である。勿論、名将の名が示すように武一辺倒ではなく教養もある。政治はやや心情的に苦手ではあるがしっかりとやる将である。猛将の亡き義父道雪を敬愛しており、その志をしっかりと受け継いだ今が色々と旬な将。
そんな宗茂に、秀包は明らかに侮蔑した態度をしていた。義兄弟を結んだ1587年は当初は隆景存命であり、秀秋もまだ小早川家とは全く無縁。本家相続が確定的な流れの秀包は、宗茂を多少は下に見つつも、表面化せずに仲は良好であった。
何故仲が悪くなったか…。隆景死去、相続争い敗北、豊臣家に拾われ豊臣性を許される(ここでは小早川で統一)。色々あるが、一番は主家を差し置いて大名になった卑しい者だと誤認していたからである。
簡単に説明する。宗茂は元々、九州の豊後にあった大友家に仕えていた。ただ大友家の当主であった大友義統が凡愚であり、性格にも問題ありで何かと宗茂とは意見が合わなかった。九州が島津の統一目前になって義統は恥じなく時の覇者になりつつあった秀吉に援軍を嘆願し、その代償にうっとおしく感じていた宗茂を喜んで差し出した。これだけなら宗茂は大友家を差し置いては全く当てはまらない。
宗茂は差し出されて独立した大名にはなったが、義統というより大友家に助言や小言をいうのを止めなかった。その時に宗茂自身、無意識ではあるが若干高圧的な物言いになっていた。それは仕えてる訳でなくなった大友家に助言してやってると立場に変わっていた為である。この物言いに義統は更にうっとおしく感じるし、両家の仲は悪くなっていった…。
そして月日は経ち、文禄の役の時に不手際で大友家は改易されてしまう。その時にあれほど口煩く言っていた宗茂は大友家を助けようともしなかった。宗茂にとっては最早、大友家は当時に匙を投げた存在と化していた。文禄の役後に僅かだが武功もあって加増された宗茂であったが、それは大友家改易して、小大名などを移動してその余りの一部を頂く形になった。
その一連の流れがあって、世話になった元主家を滅んだ後に助けない。それどころか、その一部を自分の物にした。完全な言いがかりだが、秀包にとっては宗茂を完全に嫌悪する引き金になった。これ以降、名ばかりの仮面義兄弟になり、お互いにろくに話さない・会わない・書簡のやりとりもなし。今回の戦もバッタリ会っても、秀包が宗茂に侮蔑な目で見て、一言悪態を吐くぐらいだ。それに宗茂はしかめっ面をして無視する。それに秀包が舌打ちして去るといった流れで仲が悪くなる一方であった。それに立ち会った近侍は毎回毎回ハラハラしながら見守ってた。
(これならば、簡単簡単。義兄弟の仲を完全にズタズタに出来る滅多にない機会じゃ。ヒーッヒヒヒ見ものじゃな。勝頼殿には少し申し訳ないが、これも殿の為だヒーッヒヒヒ。)
昏い嗤いをしながら吉正は、早速奸計を柳生の家臣に命じた。さっと家臣達は命じられると顔色変えずに、いなくなった。
(さて秀包。うぬは我が殿が憎い。その憎悪は周りが見えなくなるほどに…。その憎悪している我が殿に散々前会議で褒めちぎった一応義兄弟である宗茂がこっそり縁を重ねていたら…。し・か・も、その際に宗茂がうぬに小言を言ってたとしたら…。あぁ、それを聞いた所を想像すると…。)
部屋一人、ただただ嗤う吉正。流石の太陽も光をいくら魅せようとも、そのまわりだけ不気味に昏いような気になっていた…。虫や近侍もそこに入らないようにしており、暫くの間は昏いままであった。
久々に管理開けたら、いろいろ変わってて戸惑ってます。章管理…どうやるんだろ?遅くなってすいません。とりあえず投稿しましたが、文章は間違ってないはず…。これからですが、正直いつ投稿かは不透明です。期待せずにお待ちもせずに頂けると幸いです。