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転換!関ヶ原!  作者: 歴史転換
本編
20/29

第一章十二節 李氏朝鮮脱出

 

 やっと更新・・・しかも約半年かかって。極め付けに話しが進んでない。っああ読者様の視線が痛い。

 では、これが歴史シミュレーションなのをお忘れなく。

 

 12 荷物の整理



 日ノ本軍が李氏朝鮮の即時撤退を決定してから翌日。各日ノ本軍の大名達は、急速にやらねばならぬことが一つ増えた。それは、現在保管している各荷物整理である。

 各大名達は故郷の日ノ本から色々と取り寄せた物や、ここで強奪や調達した物が数多く持ち合わせていた。流石にこれを全てポーンっと現地にうち捨てるのは大変勿体がないっと、急いで荷物整理に追われることとなった。

 

 それは無論、釜山城にいる小早川秀秋も例外ではなかった。かの者も、家臣達に急いで荷物整理を命じている。かの者の場合、他の大名達とは少々だが事情が異なる。現地での強奪品が一切無く、李氏朝鮮の現地総大将解任の前、現地の民が自ら差し出した品物の整理が主であった。

 秀秋が現地総大将の時は、李氏朝鮮の一部だが民に慕われていた。それには理由がある。秀秋が一貫して政策を李氏朝鮮の民の困窮を救う重視したからだ。初めこそ民達から不審がられたが、解任間際には、その純粋な秀秋の真心が一部の民は理解した。

 そして、そんな秀秋だから日ノ本軍を自体を信じようっという民も集まり始めた。これには秀秋は感激した。自分がしたことに誇りがここで初めて起きた瞬間だった。

 そしてそんな味方をしてくれる民達に、秀秋は積極的に話をしてり聞いたりした。いくらかしか現地の語源しか話せない秀秋は、もっと互いに心が通じたいから通訳を探した結果、何と家臣の村上吉正を起用した。実は吉正、こういうことを予知し、李氏朝鮮語を密かに習得していたのだ。これには秀秋は驚愕したが、吉正は右筆としては当然っと愛想無く答えるだけであった。だが秀秋は迷い無く即座に、自分の通訳専門に抜擢した。大体、通訳が不足していたし、吉正はよく知ってるから信頼も出来た。だからこそ吉正を起用したのだ。

 秀秋巡回時は常に、通訳の吉正と見回りとして警備隊長の柳生宗章を傍らに、何度も民達の話を聞いた。中には無論だが、秀秋に容赦なく罵倒や怒号をいう民達もいた。そんな民にも秀秋は怒らずに、ただ聞いて冷静に対応した。自分が怒れば、二度と民達が心を開かない恐れがあるからだ。

 民達の信頼を、徐々にだが勝ち取った秀秋。その結果、戦乱に巻き込まれて貧しい民達だったが、秀秋に敬愛するようになり貢ぎ物を送るようになった。秀秋は固辞したが、民達がどうしてもと半ば強引に受け取らせた。これには秀秋は苦笑して頂いた。


 その大事な貢ぎ物を整理しなければならなかった。中にはどうしようもない道具も沢山あった。しかし秀秋からしたら、貧窮してる民が何とか送った気持ちを汲み取って、全てを日ノ本へ持って帰国したかった。

 だが急ぎ撤退、事実上は逃げ帰るようなものだ。それに秀秋は、最早一大名の身分であって、現地総大将ではなくなっている。このことが更に日ノ本軍には向かい風となってしまう。

 それは新たな現地総大将の宇喜多秀家の政策は、一貫して李氏朝鮮の民達を弾圧したのだ。これにより秀秋が折角築き上げた日ノ本に対する友好関係も一瞬にして崩壊。再び民達とは険悪化してしまっていた。しかも裏切られたっと民達は前より反発が起きてしまっている。

 身軽にしなければ、こちらも危ない。各自は必要最低限の物だけを持って、日ノ本へ帰国する方針に、秀秋は命じられる羽目になってしまったのだ。

 秀秋はこの方針に従うしかなかった。無論、内心では泣く泣くである。そして、そのどれが必要かの決めつけは、信じてくれた気持ちを踏みにじる行為そのものであった。それが秀秋にとって今何よりも辛く悲しかった。


 釜山城付近は、今日は生憎の雨だった。しかも、ただの雨ではなく土砂降りであった。ザーザーっと煩く秀秋の部屋ばかりか、釜山城全体を奏でている。夏のネットリした感じの雨ではない。もう十月の半ばの終わりである。だからといってサッパリもしていない。雨はシットリとした感じであった。どちらも人にとっては、あまり好まれない感じである。

 チャプチャプっと土には一時的の湖が出来ていた。そこに、蛙が丁度良いっといわんばかりに泳ぎを披露している。実にいい平泳ぎであった。その平泳ぎに完成の雨音が鳴って、蛙は調子に乗ってまた泳いでいた。


 そんな整理には決して合わない天気だったのに秀秋は、自分の部屋を整理していた。こういう事は家臣達か下人に任せればいいのだが、秀秋は頑なに拒んだ。ここは自分が整理したいのだといって、秀秋は一人で黙々と作業をしている。

 秀秋の部屋にはまだ幾つかの貢ぎ物があった。それは秀秋が特に、ここでの思い出深い物ばかりだ。秀秋の部屋にあるのは全部そうである。初めて貰った茶碗、なけなしのお金で買ったという硯。子供達から貰った綺麗な石や30年ぶりに作ったというお祖母さんが作った笠。

 秀秋部屋以外の他の物などは、筆頭家老の稲葉正成や吉正などの目利きがある者に任せた。だがこの思い出深い物には自らが選択したかった。だから手伝いを拒んだのだ。


 秀秋の部屋はかなり綺麗になっていた。いや、物が無くなっていると言った方が正論だろう。既に朝からやって、現代ならおやつの時間にさしかかっていた。部屋自体は地位の低くなった秀秋には、小さな部屋を与えられたので広くはない。畳、八畳ぐらいの広さであった。なので寧ろ、ここまで時間が掛かるのがおかしいぐらいだった。

 だが、それは一つ一つ貢ぎ物を手にとって、悩んでる時間が長かったからだ。掃除などの時間は、あまり時間を掛けていない。品物をどうしようかと悩んでいる時間が圧倒的に長かったのだ。

 悩んだ結果、手放さざる得ない物は、先程から下人などを呼んで廃棄させている。なので、全体的には綺麗にはなっている。埃なども部屋中に目立つが、整理中ならば仕方がない。この状況は他の整理中である、他の大名達の部屋も全く同じだったのだから。


「んー。ちっと休憩するか。」

ゴキゴキっと方の骨を鳴らし、廊下から薄暗く見える空を眺めて歩きながら秀秋はそう呟いた。左手には箒を持っている。どうやら、ゴミなどを外に出してたらしい。

 一瞬だが、ふっと水を頼もうかと下人に声を掛けようと思ったが止めた。たしか、部屋の竹筒にまだ水が入ってた筈っと思い直したからだ。それに、下人も急ぎの退却で忙しいのは間違いない。そんなことは呼ぶのは我がままだと思ったのも止めた要因だ。

 秀秋は廊下で慌しくすれ違う人の挨拶もそこそこに、自分の部屋に付くと襖をガラッと開けて箒を部屋に放り込んだ。畳にガランっと落ちた箒に合わせて、どっと埃が宙を舞う。まるで少々早いが雪のようである。秀秋はしまったっと内心で思いながら、眉間に皺を寄せた。美しいのは違いないが、それは不快感を湧き出させるのに十分な光景だからだ。

 だが、結局はここに入らなければならない。仕方なしに入室した秀秋は早速、自分の着てる黒い平服をパンパンと軽く叩いた。どうやら服に着いた埃が若干だが気になったようである。黒は掃除で汚れを目立たない為だったが、今では逆に目立ってしまったようだ。

 埃を払い終わった秀秋は、箒を入り口の襖に立てて、そのまま入り口の襖は開けっぱなしにした。無論、埃を部屋から出す為である。ガランっとした中央に、秀秋はそこに年寄り臭く座した。んーふうっと背伸びをして、またゴキゴキっと肩を鳴らす。

 秀秋はその後、机の上に置いてあった竹筒の中の水を飲んだ。ゴクリっと喉腰にいい音はした。飲みながらがちゃっと暇つぶしに、腰に掛けてた二振りの刀を片手で持った。普段からこの二振りは欠かさず腰に抱えている。これが無いと、少し不安になる程であった。


 この二振りは、初めから秀秋が所有してた訳ではない。元々は、亡くなった秀秋の義父、小早川隆景が所有してた物なのだ。つまり遺品である。

 一つは、小早川家代々に伝わる太刀であった。鎌倉時代の光忠という備前の名刀工が作った太刀であった。大きさは二尺(約六十センチ)。太刀・銘光忠、名を影炎かげろうという。この太刀は、正当な後継者である小早川家の当主にしか持てない誇り高き物なのだ。その切れ味は数百年も経つのに、一向に鋭く妖艶に光る。秀秋も蔚山城の戦いでこれで何人も切った際に、刃こぼれ一つもなかった。いや寧ろ、太刀が赤く染まり燃えているようで美しかった。

 秀秋はそれを、隆景が亡くなる前日に譲り受けた。この際に秀秋は、隆景の誇りと小早川家の魂の尊さを受け継いだ気がしてならなかった。この太刀を通して、隆景が自分を見守ってるように秀秋は感じていた。だからこれを手放すのは風呂か、寝る時か、公式の場で警備上離さなければならない時ぐらいである。

 もう一振りは、秀秋にとっては水軍としての誇りであった。元々、小早川家は海沿いにあった家だったので、水軍の将としての名が強い家なのだ。

 その水軍の誇りといってもいいのが、この脇差である。長さも1尺(約30センチ)と陽炎の半分しかない。これは船上では波もあることから、上手く足場が固定しないことが多々ある。その際に臨機応変に素早く行動することが第一である。なので、この脇差はである。名を水守みなもりという。

 この太刀は元々、小早川家になかったものであった。そこにはとある武将が纏わる。その名は鶴姫といい、数少ない戦場に出陣した女傑だった。この女傑、まだ戦国時代中間、1540年代に大活躍した。 

 当時、中国地方覇者の大内という大名がいた。西ノ京と言われるまで本拠地の山口は栄華を築き、まだ毛利家は大内家の一配下に過ぎなかった。西の大内はこの時、権力の絶頂期だった。

 鶴姫は、この大内家と死闘を繰り広げ何度も勝利している。鶴姫は当時、伊予(愛媛県)大山祇神社の巫女に過ぎない。だが、そこの豪族である河野家の一族でもある。その際に、出陣が出来ない主君の代わりに出陣したのだ。

 鶴姫は戦の際、大内武将の小原隆言を水守で討ち取っている。鶴姫にとって最後の戦も勝利で締めくくったものの、恋人や家族が相次いで討ち死にしてしまう。それに絶望してしまった鶴姫は、遂に自殺してしまった。

 その水守は、流れに流れて小早川家に来た。先代の小早川隆景は、養子に来た秀秋にすぐこれを譲った。当時は互いに信頼関係はなく、形式で渡された太刀。だが秀秋はかなり惚れ込み、守り刀として持ち続けている。

 攻の陽炎・守の水守。秀秋にとっては大事な大事な魂である。


(ん・・・。)

スラっと音がして、鞘から抜いた陽炎。何となく抜き、そのまま微動だにしない秀秋。陽炎は暗い部屋の中でも怪しく光る。その妖艶な美しさに、秀秋はただ見惚れていた。


 人間は時に一点に集中していると、些細なことからその集中が途切れることがある。例えば、試験勉強中に掃除がしたくなるなど・・・。秀秋の場合、それが自らの魂を見ることだった。最早、秀秋の頭脳には掃除がなくなっていた。




 まずは、すいませんでした。まさかあの後に転勤を言い渡されるとは。やっとこちらの環境にも慣れました。


 さて、秀秋の武器ですがオリジナルです。実際には所持してません。何故に二振りか。それは秀秋の軍旗がアレだから。名だけで一月かかりました。筆者にネーミングセンスを下さい神様。


 更新ですが、次はいつになるかは分かりません。気長に待って頂くと幸いです。今年中には最低します。

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