間章 忌まわしき過去との完全決別
秀秋と秀吉の最後の接見の場面です。これが歴史シミュレーションなのをお忘れなく。
6.5 秀吉と秀秋、最後の接見
一五九八年六月末の日ノ本が舞台となる。この時期の天気は梅雨なので、大抵は悪い。そのせいなのか今日も生憎の雨である。陽も今日は機嫌が悪く、隙間からの光しか見せていない。しかしこれは、梅雨なので仕方なかろう。ザーザーっと容赦なく降る雨は少々煩い。気温も微妙な高さと湿気で、体が自然の錠で拘束されてる気分になる。
鬱な気分になりそうな中、小早川秀秋が小姓が先導されながら伏見城の廊下を歩いている。その顔は無表情である。だが、胸中には激しい怒りと暗い陰気なものがあった。その感情に合う黒の平服を着た秀秋は毒を吐く。
(ったく。あの猿無勢が。)
秀秋は大広間にいよう、豊臣秀吉に接見する為に歩く。秀吉の顔を見るぐらいならば、正室の古満か、最近は会っていない義父の小早川隆景の正室であった問田の大方に会う方が、百万倍いいっと秀秋は胸中で断言した。そして、フッと問田の大方のことを思い出す。
問田の大方に関しては、現在は隆景亡き後、周防国の吉敷郡問田に移り住んでいる。この際に秀秋が是非、本拠地にある名島城に居て下さいと秀秋は懇願したが、拒否された。亡き夫の操と弔いをせねばならないっと優しく諭された秀秋は嫌々認めた。
しかし、暇さえあれば書状のやりとりをしてる。それに、完全に諦めてる訳ではなく、まだまだ勧誘している。本人も無粋なのは十分承知だが、義母とはいえ、本当の母と思ってるからこそである。派手ではないものの優しく笑い続ける環境を作ることが親孝行だと思い、秀秋は近くでその環境を作ってあげたいのだ。
(義母上のいとこ煮は頬が落ちる程上手かった。また食したいものだ。)
いとこ煮とは本来、冠婚葬祭の席に出す郷土料理だ。だが、問田の大方は幼い秀秋によく手作りで振る舞ってくれた。その優しい味が問田の大方の性格を表していて、秀秋の好物である。無論、このことは古満も問田の大方から教授されてよく調理する。美味しいは美味しいが、やはり問田の大方が一番であった。
さて・・・何故秀秋がここに居るのだろうか。世は李氏朝鮮の再出兵を決断して、秀秋もそれに一大名として出陣している筈である。それが本人が望んでないことでもである。秀秋の日ノ本強制帰国は、李氏朝鮮の現地総大将解任兼国替え命令未遂の時以来である。
あの時とは違うのは、小早川家全員の帰国ではなく、秀秋を含めた五・六十の人数での帰国であって、実に小規模であることだ。しかも、なるべく早くに伏見城に到着する為にかなり無理を押した強行日程だった。これは鍛えた精鋭近侍を選んだだけはあってか皆は平然としていたが。
(正成と頼勝の二人が任せてるから問題ないだろうが、迷惑極まりないったらありぁしない。)
李氏朝鮮に残した小早川家の兵の指揮は、家老筆頭の稲葉正成と同じく家老の平岡頼勝に全て預けた。二人も秀秋の心中を察してか、苦笑しながらも受けてくれた。
元々、秀秋が立派に成長するまでは兵を指揮するように、ある男から正成と頼勝は命じられていた。そして、二人はその男を介して秀秋が、義父の隆景に養子に出される際に、目付け家老として仕えたのだ。
その男こそ秀吉であった。秀秋の落ち度も報告しろっと厳命もされてる。秀吉からしたら、それで処罰したかったのだ。無論、この時は隆景が生存してたので死去してからの処罰をする腹だ。秀秋は処罰したいが、有能で名将な隆景を連帯で失うのは、いくら秀吉でも不味いと認知していたからだ。
その二人は既に秀吉の命は全く無視し、秀秋に心からの忠誠を誓っている。その点を秀秋も十分承知しているからこそ、任せられたのだ。
さて、秀秋に視線を戻そう。秀秋はまだ暗い心を持ちながら廊下を歩いている。伏見城は中々の大きさだったので、各部屋の距離も相当あったから仕方ないことだ。
秀秋はどうしても秀吉に会いたくなかった。憎悪しているからである。自分の人生をここまで無茶苦茶にしたこと、自分をボロ雑巾のように扱ったことなど恨み言は沢山ある。
(ま・・・今回は秘策があるし、仕方ないが会ってやるか。遠目からな。)
秀秋は秀吉の顔を間近で見たくないので、秘策を弄している。その秘策に少し寄り道もしている。そう考えると、秀秋の心は何故かまた黒くなった気がした。そして、その黒さに反応してか、天候の明るさも弱くなったようであった。
いよいよ秀秋一行は、伏見城の大広間の出入りの襖前に着いた。秀秋は流石に緊張した顔になる。小姓もその秀秋の表情を能面で確認した。無論、顔だけではない。太刀を取り上げた後、武具を隠し持ってるかもしれないっと体を検査するかのように凝視する。
小姓からしてみれば、秀秋如きが所持してても意味がないのだろうがっと嘲るが、念には念だ。見た限りはなさそうだっと検査を終了する。
「殿下がお待ちしております。ではお入り下さい。」
小姓は襖の前で促した。ここからは秀秋が自ら先導でなければならないからである。このことは礼法であり、どんなに世間が馬鹿にされている秀秋でも大名だ。高が小姓が公式の接見で先導など片腹痛いことである。
秀秋は襖前に到着してみると結構冷静であった。今更になって国替え断行はなかろうし、大方予想してた通りであろうと胸中で感じた。もし、予想通りならば、これ程嬉しいことはないっと胸中で狂喜乱舞するのだがっとも嘲笑した。
秀秋はそっと襖を開けて、大広間に入室した。ここは無駄に広く、しかもやたらと豪華であるので、大変嫌味な大広間である。大広間は換気しているのか、ジメッと梅雨特有の空気の感じはなかった。
秀秋が無表情でその大広間に入室すると、そこには三成が何故か上座に座していた。秀秋からしてみれば三成がここにいること自体が不快だし、五奉行の仕事をしろよ暇人文官っと罵りたかったがグッと堪えた。前の強制帰国の際に、三成とは決定的な仲違いをしてる。なので本当に、三成の神経質な顔を見るのも、秀秋にとっては大変不快である。
その他にも、大広間の最上座には秀吉と小姓四人がいた。それ以上はどうやら、秀秋が黙視した限りではいまい。そして、秀秋は前を見た。
大広間の一段高い最上座には、赤い布団が敷かれている。そこは秀秋には見えていないが、金色の寝服を着てる秀吉が布団に包まって寝ていた。本当ならば元気を見せ付けなければならない立場である。だが秀吉にその力は既になく、全く起きれないのだ。
秀吉の悪化した様態で体全体を、全く変えてしまった。顔も痩せ老いてて、目も虚ろである。髪もすっかり白髪になっていて、量も少ない。出入り口の襖に足を向けている秀吉の顔色は土色であり、体調が宜しくないのが一目で分かる。
その秀吉が寝てる布団の四方に一人ずつだが、ひょろっとした小姓が警戒しながら座している。平服は秀吉の趣味か随分派手な色である。秀秋以外ならもう少しは武芸の嗜みがある者達を選んだだろうと思われる程、役に立つか疑問な小姓達がいる。
秀秋は目がいいので、秀吉を目聡く秀吉の容態を黙視し、予想が確信に変化したことに喜んだ。秀秋は最近、秀吉の容態が急激に悪化したと思っていたのだ。
(どうやら・・・思い通りの展開だな。あの猿が遂に死ぬのか。これ程、嬉しいことはない。)
だが、油断はならんっと秀秋は緩みそうな心を引き締める。
秀秋は大広間を堂々と歩くと、どっかりと座した。しかし、座した場所はかなり後方であり、出入り口の襖に近い。これでは、まず老弱した秀吉の声が聞き取れる訳がないのだが、秀秋は気にしていないようである。これで舞台の準備が整った。
「もう少しあがられよ。」
上座に居た三成が声を秀秋にかける。三成は秀秋の行動に苛立っているのか、顔が若干朱に染まっていた。青い平服が、その顔をより印象を高めさせている。しかし、秀秋はとんと知らぬ顔である。
この三成の声に、否応なしに小姓達の緊張感が高まる。カチャッっと小姓達は座したまま刀に手をかけた。万が一の為の対策である。
三成が怒鳴りかける寸前に、秀秋は大声ではなく普通の声で三成に話しかける。
「すいませんが、石田殿・・・。」
こう言った秀秋は、困り顔を作って手招きをした。まるで、肉食植物が獲物を誘う有様に似ている。
この秀秋の行動に三成は不審がったが、渋々立ち上がると秀秋に近づいた。苛立ちからか、足音をズンズンっと喧しい音を出しながら近づく三成。
三成が秀秋の前に立つと、秀秋は耳を拝借っと三成に、更に要求した。その顔は困りながらも、緊張感があった。この秀秋の表情には三成も何か事情があるっと漸く察したのか、顔は不快そうだが素直に聞くことにした。
三成が屈んで耳を傾ける仕草に、秀秋は心中で嘲笑した。それは普段と違って、何と似合わない行動であろうっと嘲笑したのだ。
三成は普段、五奉行の筆頭として辣腕を振るっている。なので、各大名達に対する態度は大変高圧的だ。その態度を苦々しく思ったり、憎悪している大名達は数多い。これは、李氏朝鮮出兵してる大名達を抜きにしても、三成の嫌悪感を持つ者達は多いのだ。
その三成が、秀秋に言い様に扱われている。その三成の嫌々だが低くする態度に嘲笑してた秀秋だったが、流石に顔にそれを出していない。現実は秀秋は困惑した顔である。そして、その顔で言葉を発した。
「実は、太閤殿下に近寄ることは曲直瀬玄朔殿から禁止されてるのです。」
小声で呟いた秀秋の発言に三成は驚愕した。そして思わず大声で立ってしまった三成に、秀秋は胸中でほくそ笑む。これが、秀秋の秘策であった。
その二人を遠目で凝視する小姓達は、不審がりながら首を傾げる。奥に居る小姓達からは、二人の会話は聞こえなかったからである。
秀秋がここの大広間に来る前に、京に居たある男を訪ねていた。その男、玄朔は名医の曲直瀬道三という医者から名を継いだ名医である。現在、秀吉の診断もこの玄朔が担当している。
秀秋は懐からなにやら書状を出すと三成に差し出した。三成は半ば呆然としたが、その書状を奪い取るように受け取り、また慌てて秀秋の前に座して、目を書状に走らせる。
書状の書き主は玄朔であった。そこには、秀秋は李氏朝鮮に長く滞在しているっと前提とし、最近の李氏朝鮮は流行り病が出ていること。それを老弱している太閤殿下に病がおうつりになられると危ないこと。なので、同じ空間に居るのはいい。だがら、近づいて病をうつすことがないようにしてほしいこと。などど直筆と判が押されている書状内容を読み終えた三成は困惑し、思考し始めた。
秀秋の秘策はこうだ。玄朔に面会は別として、近づけさすのを禁じる書状を書かせる。秀吉の容態は最悪である。そして、大広間にいる誰かに玄朔の書状を密かに見せる。その書状を見たものは秀秋を近づかないことを許可。そして、秀秋は秀吉の目の前に立たない・・・以上である。
だが、これには欠点もある。秀吉が本当に危篤状態なのかである。こればかりは玄朔にいくら口説いても、秀秋には頑として教えなかった。もし、秀吉が危篤状態でなかったら書状の効力が弱くなる。秀吉の一言の前には、玄朔の書状は紙切れになる恐れがあるのだ。危篤状態ならば、秀吉の発言力はほぼなくなる。それは秀吉悪化を促進させる行為を、書状を渡した者が許さないからである。
(上手くいったな。)
秀秋は目の前に座す、三成の困惑を隠せない表情に内心、凄く満足した。そして、自分の秘策が上手く言ったことを確信した。だが、まさか三成が近くにいる者になろうとは思っても見なかった。三成がいたことは多少誤算だが、この方が面白いっと幸運に感謝した。
ここに、入室する前に玄朔に会って正解だったと秀秋は今度はそう思った。秀秋は胸中の策など全く悟らせずに、玄朔に言葉巧みに以上の内容を書かせたのだ。
その際に何と太閤殿下を慕っている御人だ。流石、一時養子になられただけのことはあるっと頻りに玄朔は褒めた。これには秀秋は玄朔を前にして、本心から胸中で苦笑した。
思惑は玄朔の思うこととは、全く違うことに対しての苦笑である。玄朔は喜んで直ぐに書き、書状を書いた責任も果たすとも約束した。こうして、秀秋は書状を手に入れて、現在の状態に仕向けたのだ。
三成は苦悶した。三成自身何度も、玄朔に秀吉容態を書状で書かせている。三成は五奉行の筆頭として、容態を知る必要があると思ったからである。だから、何度も見た玄朔の書状特有の癖なども知っている。そして、それが直筆であるし判も本物だと判断した。だから書状も本物だと三成は思った。
だから三成は困った。秀吉は多分、自分でいいたい筈である。しかし既に秀吉の体力はなく、寝ている布団の傍に近づける必要があった。だが書状ではそれを禁じるように書いてある。三成の頭脳には、天秤が大きく左右に動く。
暫しの間、二人の会話はなく沈黙した。これには後ろの小姓達は、必死に二人の会話を聞こうと聞き耳をたてている。そして、渦中の人である秀吉はぜいぜいっと荒い息をして寝ている。秀吉は誰かが枕元に来るのを待っている。もう、立てる気力も実はないのだ。だから、誰かが枕元にいないと何も秀吉は出来なかった。
大広間に梅雨とは違って、ジトっとした空気が漂う。この雰囲気に、大広間の豪華さも少し翳りが出ている。そして、匂いも金臭さが少し目立たなくなっている。
秀秋はそんな中、ただジッと待った。ここで焦ったら、折角の秘策も台無しになる。それに、結果は既に三成の顔を見たら分かる。だから秀秋は、ただただジッと待ち続けた。
「分かり・・申した。」
苦悩の末に、結局は秀秋の思惑通りの回答を三成はした。三成は結構苦悩して考えたのだろう。顔中が汗まみれになっていた。顔も頭脳の熱のせいだろう、真っ赤に染まっていた。
これに秀秋は、秀吉のことを思っての苦悩した顔で頷いて見せたが、内心は狂喜乱舞した。全てが思惑通りにいっていることにである。
一方の三成は、玄朔の忠告を認めざる得ない。これ以上、秀吉の容態悪化は避けなければならない。だがその秀吉は、秀秋に直に会いたがっていた。双方の意見の歩みよれば、離れた所で秀秋が大広間に居るのが妥当だろうと三成なりに結論つけた。
三成は玄朔の書状を、秀秋の許可なく自分の懐に入れた。後々、玄朔本人に書状の有無を確認させる為である。本物だとは思うが念には念を入れる。神経質な文官の典型的な行為である。
秀秋は一瞬、心中に収まっていた不快さが蘇った。何か懐に入れる際に、一言ぐらいは言うのが礼儀である。秀秋を骨の髄まで舐めきっているから、無意識的にでた横柄な態度である。
だが玄朔の書状の没収自体は、秀秋の計算通りである。だから、仕方ないっと秀秋はそう思い直して不快さを抑えた。
結局双方に、この玄朔の書状の受け渡しの問題はない。
「では、私が太閤殿下の枕元に向かいます。そしてそのお声を私が聞いたら、直ぐに大声で貴殿に向かって伝達します。そして、その回答を大声で返して下され。では暫し待たれよ。」
三成はそう秀秋に言うと、秀吉の枕元に向かおうと立ち上がろうとした。
だが、これでは秀秋にとっては面白くもなんともない。面白くしたい秀秋は瞬間的に思考した。そして、素早く策が出た。この策を実行したら、秀秋からしたら面白かった。
早速、その策を秀秋は実行に移す。秀秋はいかにも心配をする表情を今度は作った。三成は立ち上がって振り向こうとしていた。だが、秀秋のその顔を見て躊躇した。少し、気になったのである。だから三成は、秀秋に自然と尋ねた。
「どうなされた。」
「いや、太閤殿下の枕元・・・いや、ここでの大声自体が、太閤殿下のご容態が悪化するやも知れません。それを思うと心配になってしまいまして・・・。」
秀秋の指摘に三成は確かにそうだっと感じた。確かに太閤殿下は驚いて、心の臓を悪くされるやもしれん。三成は即座にそう感知した。
ならば、どうすればいいのか。立ったまま呆然とした顔で、三成は思考した。八方塞に近かったが、まだ三成に道はあった。その道は直ぐに三成は思いついた。
三成は、自分が行き来して通達することを告げた。この道しか三成は思いつかなかった。これは少々手間がかかって、行き来の労働がある。三成自身は面倒であり、行き来の労働が嫌であった。だが三成は、これは仕方がないことだっと、自分自身に言い聞かせての判断した。
一方の秀秋は、ホッとした顔になって、それなら太閤殿下の容態も悪化しないでしょうっと胸中では心に無いことを平然と言った。元々、三成にそうさせるように仕向けたのである。三成の道は、秀秋が三成を小間使いにして、内心で嘲笑してやろうという策であった。この策に三成は見事引っ掛った。
三成は、今度こそ秀吉の枕元に向かう為に、秀秋に背を向けた。その刹那、平伏した秀秋は黒き闇を口の僅かに表したように、一瞬だけ笑ったのだった。だが、そんなことは三成は知る事はなかった。
三成は秀吉のいる最上座に着いた。そこでまず三成は、小姓達を手招きして布団で寝ている秀吉から離した。布団に座して緊張してた小姓達は、三成は信用してたので躊躇なく離れた。伏見城の最上座もかなり広い。
そして四人の小姓達は、三成のいる最上座と上座を別れる段まで来た。集まった四人の小姓達に、三成は耳元で先程の秀秋との話の経緯を説明した。秀吉に知れないように小声で説明した。小姓達は時より、秀秋の方をチラッと見ながら三成の説明を受けた。そして四人とも納得して意見を一致させて、三成の枕元への行動を許可した。
許可した四人の小姓達は、三成をその場に立って待たせた。その間に四人の小姓達は、各自の持ち場に向かって歩き、到着するとその場に座した。座したのを確認した三成はやっと、秀吉の枕元へ移動することが出来た。
三成が枕元に着くと、秀吉の意識は少し回復した。容態悪化により秀吉は最近、意識が朦朧としている。だが人を前にしたら、一時的に回復はするのだ。
秀吉は体を一切起こさないまま、三成に顔だけ向けて弱弱しく尋ねた。
「ひ、秀秋は・・。」
目も耄碌になった秀吉は何とか三成を認識した。だがそれは望んでたことではない。だから、秀秋の所在を確かめた。
三成は一瞬息を呑んだが、秀秋いるが李氏朝鮮にて傷を負ってて、太閤殿下が汚れるといけないなどと適当な理由をついた。嘘は三成は大嫌いではあるが、この場は致し方ないっと心にまたいい聞かせた。こうでもいわなければ、秀吉が納得しないだろうっとの配慮である。
その様子を見ることなく、秀秋はただ平伏していた。この平伏は、小姓達と三成が話をしてる最中も
続けている。秀秋は、秀吉を遠目で見るのも生理的に嫌なのだ。それに、平伏自体は礼法であった。だから秀秋は、それを都合よく利用してたのである。
秀吉は三成の説明をあっさり信じた。三成は秀吉の一の寵愛を受けていて、尚且つ有能な男だから信じてもらえたのだ。
「そ、そうか。なら、伝えよ。くれぐれも秀頼を頼むと。お前の義弟になる者じゃ。くれぐれも秀頼を頼む・・・・。」
秀吉がそれを、うわ言のように繰り返して三成に言う。ある意味、秀吉のそれの発言は機械的なものであった。
三成は秀吉のうわ言に、内心では少しウンザリした。忠義があるこの男からしても、ここ最近言い過ぎだと思うからだ。
ここ最近の秀吉は兎に角、手当たり次第に各大名達に、秀頼のことを頼むと口にし誓詞を書かせる。しかもこれは一度ではない。同じ相手に一度なら可愛いものだが、何度も同じ内容を書かせるから可愛くない。あまりのしつこさに三成に何とかしろっと、各大名達から苦情が出る程にしつこいのだ。
三成は秀吉の発言を、ウンザリしながらも気長に聞いた。そしてキリがいい所で打ち切り、今度は秀秋の元に足を進める為に立ち上がった。
平伏してた秀秋は、三成がこちらに向かってることを足音で察知した。流石に平伏のまま、三成の発言を聞く訳にはいかない。なので秀秋は、無表情で面をあげて姿勢を正した。顔はやはり秀吉に一切向けず、三成に向ける。
三成を見た秀秋は、嫌いな者を小間使いにして内心嘲笑した。お前如きはそれぐらいの身分が丁度いいなどと暴言も、内心で吐いている。
この、行き来する意識無き人形は、秀秋の前に着いた。そして三成はその場に座した。秀秋には小声ではなく、普通の声で秀吉の言った内容を伝えた。
秀吉の発言は秀秋からしたら、随分虫が良すぎる話である。自分を別の家の養子に出し、何度も嵌めようとした秀吉の厚顔無恥に、秀秋は心底呆れ果てた。今更、何をっと心中で馬鹿にもした。それに、弟は実弟が二人いる。これ以外の弟なぞ、認めるつもりはなかった。
「当たり前です。何なら誓詞を書きましょう。」
しかし胸中で悪態をつく秀秋は、三成に障りのない発言にした。流石に心中の暴言を吐けば、秀秋の首は軽々と飛ぶ。そればかりは御免である。
秀秋の発言に是非是非っと、三成は直ぐに筆を用意させて秀秋に書かせた。元々、秀秋に誓詞を書かす予定だったので、三成にとっては渡りに船である。
秀秋からしても、こうなる事は先程から薄々感づいてた。だから秀秋は特に抵抗なく、無表情のまま淡々と誓詞を書した。
(無駄だろうに・・・。)
胸中でそう悪態をつけながら、秀秋は書を乱れることなく書く。こんな紙切れなど無意味なのは、凡将でも理解は出来る。
そう秀秋は思うが、秀吉に対する哀れみは感じなかった。それ程、追い詰められてる哀れな秀吉に対してよりも、普段の行いの憎悪が勝っているのだ。
秀秋に書かせた乾かした誓詞を持って、また秀吉の元に向かう三成。無論だが、秀秋は直ぐにまた平伏して回答を待っている。顔は無表情、内心嘲笑しながらである。
三成は、先程の秀吉の向かう時は足音が小さかった。だが今回は秀秋に誓詞を書かせたことが、少し興奮してるのか煩かった。
小姓達は先程からの出来事に、呆然としていて木偶になっている。元々、会話は三成に説明を聞いたので、やろことが無かったので仕方が無いことだが。
三成は早々に、秀吉の枕元に行くと秀秋に誓詞も書かせたことで忠誠心を誓ったことを、やんわりと告げた。秀吉もこの報告にホッとした顔をした。これで憂いが無くなったっと秀吉は思ったのだろう。
「そうか、いいか、お前は豊臣の血である男じゃ。だから、くれぐれも秀頼を頼む。」
秀吉はまた言葉を発したが、結局は先程と同じ内容である。そしてまた、うわ言のように秀頼、秀頼っと口にし始めた。三成は流石にこれ以上は、埒が明かないっと決断し、枕元を離れ秀秋の元に向かう為に立ち、歩き始めた。その間も、誰もいなくなった秀吉はうわ言を止めることはなかった。
三成は秀秋に近づいて目に前で座した。無論、秀秋は堂々と座している。三成は神経質な顔と探る目付きをして秀秋に秀吉の言葉を伝えた。
伝え終わった三成は独自の言葉を付け加えた。くれぐれも豊臣家に忠義を持って日常精進して下されっといいっと高圧的に三成はいうと、秀秋に大広間からの退出を雰囲気で促した。
秀秋はその三成の傲慢な態度に一瞬不快になった。だが先程の三成の喜劇がそれに勝ったのか、直ぐにそれは打ち消された。
秀秋は承知しておりますっと社交辞令を言い、三成に内心嫌々だが頭を下げた。そして、退出しようと立ち上がった。三成もこれを全く止めずに、ただ座して秀秋の背中を睨みつけていた。
その間、いや、大広間に入室した一瞬だけ秀吉を見た秀秋だが、結局はそれ以外は見ようとはしなかった。そして、出入り口の襖が閉まるその時のにも、顔こそ大広間の最上座に向けるが、目線は違う所を見ている。ピシャリっと接見の終える音がした。
(それにしても、同じ義父とは大きく感情が違うな。)
秀秋は伏見の長い廊下を歩きながら、そう思考する。
隆景の死去の前日に奇跡的に面会出来た秀秋だったが、その時は泣きじゃくって死なないことを哀願した。そして、全ての理を怨んだほどだ。
だが秀吉はここまで冷淡になってる。狂喜乱舞するかと思えば、今になってみたら意外にどうでも良いっと感じた。つまり秀吉の存在価値は、秀秋にとってはどうでもいいのであった。
秀秋からしたら今更、豊臣の血なぞ全く知らないし興味もない。自分は生粋の小早川家の人間なのだと、強く誇りに思う程である。憎悪している秀吉のことなぞ、秀秋は聞くつもりは更々ない。秀秋の信念はただ小早川家の道を進むだけである。
死んだ時にはまた別の感情が出るかもなっとそう結論つけて、大阪に居る古満に会おうと切り替えた。そして、親愛なる義母、問田の大方に安否の書状をかかなければっと思考し、すっかり秀吉のことは頭から消滅していた。
これ以降は、秀秋と秀吉は二度と会うことはありませんでした。