0 序章
今回、初投稿をした歴史転換です。かなり雑な文になることも予想していますが、何卒ご理解して下さい。
さて、今回の作品については題名どうりの関ヶ原の戦いを中心にしての転換…歴史シミュレーションです。
基本的にはオリジナルキャラクターは登場はしません。また、登場しても下っ端です。
また、作者が勝手に解釈した歴史観もありますので不愉快になることもあるかもしれません。そこもご理解をお願いします。
この他にも武将のイメージが違うなどのことも批判があると思われますが、この小説上の性格なのでご理解をお願いします。
応援してくれると私は大変嬉しいです。
主人公については…そろそろこの辺にして、プロローグに入りましょう。(短いですけど)。
0 蠢く歴史
時は一五九八年八月十八日、夏になって熱い日ノ本に心胆を冷やす事件がおきた。
京の伏見城にて、一人のか細く衰えてしまった老人が無念そうに息を引き取った。その老人の名は豊臣秀吉という日ノ本一の実力者にして、一番の権力者であった太閤その人である。死因は老衰で享年六十二歳。これがその事件である。
しかし、何故この秀吉が無念そうに息を引き取ったのか。勿論だが理由ある。それは一人息子のまだ五歳の幼い秀頼である。
(この秀頼を残して死んでいくのか・・・。)
これが秀吉の無念である。この秀頼が果たして天下を保てるか。
(無理だろう・・・。)
秀吉はこう心境で確信していた。
秀吉は農民からの成り上がり者である。農民が普通ならばここまで出世はしないだろう。だが、第六天魔王と自称した、織田信長からの寵愛を受けて出世していった。そして紆余曲折があったが、太閤の座まで成り上がったのだ。
その成り上がり者の下に仕える苛立ちや屈辱感から、心から忠誠を誓う大名は少ないのも分かっている。これに、農民出の秀吉は譜代家臣が少ないのも拍車をかけている。もし自分が死んだら秀頼を心から助けようとする大名は少ない。もし乱世になれば秀頼の命は全く保障されないのだ。だからこそ無念で無念で仕方ないのだ。やっとのことで出来た息子なのに、その未来が暗いことに無念なのだ。その秀吉には秀頼に出来ることは既に限られていた。
それは、自分が任命した五奉行の大名や五大老は無論のこと、各大名にも何度も何度も誓詞を書かせて忠誠を誓わせることだった。それこそ周囲が呆れ果てる程である。それしか、もう秀吉には方法は無かったのである。
「くれぐれも秀頼をお頼み申す。」
秀吉は様々な大名を呼ぶと必ずこう言い誓詞を書かせた。それが自分に出来る最後のこと・・・良心に訴えるしかないのだ。乱世になれば誓詞など空手形などは承知しているが、秀吉はこれに賭けた。・・・いや賭けざる得なかった。そして、それは命が尽きる寸前までいい続けた。
その秀吉も遂に死んだ。五大老達はこの秀吉の死去にあることを即決する。
それは後の慶長の役と後に呼ばれる戦に参加している大名達に関している。かの者達は日ノ本にはおらず李氏朝鮮という国で戦をしてるのだが、その撤退を指示したのだ。秀吉がいる限りは永遠に無理だったろうが、秀吉の死後にこれだけは即決した。
そして、日ノ本は秀吉の死去により大混乱が始まろうとしていた。
それは秀吉が死の間際に五大老や五奉行を任命するまでは独裁政治だからであった。だが、天下統一直後は秀吉には人徳などや能力も正常だったので問題はなかった。この直後に大人しく天下を統一して政治に力を入れれば良かったのだが、秀吉は大いに動いた。しかも悪い方向に・・・。
この後、秀吉は数少ない血縁者にして、能力もある弟の豊臣秀長が死去した後に少しづつ残虐性が出始めた。それまでは顔色を見ながらの行動してきた秀吉は嫌でも愛想笑いをし、我慢もした。だが、逆らうものがいなくなって今までの反動が起きたのだ。傲慢だが有能だった千利休の処刑や言うことを聞かなかった李氏朝鮮への出兵など暴挙を繰り返した。だが、誰も諌言しない。すれば首と家がなくなるからである。
更に甥の秀次に関白を譲り自分が太閤になった後に暴挙中の暴挙を犯した。秀頼が産まれると秀次を狼藉を働いたなどと因縁をつけて処刑したのだ。秀頼を後に関白にしたいが為である。この処刑は当時、どの大名も驚愕し顔を歪めた。明らかに理由が露骨なわがままだったからである。関白という官位ながらこんな悲惨な死は先例になかったのもこの暴挙の惨さを際立たせた。
しかも秀次の妻子や側室達、三十数人も処刑して、畜生塚という塚を作って其処に遺体を葬った。これに続き秀次の政庁だった聚楽第も滅した。徹底的に秀次というのを、この世に残してなるものかという秀吉の狂気に世間は胸糞が悪くなったし、恐怖した。
このように秀吉は、世間から陽気な天下人から狂気天下人に成り下がったと言われるようになった。
だが、秀吉生存中は世は荒れなかった。それはどんな形であれ、秀吉という男が一番の権力者兼独裁者に誰も逆らうことはなかったからである。
しかし、その秀吉は死去した。その独裁者の死は公表してないのに、直ぐに民は敏感に気付いた。偉大な者の死はどうも隠すのは難しかったようである。
(太閤殿下は死去なされた。)
民はこの話題に恐怖したり驚愕したりと動揺しきりだった。夏で熱いにも関わらずに民達は汗をダラダラ流しつつも、井戸端会議をし合い、あっと言う間に広がっていった。死去して数日たつと京は誰もが知ってる状況になってしまい、一方で次の天下人についての話題をする有様になっていた。だが、民達が秀吉の死を惜しんだのは少数であったのが共通点だった。それが、最後の秀吉に対する民達の哀しい評価だった。
李氏朝鮮にその若き大名はいた。若き大名が今後の戦乱の主人公になっていこうとはこの時は誰も知らなかった。
次回、転換!関ヶ原! 第一章李氏朝鮮脱出『1、使者が釜山城にやってきた。』
「では、参ろうか・・・・。」