09
彼ら近衛兵にとって、主人は敬愛すべき人物だ。
自分たちの人生の半分も生きていない主人はしかし、自分たちなど足元にも及ばないほどに優秀な方であった。
アルベルトが生まれた時、城の中はちょっとした騒ぎになったのを、彼らはよく覚えている。
髪の色が黒に近いほど魔力が高いとされるベルディア皇国で、黒っぽい色素の持ち主は久しく現れていなかった。
それが、この世の至上である皇族に、まさか魔力持ちが生まれたのである。
しかも、ダークブルーの御髪という、極めて高い魔力を持って。
騒ぎになるのも当然だ。
当時はまだ近衛兵ではなかった彼らは、それでもいつかは“近衛”になりたいと思っていた。
同時に、“このお方にお仕えしたい”と本気で思ったことの無い自分が、近衛兵になれないこともまた、理解していた。
皇族は生まれた瞬間から様々な危険に晒される。
他国の間者や、邪な思いを抱く不届き者、病気や、怪我や、ちょっとしたトラブル。
それら全てから、自分の命に変えてもお護りするのが、兵士の役目でもある。
生まれてまもないうちは、その赤子がどのように成長するかはわからない。
そのため皇族近衛兵は皇族が3歳になった時から、専属として1小隊があてがわれるのだ。
つまり3歳になるまで、皇族の護衛を勤めるのは、ただの兵士たちなのである。
しかしそれは逆に言えば、皇族近衛兵の選抜試験ともいえる。
皇族近衛兵に求められるのは、強さと忠誠心。
それさえ認められれば、人数に空きがあれば、志願通りの方にお仕えできる。
アルベルトは、生まれて間もない頃から、第一皇子のローランドや第二皇子のランスロットとは違うことが多かった。
生まれながらにして魔力持ちだからなのか、はたまた元来優秀なのか。
特に夜泣きが酷いわけでもなく、泣いてごねるでもなく、言葉を発するようになっても、すぐに滑らかな言葉遣いで。
おおよそアルベルトは、赤子らしい赤子ではなかった。
2歳になる頃には、すっかり人格は形成されているようだった。
ローランドやランスロットは一般的な2歳児らしく、よく泣きよく笑いよく怒る、表情豊かで、食べ物の好き嫌いも多く、よく侍女たちを困らせていた。
だというのにアルベルトは特に泣くわけでも、笑うわけでも、だからといって怒るでもなく。
ただひたすら、静かに書物に目を向けていた。
表情は特になく、食べ物の好き嫌いもなく──侍女たちを困らせることもなく。
あまりに子どもらしくない子どもに、一部では不気味だという声も小さく上がるほどだった。
どこか敬遠されていることに、アルベルト自身も察していたのだろう。
ますます自分の殻に閉じこもるようになり、いつしか、彼が口を開くことも、ほとんどなくなっていた。
そんな彼を、護りたいと、そう思う者も少なくなかった。
それが現在のアルベルトの皇族近衛兵たちである。
彼らはアルベルトに対し、ひどく同情を寄せていた。
生まれながらに魔力持ちで、兄たちには時に怯えられ時に化け物と罵られ。
本来であれば彼を慈しまなければならない侍女たちは、いつしか彼を敬遠するようになり。
それに文句を言うでもなく、悲しむでもなく、怒るでもなく、全てを諦め受け入れたようなアルベルトを──護りたい、と。
アルベルトが3歳になった時、皇族近衛兵には多くの者が志願した。
この方には自分がお傍にいなければと思い込み志願した者もおり、実際は自分以外にもアルベルトを想う者は多く。
それがひどく、誇らしかった。
自分の敬愛する主は、自分以外にも大切に想われる素晴らしいお方なのだと思えたから。
正直に言ってしまえば、アルベルトには皇族近衛兵などいらないのだ。
この国で最も魔力があり、物心つく前から非常に才あふれ、第一皇子が次期皇帝に──という決まりさえなければ、彼がいずれこの国を治めてもおかしくなかった。
魔力持ちに魔力を持たないものが適うはずもなく、どれだけ鍛錬を積んでも、きっとアルベルトに勝つことは出来ないだろう。
それでも構わなかった。
例えアルベルトに適わなくとも、アルベルトの危機に、命を懸けてお護りすることは出来る。
あの時から、アルベルトの皇族近衛兵に決まったあの瞬間から──彼らはずっと、アルベルトを愛しているのだから。
アルベルトのあの言葉が、生涯をこの方に捧げようと、心の底から思わせてくださったのだ。
“俺のような化け物を、よく選んでくれた。ここにいる者以外にも、志願してくれた者は多かったと聞く。俺は存外、嫌われてはいないのだな。……ありがとう、お前たち。これから頼んだぞ”
皇族は、貴族は。
生まれた時から、護られるのが当たり前の存在だ。
貴族一人の命と平民一人の命では当然釣り合いなど取れないし、命に価値の差などない、というのは所詮、物語の中でのみ通用するきれい事だ。
皇族近衛兵と皇族では、当たり前だが命の価値に天と地ほどの差がある。
皇族たちにとって護られるのは当たり前で、自分を護り命を散らすものがいても、何も思わないことだって少なくない。
けれど彼は、アルベルトは、違うのだ。
自分を化け物だと自嘲し、嫌われていないのだと安堵し、そして感謝をして、これからを託してくれた。
自分たちが必要なのだと、望んでくれた。
そんなアルベルトに生涯ついていくと決意を新たにしたものは多く、彼らアルベルト専属の皇族近衛兵にとっては、アルベルトはこの世の何よりも誰よりも尊い存在なのである。
だからこそ。
「……今日は非番か」
「休みなんてなくていい」
「我が君にお仕えしたい」
「ロゼリア様と過ごされるお姿を拝見したい」
「なんで非番なんてものがあるんだろう……」
彼らは非番の日というのが嫌いである。
皇族近衛兵は1小隊20人の、5人1組が4組にわけられているため、それぞれにきちんと休息日が設けられている。
給料もそれなりに良いし、有事の際は常に警戒していなければならないが、戦争が終わった今はそれほど警戒することもない。
今までであれば、戦争を理由に、アルベルトのそばにいることが出来たのに。
戦争が終わってしまえば危機はないからと、以前は通用した「いつ魔族が現れるかわかりませんので!」と勤務時間以外にそばにいる理由が使えなくなっていた。
つまり非番は、当たり前だがどう足掻いても非番なのだ。
それは彼らアルベルト専属皇族近衛兵にとっては死活問題なのである。
なぜなら彼らは──とにかくアルベルトと、彼が心から愛するロゼリアのそばにいたいのだから!
「アルベルト様が最近幸せそうで幸せだ……」
「これも、ロゼリア様が我が国にいらっしゃったおかげだ……」
「アルベルト様とロゼリア様が向かい合ってお話なさっている姿は、まさしく至上……」
「最近はアルベルト様おひとりの時も、ロゼリア様のお話をしてくださって俺はいつ死んでも構わない」
皇族近衛兵たちは基本的に自分の主人を心より敬愛し、その職務に誇りを持っている。
中でもアルベルトの近衛兵たちはいささか異常とも言えるほど──もちろんきっかけは幼いアルベルトの言葉なのだが──常に仕事をしたがっている。
より正確にいえば、常にアルベルトのそばに仕えたがるのだ。
ロゼリアと婚約してからは、今まで鉄面被とも言われたアルベルトが終始表情豊かになることもあり、その傾向はますます強まっている。
いっそ給料も休みもいらないから、アルベルト様とロゼリア様にお仕えさせてくれ!……というのが、彼らの言い分なのである。
ほかの皇族近衛兵たちにも理解されないソレは、同じアルベルト専属の近衛兵ではもはや常識になりつつあった。
最初こそ、敬愛するアルベルトに魔族の婚約者ができると聞いた時は、ひどく反発心を抱いていた。
アルベルトが他人に興味を示すことがないと、彼らは知っていたからだ。
彼の婚約者候補たちとは何度か顔を合わせたことがあるが、皆アルベルトの前では猫をかぶり、近衛兵たちの前では高飛車に振舞った。
アルベルトに命じられるがまま態度の違いは逐一報告していたし、例え皇帝がアルベルトの婚約者を決めようと、アルベルトが望まぬ相手であれば、認めるつもりなど一切なかった。
彼らにとってアルベルトの婚約者が魔族であるか、人族であるかなど、どうでもいいのだ。
ただ、アルベルトが望む方であれば、それがどんな相手であっても構わなかった。
いざふたを開けてみればアルベルトはロゼリアに首ったけであるし、ことあるごとに「ロゼが」「ロゼが」と楽しそうに彼女について語るアルベルトは控えめに言って素晴らしい主人である。
ロゼリアも満更ではなさそうであるし──そのことをアルベルトは何よりも喜んでいる。
彼ら近衛兵にとって、以前はアルベルトこそが至上であり至高のお方であった。
しかし最近は──アルベルトとロゼリアの二人が至上であり、至高なのだと、考えを改めるようになったのである。
今日も今日とて職務につく近衛兵たちは幸せそうなアルベルトとロゼリアに癒しと幸福を覚え、非番のものたちは、次の勤務を切望していた。