06
その日、アルベルトの機嫌は非常に良かった。
ロゼリアの前以外では特に表情が変わることの無いアルベルトは、普段は無表情に近い。
しかし今日はその口元に僅かに笑みが浮かんでいて──その様子を目にした使用人たちは、すぐに理解する。
彼の表情が、態度が、変わるのはいつだって彼女、ロゼリアが関わる時だけだ。
ロゼリアの前ではよく喋り、愛を囁き、ニコニコと笑って、愛おしげに目を細める。
最初こそ突然の変貌に誰もが目を見張っていたが、今ではすっかり慣れてしまった。
むしろ皇族であり魔力が高く、非常に優秀で非の打ち所のない、ある意味超人のようなアルベルトにも、他者を愛する心があったのだと密かに親近感を抱く者も多い。
アルベルトが機嫌の良い理由、それはやはり、ロゼリアの一言であった。
ロゼリアはこの国に来てから今まで、ずっと一人で食事を取っていた。
元々アルベルトたち皇族にも、毒物混入を防止するために、誰かと食事をするという習慣はない。
ロゼリアたち魔族にはそもそも食事という習慣がないため、必然的に各々で食事を取ることになっていたのだ。
アルベルトは毎日、ロゼリアが美味しそうに食事をしている姿を見るのが好きである。
そのため、毎食ロゼリアよりも早く食事を終え、その足でロゼリアの部屋に出向いていたのだ。
今日も、いつものように早めの朝食を終え、ロゼリアが起きてくるまで物音ひとつ立てずにメインルームで待機して、そして寝起きの愛おしいロゼリアを堪能したあと、もぐもぐと口を動かす可愛らしいロゼリアを堪能した。
その時、ロゼリアが素晴らしい提案をしてくれたのだ。
どうせなら、一緒に食事しましょう
と。
ロゼリアが天使に見えた。
そしてそんな可愛らしいロゼリアのとてつもなく素晴らしい提案をアルベルトが断るはずもなく、今日の昼食から、アルベルトとロゼリアはともに食事をすることとなったのだ。
ロゼリアと初めて出会って数週間経ち、すっかりロゼリアを至上の存在だと豪語するようになったアルベルトが、喜ばないはずがない。
「──それで。わざわざロゼとの貴重な時間を削っているんだ、まさかくだらない話じゃないだろうな」
本当であれば、今頃ロゼリアの部屋で、ロゼリアの一挙一動を心で愛でつつお茶を楽しんでいたはずなのに。
急きょ用事が出来たとかで、アルベルトが呼び出しを食らったのだ。
ロゼリアとの食事の約束があるのでまだ機嫌は底辺にまでは届いていないものの、愛する彼女との時間を邪魔したことは許さない。
ちなみにロゼというのはアルベルトが勝手に呼んでいる、ロゼリアの愛称だ。
ロゼリアに直接“ロゼ”と声掛けたことはないが、この愛称はアルベルト自身気に入っているので、彼女の前以外ではたびたひ口にしている。
「まあ、くだらないものであれば、それはそれで構わない。相手を潰せば多少は気が紛れるだろう。……いっそ、クロードのエサにでもしてやればいいか」
ロゼリアにクロードを紹介されて数日ほどが経過しているが、いつの間にかすっかりアルベルトに対する警戒心を解いたようで、機会があれば背中に乗せてやろうとまで約束してもらえた。
自分の知らないロゼリアを知っている……という点では今すぐにでも引き裂いてやりたいくらいに腹立たしいが、ロゼリアは存外クロードのことを可愛がっているのだ。
愛玩動物を愛でるソレに近いらしいので、アルベルトもあからさまにクロードを毛嫌いすることははばかられるのだ。
アルベルトの数歩後ろを付き従うのは、アルベルトの近衛兵たちである。
近衛兵は1小隊20人で組まれており、20人はさらに5人に別れ、トータル4組が終日アルベルトの護衛を勤めている。
ちなみに近衛兵は皇族一人につき1小隊が護衛を勤めるため、王宮には近衛兵だけでかなりの人数がいることになる。
もちろん彼らは“近衛”を名乗るだけあって、全員がかなりの力量の持ち主だ。
王宮には近衛兵以外にも、兵士たちは大勢いる。
国民にとって兵士というのは憧れの職業であり──皇族近衛兵は、まさしく“選ばれし者”なのだ。
近衛兵に選ばれた者は、どの皇族に付き従うか志願出来る。
それは近衛兵が皇族に対し、より忠誠心を高めるためのものだ。
この方のそばに仕えたい、この方をお護りしたい──という気持ちを、より強くするために。
例えば、この方のおそばに仕えたい!と思い近衛兵になったのに、配属されたら別の人であった……となれば、配属された皇族に対する忠誠など誓えないだろう。
忠誠を誓えなければ、主を護ることなど出来ない。
故に、志願が通らないことはまずないのだ。
当然アルベルトの近衛兵たちも、ぜひアルベルトのもとに!と志願した者たちだ。
言ってしまえば彼らはアルベルト至上主義者であり、アルベルトが唯一表情を和らげるロゼリアのことも慕っている。
アルベルトとロゼリアの時間は、彼らにとっても大切にすべきものなのだ。
だからこそ──アルベルトの非情ともとれる発言に、誰も何も言わない。
ちなみに本来であればアルベルトの婚約者であるロゼリアにも近衛兵が出来る予定だったのだが、アルベルトとロゼリアが反対したためにロゼリアに近衛兵はいない。
そもそも近衛兵よりもロゼリアの方が強いのだから不必要なのだが。
「早くロゼに会いたい……」
離れて数分しか経っていないが、アルベルトにとっては切実な願いである。
心の底から呟かれたアルベルトの言葉に、近衛兵たちは「お労しい……!」と心の中で呟いた。
アルベルトとの時間をと希望してきたのは、アルベルトの実の兄であった。
指定された部屋で、兄であり第二皇子でもあるランスロットは、優雅に足を組みアルベルトを出迎えた。
ランスロットのすぐ後ろには彼の近衛兵たちもおり、アルベルトの近衛兵たちは無言で睨みつける。
近衛兵たちは配属された自分の主が一番である──という思想のため、互いに仲が悪いのだ。
例え主同士が仲が良いとしても、だからといって近衛兵同士も仲が良いというわけではないのである。
ちなみにアルベルトとランスロットは、決して仲が悪いわけではないが、だからといって仲が良いというわけではない。
「何の用だ」
「アルベルト、兄にその言葉はないのではないか?」
「文句があるなら、俺に何か一つでも勝ってから言うべきじゃないのか?」
ふん、と鼻を鳴らし腕を組むアルベルトに、ランスロットは思わずと言った様子で眉をひそめた。
ランスロットは確かにアルベルトの兄ではあるが、アルベルトはランスロットのことを兄として慕ってなどいないのだ。
それはランスロットに限った話ではなく、第一皇子であり皇太子でもあるローランドについても同じである。
幼い頃からローランドやランスロットに適わないものなど、ないに等しかった。
だからこそアルベルトはローランドやランスロットを見下している節もあるし、ローランドやランスロットは、アルベルトを避けていることが多い。
ランスロットは一応窘めこそするものの、今更優秀すぎる末の弟に、兄として慕われるなど思ってもいなかった。
そんな関係性だからこそ、アルベルトの近衛兵たちと、ローランドやランスロットの近衛兵たちは非常に仲が悪く、顔を合わせれば睨みつける悪態をつくなど日常茶飯事である。
もちろん主人の前では黙っているが。
「……それで、わざわざ俺とロゼの時間を邪魔したんだ。まさかくだらない話ではないだろうな?」
「随分と、魔族の女に絆されたようだね。嘆かわしい」
ランスロットの言葉に、アルベルトは不愉快そうに眉をひそめる。
どうやらランスロットは魔族の血ををベルディア皇国に招き入れることに対し、反対派に属するようだ。
アルベルトはランスロットを上から下までじっくり眺めたあと、はっ、と鼻で笑った。
愛するロゼを貶そうというのならば、それがどれほど愚かなことかその身に叩き込んでやる。
そう決意したアルベルトの心の声が聞こえたのか、はたまたアルベルトから発せられる魔力にあてられたのか、ランスロットの顔色は、部屋に入った時より若干青ざめているようだった。