05
今にも、互いに噛みついてしまいそうなアルベルトとクロード。
まさしく、刀光剣影の状態だ。
ピリピリと肌を焦がすような殺気に、ロゼリアがふふっと笑い声を漏らした。
「ロゼリア様?」
「ロゼリア?」
その声に気がついたのだろう、アルベルトとクロードは睨みつけていた互いの顔から、愛おしいロゼリアへと急ぎ目を向ける。
ロゼリアが笑みを浮かべることはそう良くあることではないし──何よりロゼリアの笑顔は、二人にとって至高の姿だ。
俗っぽくいえば、とてつもなく可愛い。
今すぐにでも殺してやりたいくらいに思う野郎の顔を見ているよりもよっぽど有意義だ。
「あなたたち、随分と仲が良いのねぇ」
ロゼリアの言葉に、すぐにでも反論したくなった。
しかしロゼリアは次いで「使い魔と婚約者の仲が良いのは、いい事だわ」と笑う。
その笑みは、どこか嬉しそうで──そう言われてしまえば、このまま互いと殺し合うのはどこか気が引ける。
「ええ、ロゼリアの道具ですからね。ぜひ仲良くしていただきたいものです」
「良いことだわ。クロード、せっかくだから、少し散歩に行きましょう。私とアルベルトを乗せてちょうだい」
「……ロゼリア様の御心のままに」
一瞬頬をひきつらせたクロードは、ロゼリアを乗せて散歩に行くのが嫌──というわけでは断じてなく、ロゼリア以外を乗せるのが嫌なのだろう。
しかしにっこりと微笑み両手を顔の横で合わせるロゼリアは何よりも可愛らしい。
敬愛するロゼリアの頼み事とあれば、例えどれだけ嫌だとしても、叶えないわけにはいかない。
すっとその場に膝をついたクロードは、恭しく頭を下げる。
そして両手を地面につけたかと思うと──アルベルトが数度瞬きをするうちに、その容貌を変えてしまう。
先程まで整った容姿の男であったクロードは、人が二人乗っても余裕があるであろう程の、大きな獣の姿になっていた。
人族の中でもそれなりの身長があるアルベルトが見上げる程の身の丈に、体中を覆う黒い体毛。
瞳は赤く、地面を踏みしめる大きな手には、鋭い爪がはえている。
まるで、人族の物語に出てくる、勇者の足止めをする魔獣のようだ。
ロゼリアが獣の姿となったクロードの首筋を撫でると、人に懐く馬のようにうっとりとした様子で目を細めている。
すぐにその場で膝を折りしゃがみこんだのは、ロゼリアが背に乗りやすいようにと配慮したのだろう。
慣れたようにクロードの背に乗ると、ロゼリアは背の上から「いらっしゃい」とアルベルトに声をかけた。
「では、失礼します」
言われるがままにクロードの背に乗る。
思ったよりもロゼリアとの距離が近く、アルベルトは気が付かないうちにだらしなく頬を緩めていた。
「さぁ、行きましょう」
ロゼリアがクロードの首元を軽く叩くと、クロードがゆっくりと立ち上がる。
僅かに揺れは感じるものの、思っていたほどの衝撃はない。
クロードは顔を上げて鼻をすんすんと動かしたかと思うと、地面を蹴って空へ浮き上がった。
「っえ!?」
思わず声を上げるアルベルトに、ロゼリアはクスクスと笑う。
どうやらアルベルトの反応がよほど面白かったらしい。
肩口に振り返るロゼリアに浮かべられた笑みは、アルベルトの心をがっしりと掴んでいた。
「魔族にとって空の散歩は、人族が地面を歩き回るように当たり前のことなのよ。私はクロードの毛並みを気に入っているから、よく背に乗せてもらっているの」
「ロゼリアも空を飛べるのですか?」
「もちろん。でも、ここ数十年はいつもクロードに乗せてもらっているわ」
ロゼリアの言葉に、それほど長い間付き合いがあるのかと、一瞬クロードを恨めしく思った。
「……ん?」
しかしすぐにロゼリアの言葉に引っ掛かりを覚え、頭の中でロゼリアの言葉を反復する。
そうしてすぐに、その引っ掛かりの理由を理解した。
ロゼリアは今、たしかにはっきりと、ここ数十年はと口にした。
「数十年って、どういう……」
「どうって、そのままの意味よ。もちろん人族の年数に変換した場合だけれど……」
「ロゼリアは……人族でいうところの、何歳なのですか?」
アルベルトに問われ、ロゼリアは「うーん……」と考えるように口元に人差し指を添える。
視線を左上に向けるロゼリアは頭の中で計算しているのか、その唇はほんの少しだけとがっていた。
紅のひかれた唇をすぐにでも奪いたい気になるが、それよりも今はロゼリアの年齢の方が重要だ。
「ええと、人族の年数と合わせると……そうね、100年くらいかしら」
「ひゃくねん」
「魔族は寿命が長いから、あまり生きている年数というものは気にしないけれど……。だいたい、魔族にとっての1年が、人族でいうところの10年に相当すると聞いたことがあるから」
そこまで告げてから、ロゼリアは僅かに眉を寄せる。
アルベルトはロゼリアの言葉になにか考え込んでいるようで、ロゼリアの様子には気づいていないようだ。
「ろ、ロゼリア!ロゼリアが、100歳と言うことは……俺、あ、いや、私と90歳の差があるということになります」
魔族で言えばロゼリアは10歳程度だが──といっても、はっきりとした年数を覚えている訳では無い──人族でいえば、100歳。
アルベルトとはおよそ90歳の差があることになり、ロゼリアが話しながら眉を寄せたのは、その事についてである。
僅かに顔を青ざめさせているアルベルトも、その事が気にかかったのだろう。
ロゼリアの前では“私”と言う一人称が、一瞬でも崩れてしまうくらいには。
「ロゼリアは……ロゼリアは、嫌ではありませんか?」
「……は?」
ロゼリアが予想していたのは、アルベルトからの罵り言葉だった。
そんな歳上だとは思わなかった、だとか、下品に言えば、年増だとかお婆さんだとか、そういう類のことを言われる気がしていたのだ。
だが、アルベルトから発せられたのは──どこか、不安そうな声。
「だ、だって!歳が離れているから……ロゼリアに、釣り合わないのでは?90歳も下の男だなんて……」
「……いえ、魔族にとって人族の90年なんてとても短いのよ。大して気にしていないわ。むしろ、私はあなたが嫌がるのではないかと思ったのだけれど」
魔族にとっての90年など、そう大きな差ではない。
ロゼリアは最高でだいたい640歳くらいの差がある夫婦を知っているし、ロゼリアの両親もだいたい160歳だったかの差があったはずだ。
だからロゼリアの婚約者が90歳近い歳の差があったとして、全くもって気になっていない。
そもそも人族はいちいち年齢やら時間やらに縛られすぎなのだ。
まあ、魔族のように時間や年齢に寛容になるには、人族の寿命は短すぎるのだけれど。
「そんな!相手がロゼリアならば、例えロゼリアが100歳だろうが200歳だろうが……1000歳の差があったとしても、嫌がるなんて有り得ません。私は、ロゼリアと一緒になりたいのです」
アルベルトの真剣そうな表情に、ロゼリアはふい、とそっぽを向く。
彼女の心には自分の想いは伝わらなかったのだろうか、と思わず肩を落としてしまった。
──が、ふとロゼリアの様子を伺うと、その人族よりも僅かな鋭さを見せる耳は、ほんのりと赤く染まっている。
どうやら、ロゼリアはアルベルトの想いを理解してくれたらしい。
「っロゼリア愛してます!」
「うるさい!」
つい感極まって大声をあげ、ロゼリアを後ろから抱きしめる。
次の瞬間にはロゼリアに思い切り殴られてしまったが、いっそその痛みでさえも愛おしく思ってしまった。
背中で暴れる主人とその婚約者に、クロードは主人に気づかれぬよう溜息を吐く。
人族はひどく気に入らないが、主人はどうやらこの人族を気に入っているらしいので……まあ、多少は、認めてやろうと、心の中で呟いた。