04
昼食後にアルベルトに案内された先にあったのは、ただただ広い場所だった。
地面は整備されているのか、パッと見ただけでも石ひとつ落ちておらず、野原のように雑草や花が咲いているということもない。
「ここは元々、皇族が鍛錬を出来るようにと用意された場所なんです。見ての通り隠れる場所もないので、狙われることもないんですよ」
まあ、私たちを狙う者なんてほとんどいませんけどね。
小さく笑みをこぼして続けるアルベルトに、ロゼリアは「ふぅん」と興味がなさそうに相槌を打った。
どうやらこのだだっ広さにも、一応の理由はあるようだ。
しかし隠れる場所がないような鍛錬をする場所としてつくられたにしては、少し広すぎる気もする。
「さあ、ロゼリアのお好きなように使ってください。もしお気に召すようであれば、いつでもロゼリアが使えるように手配しておきますよ」
「そう」
アルベルトはこの場所を、皇族が鍛錬出来るように用意された、といっていた。
つまりこの場所は本来ならば、皇族にしか使用許可がおりないのだろう。
いくら本意ではない婚約者とはいえ──それほどまでの高待遇を、ロゼリアが受ける権利はあるのか?
少しだけ考えて、アルベルトを一瞥する。
婚約者となって数週間。
アルベルトはロゼリアに誰の目にも明らかな好意を寄せているが、ロゼリアがそれに応えたことはなかった。
素っ気ない返事をしたところでアルベルトはニコニコと笑っているし、ロゼリアから声をかければ、それだけでひどく喜ぶ。
存在を無視してお茶を飲んでいれば、アルベルトは無言でロゼリアのことを蕩けるように甘い眼差しで見つめるだけだ。
最初こそ視線を鬱陶しいと思っていたが、この数日間ですっかり気にならなくなるくらいには、アルベルトの視線に慣れてしまった。
「それで、ロゼリアは一体どんな魔法を使うのです?」
「そうね……とりあえずは、使い魔の召喚かしら」
「つかいま」
ロゼリアの言葉に聞き慣れないのだろう、アルベルトはオウム返しに呟き、首を傾げる。
さらりと動くダークブルーの髪は、日光にあたりきらきらと輝きを持っていた。
「魔族にとって、使い魔がいるものは珍しくないわ。人族にもわかりやすく言うと、強いものには必ず付き従うものがいるのよ。主従関係っていうやつね。あなたと、ここの壁の外に隠れてる人族のようなものかしら」
ロゼリアの言葉に、アルベルトは「なるほど!」と答えながらも、離れた位置に見える壁を睨みつける。
壁の向こう側に何人も人族がいることは、アルベルトも知っていた。
しかしそれをロゼリアに指摘されることで、まるで遠回しに“二人きりではない”と言われたようで、少し腹が立ったのだ。
皇族とその婚約者の出先に、護衛がいないことなどありえないと、わかっているのに。
「その使い魔というのは、どのような方なのです?」
「悪魔よ」
「あくま」
アルベルトの思い浮かべる悪魔といえば、人族が面白おかしく物語で書き綴るようなものである。
全身黒っぽくて、目が赤くて、尖った耳、鋭い牙、頭からは角が生えていて、骨ばった翼と、矢印のような形の尻尾を持ち、妖しげな笑い方をしては人をたぶらかそうとする悪しきもの──。
そこまで考えて、アルベルトは小さく首を横に振った。
そういって、魔族であるロゼリアと初めて出会った時に想像は簡単に裏切られたではないか。
少なくとも想像していた魔族の女は二目と見れない醜い姿で、しかし実際のロゼリアはこの世のものとは思えぬほどに誰よりも何よりも美しかった。
「……いったい、それは、どんな?」
アルベルトの問いに、ロゼリアがにぃ、と口元に笑みを浮かべた。
まるで人を嘲るような、見下すような、妖しげで不敵な笑み。
ロゼリアのその表情に、アルベルトは丸く目を見開いた。
だって、ロゼリアが、アルベルトの前で──初めて、笑ったのだ。
「見せてあげる」
笑みをたたえたまま、ロゼリアがとん、と軽く地面を蹴る。
するとロゼリアの足元に出来ていた影がするする伸び、影の中から、まるで水面から何かが浮き上がってきたかのような波紋を広げ、なにかが姿を現した。
アルベルトが目を丸くしたままその光景を見つめていると、影の中から現れたなにかがその場に膝をつく。
影の波紋が消えたかと思えば、そこには、黒い執事服を身にまとった男がいた。
男の髪は黒く、赤い瞳を持っているため、彼がロゼリアの言う“使い魔”──悪魔なのだろう。
しかし想像していたような角や尻尾は見当たらない。
むしろ、恐ろしいまでに整った容姿をしている。
「紹介するわ。私の使い魔、クロードよ」
悪魔の名前はクロードというらしい。
ロゼリアに名前を呼ばれあげられた顔は、名前を呼ばれるのが心底嬉しいのか、うっとり、と言った様子だ。
そんなクロードの姿を見ていたアルベルトは僅かに顔を歪めると、ちっ、と舌を打った。
「この子は元々は私の命を狙っていんだけど……返り討ちにしたら懐いちゃって。それで使い魔にしたのよ。ちょうど使い魔も欲しかったし」
魔族にとって、使い魔は便利な道具と何ら変わらない。
人族の貴族たちが、使用人を道具扱いしているようなものだ。
アルベルトも、使用人たちは等しく“便利なもの”と思う節がある。
貴族の中には「使用人は道具なんかじゃない!皆同じように生きているのだから!」と訴える物好きもいるが、所詮はただの綺麗事だ。
だからといって折檻を与えるわけでもないし、最低限の人としての権利は国によって保証されているので問題はないだろう。
使用人に意図的に暴力を振るった場合は、例え上級貴族であろうと罪に問われるのだ。
「道具……ですか」
「ええ。そうよ」
「それはそれは……。さぞ、ロゼリアのお役に立っているのでしょうね……殺してやりたいくらいに」
ロゼリアに対してはにっこりと微笑むアルベルト。
しかしクロードに対しては、まるで不潔なものを見ているかのような、冷ややかなものだ。
クロードもまたロゼリアにはうっとりとした眼差しを向けているが、それがアルベルトとなると、途端に熱を失い、射殺さんばかりに鋭い視線を向ける。
どうやらアルベルトもクロードも、心底互いのことが気に入らないらしい。
彼らの根本は、同じだ。
“ロゼリアのため”。ただ、それだけ。
自分が一番ロゼリアのためになると思っているからこそ、互いのことが気に入らないのだ。
クロードはロゼリアのためなら何だって出来る。
それが自分を使い魔として、例え道具だとしても、そばに置いてくれるロゼリアに、少しでも恩を返したいから。
もともと魔族は、一度この人だと決めた相手には、何があっても付き従う、執着しがちな一族だ。
それが敬意によるものであっても、愛情によるものであっても、変わることは無い。
アルベルトはロゼリアのためなら何だってしてあげたいと思う。
婚約者として──ロゼリアを愛するものとして。
出会ってからの期間はたった数週間と短いけれど、それでも、アルベルトにとって、ロゼリアは唯一の女性だ。
今まで人であっても物であっても動物であっても、これほどまでに心惹かれたものはない。
今までの婚約者候補たちと過ごした時間を、今すぐにでも取り返したいくらいだ。
きっと今まで誰にも何も感じなかったのは、全ての想いを、愛を、ロゼリアだけに伝えるためなのだと思う。
「人族ごときが、我に勝るとでも思っているのか。随分と下に見られたものだな」
「道具ごときが、ロゼリアに便利だと言われた程度で調子に乗るなよ。殺すぞ」
にっこりと笑いながら、しかしギスギスとした言葉の応酬。
ロゼリアに対しては決して見せない、今にも相手を殺してしまいそうなアルベルトに、ロゼリアは「ふぅん……」と小さく呟いた。