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この国で最も上手く演奏するとされる音楽団が奏でるメロディを背景に、参加者である貴族たちは思い思いに酒を手に取り、食事をし、会話を弾ませていた。
皇族主催のパーティーに招待された、という事実だけでも誇り高きことだ。
皇族もいるからと、普段口にするものより高品質な飲食物に、貴族たちの言葉を発する舌もよく動く。
しかも今日のパーティーには、めったに社交界に顔を見せることのない第三皇子も参加するというのだ。
第三皇子に婚約者が出来た、というのはこの国では有名な話である。
国同士の結びつきのためにと報じられているものの、婚約者についての詳細は全く回ってこなかった。
皇子の婚約者なのだから、その身分も、容姿も、国民たちが嫌を唱えることなど不敬にあたるからだ。
例えどんな女性であろうと、皇子の婚約者はいずれの皇族となるのだから。
それでも、果たしてその女性がどんな人物なのだろうと憶測を立てるものは少なくない。
今日のパーティーに皇子が参加するとなれば、その正体不明の婚約者も参加するということ。
国同士の結びつきのため──ということは、その婚約者がいずれ正妻になるとしても、愛妾になれる可能性は充分あるということだ。
それにそうそうに気づいた貴族たちの思惑なのだろう、このパーティーにはうら若き女性がいつも以上に着飾り、いつも以上に参加していた。
貴族間でも、正妻以外の愛人がいるのは当たり前になっていることだ。
家のために書類上は正式な夫婦として、しかし実際は互いに全く別の異性を想う……というのは珍しくもなんともない。
それは貴族だけではなく皇族にも当然ながら通用することであり、実際、現皇帝にも皇后以外の愛人が数人いるし、次期皇帝でもある第一皇子もまた然り。
つまり、国のために婚約した第三皇子が、全く別の誰かを愛する可能性は充分にあるのだ。
だからこそこのパーティーには多くの女性が参加し、その中には、かつての第三皇子の婚約者候補たちもいた。
元婚約者候補同士で表面上こそ穏やかに言葉を交わしているが、そこにあるのは建前と遠回しの嫌味である。
彼女たちは信じて疑っていなかったのだ。
自分こそが、アルベルト様の婚約者になるのだ、と。
それがまさか、一応は顔の知っている婚約者候補たちではなく、全く無関係のものが正式な婚約者になるのだとは思いもよらなかったが。
──ちなみに元婚約者候補たちの中に、以前、婚約者の住まう後宮へと侵入した令嬢の姿はない。
近衛兵たちに捕えられた後、迅速に適切な罪に問われ処罰されたからだ。
パーティーが始まって、しばらく。
ざわめきが、少しずつ小さくなっていく。
それに気がついた元婚約者候補たちも口を閉ざし、会場をゆったりと見渡し、状況を確認した。
すぐに一部の貴族たちがある一方に視線を向けており、つられて視線の先を探す。
人に紛れて分かりづらいが、一目でわかった。
そこにいるのが、第三皇子のアルベルトなのだと。
元婚約者候補たちにとって、アルベルトはいずれ夫となる人だと信じてやまなかったのだ。見間違えるはずもない。
つまり、彼の隣にいる、時折見える赤色のドレスを纏う人物こそ──“第三皇子の婚約者”という立場を奪った者なのだろう。
「──まあ」
誰かが言葉を漏らした。
それはすぐに伝染し、貴族たちはヒソヒソと言葉を交わし始める。
元婚約者候補たちは訝しむように眉をひそめ、そしてすぐに理解した。
「魔族……っ!」
人の波がさけ、婚約者の姿が見える。
赤と黒のドレスを身に纏ったその女性は──誰もが、ひっ、と息を飲むような、黒と赤の女だった。
長くのびた黒い髪は歩く度に左右に揺れ。
血のように恐ろしく赤い瞳が、つまらなさそうに周囲を見やる。
彼女が歩く度に、思わずと言った様子で、誰もが後ずさった。
いつからか小さな言葉すらもすっかりなくなり、音楽団の奏でるメロディ以外の音が消えていた。
皇族主催のパーティーで、音楽以外のまともな音が聞こえないなんて、異常なことである。
「──随分と、つまらないのね」
だからこそ、その声はよく響いた。
メロディは会話の妨げにならないよう、それほど大きなものではない。
耳を打つ凛とした声は、ぞくりと背筋を震わす程に、冷ややかに聞こえた。
「実にわかりやすい反応だわ。これだから人族は……」
誰がどう見ても、この場の全員が彼女に怯えている。
それがわかるからこそ不快なのか、彼女の、ロゼリアの眉間は僅かに寄せられている。
「ええ、全く失礼な連中ですね。──どうやら私の選んだ婚約者が、随分と気に入らないらしい」
そう、ロゼリアは魔族だ。
けれど──同時に、アルベルトの婚約者でもある。
番の契約は果たしていないため、魔族からすれば正式なパートナーではないものの、人族からすれば正式な婚約者だ。
アルベルトの言葉に、誰もが顔を青ざめさせた。
彼は今はっきりと、“自分が選んだ”と告げたのだ。
つまりアルベルトが望んでロゼリアを婚約者にしたということであり、それは同時に、その貴族たちの反応を咎めるものとなる。
より正確に言うのならば、アルベルトとロゼリアが婚約者として顔を合わせたのは、互いの親が勝手に決めたことなのだが──この場にいる貴族たちはそれを知らないので、アルベルトの言葉がそのまま真実となる。
ロゼリアが嘘をつけ、と言わんばかりの視線を向けるものの、アルベルトは気にしていないのか、その視線を受けてにっこりと微笑む。
ロゼリアにとっては当たり前の、蕩けんばかりの甘ったるい表情。
「──っ」
しかし、それはロゼリアにとって、というだけであり、それ以外の者にとっては、全く当たり前ではない。
元婚約者候補たちは。
物心着く前には、両親に連れられ、アルベルトの元を訪れていた。
婚約者候補たち全員で訪れたこともあるし、個別に時間を設けられ、二人きりで過ごしたことも少なくはない。
けれど。
どんな時でも。
彼の表情が、変わることはついぞなかった。
この世の全てに興味が無い、と言わんばかりの無表情。
時々変わる表情といえば、不愉快そうに顰められる眉と、射殺さんばかりの冷ややかな眼差しくらい。
彼が比較的穏やかになるのは、近衛兵たちに囲まれている時くらいで──その時でさえ、笑っていたことなどないのだ。
そんな彼が、見たこともない笑顔を、向けている。
元婚約者候補たちの胸中に浮き上がるのは、実に様々な感情であった。
なんで?
どうして?
あの表情は何?
自分は向けられたことがないのに?
次いで彼女たちの胸中に広がる感情も、また、様々であった。
あのような表情をされるのならば、仕方がないと諦める者。
自分は向けられたことがないのにと、悔しむ者。
実はあのお二人はお似合いなのでは、と微笑ましく思う者。
そして──どうしてあんな女が!と憎悪を抱く者。
「──ああ、本当。人族って、わかりやすいわね」
「ええ、全く……」
ロゼリアの言葉に、アルベルトが頷く。
憎々しげにロゼリアを睨みつける、元婚約者候補の女たち。
その表情に、アルベルトやロゼリアが──そしてアルベルトを敬愛する、近衛兵たちが気が付かないはずがないのだ。