14
すっかり過ごし慣れたロゼリアの後宮には、まだロゼリアがまともに訪室していない部屋もいくつかある。
いつものように食事を終えたロゼリアは、アルベルトにより、初めて足を踏み入れる部屋へと訪れていた。
にこにこと笑顔を浮かべるアルベルトが、近衛兵たちの動きを制して自ら扉に手をかける。
扉の開閉などは近衛兵が行い、室内の安全を確認してから入室するべきなのだが──ロゼリアはもちろん、アルベルトも常人よりもはるかに戦えるため、アルベルトが先に入室しても問題は無い。
「……何、これ」
しっかりと手入れが行き届いているのだろう、蝶番は音を立てることもなく、静かで軽やかに扉が開かれる。
アルベルトに促されるまま入室したロゼリアの目に飛び込んできたのは、いつかのメインルームを彷彿とさせる、所狭しと用意されたドレスやアクセサリーの数々だった。
「実は、今度パーティーが催されるのですが、そこに私とロゼも参加することになってしまいまして……。本当はそんなものに時間を使いたくはないのですが、どうせならこの機会に私のロゼの美しさを見せびらかしてやろうかと」
ロゼリアがこの国に来てそれなりの月日が経過しているが、ロゼリアは限られた極一部の人族としか関わりをもっていない。
皇族の婚約者として気軽に会える相手ではないし、後宮から出る時といえば、アルベルトと共にクロードの背に乗り散歩に行くくらい。
数がそれほど多くはない近衛兵たちや世話役の侍女たちは、すっかり顔を覚えてしまうほどに代わり映えのしない面々だ。
「ふぅん。人族は面倒なことをするものなのね」
魔族の中にもパーティーと呼ばれる集まりはある。
といっても、人族とは違いわざわざ着飾ったりしないし、腹の探り合い等することもない。
酒を飲んで料理を食べて、歌って踊って時々殴り合い、それから魔法による乱闘騒ぎになって、満足したら解散……というなんとも自由なものだ。
寿命が長いからこそ魔族は娯楽に飢えているし、手っ取り早く解決するのが酒と魔法なのだ、仕方あるまい。
「ここにあるドレスは、すべて最高品質のものです。きっとロゼに良く似合う……。お好きなものをお選びください、採寸をして、仕立てあげましょう」
「採寸なんてしなくても魔法で直せばいいじゃない」
「……申し訳ありません、私はそれほど魔法を、使いこなせていないので」
ロゼリアの不思議そうな言葉に、アルベルトはしゅん、と肩を落として答える。
なるほど、人族はわざわざ身体のサイズを測り、それにより衣装の手直しをしなければならないらしい。
実に面倒で、手間もかかるであろう。
「まあ、いいわ。興味ないから、アルが選んでちょうだい」
「えっ」
まさかそう言われるとは思っていなかったのか、興味無さそうにロゼリアは腰を下ろす。
部屋の中央に置いてあるソファまでは距離があるが、ロゼリアは空中に、まるで座り心地の良い椅子があるかのように腰掛け、背もたれに背を預けるように、身体を僅かに倒した。
「……期待してるわよ?」
「はっ、はい!」
困った、と言わんばかりの表情を浮かべるアルベルトに。
ロゼリアが口角を持ち上げて話しかければ、顔を真っ赤に染め上げたアルベルトが、取れてしまうのではと心配しそうなほど勢いよく首を上下させる。
それから部屋に用意された数え切れないほどのドレスに、そっと手を伸ばした。
「ああ、私の選んだドレスを、ロゼが身につけてくださるなんて……!とても、とてもお似合いです。さすがは私のロゼ!」
うっとりと目を細め、どこか恍惚とした表情を浮かべるアルベルト。
結局彼が選んだのは、赤いイブニングドレスだった。
赤を基調とした、僅かに光沢のある生地。
首元はホルスターネックになっていて、首の後ろに回る生地は黒いレースになっていた。
胸の少し下でドレスを絞るリボンは黒く、裾に向かうにつれ、徐々に赤から黒へのグラデーションになっている。
細身のシルエットは、その色合いもあってか、ロゼリアを大人びてみせた──もちろん、彼女は人族でいえばかなりの年齢なのだが、見た目はまだ幼さの残る子どもなのだ。
「あなた、本当に私のこと好きなのね……」
「もちろんです!」
しみじみと呟くロゼリアに、アルベルトは胸を張って答えた。
そのドレスの色味には、十分すぎるほど覚えがあった。
当然だ。
黒も、赤も。
等しくロゼリアの色であるのだから。
黒い髪に、赤い瞳。
特に、魔族特有の赤い瞳は、実に特徴的で。
赤や黒を好むものもいる一方で、忌むべき色だと声を荒らげるものも、少なからず存在する。
だからこそ黒い髪に、赤い瞳を持つ魔族が、赤と黒のドレスを身にまとったら──まず間違いなく注目される。
もともとロゼリアは、“アルベルトの婚約者”として注目を集めているのだ。
さらにそれが顕著になるだけである。
「本当に……よく、お似合いです」
いっそ胸焼けがしそうなほどの甘ったるい表情と、溜息をついてしまいそうなほどの柔らかい声。
アルベルトがロゼリアの姿に喜んでいるのは間違いないようだ。
わずかに赤く染まったその頬も。
うっとりと細められた瞳も。
ゆるゆると隠しきれず持ち上がる口角も。
その全てが向けられる存在が自分だけであることに、少しだけ、愉悦を覚えてしまう。
──ああ、認めよう。
きっと自分は、彼に、少しずつ惹かれ始めている。
きっかけは、どこにでも転がっていた。
一度自覚してしまえば、受け入れてしまえば、すとん、と心の中にしっかり住み着いて。
絆されてしまうのも、気を許しているしまうのも、彼に堕ちてしまうのも。
思った以上に、ずっと早かった。
けれどその感情を嫌だと思えないのは紛れもない事実。
ふ、と息を吐くロゼリア。
アルベルトは惜しむことなくロゼリアへの賛辞をつらつらと並べていたが、その吐息に気づき、ふと言葉を止めた。
「ロゼ……?」
「……なんでもないわ。人族の男は、女をエスコートするのでしょう?任せたわよ」
「……はい!」
けれど。
素直にそれを認めるのは、少しだけ悔しいから。
もう少しだけ彼には隠しておこうと、恭しく差し出されたアルベルトの手を取り、ロゼリアは決める。
今の今まで誰に心惹かれることもなかったのに。
あっさりと自分を陥落させてしまったアルベルトへの、ちょっとした意趣返しだ。
ただ、次、彼に真剣な眼差しで「私を番にしてください」と言われたら、迷いなく頷いてしまいそうだから気をつけなければ。
「ロゼ……愛していますよ」
でも、彼の愛を受け取るくらいは、問題ないだろう。
すっかり聞き慣れたアルベルトの言葉に、ロゼリアはふふっと笑みを漏らした。