11
木々の向こうに、近衛兵たちがいる気配はずっと感じていた。
紅茶を口に含むと、ロゼリアはクスクスと楽しそうに笑う。
「騒がしいわね」
近衛兵たちと“誰か”がもめているのが聞こえている。
アルベルトは眉を寄せると、大きく溜息を吐く。
視線をロゼリアからその後ろへと向けると、再び溜息を吐いた。
「止めてきましょうか。これだけ騒がしいと……ロゼの声が聞こえない」
お引取りを、という近衛兵の声が聞こえる。
おそらく、誰かがアルベルトへの目通りをしようというのだろう。
アルベルトとロゼリアの二人きりという、貴重な時間を潰すために。
「そうね……どうやら女のようだけれど。ここの侍女たちではないわね」
「……なるほど」
ここはアルベルトの伴侶となるものの──つまり、ロゼリアのための後宮である。
ここにいる女は皆、ロゼリアの世話をするために配属された侍女たちのみだ。
ロゼリアは基本的な身支度などは自分で済ませてしまうため、侍女たちの数は随分と少ない。
その少ない人数の侍女についてはロゼリアも把握しており、ここの侍女たちではないということは──ただの、侵入者である。
すっと目を細めるアルベルトは、普段のロゼリアに向ける甘ったるくだらしのない表情を消すと、苛立ちの混じった眼差しで睨みつけた。
鋭い視線が向けられたのはロゼリアの背後だが──まるで、ロゼリアが睨まれているかのようなソレに、思わずロゼリアはぞくりと背筋を震わせる。
それは恐怖であったり怯えであったり、というものではなく、どちらかといえば好ましいものだ。
魔族にとって、強さは何においても優先すべき重要な項目である。
ロゼリアもアルベルトのことを人族として気に入っているとはいえ、彼が多少なりとも強さを見せなければ、惹かれることなどなかっただろう。
魔族は、圧倒的弱者に惹かれることはないのだ。
強者と弱者が惹かれ合うのは、“運命の番”である場合のみ。
運命の番にはふたつのパターンがあり、ひとつめは、一目見た瞬間に互いに運命を感じるパターン。
ふたつめは、最初は互いに運命を感じることはなく、しばらく共に過ごすうちにこの人が運命なのだと気がつくパターン。
ロゼリアはアルベルトを一目見た時から運命というものは感じなかったため、もしも二人が運命の番なのだとすると、後者に当てはまるだろう。
あるいは運命の番などではなく、ただ義務的に──アルベルトは本気だろうが──時間を過ごすのかもしれない。
「ロゼとの時間を邪魔するなんて……」
言葉にははっきりと出ないものの、その目は苛立ちを孕んでおり、言外に“どう落とし前をつけてくれよう”と告げているように思えた。
ロゼリアはふっと口角を持ち上げ、紅茶に口をつける。
そして肩口まで左手を持ち上げると、ぱちん、と 指を鳴らした。
次の瞬間──木々の向こうから、ぎゃあ!と悲鳴があがる。
それは女の声であり、聞きなれた近衛兵のものではなかった。
「ロゼ……?一体、何を」
「少し黙らせただけよ。うるさいんだもの」
アルベルトには、はっきりとした声は聞こえていなかった。
しかしロゼリアは魔族。
人族の自分には聞こえないものでさえ、聞き取ることが出来たのかもしれない。
ぱちぱちと大きな目を瞬かせるアルベルトには、ロゼリアが何をしたのか、全く理解出来なかった。
一方──令嬢に怒鳴り散らされている近衛兵たちは、さっさとこの場から離れろと要求する内容を令嬢に伝えつつ、ちらちらと背後を気にしていた。
敬愛するアルベルトは、懐に入れた味方には優しさを垣間見せる。
だから近衛兵たちには理不尽な要求をすることもないし、どこかの貴族のように、兵士だからという理由だけで奴隷のような扱いをすることもない。
その反面、敵と判断したものには非常に冷血だ。
元々その毛はあったものの、ロゼリアと出会いロゼリアを愛するようになってからは、ますますその傾向は強まっていた。
特に許そうとしないのが、ロゼリアに敵意を抱くものと、ロゼリアとの時間を理由なく邪魔するもの。
つまりは、今こうしてロゼリアとの時間を無意味に邪魔しようとしているこの令嬢は、とても危険なのだ。
アルベルトとロゼリアの睦まじさを目にすることで癒しを得ている近衛兵たちにとっては、はっきり言ってしまえば、この令嬢かどうなろうと知ったことではない。
近衛兵たちは何度もアルベルトの命によりこの先に通すことは出来ないと伝えているのだ。
アルベルトの、皇族の命を無視したと判断されれば、どの道無事では済まされない。
例えそれがこの国の貴族であっても、貴族ひとりの無事と皇族の命令、どちらを優先するかは火を見るより明らかだ。
「いい加減に……っ」
あまり騒ぎを大きくしたくはない。
それはこの場にいる近衛兵たちの共通の認識だ。
もし騒ぎを大きくすれば、その分アルベルトの手を煩わせることになる。
近衛の失態は、そのまま主人の評価に繋がる。
自分たちのせいでアルベルトの評価が下がるのは、大変好ましくない。
なにより騒ぎを大きくして、アルベルトとロゼリアの時間を邪魔したくないのだ。
ロゼリアがこの騒ぎを不快だと言えば、きっとアルベルトはこの場を収めるために姿を現す。
自分たちのせいで敬愛するアルベルトの、愛する女性とのひと時を邪魔したとあれば、いっそ死んでしまいたいくらいの失態だ。
だから。
つい令嬢に掴みかかろうとした近衛兵のひとりを、止めるものはいなかった。
令嬢は、まさか兵士が貴族に歯向かうとは思っていなかったのだろう、驚いたように目を見開いている。
そして悲鳴をあげようとしているのか口を開き──ぎゃあ!と予想していたより野太い、不意をつかれたような悲鳴が上がった。
否、実際に不意をつかれたのだ。
近衛兵が掴みかかるより前に、令嬢を襲った、正体不明の衝撃に。
突き飛ばされたように地面に崩れこんだ令嬢は、一体何が起きたか理解していないのだろう。
目を白黒させるのは令嬢だけではなく、その様子を見ていた近衛兵たちもである。
まるで人智を超えた何かが働いたような──そこまで考えて、はっと気がつく。
ここにはふたり、いるではないか。
人知を超える“何か”を使える方々が。
「何をしたんですか?」
不思議そうに首を傾げ──しかし、全く木々の向こう側を心配する素振りを見せないアルベルト。
ロゼリアはふふっと微笑み、お茶請けである焼き菓子をつまみあげた。
「風魔法をぶつけただけよ。一応力加減はしておいたから、怪我はしていないはず」
「ロゼ……侵入者にまでお心を砕くだなんて、なんて心の広い!ロゼの後宮に侵入したんだ、極刑でもいいくらいですよ」
それは少しやりすぎではないだろうか。
この国の極刑は皇族殺しが起きた場合に適用されるのだ。
ロゼリアは正確には皇族ではないし、どれだけアルベルトがロゼリアを想っていても、適用されることはないだろう。
うっとりと目を細めるアルベルトに、ロゼリアもまた目を細める。
「アルベルト様、ロゼリア様!誠に、申し訳ありません!」
二人のもとに、近衛兵たちが慌てた様子で駆け寄る。
近衛兵の人数が少ないので、その面々は令嬢を連行しているのだろう。
申し訳なさそうに、深く頭をさげる近衛兵たち。
「構わない。お前達のせいではないだろう、引き続き頼んだ」
「っはい!」
アルベルトの言葉に、近衛兵たちは震える声で大きな返事をする。
──ああ!なんて寛大な我が君!
心の中で歓喜に震え、そして生涯彼らにお仕えしよう、と、何度目かの誓いを心に立てた。