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アルベルトとロゼリアが、互いのことを「アル」「ロゼ」と呼び合うのにもすっかり慣れた頃。
二人きりでお茶を楽しむのが日課になりつつあり、今日もまた、ロゼリアとアルベルトはお茶を楽しんでいた。
お茶が用意されたのは、アルベルトがいずれ側室や正室を持った時のためにと建てられた後宮の一角。
ちなみに後宮には、当然ながらロゼリアしか住んでいない。
皇族は正室は一人と決まっているものの、側室は何人持っても問題にはならないのだ。
過去には百を超える側室を持つ皇族もいたらしい。
アルベルトはロゼリア以外を伴侶に迎えるつもりは微塵もないため、必然的に後宮の主はロゼリアとなる。
が、ロゼリアは基本的に自室から出て動き回るということがないため、自身の住まいでありながら、後宮についてはほとんど把握していなかった。
もちろん後宮にはロゼリア専属の侍女たちがいるため──基本的にロゼリアは身支度などを自分で済ませるため、直接的な関わりは少ないが──彼女たちに尋ねれば、きちんと答えが返ってくるのだが。
後宮にはより美しく見えるようきちんと整えられた庭が設けられており、ロゼリアとアルベルトはよく庭でお茶会を行っていた。
二人きりの、といっても、アルベルトたちの視界に入らないよう隠れている近衛兵たちがいるため、正確には二人きりというわけではないのだが。
近衛兵たちは城に勤める兵士たちの中でも、選ばれし者のみがその名を名乗ることが出来る。
そのため彼らは実に優秀で──主人を愛するあまり多少暴走気味なところを除けばだが──己の気配を絶つことは当然可能だ。
場合によっては主人を狙う不届き者を暗殺する、という可能性も有り得るため、必須のスキルなのである。
「今日も視線を感じるわねぇ」
「……昨日とは別の者たちです。またダメですね」
本来であればその気配の絶ち方は完璧で、おそらくその場にいるということすら把握されないだろう。
しかし彼らが近衛を勤めるのは、人族では稀な魔力持ちであるアルベルトと、魔族のロゼリア。
彼らにとって近衛兵たちのソレは、一般人より多少気配が薄いかな、という程度のものなのである。
「少なくとも、ロゼと式を挙げるまでには気配の絶ち方を覚えてもらわなければ。夫婦の生活に、彼らの気配は邪魔ですからね。私はロゼと二人きりで過ごしたい」
「……そんなことを言って。彼らのこと、気に入っているじゃない。しっかり名前を覚えているのが良い証拠だわ」
くすくすと笑みを混じえるロゼリアの言葉に、アルベルトはバツが悪そうに視線を逸らす。
ロゼリアの言う通り、アルベルトにとって自身を主人だと慕ってくれる近衛兵たちは、信頼に足る部下たちなのだ。
信頼しているからこそ、顔や名前をしっかり覚え、時にはアルベルトから声をかけることもある。
基本的に格下のものが格上の者に声をかけることは不敬とされているので、近衛兵たちから緊急時以外に声をかけることは有り得ないのだが。
「クロードに聞いたけれど、人族のお偉い方は、部下の名前をまともに覚えることもないそうよ?」
「……確かに、近衛の名前を覚える者は少ないでしょうね。私も、普通の皇子であればあるいは覚えていなかったかもしれません」
アルベルトは生まれながらにして魔力持ちであるために、決して“普通”ではないのだ。
もしも魔力がなければ。
今のアルベルトの近衛兵たちは、はたしてアルベルトの近衛兵としてそばにいてくれただろうか?
「あら、面白いことを言うのね。私からすれば、あなた程度の魔力持ちなんてそこらじゅうに転がっているわよ」
人族にとっては限りなく高い魔力とされても、魔族の中でのアルベルトのソレは、決して多いというわけではない。
だからといって少ない、というわけでもないが。
少なくとも魔族の中でも高い魔力持ちが周囲にいる環境に慣れているロゼリアからすれば、アルベルトの魔力など赤子のように可愛らしいものである。
お茶を淹れるのが得意だという近衛兵の一人が用意した紅茶に口をつけ、ロゼリアは小さく笑う。
人族にとっては普通ではないアルベルトも──ロゼリアの前では、普通でいられる。
その事があまりに心地よくて、思わず呟いた「ロゼ……」という名前は、はちみつよりも砂糖菓子よりも、甘ったるく感じた。
うっとりと目を細めるアルベルトに、ロゼリアもまた、満足そうに口元に弧を描く。
互いを見つめ合う二人に、ほう、と息を吐いてこっそりと眺める近衛兵たち。
まるで二人の背景に、キラキラと光が舞っているかのように美しい光景だ。
しっかりと目に焼き付けている最中。
全員が、弾かれたように振り返った。
そして常に腰にぶら下げている剣の柄に手をかける。
ジロリとその先を見つめる表情は、先程までアルベルトとロゼリアを見つめていた時のだらしないものとは似ても似つかなかった。
「何用だ。これより先は、我が君の命により、何人たりとも通しはせん」
彼らは非常に忠実だ。
アルベルトに対する忠誠心は、この国随一だろう。
だからこそ、アルベルトと愛する婚約者との二人きりの時間を、他の誰かに邪魔させるわけにはいかない。
近衛兵たちの睨む先。
ゆっくりと姿を現したのは、顔色の悪い後宮の侍女であった。
彼女はロゼリアの侍女でもあり、彼女の居室に着替えを運んだり、食事を運んだりと給仕を任されることも多い女性だ。
侍女は普段からアルベルトとロゼリアの仲睦まじさを目の当たりにすることも多く、アルベルトがロゼリアとの時間を大切にしていることをよくよく理解しているはずだ。
そんな彼女が、理由もなく、アルベルトとロゼリアの時間を邪魔するとは思えない。
訝しむように眉を寄せる近衛兵。
しかし、彼女がここに現れた理由も、顔色が悪い理由も、すぐに理解出来た。
「関係ないわ。わたくしが会いに来たのだから、アルベルト様もお通しくださるはずよ。さ、早くおどきなさい」
侍女の後ろから、ゆったりとしたドレスをひるがえし現れたのは、近衛兵たちも何度か見かけたことのある顔であった。
アルベルトの前では常に猫をかぶり、侍女や近衛兵たちの前では横暴に振る舞う──ベルディア皇国の貴族。
彼女は、かつてアルベルトの婚約者候補であった貴族令嬢だ。
しかしまるで自分がアルベルトの婚約者であると言わんばかりの立ち振る舞いに、侍女も近衛兵たちも、密かに毛嫌いしていた人物でもある。
「我が君は、婚約者様との貴重なお時間を過ごされていらっしゃいます。お引取りを」
近衛兵の言葉に、令嬢の顔が不愉快そうに歪む。
兵士の中には平民出身者も多く、貴族たちは兵士や近衛兵たちを見下す傾向にあった。
令嬢もその一人なのだろう。
淡々と言葉を返す近衛兵に、苛立たし気な表情を隠しもしない。
「たかが兵士風情が!このわたくしの命令が聞けないと言うの!?どけと言っているのよ!」
普通の兵士であれば、中には令嬢の言う通り、この先に通してしまうかもしれない。
しかし彼らはアルベルト専属の皇族近衛兵。
彼らにとって優先すべきは主の命令であり、たかが貴族令嬢の命令ではないのだ。
「お引取りを」
ぎろりと見下す近衛兵は、体格もよく、目つきも鋭い。
反射的に肩を震わせる令嬢に、近衛兵たちは三度「お引取りを」と告げた。