エピソード2
「それは、アニメを見ながら寝るってことですか?」
「あー、違う違う!それじゃ、かよが存在しない世界だよ!?」
それもそうだ。まぁ、推しのアニメを見ることは“見たい夢に関連する音声”だから、もしかしたら夢に推しが出てくるかもしれないが。
すると、先輩は何かを決心したような表情で私に向き直った。
「かよ、言うね、いいかい?」
「は、はい」
「えっと、ダミーヘッドマイクって知ってる?」
「…だみー、へっど、まいく?」
先輩は「やっぱ知らないよな、そうだよな…。」とひとりごとより小さな声でポツリと呟き、少しの間を置いて歩き出した。
「先輩、どこ行くんですか」
と呼びかけると、無言で何かを指さした。その先には『女性向けドラマCD&シチュエーションCD』と書かれたポップがあった。
「これは夢女子のかよにはあんま教えたくなかったんだけど…、まずは優しいやつから聞けば抵抗感なく入れるかな…。過激じゃないやつ、入門編みたいなやつはどれだろう。」
「ちちちちょっと待ってください、なんですかこれ。」
先輩が手に持っているCDは、彼女がいつも買っているアニメのドラマCDとは明らかに違っている“ソレ”は、単純に表現すると、男性イケメンキャラのイラストが描かれたものだ。
“ソレ”とスマホを、目線が慌ただしく行ったり来たりしているまきちゃん先輩を見つめながら、なんとか言葉を紡ぎだす。
「あの、なにをしているんです、か。」
「あー、“コレ”聴いた感想とか、レビューとか見てるだけ。最初は生ぬるいやつから入らないとダメかなって思って。」
「そ、そうではなく、“コレ”はなんですか?ほとんど18歳以上推奨って書いてますけど大丈夫なんですか?!」
「“コレ”はシチュエーションCD、今探してるのは、細かいジャンルで言えば乙女向けドラマCD。だからそんな心配そうな顔しなくても大丈夫だから。」
そう言うと、先輩はそのドラマCDを持ったままレジに向かったので、慌てて引き留めると「いや、これ前から気になってたシリーズで、欲しかったから買うだけ」と言われてしまった。まきちゃん先輩はいつもこうなのだ。
店を出るともう夕方で、お腹が空く時間だったので「ご飯行きますか?」と聞いてみたが、先輩は首を縦に振らなかった。
「そうだ、忘れないうちに、はいコレ。」
渡されたのは、さっき買ったばかりのドラマCD。
「いや、だめです、こんなに高いものはいただけません!」
「そこまで高くないと思うけど。てか違うから、貸してあげるってこと。」
先輩はこういう人なのだ。優しすぎるというか、太っ腹というか…。きっとご飯の誘いを断ったのも、余計な事をして推しの夢を見る妨げにならないようにするためだ。
「推しが出てきたら教えてね、私も試したいから。」
「もちろんです、すぐに伝えますね!」
夜、教わった通りにイヤホンで推しの声、正確には推しの声優の声を聞いた。このようなドラマCDはダミーヘッドマイクという特殊なマイクで録られた音声で、まるでその場に居るかのように聞こえるものらしい。実際、すごかった。選んでくれたCDに出てくるキャラクターが私の推しキャラの喋り方と性格に近かったので、かなり臨場感があり、この音声を聞いているだけでもう幸せだった。結局、脳内では推しの顔を想像しているわけだし。
そうか、先輩が最近SNSでやたらとつぶやいた“非リアでも、家に帰って部屋で目を閉じればリア充”発言ってこのことだったのか。
目が覚めると、部屋のベッドに横たわっていた。自分がいつベッドに来たのか、全く覚えていない。それでもブラインドの隙間から漏れる白い光は、いつも目にする朝陽であると感覚的に分かった。まだ眠い。それに今日は土曜日だ。
机に目線を移すと、見慣れないCDがあった。そうだ、昨日先輩に借りたCDだ。推しのCVが演じていて、すぐ隣から声がして驚いた。
ここでやっと大事なことに気づいた。私の頭は言うことを聞いてくれない。
――― 夢を見た記憶が少しもない。
まあ、こんな日もあるだろう。とりあえず1週間、毎日続ければいつかはきっと推しに会えるはずだ。焦ることはない。