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第5話「売国奴の盾」~お前がセカイを憎むなら~

フランコ暗殺に失敗したマリアは孤島青戸島を原爆で消し去り、日本政府にフランコの引き渡しを要求する。

一方シェルターではフランコ父子の秘密が明らかになり、フランコはクローンに殺害される。

国立競技場でのマルコとマリアの対決が迫る。


いよいよ最終第5話、ファイナル!

今週は最終回記念で2回分掲載しますので読み逃しなく!

 シェルターの惨劇はあっという間に片付いた。

 クガが管理室からおっとり刀で駆けつけ、弦本が高藤に連絡、警察より先に清掃屋(スイーパー)と内装屋がやってきて、フランコ父子仕様だったシェルターをきれいに元に戻すまで一時間とかからなかった。

 ガランとした殺風景なシェルターをぼんやりと眺めながら、コルティナがポツリと呟いた。

「生まれてくるのに意味なんているのかしら」

 それは独り言のようであったが、コルティナに寄り添っていたマルコにはそれが自分に向けられた質問だとわかった。

「…わからない。だけど、彼の気持ちはわかる…ような気がする」

「そう?」

 コルティナの大きな黒い瞳に見つめられると、マルコは途端に自信がなくなってしまう。

 マルコはうつむいて目を逸らした。

「ではお父様がああまでして生きていた意味は?」

「それは僕には本当にわからないよ。フランコもアウグストも最後は強い権力に吸い寄せられるように自滅していった。

 そしてそれに巻き込まれて多くの人々が死んだ」

 コルティナは自分のお腹に手を当ててじっと考えていた。

 そこへ弦本が寄ってきた。

「コルティナ、送るわ。八王子に戻りましょう」

「ここで着替えて帰ってもいいですか?」

「じき、警察が来るわ。時間がないの」

「そうですか…」

 弦本はコルティナの肘を軽く掴むとエレベーターホールへ向かう。

 コルティナは急にマルコを振り返って、もどかしそうに叫んだ。

「マルコ!わたし、ね…」

 しかしクガの大声がコルティナの言葉を遮る。

「マルコ!ちょっと来い!」

 マルコはコルティナを何度も振り向きながらクガの方へ走っていく。コルティナはマルコの方に少し手を伸ばしかけるが、あきらめ、不安そうに俯いた。



 マリアがホテルをチェックアウトしたのは夜中の二時だった。

 ホテルのロビーで、いつもの黒づくめの服とヴェール、加えて今日は黒のコートを着てマフラーを巻き、電動車椅子に座っている。

 真冬の夜中は寒い。

 これらは全てホテルからのプレゼントだった。

 正確に言えば、このホテルをまともにチェックアウトできなかった客の置き土産だが。

 加えて、看護師の手によってマリアの顔や手に浮かんだ赤班がコンシーラーできれいに消され、ボロボロに抜け落ちた頭髪を隠すためにウィッグが贈られた。

「ありがとう…」

 受け慣れない善意にマリアは戸惑いを隠せない。

 志村は穏やかな微笑を浮かべてマリアに言った。

「いよいよ最後の大勝負ですか」

「さあ、どうかしら」

「では、ごきげんよう。お互い生きていたらどこかでお会いすることもあるでしょう」

 —この人たちはわたしがこれからしようとしていることを知らない。

「ごきげんよう」

 マリアは素っ気なく言い、電動車椅子でゆっくりと渋谷の坂道を下り始めた。

 原子爆弾は腹にしっかりと抱いているが、たっぷりとした布地のおかげで彼らに気付かれることはなかった。

 マリアの姿が坂の下に消えるまで見送って、志村はため息をついた。

「結局、わたしたちはあの娘が何をするつもりなのか、知らないままですね」と看護師が言う。

「ここはそういう所だ。だがたとえそれが悪魔でも、それなりのことをするのが医者の仕事だとわしは思うがね」

「じゃあ先生は天使ですか」

 看護師がいたずらっぽく言った。

「はは、天使か。ちょうど頭に輪っかもある」

 志村はまんざらでもなさそうに自分の禿げ頭をつるりと撫でた。


 マリアは自分の残された体力を計算していた。

 今日、約束の時間まであと十時間。

 この車椅子ごと渋谷から国立競技場まで跳躍するだけの体力はもうない。

 能力を使うとすればあと一回、車椅子を捨ててもせいぜい二百メートルがいいところだろうか。

 電動車椅子はありがたかった。

 これがあれば、能力を温存してマルコと対決できる。

 —対決?わたしは兄さんを殺すの?

 マリアは自問自答する。

 自分が醜い姿になっていくのを毎日鏡で眺めながら、マリアは憎しみを募らせていった。

 そして兄の前にこの姿を晒すことによって、もはや何も怖いものなどない、自分は何かを超越した存在になったと信じたかった。

 しかし、今はどうだろう。

 ホテルの看護師が施してくれたメイク、まだらになった頭髪を隠すウィッグ。

 それらがこれからマルコに逢うマリアに束の間の安らぎを与えた。

「敵」ではなく「兄」に逢う。

 その素直な喜びや懐かしい感情がマリアの憎悪に凝り固まった心からじわじわと染み出してくる。

 坂道を下りたマリアは明治通り沿いの舗道をゆっくりと進む。

 片側三輪、両側で六輪、小さめの車輪が特殊なゴム製の履帯(キャタピラ)で繋がったこの電動車椅子は、多少の段差でも難なく昇り降りができ、ガタガタ道でも揺れが少なかった。

 この時間この界隈は暗く、人通りはもちろん車通りもない。

 風がないのが救いだが、二月の真夜中はしんしんと冷え、路上で寝ている者の姿もない。

 皆、地下街の奥深くか、小金をもっているものは街娼を捕まえて円山町のホテル街にでもしけこんでいるのだろう。

 しかし、真夜中の渋谷を初めてひとり「歩く」マリアがそんな事情を知る由もなかった。

 マリア自身が信じられないことに、彼女は上機嫌だった。

 異国の地で、彼女は久しぶりの「自由」を感じていた。

 何もかも明日終わる。

 長く苦しかった戦いも終わる。

 仲間たちへの責任感からはすでに解放された。

 自ら鞭打ち、敢えて憎しみを膨らませ続けた心も解放される。

 人っ子ひとりいない真っ暗な明治通りを、小さなライトを灯してゆっくりと電動車椅子で走り続けるマリアはけらけらと笑い出したい衝動にかられた。

 もういっそここでお腹に抱いたこの子も解放してしまおうか。そしてわたしもこの子と一緒にこの世界から消えてなくなる。

 だってそうなることをずっとずっと心の底から望んでいたのだから。

 —でもまだダメ。フランコを消さなくては死んでいった者たちへ申し訳ない。これはやつが始めたことなのだから。何より今わたしが消えてしまったら兄さんに逢えない。

 ひとりでは消えてしまうのはイヤ、消えるなら兄さんと一緒に。

 そうすれば兄さんも悲しまなくて済むもの。



 国立競技場は2020年東京オリンピックのメイン会場として建築された。

 しかしその年の暮れ、二つのプレートが連動して起こった巨大プレート地震とそれに誘発された形の首都圏直下型地震によって東京は廃墟と化した。

 当初は広域避難所として、次には仮設住宅の建設スペースとして使われたが、復興の遅れと治安の悪化により、美しかったスタジアムはあっという間に荒廃していった。

 特徴的だった木製の屋根は、折からの資材不足で略奪者と化した避難民に次々と剥ぎ取られていった。

 スタジアムを彩っていた数々の意匠はヤクザと政治家たちに手であっという間に美術品や屑鉄という高価な商品に姿を変え、束の間、震災成金たちの懐を潤した。

 便器までもが剥ぎ取られ、北海道や九州を通じて海外へ売られた。

 グラウンドには震災とそれに続いた津波が作り出した大量の瓦礫、自動車や船などもはや鉄くずにすらならない大量のゴミやヘドロが集積され、悪臭を放っている。

 このゴミの山からその日の糧を得ている者たちもあるが、今は真夜中だ。

 ゴミが散乱するグラウンドの真ん中に、マリアは車椅子ごと忽然と姿を現した。

 マリアは茫然と周囲を見渡す。

 そして落胆した。

 —どこへ行っても同じことだ…。

 再びマリアの心に憎しみが膨れ上がっていく。

 マリアは、セント・グレゴリオのスラムのゴミ溜めを思い出した。そしてかつてテレビやネットワークニュースで見たこの美しいスタジアムの今の姿を自分に重ね合わせていた。

 —ここはこの子を解放するのにふさわしいわ。永遠に消し去らなくては。もう決して誰も思い出さないように。

 まだ約束まで時間はたっぷりある。

 今夜は月も美しいし、風もない。

 その時が来るまでしっかりと目に焼き付けておこう、自分が消えるその場所を。

 月が落ち、陽が登り、悪臭が立ち込めても、すべてわたしが消してあげる。



 月が東の空に傾いていった頃、一人の男が国立競技場にやってきた。

 ティゲリバだった。

 ティゲリバは背中にライフルのケースを担いで、スルスルとスタジアムの屋根に登って行く。

 登り切ったティゲリバが骨組みだけになった屋根に立ってグラウンドを見渡すと、グラウンドの真ん中あたりに人影がある。

 —まさかこんなに早く!

 ティゲリバは慌てて身を低くしてライフルケースを開け、スコープを取り出した。

 車椅子に乗った黒づくめの少女。

 少女はうつむいて、その表情は黒いヴェールに隠されて見えない。

 周囲に他の人物の姿はない。

 透視能力者はもういないのではないか、いるとすればティゲリバに気付かぬはずはない。

 ティゲリバは市ヶ谷でスコープから見た女の姿を思い出していた。

 —見張りはいない。

 ティゲリバはそう確信して腰を下ろし、ロシア製のSV98狙撃銃を組み立てた。

 スタジアム内にはオリンピック開催当時、あちこちに樹木が植えられていた。やがてそれらは大きく育ち、今は骨組みだけになってしまった屋根から突き出すまで成長したものもあった。

 銃を組み立て終えたティゲリバはギリースーツ(※狙撃用偽装服)に身を包み、狙撃銃を抱えて木陰に身を寄せた。



 コルティナは明け方、まだ外が暗い時間に目を覚ました。

 —何かが起きる。

 それは最初ぼんやりとした感覚に過ぎなかったが、やがてそれは彼女の中ではっきりと形になり、強い確信に変わった。

 —このままだとマルコが死んでしまう。

 コルティナは素早くパジャマを着替え、静かに庭に降り、塀を乗り越えてムダイ邸を出て八王子駅を目指した。

 —今からなら歩いても一番早いバス電に間に合うはず…。

 コルティナは妊娠してから、予知能力のようなものが自分に備わっていることに漠然と気付いていた。

 それは時々何かの気まぐれのように啓示され、たいてい些細な日常に関することだったが、単なる勘と言い切るにはあまりにも鮮明な確信であることにコルティナは戸惑いを覚えていた。

 —もしかしたらこの子なの?

 コルティナはお腹に手を当てる。

 その瞬間、コルティナの頭に強い衝撃が警鐘のようにガンガンと鳴り響いた。

 —マルコが死ぬ!マルコが死ぬ!マルコが死ぬ!

 コルティナは迷わず八王子駅へ足を早めた。



 陽が高くなった。

 その日は風もない小春日和で、暖かさに誘われていつしかマリアは眠ってしまった。

「マリア」

 マリアはマルコの穏やかな呼び声で目を覚ます。

 ゆっくりと目を開けたマリアの目の前にマルコの姿があった。

「兄さん、ごめんなさい。わたし眠ってしまって…」

 マリアは黒いヴェールを上げた。

「フランコは死んだよ」

 マルコはしゃがんで、ゆっくりと昨日のシェルターでのいきさつをマリアに話して聞かせ、そして最後に言った。

「マリア、もうおまえの復讐は終わったんだ」

 マリアはうつむいたまま聞き終わると、やがて肩を震わせ始めた。

「兄さん、わたしは消えてしまいたい!この世の中から!」

「マリア…」

 マリアは突然車椅子からすっくと立ち上がる。

 衣服の下には原爆をしっかりと抱え、両足はグラウンドの枯れた芝をしっかりと踏みしめていた。


 ティゲリバはこの瞬間を待っていた。

 風はなく、クロスヘアはマリアの額の真ん中を捉えている。

 引き金にかけた指にティゲリバがじわりと力を加える。

 しかし次の瞬間、スコープは何者かに遮られて真っ暗になった。

 スコープの画像は焦点を調整し、遮った者の姿を映し出す。

 高藤がその巨体をどっかとスタジアムの座席ふたつに据え、ティゲリバとマリアの射線の間に入っていた。

 高藤は振り向いてニコリと笑い、ティゲリバに手を振った。


 ティゲリバは狙撃を諦めて銃をケースにしまい、ギリースーツのまま高藤の隣の座席に座った。

「あらかわいい」

 もふもふで一見着ぐるみに見えなくもないギリースーツ姿のティゲリバを見て高藤が笑う。

「どういうつもりだ、高藤さん」

 ティゲリバはギリースーツのフードを脱ぎながら言った。

「あなたこそ正気なの?あの子はお腹に原爆を抱えているのよ」

「…イチかバチかだ。確実に仕留めれば起爆装置ごと原爆を奪還することもできる」

「それに、あなた本当にやれたのかしら?」

「何?」

「アフリカで子供たちを助けて、日本では殺す。そんなことがあなたにできるの?それと…その前にあなたが死んでたかも」

 高藤が反対側の屋根の上を指差すと、何かが太陽に反射した。

「もういいわよ」

 マイク付きイヤホンを付けた高藤がそう言うと、屋根の上にやはりギリースーツに身を包んだクガが立ち上がった。

 手にはバレットM82狙撃銃を持っている。

 ティゲリバはため息をついて座席に体をもたせかけた。

「俺はあんたに命を救われたのかね」


 立ち上がったマリアは天を仰いで、震える声で言った。

「兄さん、わたしは…わたしはこの世界が憎い…」

「マリア!」

 マルコはためらわずマリアに近づいて抱き締めた。

 マリアの瞳から涙が溢れる。

 これまで堰き止めていた感情が、まるで堤防が決壊したように涙となってマリアの心からほとばしる。

 彼女に残された、ありったけの力を込めてマリアは叫ぶ。

「わたしはこの世界が憎い!!」

 マルコはマリアをもっと強く抱き締めた。

「マリア、僕だって憎い!」

「兄さん、じゃあ一緒に死んで!もうひとりぼっちにしないで!」

「ああ、マリア!あの時、助けてあげられなくてごめん!父さんと母さんを…こ、殺してごめん!僕のたったひとりの妹マリア!お前が苦しんでいる時に何もしてあげられなくて本当にごめんよ!」

 マルコにもこれまで考えまいとしていた、忘れようとしていた感情がこみ上げてきた。

 マルコの目からも涙が溢れて止まらない。

「おにいちゃん!マルコにいちゃん!」

 マリアの中で張り詰めていたものが溶けていく。

 頑なだった心が兄の体の温もりでほぐれていく。

「マリア、お前は死にたいのかい?」

「死にたい!消えてしまいたい!世界を消して、自分も消えてしまいたい!」

「だけど…だけど僕はまだマリアに死んでほしくない。生きていてほしいんだ!」

「うそ!だってマリアは悪い子だもの」

「違う!マリアは…、たとえ世界中がそう言ってもマリアは悪い子なんかじゃない。僕が世界中にそう言ってやる!」

 マリアはまるで幼い子供のように、両手で目をぐしぐしとこすりながら、大きな声を上げて泣きじゃくり始めた。

「おにいちゃん!ごめんなさい、ごめんなさい!」

 その拍子に腹にしっかりと抱いていた原爆が裾から転がり落ちる。


 スタジアムに爆音が響いた。


                     次回第5話「売国奴の盾」⑯につづく


いつも読んでいただき、ありがとうございます。

今週は第5話ファイナルスペシャルで2回分掲載します。

引き続き第5話最終回をお楽しみください。

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