第5話「売国奴の盾」~血族~
マリアは太平洋上の岩礁に原爆を仕掛ける。
その一方で高藤と弦本は、シェルターに匿ったフランコ父子の秘密を知る。
この日、青戸島に最も近い海域を航行していたのは海上自衛隊の護衛艦いかづちであった。
いかづちは1400までに青戸島より半径十km圏内まで接近し、これを観測せよとの命を受け指定海域に急行した。
艦長の玉川慎吾二等海佐はこの命令を訝しく考えていた。
—護衛艦に島の観測とは…。
しかも青戸島は無人島だ。いったい何が起こるというのか。
1355、観測指定海域に到着。
青戸島北東海上10km。
火山島でもない、言ってみればただの岩礁でしかない青戸島の観測は、乗員の間に好奇心を生み出し、この時間には甲板が人で溢れた。
ルーティンの密入国船警戒、それも今どき太平洋側から直接関東に上陸しようなどという船は皆無に等しい。
乗員たちは日々の退屈な任務に倦み、刺激を求めていた。
かくいう玉川艦長もブリッジから甲板に降り、調光機能付きのデジタル双眼鏡で遠い青戸島を眺めていた。
この距離からだとよほど目の良い者でも肉眼で小さな岩礁を見分けることは難しい。
1400、何の前触れもなく海上に閃光が瞬いた。
調光機能のついてない双眼鏡を使用していた者は悲鳴をあげ、とっさに目を押さえて倒れた。
続いて衝撃波、空気が音もなく震え、溶けて赤くなった岩石がまるで弾丸のように一直線に次々いかづちを襲う。
撃たれることを想定していない現代の護衛艦の装甲は薄く、艦はほとんど無抵抗に穴だらけになっていく。
次に耳を聾する爆音。
音は塊のように乗員たちの体に直接ぶつかってくるようであった。
更に爆風。
それは10km離れた海上でも嵐のように吹き抜けた。
船は揺れ、乗員たちは海上に投げ出されないよう、必死に甲板上の構造物にしがみついた。
そして海上に立ち上がる巨大なキノコ雲。
それは周辺の海水も巻き上げ、その支柱の部分はさながら中空に現れた大瀑布のようであった。
キノコの傘の部分では、ところどころで雷鳴がとどろき、稲光がフラッシュのように閃く。
やがて茫然と眺める乗員たちの頭上に白い灰や、細かい礫状の石粒がバラバラと舞い落ちてくる。
「雪だ!」
乗員は空を見上げて叫ぶ。
—これは核兵器だ!
玉川は事態を直ちに把握し、インカムで全艦に命令を放送した。
「甲板要員以外はすべて艦内に退避!海域の海水と大気サンプルを採取次第、即刻帰投する!」
玉川は船医にヨウ素剤の全員への配布を命じ、ブリッジではなく通信室に直行した。
—事前に何の情報もなく!うちの乗員に原爆見学をさせたやつはただではおかん!
玉川のはらわたは煮えくり返っていた。
こうして青戸島は地図から消滅した。
首相官邸に再びマリアから連絡があった。
「明日午後12時、国立競技場でフランコの身柄と最後の原爆を交換します。あらゆる尾行、待ち伏せを感知した瞬間、どこであろうと原爆を起爆させます。こちらには強力な透視能力者がいることをお忘れなく。なお交渉人はただ一人、マルコ・フランスアを指名します」
首相官邸と防衛省が大騒ぎになっている頃、弦本鏡子がコルティナを連れ、突然シェルターを訪れた。
その時間、マルコはシェルター内で警備をしていた。
フランコ父はベッドに横になり、その傍らでフランコが紙の新聞を読み聞かせていた。
弦本の命令によって、マルコはシェルターの扉を開く。
ゆっくりと開いていく扉の向こうには、ドレスを着た弦本とコルティナが立っている。
フランコは一瞬咎めるようにマルコを見るが、それ以上にそこに立つ二人の女性に戸惑いの表情を見せた。
シェルター入り口前の階段に座っていた二人組の用心棒は、銃を床に下ろして休めの体勢を保っている。
弦本は階段の下からフランコに声をかけた。
「将軍、本日はあなたの実の娘、コルティナ・フェリシアーノをお連れしました」
マルコは弦本の言葉に呆然とコルティナを見つめる。
アップにまとめられたコルティナの漆黒の髪には、真珠が贅沢にあしらわれた金の髪飾りが輝き、大胆に開いたドレスの胸元には何重もの金の細い鎖でできた首飾りがキラキラと光を放っていた。
ドレスは深いスリットの入った紫色のシルクのワンピース。
肩には艶やかな黒テンのショールを掛けていた。
しかし、何よりもコルティナの地の美しさを引き出すため入念に施されたメイクにより、その日のコルティナは近寄り難い美しさを放っていた。
コルティナもマルコに物言いたげな表情を一瞬向けるが、すぐにそれを固い表情の下に引っ込める。
—娘って、フランコの娘?
マルコは何が何だかわからない。まばゆいコルティナをただただ見つめるしかなかった。
「な…」
フランコも意表を突かれて、中腰で動作を止めたままだ。
すべての動きが止まったかのようなシェルターへの階段をコルティナと弦本がゆっくりと上って行く。
「寒いわ。扉を閉めて」
弦本の言葉に我に返ったマルコは慌てて扉の開閉ボタンを押す。
扉は重たい音をたてて閉まった。
うしろからコルティナが肩にまとった毛皮のショールを脱がせて自らの腕に掛けると、弦本は真っ直ぐにフランコを見て言った。
「あなたと皇太子妃の間に生まれた娘、コルティナです。わたくしがサン・アーロンからお連れしました」
フランコの目に一瞬動揺が走るが、その時年老いたフランコ父の口元が微かに動いたのをマルコは見逃さなかった。
「おお!」
フランコは立ち上がって両手を広げ、笑顔でコルティナに近づいていく。
「奇跡だ!生きておったのか!」
コルティナは何もかも呑み込んでいる様子でドレスの両端を軽くつまんでフランコに挨拶した。
「お父様、お久しゅうございます。お逢いできてとても嬉しいです」
その時、弦本が呟く。
「オーケー、アレックス。例の曲を」
弦本のおおぶりのピアスはインカムを兼ねている。
管理室ではクガがシェルターの様子をモニターで見ていた。
「なーにがアレックスだ。人をAIみたいに言いやがって」
クガが不機嫌にスピーカーのスイッチを入れる。
突然シェルターに美しく重厚な音で音楽が響く。
ショスタコーヴィッチの「舞台管弦楽のための組曲」よりワルツ2。
「僭越とは思いますが、奥様との思い出の曲をご用意させていただきました。お嬢様との再会に相応しいかと」
弦本が微笑みながらフランコに言う。
だが、マルコには弦本が密かにフランコの表情を注視していることがわかる。
フランコは思わずベッドの上の父親を見やる。
父は黙ってうなづいた。
コルティナがフランコに近づき、再び挨拶をする。
フランコはコルティナの右手を取り、左手をその腰に回し、ふたりは音楽に合わせゆっくりと踊り始める。
フランコの軍人らしからぬ優雅な動きもさることながら、マルコが驚いたのはコルティナのダンスの上手さだった。
たくましい軍人と華奢な少女が、ショスタコーヴィッチの古風な曲に合わせてワルツを舞う。
美しかった。
コルティナの背すじはピンと伸び、その瞳はフランコだけを見ていた。
—皇太子妃の娘って…コルティナは本当にお姫様だったんだ…。
マルコはふと、コルティナが遠い存在のように感じられ、その視線を独占しているフランコに憎しみに近い嫉妬を感じた。
マリアの眠りは、鳴り続けるチャイムの音によって破られた。
無視しても構わないのだが、マリアには予感があった。
マリアは枕元のスイッチを入れた。
「どなた?」
「どうも申し訳ありません。おやすみ中でしたか?」
「今何時かしら?」
「昼の三時です」
相手はどうやらホテルの支配人のようだった。
チェックインした時に挨拶に来た男で、特徴のあるだみ声をマリアはよく覚えていた。
「何かご用?」
「あの…、この場では大変申し上げにくいことでして」
マリアは瞬時に覚った。
—とうとう日本の警察がこのホテルを嗅ぎつけたんだわ。
「今晩中にチェックアウトします。クレジットはそのまま残しておきますから清算してあとはお好きなように使ってくださいな」
マリアがそう言うと支配人はいかにも恐縮した様子で詫びた。
「察していただいてありがとうございます。こちらの都合で大変申し訳ありません」
「いいのよ。よくしていただいたわ。特にあのお医者様…よろしくお伝えください」
「志村ですか。はい、確かに承りました。それではご機嫌よう」
マリアはそう言ってインターホンを切るとベッドの上に起き上がる。
「電灯を点けて」
部屋が明るくなると、マリアは着ていた白いレースのネグリジェの裾から銀色の球体を取り出した。
MarcoⅠ、最後の原爆だった。
マリアはネグリジェを脱ぎ捨て、全裸になって窓辺に寄る。
「外の景色を見せて」
偏光機能が作動して、マリアの寝室の窓ガラスが東京の街を映し出す。
雲ひとつない晴れた東京に原爆を。
マリアは沸き上がる残忍な歓喜に戦慄し、身震いする肉体を自らの手で強く抱き締めた。
—兄さん、もうすぐ。もうすぐよ…。
シェルターではフランコとコルティナのワルツが続いている。
フランコはコルティナに語りかける。
「見事な腕前だ。学校で習ったのかい?」
「はい」
コルティナはうつむいて答えた。
嘘だった。ダンスと行儀作法は少女娼婦の必須項目だ。
コルティナは再び顏を上げてフランコの目をじっと見つめて言った。
「違うわ」
「ん?何だって?」
「あなたはお父様ではありませんね?」
フランコの表情が消える。
その時、コルティナの腰に回したフランコの右手の人差し指がボトリと床に落ち、泡を立てながら溶けて形を失い、腐臭を漂わせる肉塊と化した。
フランコは足を止め、ゆっくりとコルティナから離れ、右手を凝視した。
音楽は続いている。
マルコは傍らに居るフランコの老父の異変に気付く。
老父はぎこちなく自ら介護ベッドを操作すると、身をよじるようにベッドの縁に這い寄ると縁から足をぶらつかせて座った。
老父の目が涙で濡れていることにマルコは驚いた。
コルティナは老父の元へゆっくりと歩み寄り、黙って老父の手を握った。
「あなたがお父様ですね?」
老父は無言で二度三度うなづき、ズボンの裾を膝までまくり上げる。
すると両脚は義足で、スイッチを押すと義足の膝から下が音もなく滑らかに、ゆっくりと伸び始めた。
義足の仕掛けが止まると、老父はズボンの裾を下ろし、杖をついて立ち上がるが、大きくよろめいて倒れそうになった。
マルコはとっさに老父の脇を掴んで支える。
「父上!」
血相を変えて駆け寄るフランコを老父は一喝した。
「寄るなッ!化け物!」
老父の一言で、フランコは雷に打たれたようにその場に立ち竦んだ。
老父は杖をついてコルティナに近寄る。
「名乗り遅れた。わたしがフランコ、君の父親だ」
「足は?」とコルティナ。
「切った。どこも悪くなかったがな。テロリストどもの目を欺く必要があったのだ。それよりもわが娘よ、よくぞ生きてここまで…」
「違う!」
それまでフランコだった男が叫んだ。
「父上は錯乱しておられる。あなたはわたしの父上であり、わたしがフランコだ!」
「黙れ!貴様は出来損ないの木偶に過ぎん」
「父上!実の娘が居るなら、なぜわたしを作ったのですか?」
「生きていると知っておれば貴様など造りはせん。知らなかったのだ。だからこそわたしの権力と栄光を永遠に引き継ぐために…」フランコは冷徹に続ける。
「しかし失敗であった。こうも早く、しかも免疫反応が強いとはな」
ボトリと音がして、軍服の男の右手が床に落ちた。
「見ろ、貴様の肉体は死にたての兵隊たちの活きの良い部分を寄せ集め、つなぎ合わせた物だ。そして骨髄には私の幹細胞を移植した。うまくいけば貴様はわたしそのものになるはずだった」
フランコだった男は涙を浮かべてフランコに訴える。
「では父上…、ではわたしはいったい何者ですか」
「言ったろう、ただの死体の寄せ集めだ」
「違う!わたしは死体じゃない!現にこうして生きている。命あるからこそこうして喋り、涙を流している。
父上、教えてください!わたしは何者ですか?」
男はフランコに駆け寄ろうとするが、フランコの杖が一閃すると、その右腕が宙を飛んで床にぐしゃりと落ちた。
杖は仕込み杖だった。
「父娘の対面に邪魔だてを!」
シェルター内の腐臭が次第に強くなってくる。
コルティナは顔色を失い、それでも全てを自分の目に焼き付けようとしていた。
フランコは男を嘲笑う。
「貴様は人間ではない。人間ならば切れば赤い血が出ようものを。貴様は怪物だ!」
男は何事か叫びながらフランコに突進した。
弦本は咄嗟にストッキングに挟んだ22口径のデリンジャー銃を抜くが、間に合わない。
二人の間に割って入ろうとするコルティナをマルコが後ろから抱き寄せて制止する。
男の動きは素早く、仕込み杖を奪うと左手の逆手一本でフランコの喉にそれを突き立てた。
そしてフランコに顔を寄せるとその耳に囁いた。
「父上、どうして…どうしてわたしを…」
フランコはゆっくりと男に顔を向けて口元を歪めて嗤い、ゆっくりと言った。
「権力だ…。権力は素晴らしいぞ…」
フランコは絶命した。
男は仕込み杖を床に投げ出し、床に膝をついた。
その衝撃で今度は耳朶がポトリと落ちる。
コルティナは男に駆け寄り、残った左手を握りしめた。
「わたしは…あなたの父ではない。むしろ…弟だったのですね。コルティナ、あなたを姉上と呼ぶことを許してくれますか?」
男の命が尽きようとしている。
それでもなお哀訴する男の顔からは、鼻がずるりと血膿を垂らしながら剥がれ、男の膝に落ちる。
コルティナは男から目を逸らすことなく言った。
「許します。あなたはわたしのたった一人の弟、フランコ・フェリシアーノ」
「ありがとう…。姉上にお会いできて、生まれてきた意味があった」
そう言い残すと、フランコ・フェリシアーノと名付けられた男はがっくりと首を垂れた。
次回第5話「売国奴の盾」⑮につづく
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
いよいよあと2回。
来週が第5話の最終回。残り1話がエピローグとなる予定です。
どうかご期待ください。
なお、次回は12月29日(土)夜10時に更新予定です。




