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第5話『売国奴の盾」~別離~

フランコを匿った六本木特区のシェルターをマリア達が襲う。

だが、イエローはペドロのハッキングを受けて即死、シアンはゴロウの一撃に倒れる。

マリアによってシェルター内に送り込まれたマゼンタは、ムダイの老獪な戦術の前にピンチに陥るが…。

 マゼンタの左腕の義手は肩から下に四つの関節を持ち、ムダイの体に巻き付いて締め続けていった。

 両腕の自由も奪われたムダイは息をすることができず、次第に意識が遠のいてゆく。

 だが、薄れゆく意識の中で、なおもムダイは反撃を試みる。

 肋骨が折れてゆく激痛に耐え、ムダイは肺に残ったすべての空気を吐き切り、肺を最小限まで収縮させる。

 それは気功の呼吸術の奥義を知り尽くしたムダイだからこそ成しえた秘術だった。

 ムダイの胸はほぼ真っ平になり、密着していたマゼンタとの間に僅かな隙間が生まれた。

 その隙間を利用し、ムダイは渾身の頭突きをマゼンタの胸部に放つ。

 その一撃はマゼンタの心臓に届く。

 マゼンタの意識は一瞬飛んで、よろめいた。

 義手による締め付けが緩み、ムダイを取り落とす。

 床に着地し息を吸い込んだムダイは肋骨の痛みに耐えかね、思わずがくりと膝を折ってマゼンタを見上げた。

 —やったか!

 ムダイの一撃はマゼンタに心室細動(※心室の痙攣)を起こすはずだった。もしその一撃が完璧ならば。

 だが踏みとどまったマゼンタは素早く義手を伸ばしてムダイの首を掴んだ。

 モーター音と共にムダイは吊るされ、両足は床を離れる。

 —浅かったか…。

 ムダイの体はだらりと力を失い、マゼンタの左手が(くび)を締め上げてゆく。

 その時、シェルターの高い天井に一発の銃声が鳴り響いた。

 ムダイの頭にぬるりとした生温かい液体が降り注ぐ。

 と同時に、ムダイに巻き付いた左腕は急速に力を失い、マゼンタは仰向けに倒れた。

 マゼンタの背後には、いつの間にか床下の隠し部屋から現れたフランコが硝煙の向こうにコルトガバメントを右手に構え、立っていた。

 放り出されたムダイは床に叩きつけられた。

「フン!共産主義の犬っころが!」

 口元に笑みを浮かべたフランコは、倒れているマゼンタに軍靴を鳴らしながら近づき、血だらけでほぼ原型をとどめないマゼンタの頭をじっくりと眺めると、その脇腹を強く蹴り飛ばした。

 フランコは手にした拳銃を眺めて死体となったマゼンタに語りかける。

「このガバメントはな、アメリカの大統領から貰ったものだ。ありがたく思え」

 フランコのコルトガバメントの銃把(グリップ)には、精細な彫刻が施された象牙が使われていた。

 血だまりが次第に広がっていく。

 ムダイは両肘が折れた腕を使わず、額を支点に首の力だけで上体を起こし、立ち上がってフランコに言った。

「礼を言った方がいいかね?」

 ムダイは立ち上がり、両腕をぶらりと垂らしたまま腰を前後左右に動かす。

 ゴキッ、ゴキッと背骨が鳴った。

 そうして自ら応急手当をするムダイを興味深げに眺めながら、フランコは満面の笑みで言った。

「それには及ばんよ。まず自分の身を自分で守るのは軍人の本分であるからな」

 そしてつかつかと扉に近づき、開閉装置を操作する。

 扉はゴロゴロと重い音をたてながらゆっくりと開いていく。


 マルコは扉の開く音に思わず振り向いた。

 シェルターの中は明るく、まるで舞台のように輝いている。

 仰向けに倒れたマゼンタと、彼を中心として広がる血だまり、黄色いトラックスーツ姿のムダイ、軍服姿のフランコ、どれも芝居の一幕のようにマルコには見えた。

「マゼンタ!」

 マリアが悲鳴のような声を上げる。

 フランコは拳銃の狙いをマリアに向けると間髪を入れずに引き金を引いた。

 しかし銃弾はちらつくマリアの残像を突き抜けて廊下の突き当りに命中する。

 マリアは姿を消した。

「マリア!待ってくれ、マリア!」

 マルコの呼びかけがガランとした暗い廊下に空しく響いた。


 屋上ではゴロウが負傷した自分の肩口にハンカチを強く当てて止血しつつ、気を失っているシアンの傍らに座って彼女を見張っていた。

 そこへマリアが陽炎(かげろう)のように現れ、ゴロウを睨みながら屈みこんでシアンの頬に手を触れた。

 二人はかき消すようにゴロウの目の前から消える。

 ここ数日の疲弊と出血でゴロウは意識を保つだけで精いっぱいだった。

 ゴロウは、心のどこかでふたりが無事逃げのびることを願っている自分を不思議に思いつつ、目を閉じた。


「逃がしたか」

 憎々し気に言って、フランコは腰のホルスターに拳銃を納める。

 マルコは呆然とマリアの消えた廊下を見ていたが、はっと我に返り、ムダイの元に駆け寄った。

「老師、ご無事ですか?」

「肘と、肋骨を何か所かやられたね」ムダイは顔をしかめながら言った。

 マルコはマゼンタの死体を見る。

 ムダイによって外された右手の義手。

 そして特殊な関節をもった奇妙な形の左手の義手。

「父上は血がお嫌いだ。直ちに掃除を頼むぞ。もちろん消毒も忘れぬように、こういう輩の血は汚れておるからな」

 そう言ったところでフランコはマルコの存在を思いだす。

「おっと、これは失礼」

 マルコはフランコをちらりと見やり、再びマゼンタに視線を戻す。

 フランコはそのまま床下へ消えた。

 そこへクガがやってきて、マゼンタの死体を見て溜息をついた。

「作戦は半分だけ成功ってことか。屋上はどうだろう、ちょっと見てくる。マルコ!社長に連絡して状況を説明しとけ!」

 クガはそう言い残してエレベーターホールに向かった。


 シアンは強い衝撃と共に意識を取り戻した。

 続いて塩辛い水が鼻と口から入ってくる。

 —海?

 辛うじて水面に浮かび上がったシアンを冬の海の冷たさが刺すように襲いかかってきた。

 次第に身体の感覚を失いつつ、暗い海に向かってシアンは声の限りに叫ぶ。

「マリアーッ!マリアーッ!」

 だが冷たい海水がシアンの体力を急速に奪ってゆく。

 シアンは再び気を失った。


 次にシアンが意識を取り戻したのは、船の上だった。

「お、こいつ生きてるぜ」

 少年だろうか、男の声が聞こえる。

 全盲のシアンには周囲の状況がまったくわからない。

 次に年老いた男の声が何事か喋るが、意味がわからなかった。

「ドクター、あんたのスペイン語はひどいねー。それじゃ通じるわけないよ」

 別の少年が笑いながら喋った言葉はシアンにもはっきり理解できた。

 スペイン語。

 —これは夢だろうか。

 ぼんやりとしているシアンに少年は話しかける。

「まずその濡れた服を脱いで乾いた服に着替えるんだ。日本(ハポネ)の風邪はタチがわるいからね。一人でできるかい?」

 シアンは黙ってうなづく。

「おーい、ミッキー!今日の獲物の中に服があったろ?あれ持ってきてこの人を着替えさせてやってくれ」

 するとシアンと同じ年頃の少女がひょいと船倉から首を出した。

「あたしはミキだってば!」

 少女はそう言って一旦船倉に引っ込み、すぐに衣類を抱えて甲板に上がってきた。

「みんな壁になって。後ろ向くんじゃないよ!そんなスケベな奴は晩飯抜きの刑だからな!」

 ミキがそう言うと男たちは素直に言われた通りにした。

 シアンは男たちの真ん中で甲板に座ったまま、寒さにガタガタと震えて動けない。

 それを見たミキはシアンの体に濡れてぴったりと張り付いた服を急いで脱がせた。

 シアンの全裸を見て、ミキは一瞬顔を強張らせる。

 体中に残る傷跡、肩の銃創は縫い合わせた跡がまだ新しい。そして臀部に焼き(ごて)で押されたまるで所有印のようなマーク。

 ミキは鼻をすすりながらシアンの全身をバスタオルでゴシゴシとこすり、今日湾岸の倉庫から強奪したばかりの乾いた服を着せた。


 シアンは分厚いスエット地のパーカーとフリースに着替え、ミキから金属製のマグカップに入った熱いコーヒーを渡された。

 シアンの鼻孔をコーヒーの香りがくすぐる。

「熱いから気を付けてね」

 ミキのスペイン語は拙いが、理解できた。

「ドクター、この人の目…」

 ドクターと呼ばれた老人はミキの通訳を介してシアンに話しかける。

「ちょっと目を見せてもらうよ」

 その時になってシアンは初めてゴーグルを失っていることに気付いた。

 ドクターはシアンの目にペンライトを当てる。

「両方とも義眼じゃな、よう出来とる。瞳のな、この群青を出すのがなかなか難しいんじゃ。あんた、全盲だね?」

 ミキはドクターの最後の一言だけ訳した。

 シアンは黙ってうなづいた。

 今度は少年がしゃがんでスペイン語で話しかける。

「俺たちはMaUS(マウス)、Maihama United Soldiersだ。俺たちは誰も拒まない。俺たちと一緒に来るかい?」

 シアンの脳裏に一瞬マリアの顔が浮かぶが、今はどうすることもできない。

「…うん」

「じゃあ決まりだ。俺は委員長のヘスス。みんないい奴ばかりだ、きっと気に入るぜ」

 ヘススの合図で船は再び動き始めた。

「きれいな瞳だね」

 そう言って操舵室に戻るヘススの頬が赤らんでいることをシアンは知らない。

「とうっ!」

 ミキはヘススの尻に軽く蹴りを入れる。

「なんだよ!」

 抗議するヘススにミキがニヤニヤと笑いながら小声で言った。

「ガキが色気づきやがって」

「MaUS」と名乗る武装集団はかつての「夢の王国」の広大な跡地を占拠し、独立を主張して、そのリーダーである委員長ヘススの死まで七十年間、東京の喉に刺さった骨のように頑強に抵抗し続け、日本政府を悩ませることになる。

 しかしそれはまた別の話だ。


 プラチナバレーのスイートルームに姿を現したのはマリアだけだった。

 マリアには二人分を移動させる能力が残っていなかったのだ。

「シアン…」

 マリアは周囲を見回すが、誰の気配もない。

「ごめんね、シアン」

 そう呟いたマリアは胃がひっくり返るような吐き気に襲われ、トイレに駆け込む。

 便器を抱えるようにしゃがみこんだマリアが吐いたのは黒ずんだ、血の塊のようなものだった。

 立て続けにマリアは嘔吐した。

 今度は大量の鮮血が白い便器を赤く染める。

 めまいが激しく、マリアは立つことができない。

「フランコ…!」

 激しい憎しみだけがマリアの意識を支えていた。

「あの子を使いましょう」

 マリアはそう呟き、力を振り絞ってトイレの非常用ボタンを押した。


                    次回第5話「売国奴の盾」⑬につづく

今週も読んでいただき、ありがとうございました。

いよいよ残り4回で終わりです。

マルコとコルティナの遠い旅路の行き着く先をどうか最後まで見届けて下さい。

なお、来週は12月15日(土)夜10時に更新予定です。

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