第5話「売国奴の盾」~マリアの告白~
フランコをシェルターに匿い、護衛に当たるトッケイ。
一方、マリア達はフランコの居所を突き止め、シェルターの襲撃を開始する。
夜十一時半、六本木特区のシェルターが入るビルの屋上に、一瞬ちらつきながらシアンの姿が現れた。
ゴロウは気配を消し、屋上の空気に溶け込んでいる。
シアンとの距離は十メートルほどしかない。
月明りすらない暗い屋上で、ゴロウは目を細めてシアンの影を凝視した。
ほぼ時を同じくして、シェルターの扉前にマリアたちが姿を現した。
瞑想していたマルコがゆっくりと立ち上がり、声をかける。
「マリア」
マリアは驚いた。
なぜ兄がここにいるのか、まったく理解できなかった。
マルコはゆっくりとマリアに近づいていく。
すかさずマゼンタが赤い右手の義手を上げるが、マリアがそれを身振りで制する。
「兄さん!どうしてここに?」
次の瞬間、マリアの胸に抱かれたイエローがビクンと大きく痙攣した。
外部から遮断されたビルのセキュリティシステムに高藤の手で配置されていたペドロは、イエローが攻撃領域に入った瞬間、彼の電脳に侵入し、猛然と襲いかかった。
イエローの電脳は直ちに反撃を開始、無数の遊動防壁が迎撃する。
だがその動きはペドロの速度にくらべ、絶望的に遅かった。
瞬時にしてイエローのシステムを支配したペドロはその全機能を停止させる。
イエローの電脳は、彼の生命維持に欠かせない脳幹機能の大部分を補っていた。
イエローは一言も発することなく、即死した。
マリアは自分の胸でがっくりと力を失い、腕をだらりと下げたイエローの異変に動揺した。
その時、シアンの幻映がマリアとマゼンタに送られてくる。
フランコは目の前の扉の向こう。
敵はフランコ含め三人。
マルコはなおも近づいてくる。
もうイエローの「壁」はあてにできない。
マリアは即座に決断する。
「マゼンタ、行って!今度こそフランコを!」
マリアとマゼンタの姿が一瞬ちらついて、マリアだけがマルコの前に現れる。
シェルターの中に忽然と姿を現したマゼンタを待っていたのは一人の小さな老人だった。
老人は派手な房飾りが着いた、極彩色の着物を何重にも重ね着した奇妙な姿でじっと佇んでいた。
「フランコはどこだ」
マゼンタはムダイに尋ねる。
「この部屋のどこかに居るね。わしを殺してからゆっくりと探すといい」
マゼンタにはムダイの言葉がわからないが、即座に右手を上げて拳を握る。だがそこには何の手応えもない。
ムダイはいつの間にか最初の位置より遥か遠くへ後ずさっていた。
信じられない、という表情でマゼンタは思わず掌を開いて見る。
「そんなところを見てもムダムダ…」
今度はすぐ近く、手を伸ばせば掴める距離までムダイは近づいていた。
マゼンタは思わず直接掴みかかるが、その手には紫色の着物が一枚残されているのみだった。
屋上の暗がりから黒い影がゆらりと立ち上がる。
幻視に集中しているシアンの隙をついてゴロウが静かにシアンの背後に忍び寄った。
注意深く風下から近寄ったゴロウだったが、ビル街の風は舞い、シアンの感覚にざらりとした違和感を運ぶ。
いきなり振り向いたシアンはショルダーホルスターからマカロフを抜いて立て続けに引き金を引く。
構わずシアンに突っ込んだゴロウは肩に一発食らいながらも勢いを緩めず、シアンに身体ごとぶつかっていった。
シアンは息を吐いてその場に崩れ落ちる。
荒い息を吐きながら突っ立っているゴロウの肩から血が流れる。
その手に握られた匕首は鞘に納まったままだった。
ゴロウは鞘でシアンの鳩尾を突いたのだ。
マゼンタとマリアの視界から同時にシアンの幻映が消えた。
マゼンタの動揺を見て取ったムダイは微笑みながら語りかける。
「お友達、命なくしたかもね」
「うおおおお!」
獣のような叫びと共にマゼンタが拳を振り下ろす。
ドォン!と重たい鉄槌のような音がシェルターに響き、コンクリート製の床に亀裂とへこみを作るが、そこには赤の着物がクシャクシャにプレスされ、残されているのみだった。
「兄さん!イエローとシアンに何をしたの?」
「マリア、それは僕の仲間たちだ」
「兄さん!兄さんはどうしてその扉を背にしているの?私たちの敵はその扉の向こうに居るのよ!」
「フランコの護衛、それが今の僕の仕事だ」
「兄さん、何を言ってるの?私たち反政府軍の任務は革命の遂行とフランコの殺害じゃないの?」
「違う。僕はとっくに反政府軍を抜けたよ。同志アウグストは僕を見棄てた」
「どうかしてるわ!」
「マリア、お前こそ正気に戻るんだ。フランコはセント・グレゴリオから逃げた。お前は反政府軍のリーダーなんだろ?今こそ弾圧された民衆を解放して、民心を束ねる時じゃないのか。
こんな大事な時にどうしてわざわざ地球の裏側までフランコを追いかけてくる」
マリアは、マルコの言葉を聞いてがっくりとうなだれ、沈黙した。
「マリア?」不審そうにマルコが問いかける。
「ふふ…、うふふふふ」
マリアは笑い始めた。
次第にその笑い声は大きくなり、そしてマリアは感情を爆発させたようにただ笑う。
「ハハハハハ!…兄さん、ハッハッハッ!可笑しいわ!」
マリアの異様な笑いにマルコは戸惑う。
「何が可笑しい!」
「だって兄さん…!ハハハ。民衆の開放?民心を束ねる?民衆、ハハハハ!民心って何?どの民心?」
「マリア…」
マリアはピタリと笑うのを止め、ヴェールを上げてその美しい顔を見せた。
そしてマルコに冷めた口調で語り始める。
「それはあのロバみたいに何も考えないバカな奴らのこと?奴らに心なんかないわ。束ねる者なんて必要ないのよ。野蛮で、無知で、自分勝手で、それでいてしぶとい。放っておいても勝手にどんどん殖えて、決して絶滅したりしない。
兄さん、私は故郷なんてどうなっても構わない。わたしはわたしの怨みを晴らしたいだけ」
「マリア、正気か?父さんや母さんもそうだったって言うつもりか?」
「いいえ。でも兄さんが殺したのよ」
マルコは決してその事を忘れたわけではなかった。
しかし、妹のマリアに面と向かって指摘されると、マルコは心臓を冷たい手で撫でられたような衝撃を覚えた。
シェルターの戦いは続いている。
マゼンタの息は荒くなり、汗が滝のように流れる。
一方でムダイは息一つ切らさず、平静にマゼンタと対峙していた。
「直接打ち合わなくても、空振りは体力を消耗するか」ムダイは口元に笑みを浮かべて言うが早いか、高く跳躍した。
マゼンタの手は再び中空を掴むがやはりその掌に何の感触もない。
ムダイは依然としてその場に立っていた。
その頭上に黄色い着物が丸まって浮かんでいる。
マゼンタが舌打ちをして手を開くと、着物はひらひらと床に落ちた。
「フェイントね」
ムダイは激しく動き始める。それはどこか舞踊のようだが、そのリズムは不規則で掴みどころがなく、素早く動くかと思うと次の瞬間にはゆっくりとした動きに変わり、近づくと見せて遠ざかり、遠ざかると見せて近づいてくる。
変幻自在な動きに加えて、ムダイの身にまとった衣装が更にマゼンタを幻惑した。
何度試みてもムダイを捕まえられないマゼンタの表情に、強い焦りと苛立ちが見え始めた。
「兄さん、わたしがどんな目に遭ったか知りたくない?」
「そんなことより原爆はどこにあるんだ」
「あの子たちはここには居ないわ。兄さんはマリアの話よりそんなものに興味があるの?悲しいわ。わたしね、ゲリラに攫われてからすぐに同志アウグストに会ったのよ。兄さんなんかアウグストに会ったこともないでしょ?」
アウグストはセント・グレゴリオ反政府ゲリラのカリスマ的リーダーとして世界的に知られた人物で、マルコもかつては強い憧れを抱いていた。
「アウグストはキャンプに連れて来られたわたしをすぐ自分のテントに呼んで、そして着ている服を全部脱ぐように言ったわ。私は怖かったから言う通りにした。
するとアウグストは私を抱き寄せてこう言ったの。
『お前からはブルジョワジーの匂いがプンプンする。その匂いが気高い共産戦士の心を蝕み、腐らせてしまうのだ』
わたしは本当に臭いのかと困ってしまって、お風呂にいれてくれるよう頼んだわ。
するとアウグストは『風呂?その発想自体、お前が体の芯までブルジョワジーである証拠なのだ。お前の穢れた肉体と心を清められるのは煉獄の炎以外にない』
そう言いながらアウグストはわたしの肉体を舐めまわし始めた。わたしが嫌がると『これは煉獄の炎だ。お前の穢れがすべて取り除かれるまで続くぞ』って。
それから毎晩のようにわたしはアウグストに抱かれた。
わたしはアウグストのお気に入りになって、いつもそばに置かれるようになった。
ちょっとしたお姫様みたいな気分だったわ。バカみたいね。」
マルコは取り憑かれたようにしゃべり続けるマリアのその言葉を呆然と聞くしかなかった。
「グムッ!」
マリアは自らの忌まわしい記憶に突然吐き気を覚え、口を押さえるが、なおも喋り続ける。
「でもしばらくするとアウグストには新しいお気に入りができてわたしはお払い箱。
アウグストは飽きっぽくてすぐに新しいおもちゃを欲しがるの。
少女兵たちは待ち構えていたようにわたしをリンチにかけ、男の兵士たちの嬲りものにした。
愚かなわたしは泣き叫びながら彼女たちに聞いたわ、わたしの何が憎いのか、どこがいけないのか、と。
するとある少女兵が言ったの。『あなたが美しすぎるから』と。
わたしは即座に決意したわ、生まれ変わろう、って。
そしてまず薬品で顔を焼いた。
それから右眼をナイフで抉り出した。
とっても痛かった。傷が膿んで、高い熱が出て、蠅や蟻が体中を這い回るの。わたしは生死の境をさまよった。
でもそれを乗り越えた時、わたしははっきり生まれ変わったのだと思った。
それからはどんなに危険な任務や最前線にも真っ先に出て、次々と成功させた。
顔のせいもあってもうわたしに関心を持つ男はいなくなった。
そしてわたしはただひたすら、人を殺すことだけに専念したの。
そうしたら自然に男たちも私に従うようになった。
アウグストは人民裁判にかけてわたしが処刑したわ。
兄さん、私はそうして生き残ったのよ」
マリアは喋り終えると顔の右半分を覆った前髪をかき上げる。
前髪の下からは焼けただれて引きつれた皮膚と、黒い眼帯が現れた
マルコは息を呑んだ。
クガはマルコとマリアの様子を廊下の通風孔から覗いていた。
その手には狙撃用にベレッタM92F拳銃が握られている。
「壁」が無くなった以上、マリアの急所を外して狙撃することはたやすい。
しかし…。
マリアの様子は明らかにおかしい。
相手に正常な思考が期待できない場合にこちらのセオリーは通用しない。
—殺すか…。
しかし、クガは彼女がこの場に原子爆弾の起爆装置を持ちこんでいる可能性、そして彼女が死ぬと同時に起爆するシステムになっている可能性を考える。
ベレッタを握るクガの手が汗ばんだ。
ムダイは重ね着していた着物を使い果たしつつあった。
マゼンタが肩で息をしつつ、笑う。
「そろそろ弾切れだな」
「そう、もう終りね」
そう言ってムダイは身にまとった残りの着物をマゼンタに投げつけた。
着物は広がり、回転しながらマゼンタに向かってくる。
マゼンタは一瞬視界を遮られた。
焦りと共に彼が着物を払いのけたその瞬間、黄色いトラックスーツ姿のムダイはマゼンタにぴたりと体を寄せていた。
ムダイの掌底がマゼンタの脇の下を強く突き上げると、義手は付け根からあっけなく外れた。
神経ケーブルだけでマゼンタとつながった義手がぶらぶらと揺れる。
「少し痛むかもね」
そう言ってムダイは冷たい笑みを浮かべ、ナイフでケーブルを切り離した。
マゼンタの赤い義手が、ケーブルから火花を散らしながらゴトリと床に落ちる。
が、次の瞬間、戦いの間一度も動くことなくマントの下に隠されていたマゼンタの左腕がモーター音と共にムダイに巻き付いた。
「!」
さしものムダイも驚愕した。
マゼンタは左腕も義手だったのだ。
マゼンタは左腕一本でムダイをしっかりと抱きかかえ、締め上げていく。
「奥の手だよ、爺さん。こっちの腕はパワー系だ。あんたといえども逃れることはできない」
義手のサーボモーターの唸りが高まり、ムダイの背骨がミシミシと軋む。
ムダイの顔が苦悶に歪んだ。
今度はマゼンタが冷たい笑みを浮かべて言う。
「爺さん、あんたはよくやった。年の割にはな」
次回第5話「売国奴の盾」⑫につづく
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
ラストまであと少しです。
頑張ります!
なお、次回は12月8日(土)夜10時に更新予定です。




