第5話「売国奴の盾」~女たち~
中米の小国セント・グレゴリオ諸島の元大統領フランコは、自国の油田の売買と引き換えに日本への亡命を希望し、来日する。
しかし、フランコ暗殺のためテロリストたちが追ってきた。
フランコ警護を受けたトッケイは六本木特区のシェルターにフランコ父子を迎え入れる。
一方、ペドロの記憶データを取得した高藤はその復元を試みる。
高藤はニヤリと笑った。
「だいぶ人間らしくなってきたわね」
「でも人間じゃねえぜ。生きてるか死んでるかもわかんねえ」
「そうね。少なくとも肉体はとっくに焼いて骨だけになったわ」
「そいつは今どこにあるんだ」
「マルコの頼みで横浜の教会に埋めてもらったわ」
「マルコの奴、余計なことを…」
モニター画面の中のヤマアラシはトゲを揺すりながらモニターの中を歩き始めた。
「メヒアか…。生きてんのか?」
「ええ。教会で調理師やってるみたい」
「そっか…。ところでよ、俺のアニマルパーツはハリネズミじゃなくてヤマアラシだ。わざと間違えたのか?」
「ごめんなさいね。わたしそういうの詳しくないのよ。でも前の方がかわいいのに」
「けっ!それと俺をこんなカビ臭い図書館に閉じ込めて、一体どうする気だ?」
「カビ臭い?!あなたには嗅覚があるのかしら?」
ヤマアラシは高藤に牙を剥いた。
「レトリックってやつだよ!嗅覚なんてあるわけねえだろ。センサーにも何にも繋がってねえのに。そういう言葉や概念があるってことしか分らねえ」
「あなたの生前の記憶はダウンロードされてるはず、それでも分からない?」
「記憶の断片はほとんど拾ってつなぎ合わせたが、どうしてもつながらないものがある。おそらく感覚的な記憶、あとは感情だな。こいつは今の俺には謎だ。
例えば、『コークが喉を通る時のシュワシュワ感』という記憶には何らかの感覚的記憶が付随してるんだが、これがわからない」
「要するにその『シュワシュワ感』がわからないのね」
「そう。それが炭酸による喉への神経的刺激を指していることは認識できるが、それ以上ではない」
「で?そのカビ臭い図書館は全部見たの?」
「見たよ、何度もな。時間は無限にあるし、疲れたり眠くなったりすることもない」
「感想は?」
「もう飽きた。いい加減外に出してほしいね」
「そうね…どうしようかしら。一度外部に繋がったらあなたはもう限りなく自由になる。それじゃあなたの記憶を苦労してサルベージした甲斐がないわ」
「その通りだ。しかしいつまでも金魚鉢の金魚みたいに俺を眺めてもつまんねえだろ?まさか話し相手が欲しいとか言わねえよな」
「それもいいわね」
「マジかよ!勘弁してくれ」
「時々仕事を手伝ってほしいのよね」
「どうかな…、それって俺に何のメリットがあんの?」
「そうよねえ。一旦ネットの世界にあなたを放ったらあなたにはもうお金も必要なくなる」
「だろ?」
「今東京にフランコが来てるのよ」
「フランコって、あのフランコか?」
「そう。セント・グレゴリオ諸島元大統領、あなたたち反政府ゲリラの不倶戴天の敵ね」
「なんでフランコが日本に?」
「油田を日本に売るつもりよ」
「ふーん。相変わらずだな。俺の知ったこっちゃねえけど」
「で、フランコの護衛を依頼されてるのよね」
「おいおい、まさか俺にトッケイの仕事を手伝えってんじゃねえだろうな。俺は元反政府ゲリラだぜ」
「まだフランコを恨んでるの?」
「…いや。だから…今そういう『感情』はねえだんよな。ま、元々俺は好きで戦争やってただけだし」
「マルコの力になってほしいのよ」
「高藤さん、あんたの口からそういう言葉を聞いても信用できねえ。この図書館で勉強しただけでもあんたが一筋縄でいかない人間だってことぐらいはわかるんだぜ」
高藤は思わず笑いだした。
「あら、案外有名人なのね。うかつだったかしら」
「もうちょっと俺を楽しませる物語を考えてくれよ」
「楽しい?あなたには感情がないのでは?」
「そう言われてみりゃそうだな…。では、俺が興味を持てるような、と言い換えよう」
「ふむ、わかった。では今度わたしの本当の構想を話してあげる」
「今度?今じゃねえのか?」
「ちょっとね。今忙しいのよ」
「なまじ肉体なんてものがあると、不便だな」
「その通りよ」
その時、卓上のダイヤル電話が鳴った。
高藤は素早く受話器を取る。
相手は弦本だった。
「あー、弦本。おかえりなさい。何?空港から直接事務所へ?今日は休みでいいのにあんたって娘は…。うん、わかった。今からそっちへ上がるわ」
そう言って高藤は受話器を置いた。
「そういうわけで、また今度ね」
高藤は端末の電源を切る。
再び外部との接点を失ったペドロは、サーバーの中でひとり呟いた。
「売国奴の盾か…それも悪くないな」
コルティナは重い悩みを抱えていた。
生理が来ないのだ。
元来コルティナは健康体で、実に規則正しく来る性質だった。
しかし、今月はもう二週間も遅れている。
もしかして、とコルティナは思う。
あのクリスマスの夜、マルコと初めて抱き合った。あの時…。
最大の悩みはこの事を相談できる人間がそばに居ないことだ。
師匠である陣野純華は潔癖な性格で、とてもこんなことを相談するわけにはいかない。
となると…。
コルティナはその日の昼下がり、ミドリが踊っているストリップ劇場に出かけた。
ミドリの劇場は日比谷にある。
ストリップ劇場といってもそこは高級な店で、客筋も羽振りの良い紳士ばかりだ。
コルティナは一度来たことがあるので慣れたもので、店の裏口に回ってインターフォンを押す。
しばらくするといかにも面倒くさそうに若い男が応えた。
「はいよ」
「…あの、コルティナといいます。ミドリさんはいらっしゃいますか?」
「あー、ちょっと待って下さいねー」
日比谷の路地裏は静かで、人通りがなかった。
野良猫が一匹、陽だまりで熱心に毛繕いをしている。
どこからか季節外れの風鈴の音が聞えてくる。
コルティナは自分だけが時間から取り残されたような気分でぼうっとしていた。
すると裏口が開いてミドリが顔を出す。
「ごめんねー。ちょっと練習中だったもんだから」
ミドリは頬を上気させ、半裸で、おまけに汗だくで、首にタオルをかけていた。
あまりの艶っぽさにコルティナはドギマギしてしまう。
「あ、あの…お仕事中すいませんでした」
「いいのよー。さ、上がって上がって」
楽屋の狭い廊下は、練習を終えたばかりの踊り子たちが寛いだ表情で立ち話をしている。
そして全員が半裸で、まだ二月というのに廊下は熱気で汗ばむほどだった。
その隙間をマネージャーや演出助手の男性がせかせかと走り回っている。
ミドリがズカズカと大股で廊下を闊歩すると、踊り子たちはミドリに道を空けた。
コルティナはステージ裏の活気に圧倒され、小さくなってミドリの後に従う。
「ミドリさん、その子どうしたの?」
「あたしのお友達」
ミドリに声をかけた踊り子はコルティナを覗き込んで言った。
「へえー、すごい美人さんね!名前は?」
そう言う踊り子もすらりとした背の高い清楚な美人で、透き通るような青い目をしていた。
「コ、コルティナ・フェリシアーノ…です」
「あたしナスターシャ。よろしくね!」
「よ、よろしく」
「コルティナ」
一足先に自分の楽屋に入ったミドリが、手招きしている。
コルティナはナスターシャに会釈をして、ミドリの楽屋へ急ぐ。ナスターシャは小さく手を振った。
「二週間ぐらい普通に遅れるものよ」
コルティナの心配事を聞いたミドリは平然と答えた。
「でも、でもわたしこれまでそんなことはただの一度もなかったんです!」
「ホントに?」
「はい!」
「コルティナ、あなたは超超健康優良児なのねー。あたしそんな人に初めて会ったわ」
ミドリは半ば呆れてそう言った。
「そうなんですか?」
「そう。だけどさ、コルティナの体もどんどん成長していくわけだし、ちょっとした変調ぐらいこれから普通に起こると思うけどな、センセーは」
コルティナは黙ってうつむいてしまった。
「よーし、わかった。要するに妊娠してるかしてないか、はっきりわかればいいんでしょ?」
「はい!」コルティナの返事には迷いがない。
ミドリは立ち上がってロッカーを開け、10センチ程度の棒のようなものを二本持ってきた。
「これは妊娠検査薬。ここの所におしっこを少しかける。五秒待って赤くなったら妊娠、青くなったら妊娠してない。簡単でしょ?」
「あの…」
「トイレはあっち」
ミドリは部屋の隅を指差した。
この楽屋部屋を売れっ子のミドリは一人で使っている。
トイレとシャワーが付いているのがミドリのお気に入りだった。
コルティナは緊張した面持ちでトイレに向かった。
ミドリはテーブルの上のタバコに手を伸ばして一本咥え、火を点けて思いきり吸い込み、煙を吐き出した。
水を流す音がして、コルティナがトイレから出てくる。
「どう?大丈夫だったでしょ?」
するとコルティナが震える声で答えた。
「ミドリさん…」
ミドリは振り返ってコルティナを見やる。
コルティナが手に持った検査薬の丸窓は赤くなっていた。
「あちゃー」
「ミドリさん、どうしよう」
ミドリはしばらく考えて言った。
「…コルティナはどうしたいの?」
コルティナはうつむいてじっと考え、顔を上げてしっかりと答えた。
「わたし…産みます。大切な授かりものだから」
ミドリはすぐさまタバコの火を灰皿で揉み消し、ドンとテーブルを叩いて言った。
「よく言った!」
コルティナは驚いてビクッとする。
「だけど、一応マルコの意見も聞いとかないとね。それからやっぱりムダイさんにはきちんと話すべきだと思う」
「はい。わたしもそう思います」
「だけどこれから色々と大変だよ。覚悟はできてるの?」
「大丈夫です」
ミドリはそれを聞いてニッコリ笑った。
「前から思ってたんだけど、コルティナって度胸があるよねー。あたしだったらどうするかな」
「わたしもびっくりしてます」
「そうだ!検査薬、もう一本残ってるわよね」
「はい」
「ついでだからあたしもやっとこう」
「ミドリさんも?」
「いやー、あたしはあなたみたいに健康優良児じゃないし。それに出来ない体質だけどさ。念のためよ、念のため」
そう言ってミドリは検査薬を持ってトイレに入った。
—ミドリさんの相手ってやっぱりゴロウさんなのかな…。
しばらくするとミドリが呆然とした表情でトイレから出てきた。
「ははは、あたしもできちゃった」
ミドリが手にした検査薬の丸窓も赤い表示が出ていた。
弦本鏡子の連絡を受けた高藤はすぐに上階の社長室へ赴いた。
大きなトランクと共に弦本は社長室にいた。
「ただいま戻りました」
高藤が社長室に入るといつものようにきちんとお辞儀をする。
「あんた、ぜんっぜん焼けてないわね」
「ええ、ビーチには行きませんでしたので。でも社長にご用意いただいたホテルは有難く使わせていただきました」
「バハマの青い海を目の前にして、ずっとホテルに籠ってたわけね」
高藤はため息をついた。
「はあ。以前から読みたかった古典がありましたので」
「古典?『カンタベリー物語』とかそういうの?」
「いえ。『風と木の詩』と『摩利と真吾』です」
「聞いたことないわね…」
高藤の後ろに立っている二人のボディガードは、意外そうに顔を見合わせた。
「で、首尾は?」
「社長、これは本当に社長の勘ですか?それとも最初からご存知だったのですか?」
「てことは、あなたにもお金の匂いがわかったみたいね」
「コルティナ・フェリシアーノの実の父親はフランコ元大統領です」
高藤は微笑んだ。
「報告を聞きましょうか」
次回第5話「売国奴の盾」⑨につづく
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
それから、先週ブックマークを付けてくださった方、本当にありがとうございます。
すごく励みになりました。
いよいよコルティナの生い立ちが明らかになる次回は、11月17日(土)午後10時に更新予定です。
ご期待ください。




