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第2話「マルコの事情」~戦場の追憶 Ⅱ~

中米の小国、セント・グレゴリオ諸島で共産ゲリラの少年兵として戦ったマルコ・フランスアは、数奇な運命を経て日本にやってきた。荒廃した日本で屈辱的な生活を送っていたマルコはある夜、「トッケイ」と名乗る私兵集団に誘われる。そして出逢った同郷の少女コルティナ。マルコの運命は大きく動き始める。

 マルコは叫びながら目を開ける。体は汗まみれだ。

 その視界にはマルコを心配そうにのぞき込んでいるコルティナの顔があった。

 マルコの名前を呼んでいたのはコルティナだったようだ。

 コルティナはえんじ色の作務衣のようなシンプルな服を着て、マルコの傍らに座っている。

 コルティナは驚き、少し怯えてかすれた声でマルコに話しかけた。

「ごめん。びっくりした?」

 マルコは少し体を起こしながらコルティナに問いかける。

「ここは…?」

「私たち、ムダイさんのお家に住むことになったでしょ?」

 マルコが正式にトッケイのメンバーとなった時、彼らを引き取ることを強く主張したのはムダイだった。

 東京の郊外、八王子にあるムダイの広大な邸宅には、人種や国籍を問わずマルコやコルティナのような子供たちが共同生活をしていた。

 ムダイ邸にやってきたその日にマルコは高熱を出して倒れ、それからもう丸3日間眠り続けている。

「あ、そうか。じゃ、今のは…」

 マルコはぼんやりと呟いて崩れるように横になり、また眠り始めた。

 コルティナは心配そうにマルコを見つめ、畳の上に落ちた濡れタオルをマルコの額に置き直した。



 ムダイからマルコとコルティナの世話を命じられたのは高弟の一人、陣野純華じんのすみかだった。

 無駄な物が一切置かれておらず清潔で明るい純華の居室で、コルティナは純華と向かい合っていた。

 純華は三十前の若々しい女性で、黒い髪を無造作に切ったショート・ヘア、コルティナと同じような上着を着ているが、下は黒い袴を履いている。

「そう…、まだうなされているのですね」

 純華は心配そうに少し眉をひそめながら、低く落ち着いた声で言った。

「はい」

 コルティナはうなだれて答える。

「ムダイ老師のご指示はとにかく寝たいだけ寝かせて、食べたいときに食べさせろ、ということなのです。」

「でもあのままでは…!」

 コルティナは前にのめるようにじり出て、大きな瞳を潤ませつつ言った。

 純華はコルティナのマルコに対する愛情の深さに驚きつつ、この娘が生来備えている力強い聖性に少し気圧けおされたが、なによりその真っ直ぐな心に打たれた。

 純華は微笑みながらコルティナの手をしっかりと握って答えた。

「心配なのね。大丈夫、あの子は強いわ」

 コルティナは純華を見つめて、力強くうなづいた。




                  ×××××××




 ジャングルは夜を迎え、冷え込んできた。マルコたち少年兵は座って焚火をかこみ、行軍中の休憩をとっていた。

 少年兵たちは皆一様に飢えてやつれ、落ちていく太陽の最後の光を受けて、目をギョロギョロと光らせている。

 マルコの隣では少年兵が目を開けたまま死んでおり、その眼球にハエがとまっていた。

「腹、減ったな…」

 さすがのペドロも元気がない。


 マルコが無言で地面にナイフを投げる。ナイフの先には大きな茶色のサソリが刺さり、うごめいていた。

 マルコはナイフに刺したま焚火でサソリを念入りに炙ってペドロに差し出す。

「いや、俺はエンリョしとく」

 ペドロは身をのけぞらせてマルコのプレゼントを断った。

 マルコ無言でバリバリと音をたてながら食い、最後に残ったサソリの尾の毒針部分を焚火に投げ入れる。

 ペドロが気味悪そうにそれを見ながら言った。

「あ~、コークが飲みてぇ」


 不意に近くの繁みからガサガサという音がした。

 少年兵たちは反射的に銃を取り、一斉に音のする方に身構える。

 出てきたのは幼年兵のバルタザールだった。

「脅かすなよ。バルタザールじゃねえか」

 ペドロは日頃からこの幼年兵を弟のようにかわいがっていた。

 全員、安堵の表情で銃をおろしかけたが、すぐにバルタザールのただ事ではない様子に気付く。

 バルタザールは顔中血まみれにして、胸には缶詰を幾つか抱えている。そして泣きながら言った。

「殺しちゃった…お腹が空いちゃって。さっきのお婆さんを」

 緊張が切れたバルタザールは大声を上げて泣き始める。

 マルコはしゃくり上げるバルタザールを素早く抱き締めた。

「バル、大声を出しちゃだめだ」

 バルタザールの抱えた缶詰が地面に転がり落ちる。

 バルタザールは戦場の緊張感を取り戻し、とっさに泣き声を抑えた。

「殺ったのか、バル!でかした!」

 ペドロは地面に落ちた缶詰を隊長に見つからないよう素早く拾い、皆に配る。少年兵たちはわれ先にと缶詰を受け取った。

 ペドロは缶切りで缶詰を開けながら憎々しげに言った。

「あの婆ァ、やっぱり溜め込んでやがったな」

 ペドロが開いた缶詰をバルタザールに差し出す。

 バルタザールは最初少し食べ、次第にガツガツとむさぼりはじめる。

 ペドロは自分も缶詰を食べながらバルタザールにニコニコと語りかけた。

「うまいか!」

 バルタザールはもう泣いていない。そして無感動に「うまい」と呟いた。

 マルコ、その様子を虚ろな表情で眺めている。

 そんなマルコにペドロは自分の食べている缶詰をマルコに差し出す。

「マルコ、お前も食えよ。」

「僕はいい。ペドロ、お前が食べろ」

 ペドロは心外な表情で言う。

「さっき俺がサソリ食わなかったの、怒ってんのか?」

 マルコはペドロの見当外れの気遣いがおかしく、微笑わらいながら「違うよ」と答えた。



                ×××××××



 明け方、目を覚ましたマルコは仰向けで天井をボンヤリと見ている。

 見慣れない和風建築の、格子模様の竿縁天井だ。

 そして嗅いだことのない畳の匂い。

 マルコはぼんやりと、自分はどうしてここにいるのだろうと考えていた。



 同じ頃、午前六時、ムダイ邸内の居室ではコルティナが起きだして、パジャマから作務衣に着替えていた。

 ここでは13歳以上の子供は希望すれば例外なく個室を与えられる。


 午前6時30分からは清掃だ。

 コルティナが最初に入ったのは長い廊下を雑巾がけする組で、これは一か月単位で他の仕事と交代する。他の弟子たちも、年齢に関係なく庭やトイレなどを一斉に掃除している。


 午前7時からは朝食。

 これはムダイ邸の大広間で、一部の高弟を除いて全員で食べる。

 200人を超える子供たちが一斉に食事を摂るのだから大騒ぎだ。

 そして年長の子供たちは、自分たちが安心して食事をするために、自然と積極的に幼い子供の面倒をみるようになる。

 コルティナの隣に座った7歳くらいの男の子は、生玉子を割ってご飯にかけ、さらに醤油をかけ、ぐちゃぐちゃとかき混ぜて食べている。生玉子を食べる習慣のないコルティナはちょっと気持ち悪そうにその様子を見ている。

「…それ、おいしイ?」

 男の子はコルティナに見向きもせず、自分の顔ほどある丼をかきこみながら大きな声で「うまいよ!」と答えた。

「あげる」

 コルティナは男の子に自分の玉子を差し出す。

 すると男の子は嬉しそうに更に大声で、叫んだ。

「ホントか?ホントにいいのか?」

 コルティナは男の子の喜びように驚き、苦笑しつつ、自分の唇に人差指をあてて「しーっ」と男の子をなだめた。


 食事と後片付けが終わると座学が始まる。

 年少の子供たちは国語・算数・理科・社会。

 年長の子供たちは鍼灸の座学。

 それ以上の未成年者はムダイとその高弟の助手として診療実習に加わる。

 まだ日本に来て間もないコルティナは別室で純華から平仮名の読み書きを教わっていた。


 こうした日常に少しでも空いた時間があればコルティナはマルコを見舞った。

 マルコは相変わらず眠ったままだが、熱が下がったのはコルティナにとってひと安心だった。

 トイレに行く時だけ、まるで夢遊病者のように立って歩くのが不思議だったが、男の子とはそういうものなのだろうか、とコルティナは思う。

 コルティナはマルコの居室の障子を少しだけ開けて覗き込む。

 マルコはよだれを垂らしながら、だらしない格好で眠っている。

 そこには出会った夜の張りつめた雰囲気は微塵も感じられなかった。

 コルティナは静かに微笑んで、障子を閉めた。



                 ×××××××




 セント・グレゴリオ諸島は雨季に入った。熱帯雨林独特の激しい雨が降りしきる中、少年兵たちは全員ずぶ濡れで、くるぶしまで泥に浸かって行軍を続ける。

 マルコの足の親指の爪は変色して、自然に剥がれてしまった。

 軽装のロペス隊長にひきかえ、少年兵たちは弾薬など重い荷物を担がされ、苦しそうにあえぐ。

 しかしロペスは意気軒昂だ。

「もうちょいだ!がんばれ!ここを越えりゃあ一息つけるぞ!」

 ペドロがロペスに聞こえないようにブツブツと文句を言う。

「最初にもうちょいって言ってから、2時間は歩いてるじゃねえかよ」

 突如バルタザールが水溜りに倒れる。

 マルコとペドロは倒れたバルタザールに駆け寄り、抱き起こした。

 意識が朦朧もうろうとしているバルタザールの耳元でペドロが叫ぶ。

「バル、しっかりしろ!」

「寒い…。眠い…」

 バルタザールはうわ言のように呟く。

 マルコはバルタザールの体を強く揺さぶりながら声を掛けた。

「バル、眠っちゃダメだ!歩かないと」

 バルタザールは残った力を振り絞るように懐から缶詰を出して、震える手でペドロに差し出す。

「とっておきなんだ。あげる…」

 そのままバルタザールは泥水に突っ伏した。

 泥水から泡となってバルタザールの最後の息が浮かび、消えた。

「バル!バル!」

 ペドロ、泣きながら呼び続ける。

 マルコはもはや何の表情もなくそれを眺めている。

 雨は降り続けた。


                   第2話「マルコの事情」~敗走~に続く





読んでいただき、ありがとうございました!

第2話では、故郷でのマルコの戦い、そしてムダイ邸で暮らすことになったマルコが日本にやってくるまでを描きます。

次回掲載は1月6日(土)夜10時を予定しております。

お楽しみに!

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