第5話「売国奴の盾」~亡霊~
マリア達の市ヶ谷襲撃はティゲリバのシアン狙撃により、失敗した。
トッケイは防衛省から六本木特区のシェルターにフランコを迎え入れ、護衛の任につくこととなった。
マリア達の市ヶ谷襲撃事件よりほどなくして、駐屯地内では奇妙な噂が流れるようになった。
駐屯地には数百人の隊員たちが生活している隊舎がある。
そこに幽霊が出るというのだ。
隊舎での噂が広まるのは早い。
事件から一週間もしないうちに幽霊の噂を知らない者は、駐屯地に一人もいなくなった。
指揮通信システム隊の佐倉みずほ二等陸士は、遅い昼食を摂ろうと厚生棟の一階にある大食堂にやって来た。
ここのところあまり食欲がないので今日はいつもより軽めに茄子とトマトソースのパスタを選び、席を探す。
「みずほ!こっちこっち!」
彼女を目ざとく見つけた同期で会計隊の二階堂真紀が声を掛ける。
今日はひとりになりたかったみずほだが、こうなっては仕方がない。真紀のグループ数人が座るテーブルに足を向けた。
「昼食?遅いね」と真紀。
「んー、ちょっと食べそびれちゃって。忙しいんだよね」
「聞いた?志保の彼氏、こないだの時殉職したって」
「ほんとに?!」
市川志保は真紀と同じ会計隊の同期で、真紀とつるんでやたらと合コンを企画していた元気者だが、そういえば今日はいない。
どことなくこのテーブル全体にいつもの活気がないのはそういうことか…。
みずほはパスタを頬張りながらそんなことを考える。
―そういえば志保の彼氏って会ったことないな。
「まさか市ヶ谷でこんなことが起こるなんてね…」
「ここは安全だと思ってた」
会計隊の面々の声には隠し切れない不安が滲んでいた。
市ヶ谷駐屯地全体の空気がそうなのだが、いつもは元気すぎてこの食堂でも上官によく叱られる彼女たちも声を潜めている。
―そうだ。市ヶ谷の人間は、戦争はここじゃないどこか遠くで起こるものだと思い込んでいる。
そういうみずほもついこの間まではそう思っていた。
「みずほの所はどう?」と真紀。
「体調不良者が続出でここんとこ当直ばっかだよ」
「うちもそう。強引に実家に呼び戻されてる子もいるんだよ。危ないからって」
「だってあたしら自衛隊なんだから、普通のOLみたいなわけにはいかないでしょ」
「でも親は心配みたいよ」
みずほは両親とも元自衛官で今は退官し、千葉で田舎暮らしを楽しんでいる。
事件の後母からは一度連絡があったが、それっきりだ。
「ところでさ、みずほ…」
「ん?」
「出るって噂、聞いた?」
「出るって何が?」
「ユーレイよ。あんた知らないの?」
「あれでしょ?自分の血みどろの首を脇に抱えた文豪とか、東京裁判で絞首刑になった人とかそういうの」
「違うわよ。あれから毎日、隊舎に出るって。知らないのみずほぐらいだよ」
「んな馬鹿な…。真紀は見たの?」
「あたしは…まだ見てない」
「で、どんなのが出るって?」
「それが十三歳ぐらいの女の子だって。真っ白いワンピース着て、やっぱり真っ白い大きな帽子を被って、トイレの前に立ってるんだって」
「トイレの花子さんじゃあるまいし。学校の怪談?ここ市ヶ谷駐屯地だよ?」
「ここ、いいかな」
みずほたちが見上げると指揮通信システム隊の衛藤二尉が、カレーを乗せたトレイを持って立っていた。
「ど、どうぞ」
みずほは突然の上官の出現に慌てて、椅子を引いた。
「あー、おかまいなく、ね」
衛藤はこの食堂でいつも一人愛妻弁当を食べている。
気さくな人柄で、みずほたちの合コンにも時々参加し、気の小さい男子隊員をサポートしてやったり、飲み代も気前よく出してくれるので、隊員たちに人気があった。
「あれ?衛藤二尉、今日は愛妻弁当じゃないんですかー?」
真紀がいたずらっぽく指摘すると、衛藤はみずほと目を合わせて溜息をついた。
「佐倉もそうだけど俺、もう三日も帰ってないんだ」
「えー、どうして?」
「まあいろいろと…。そうだ佐倉、お前今日は1700で上がっていいぞ。代わりは同室の富村にやってもらう」
「いいんですか?」とみずほ。
「年頃の女の子が職場に三日も泊りなんて、自衛隊の評判がますます悪くなると困るからね」
そう言って衛藤は食べかけの皿にスプーンを放り入れ、椅子にだらりともたれ、言った。
「あー、俺もいい加減風呂入りたい」
「奥さん、心配してませんか?」と真紀。
「いやー、もうそろそろ帰らないといい加減やばい」
衛藤は再びカレーをパクつきながらもごもごと言った。
その日、みずほは夕方に仕事を終え、早めに駐屯地内の隊舎へ帰った。
まずは浴室に直行し、さっぱりして自室に戻る。
同室の富村榛名はみずほの代わりに当直なので、今晩はみずほ一人で部屋を独占できる。
みずほは富村の空いたベッドに手を合わせて呟いた。
「先輩、すんません!」
とにかく寝よう。そう思いベッドに入り、明日の目覚ましをかけて目を閉じると、あっと言う間に眠りに落ちてしまった。
真夜中、みずほは喉が渇いて目を覚ました。
寝ぼけ眼で共用の冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出してゴクゴクと飲む。
時間を見るとまだ午前二時だ。
―トイレ行っとこう。
そう思い立って、パジャマにカーディガンを引っかけて廊下に出る。
常夜灯が点いているとはいえ廊下は薄暗く、シンと冷え切っていて静かだった。
リノリウム張りの床をスリッパの音を立てないようにこっそりと歩く。
廊下の角を曲がった時、みずほの目の前を白い影がスゥッと横切った。
みずほはブルっと震え、一瞬声を上げそうになったが声が出ない。
白い影はふわりとしたワンピースを着た少女で、顔は白い大きな帽子で見えない。
少女は暗い廊下の突き当りに立って、微笑んでいる。
少女を凝視していたみずほは、やがてその異様さに気付く。
ワンピースのおなかの部分がまるで臨月の妊婦のように異様に膨らんでいる。
「誰か!」
勇気を出してみずほが少女を誰何すると、少女はみずほに微笑みを向けながらトイレに入って行った。
―誘ってる。
「幽霊なんて信じないぞ!」
そう呟いてみずほはトイレに入った。
しかし、トイレはガランとして人の気配がない。
ひとつひとつ、端から個室を見て回ったみずほは、一番奥の個室を見てあ然とした。
便座の蓋の上に敷かれた分厚い座布団には、「Marco2」と表面に殴り書きされた直径30センチほどの金属製の球体が鈍い輝きを放って鎮座していた。
高藤は珍しくティゲリバから呼び出しを受け、銀座の事務所を訪れた。
ティゲリバはいつものように地下の映画館跡で古いフィルムを見ていたが、その顔にはいつもの精気がなく、疲労の色が濃かった。
スクリーンではチャップリン扮する独裁者が、地球儀をボールのように自在に操り、踵で蹴り上げていた。
「あら、チャップリンはお嫌いじゃなかったかしら」
「現実があんまりひどいとたまには口当たりのいい嘘がほしくなる」
「市ヶ谷のこと?」
「そうだが…、あれから新しい展開があった。最悪だ」
ティゲリバはそう言って映写室に入り、映写機を止め、客席の電気を明るくして戻ってきた。
そして茶封筒から分厚い資料を取り出す。
「まずこれを見てくれ」
写真には金属製の球体が写っている。
「表面に何か書いてあるわね」
「Marco2と読める」
「マルコ?」
「奴らのリーダーはあんたのとこの坊やの妹って話だったな」
高藤は思わず固唾を呑んだ。
「一週間前に市ヶ谷駐屯地隊舎内の女子トイレの個室で発見された。こいつは二つのアルミ製のボウルをねじ止めしただけのふざけた代物だが、その中身がこれだ」
次の写真はアルミ製の外殻を取り外したその中身で、それは三十二面体のサッカーボール状の形をしていた。
「これって…!」
「そう、原子爆弾だ。インプロ―ジョン型のな」
ティゲリバは次の写真を見せた。
「これがスキャニング映像、真ん中に直径10センチくらいの空洞があるだろ?そこに本来はプルトニウムが入ってるはずなんだが、こいつにはほんの試料程度かけらが入ってた」
「まさか!」
「そう、残念ながらそのまさか。防衛研究所の調査ではその試料はプルトニウム。そしてプルトニウム240の含有率は約5%」
「それって…」
「残りは全部核爆弾におあつらえ向きのプルトニウム239だ。つまり非常に純度が高い。三十二面体の爆縮レンズが理論通り爆発すれば、臨界爆発するのに十分な完成度があるってことだ」
「規模は?」
「もう少し調べてみないとわからん。が、真ん中の空洞をぴったりと埋めるだけのプルトニウムが確実にすべて臨界すれば、20キロトン。この大きさでも広島に落とされた原爆ぐらいの威力がある」
「それをわざわざ市ヶ谷に…。間違いなく奴らの仕業ね」
「脅しか、それとも挑戦か」
「いずれにせよ、奴らは本物の核爆弾を持ってる。そう考えるべきなんだわ」
「高藤さん、あんた、とんだ疫病神を連れてきてくれたな」
高藤は険しい表情で唇を噛んだ。
六本木特区のシェルターでは、フランコ元大統領を迎えるための改装がほぼ終了していた。
キッチンまで備えた仕様で、何日でも滞在できるようになっているが、マルコ達が驚いたのはその意外に簡素な趣味だ。
それは全く飾り気がなく、コンクリート剥き出しの壁と天井と床には、フランコが「監獄を思い出す」という理由で真っ白い壁紙が貼られ、フローリングマットが敷かれていた。
調度品も必要最小限度で、フランコ用の事務机は企業のオフィスで使われている平凡なものだ。
ただ、フランコの父親用のベッドのみ、最先端の介護ベッドが持ち込まれ、それが唯一の贅沢品といえた。
ゴロウが部屋をぐるりと見回して言う。
「へえー、フランコってこんなに質素な生活してんの?俺が聞いた話とだいぶ違うなあ…」
「僕も。フランコは国民から搾り取った財産で贅沢三昧をしてるって…赤軍の上官から聞いてたんだけどな。高いワインを風呂に使ってるとか、古い名画を買い漁ってるとか、高級車ばかり50台ぐらいもってるとか」
壁には名画どころか絵すら飾られていない。そこは質素というよりは空疎というべき空間だった。
そこへクガが、配送業者を連れて入ってくる。
業者は台車に三台分、段ボール箱で十五個ほどの荷物を搬入した。
「お、やっぱビンテージワインか?」
興味深そうに段ボールの山に近づくゴロウに、クガがすげなく言う。
「こいつは戦闘糧食と水だ」
「そんなもん誰が食うのさ」
「フランコとその父君だそうな」
「やっぱり聞いた話とずいぶん違うな」
ゴロウはマルコと顔を見合わせて言った。
「僕なんか見たことも聞いたこともないものを食べてるんじゃないかって思ってた」
クガの電話が鳴る。
「はい、了解しました。こちらは地下で待ってればいいですか?はい、了解」
「来たのか?」
「来た。俺がエレベーター前まで出迎える。お前ら二人はシェルターを最終チェックして、終わったら施錠して扉の前で待て」
「へいへい」とゴロウ。
クガは足早にエレベーターに向かいながら振り返り大声で怒鳴った。
「ゴロウ、シャツの裾はちゃんとズボンに入れとけ!それから地下室のチェックも忘れるんじゃないぞ!」
そう言い残してクガはエレベーターに消えた。
ゴロウがニヤつきながら呟く。
「あれか?あのダンナは案外権威に弱いとか。軍人気質ってやつ?」
マルコは苦笑いしながらシェルター地下への入り口を開き、下りていった。
次回第5話「売国奴の盾」⑦に続く
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
先週の連投でくたびれて、一時はどうなることかと思いましたが、何とか書けました。
インプロ―ジョン方式の原子爆弾については、ネットで調べた範囲でしか書けませんが(当たり前だ)、間違っている箇所がありましたらご指摘ください。
この小説の軍事知識は極めていい加減に書かれておりますので、どしどし指摘していただければとありがたいです。
せめて防衛省ぐらい見学しとくんだったと後悔しております。
小説家、見てきたような嘘を書き、を地でいってますな(笑)。
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