第5話「売国奴の盾」~市ヶ谷炎上~
マルコとコルティナは互いの誤解を解き、愛を告白し合う。
その頃、トッケイにフランコ元大統領の護衛任務の話が持ち上がる。
クガとゴロウは反政府軍の少年兵だったマルコを心配するが…。
※ 今回はグロテスクな描写を含みますのでご注意ください。
防衛省がその敷地内にフランコを匿ったことは、ティゲリバこと伊庭景虎の信奉者である自衛隊幹部から、直ちにティゲリバの耳に入った。
ティゲリバは激怒し、即座に朋友でもある大友統合幕僚長に事務所から電話を入れた。
「大友!どういうつもりだ!!」
「どうもこうもない。内閣総理大臣からの要請だよ」
いきなり怒鳴られた大友はむっとして答えた。
「なんで自衛隊が、亡命してきた独裁者を匿う?それで国民が納得するのか?」
電話の向こうでしばし沈黙があり、大友は声を潜めて不愉快そうに話し始めた。
「今度の事は首相より、防衛大臣がえらく乗り気なんだ。どうやら他の閣僚を出し抜くチャンスと見ているらしい」
「油田の利権に一口乗っかろうって魂胆だな」
「そうかもしれん」
「冗談じゃない!自衛隊は大臣の私兵じゃないぞ!!」
「わかってるよ。わかってるが…、たかだか暗殺者から命を救ってやるってだけだろ?仮にも国家の一元首だった男をテロリストから護ってやるんだ。道理はあるぞ。お前こそそんな熱くなって…、おかしいんじゃないか?」
「フランコが何をしてきたか、知らないわけじゃないだろ?」
「そうとも、やつは国民を食い物にして肥え太ったブタだ。しかしな伊庭、ここは日本なんだよ。俺たちの国だ。俺たちの国でテロリストたちに好きなようにさせるわけにはいかん」
「しかし、そのテロリストは…」
―高次特異技能者かもしれん。
ティゲリバはその言葉をとっさに呑み込んだ。
この状況でその言葉を出すにはあまりにも非現実的すぎる。
彼は大友陸将が情に厚い人物である一方、実務では超合理主義者であることもよく知っていた。
そもそも高藤からその可能性を聞いたティゲリバですら未だに半信半疑なのだから。
「おい、電話が遠いぞ。テロリストがどうだって?」
「いや…、とにかく慎重に行動してくれ。相手を見くびるな」
「大丈夫だ。ちょいと大袈裟だが戦闘ヘリまで準備してある…」
その時、電話の向こうに爆発音がはっきりと聞こえた。
「大友!何だ、今のは?」
大友は冷静だった。
「何かな。とりあえず電話を切るぞ!」
「大友!おい!大友!」
電話は切れた。
「クソッ!」
ティゲリバはフィールドコートを羽織って、部屋を飛び出す。
反射的に腕時計を見ると、午後十時きっかりだった。
午後十時少し前、防衛省正門の立哨が交代しようとしたとき、彼女らは忽然と姿を現した。
黒い布で頭から覆われた少女は胸に黄色い服を着た赤ん坊を抱き、その傍らには背が高く、細身で赤い髪の若い男がマントを着て立っていた。
「何者か!」
立哨の隊員が誰何すると、男はマントから赤いメタリックの義手をゆっくりと出し、何かをギュッと掴むような門仕草をした。
突如、正門の内側に止めてあったトラックが爆発した。
トラックの燃え上がる炎に照らし出され、少女は頭にすっぽりと被ったフードを脱ぎ、顔を覆った黒いヴェールを上げた。
そのあまりの美しさに隊員たちは凍り付く。
「Buenas noches」(おやすみなさい)
少女は冷然と夜の挨拶をする。
「敵襲!」
ようやく隊員の一人が叫ぶ。
交代にやってきた者を含めた立哨の隊員たち二十数名の89式自動小銃が一斉に火を吹く。
しかし弾はまったくこの奇妙な一団に一発たりとも命中しない。
数百発の5.56ミリ弾は見えない壁にはじき返され、彼らに届く前にバラバラと地面に落ちた。
隊員たちは恐慌をきたし、引き金を引き続け、弾倉を交換してなおも連射し続けるが、弾丸は全て雨傘に落ちた雨粒のように音を立てて跳ね返る。
正門前の路上はたちまちひしゃげた弾丸と薬莢で埋め尽くされた。
すると赤毛の男が義手を胸の前に水平に上げ、そのままグッと押し下げた。
自衛隊員たちは真上から極めて正確に垂直に、逃れられない強力な重力に襲われ、メリメリと肉体を押し潰されていく。
背骨と肋骨は破断して皮膚を突き破って体外に顔を覗かせ、収縮していく肺から無理矢理押し出された空気は気道を通り、彼らの断末魔となって声帯を震わせる。
彼らはことごとく圧死し、踏みつぶされた小動物のように無惨な肉塊と化して地面にべったりと張り付いた。
マリアはイエローを抱き、マゼンタを連れて正門をくぐる。
庁舎B棟からそびえる通信鉄塔の最上部にはシアンが手すりに摑まり、髪をなびかせながら周囲を睥睨していた。
身を切られるような強い寒風に晒されながら、しかしシアンは滝のように汗をかいていた。
彼女は精神を極限まで研ぎ澄まして敷地内のすべてを探り、そうして得た幻映をマゼンタとイエローの頭に送っている。
「戦闘ヘリが二機に、戦車みたいなのが二両、フランコはたぶんA棟よ…」
シアンの顎に滴る汗が風で飛ばされる。
「間違いねえ、A棟は武装した兵隊だらけだ。シシシッ!ここに居ますって大声で叫んでるようなもんだぜ!」
イエローがマリアの胸に抱かれて嗤う。
マゼンタは停車している車両を片っ端から握り潰し、押し潰し、あたりを火の海にしていく。
三人は正門からD棟前の儀仗広場に上がるエスカレーターに差し掛かる。
エスカレーターは止まっており、三人は歩いて登って行く。
「まったくここはサービスが悪いぜ!これじゃただの階段じゃねえか!もうちょっとバリアフリーってやつに気を配ってほしいね」
イエローは上機嫌だ。
三人は狭いエスカレーターで上と下から銃撃を浴びるが、はじかれた無数の弾丸が滝のように転がり落ちるだけだった。
「ママ、足元に気を付けてくれよ。こんなとこで転んだらつまらねえ」
銃撃していた隊員たちはマゼンタに握り潰されて飛び散り、あっという間に有機物と無機物が複雑に混ざり合った正体不明の肉塊と化した。
エスカレーターを上がって儀仗広場に出た三人を待ち受けていたのは二両の十六式機動戦闘車だった。
ティゲリバのジープはフルスピードで防衛省へ急ぐ。
助手席にはケースに入ったSV98狙撃銃。
ティゲリバ本人は安全ベルトをしていなかったが、このケースには安全ベルトがしっかりとかかっている。
靖国通りに入ると、防衛省から火の手が上がっているのが見えた。
―まさか…、奴らの能力はそんなに圧倒的なのか!
目の前で起きている現実が、否応なくティゲリバに高藤の言葉を思い出させていた。
ジープを防衛省の正門につけ、飛び降りたティゲリバは信じがたいものを目撃した。
巨人の足に踏みつぶされたように、地面に丸く張り付いた二十数個の肉塊。
その周囲には血や体液が飛び散り、元は人間であったと思われるそれの真ん中には、皿のように平たくなった迷彩模様の鉄板がことごとく張り付いていた。
かつては鉄兜だったものだ。
「…冗談だろ」
ティゲリバは総毛立つ思いであたりを見回した。
悪い夢を見ているようだった。
―これが奴らの力…。
マリアたちが通ったあとは炎と血の滴る肉片が道しるべとなっている。
ティゲリバそれを避け、狙撃銃のケースを抱えてA棟へ走った。
機動戦闘車はいきなり砲撃した。
しかしその砲弾もやはり三人に届くことはなくその手前で爆発し、炎と煙は三人の周りにドーム状の模様を一瞬浮かび上がらせて後方に流れた。
「クゥ~ッ!今のはちょっと痺れたぜ!人間様に向かって対戦車砲でゼロ距離射撃とは無茶しやがる!!ヒヒ!殺る気マンマン、残酷極まりねえやつらだな!」
イエローが喚くが、その声には嬉しそうな響きがある。
マゼンタが掌を目の前の高さまで上げ、ゆっくり水平に下ろす。
すると機動戦闘車に真上から強い重力が徐々にのしかかり始める。
まずサスペンションがギシギシ悲鳴を上げ、八つのタイヤはオイルをまき散らしながら文字通り八方に弾け飛んだ。
そのうち二つはもう一両の機動戦闘車を直撃し、大きく揺らす。二つはガラスを突き破りD棟に飛び込み、残りは大きくバウンドして敷地の外まで飛んでいった。
マゼンタはなおもゆっくりと力を込めて掌を下ろし続ける。
車輪を失った機動戦闘車は軋みながら、まず砲塔が車体にめりこんでいく。
この時点で四人の乗務員たちが車両から脱出する手立ては失われた。
マゼンタのこめかみに汗が浮かぶ。
なおも力を込めて掌を押し下げると、車両は鉄がこすれ合い、まるで怪物の咆哮のような音を立てながら圧縮されていく。
そしてついに積んでいた榴弾砲が凄まじい轟音と共に内部で炸裂した。
爆発の炎と熱風はマゼンタの掌で押し付けられるように地面を這って両横に長く噴き出す。
もう一両の機動戦闘車は慌ててバックし、隣のA棟にリアから突っ込んで停まった。
30トン近い車重の直撃を受けた衝撃でA棟は少なからず揺れ、壁材がガラガラと落下する。
戦闘車の操縦員はよほど怯えているのか、リアを半分壁にめり込ませたままなおも後退しようとしてタイヤを空転させる。
あたりにゴムの焦げる臭いが漂い始めると、戦闘車はなぜか発煙弾を次々と発射した。
儀仗広場は白煙に包まれて何も見えなくなった。
「なーにやってんだかな…」
猛然たる反撃を期待したイエローは肩透かしを食らって不機嫌そうだ。
A棟はパニックに陥っていた。
情報は錯綜し、隊員たちはわけがわからずただ走り回っている。
そこへ激しい揺れ。
ティゲリバは迷わず中央指揮所へ向かった。
次々と消えていくモニターに中央指揮所は大騒ぎで、大友はその真ん中で腕組みをして呆然していた。
「大友!」
「…伊庭、敵は…やつらはいったい何者なんだ」
大友は唇を震わせながら伊庭に訊ねた。
「とにかくここに居てもどうにもならん。俺はもっとよく見えるところに行く!」
市ヶ谷での戦闘の音は、都内に響き渡っていた。
先日の戒厳令以来噂となっていた自衛隊のクーデターがついに始まったのか、そう思う人々は多かったが、その大半は台風を恐れるように自宅にひっそりと籠っていた。
テレビは例によって何の情報も伝えない。
六本木特区でも爆発音が聞こえ、マルコ達は全員屋上へ上がっていた。
市ヶ谷方面が燃えている。
赤い炎が見え、銃声はここまで聞こえてくる。
「うへっ!まるで戦争だな、こりゃ」
ゴロウはそう言いながら、かじりつくように覗いた双眼鏡を手放さない。
クガは高藤に電話で状況を報告している。
「防衛省が襲撃されてます。え?フランコが防衛省に?どうして?!」
マルコは炎を見ながら、何か言葉にできない胸騒ぎを感じていた。
電話を切ったクガが二人に言う。
「会社からヘリが来る!ヘリポートの照明を点けるぞ!」
冷たい北風が吹きつけるA棟屋上のヘリポートに出たティゲリバは、ケースから取り出したSV98を素早く組み立て、周囲を見渡した。
下からは断続的な爆発音に混じって、銃声と叫び声、悲鳴が聞こえてくる。
はるか頭上にそびえる立つ通信鉄塔は下から炎に照らし出され、ほのかに赤く浮かび上がって見える。
ティゲリバは何かを感じ、鉄塔の上方を凝視した。
―誰か居る。
SV98を構えて、夜間モードに切り替えたデジタルスコープを覗く。
スコープは鉄塔の一番高いステップに立つ若い女、シアンの姿を捉えた。
髪を風になびかせ、青いゴーグルで視界を完全に覆ったシアンは地上の惨劇を眺めて口元に笑みを浮かべる。
スコープ越しにその笑みを見た瞬間、ティゲリバはその異形の女が敵であることを直感する。
ティゲリバはSV98の銃先から二脚を取り外し、片膝をついて大きく仰角に構えた。
そして再び覗いたスコープの十字線、その真ん中にシアンの横顔を捉える。
「南無三」
ティゲリバは呟く。
が、次の瞬間、スコープの中のシアンがこちらを振り向いた。
自分が覗き込まれてれているような感覚にゾクッと寒気を覚えたティゲリバは思わずスコープから目を離す。
その時、爆音を響かせティゲリバの背後に二機の戦闘ヘリが姿を現した。
次回第5話「売国奴の盾」④に続く
今週も読んでいただきありがとうございました。
自衛隊市ヶ谷駐屯地を火の海にしたマリア達に襲い掛かる攻撃ヘリ、シアンの狙撃に挑むティゲリバ。
戦士たちのプライドが激突する次週をお楽しみに!
なお、次回更新は10月20日(土)午後10時を予定しております。
乞うご期待下さい!




