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第5話「売国奴の盾」~愛してる!~

新宿でペドロが狙撃された夜、マルコとコルティナは結ばれた。

しかしその夜からふたりの間にギクシャクした空気が漂い始める。

悩むマルコ。

一方、マルコとコルティナの故郷セント・グレゴリオ諸島では内戦が終結、敗れたかつてのマルコの仇敵フランコ大統領は東京政府に保護を求めて日本にやってきた。

そしてフランコを追って、今では「隻眼の魔女」と呼ばれるテロリストとなったマルコの生き別れた妹、マリアも東京に姿を現す。

 マルコは六本木での仕事を終え、早朝ぐったりして家路についた。

 仮眠時間にはいつもぐっすり眠っているマルコだが、その夜は悶々として眠れなかった。

 ゴロウに言われたことが気になる。

 コルティナに嫌われてるかもしれない。

 それと同時にコルティナとのあの一夜のことが何度も頭をよぎる。

 新宿から八王子まで普段は中央線を歩いて帰ることが多いマルコだが、今日はバス電に乗った。

 運良く座席に座れたマルコは、そこから八王子まで一度も目を覚ますことなく眠っていた。

 八王子駅からムダイ邸まで寝ぼけ眼で歩いて帰る。

 帰り着いたらそのまま部屋で寝てしまいたかったのだが、歯磨きをしていないのが気持ち悪い。

 少年兵の頃は何日磨かなくても平気だったし、いざとなれば木の枝を歯ブラシ代わりにしたのだが。

 マルコはプラスティックのコップに歯ブラシと歯磨き粉を入れ、首にタオルを掛けて屋根のある渡り廊下伝いに庭の手洗い場へ行った。

 手洗い場は男子の居住棟と女子の居住棟をつなぐ渡り廊下の途中にあり、長いコンクリート造りで両側に六個ずつ蛇口の付いたもので、これはムダイ邸がもともと小学校だった時のなごりだ。

 まだ朝も早く薄暗い庭に人影はなく、八王子の寒気がマルコの頭を次第に明瞭にしていった。

 マルコは歯を磨きながらまたコルティナのことを考えていた。

 ―ゴロウさんはああ言ったけど、謝るたってどう謝ればいいのかな…。

 考えただけでマルコは恥ずかしい。

 それに謝り方によってはコルティナを余計に怒らせてしまうかもしれない。

 これは十三歳の少年にとっては非常に難しい問題だった。

 と、女子棟から人影が現れた。

 何とコルティナだ。

 コルティナは無防備にあくびをしながら、パジャマの上にジャージを羽織り、手にはコップを持っている。

 とっさにマルコはしゃがんで隠れてしまう。


 コルティナはあの日からよく眠れない夜を過ごしていた。

 寝ても覚めてもマルコのことばかり考えている。

 ―なのにいざマルコに会うと恥ずかしくて無視したり、そっけなくしたりして…。

 このままではいつかマルコに嫌われてしまうかもしれない。いや、もう嫌われているのかも。

 そう思い詰めて昨日ミドリの楽屋を訪ねたのだ。

 ―むー、ミドリさんは「時間が解決してくれる」なんて言うけれども、毎日のこの気まずさをいち早く何とかしたいのよね。

 コルティナは手洗い場でぼんやりと歯を磨きながら考えた。


 その反対側でしゃがんでいるマルコは激しく後悔していた。

 ―何で隠れるんだ!僕のバカ!せっかく二人きりなんだからこれはチャンスなんだ。今しかない、ゴロウさんに言われた通りちゃんと謝ろう!


 水を口に含み、くちゅくちゅとすすぎながらコルティナは決心した。

 ―やっぱり私がお姉さんなんだから、私がちゃんとしないといけないんだわ。

 そう思ってもう一度水をいっぱい口に含んだ時、突然マルコが目の前ににゅっと姿を現した。

 コルティナは心臓が止まるほど驚き、思わず口から水を噴き出してしまう。

 水はマルコの顔を直撃した。


 いきなり水しぶきを浴びてマルコはわけがわからなくなった。

 あれこれ考えていた謝罪の言葉も全てすっ飛んでしまった。

 歯ブラシをくわえたまま顔をびしょびしょにしたマルコは、歯ブラシを口から出して口走った。

「コルティナ、大好きだ!愛してる!」

 ―なんか僕、今ヘンなこと言ってないか?

 一瞬マルコの頭をそんな思いがよぎるが、もう遅い。

 マルコは口の周りを歯磨き粉で真っ白にしながら、真剣な目でコルティナを見つめている。

 コルティナはしばし呆然として、そして思わず笑い出してしまう。

「コルティナ?」

 怪訝そうなマルコだが、コルティナの笑いは止まらない。

「マ、マルコ、マルコ、まず口を洗って…」

 コルティナは体をくの字に曲げて笑いながらそう言った。

 ハッと気づいたマルコは慌てて口を何度かすすぐ。

「ごめんね、水かけちゃって」

 そう言いながらコルティナは顔を上げたマルコの首からタオルを取り、手を伸ばして濡れた頭と顔をちょっと乱暴にゴシゴシと拭いた。

 それからマルコの目を真っ直ぐに見つめてきっぱりと言った。

「マルコ、私も大好き!愛してる」



 その日、マルコは仕事もないのに上機嫌でシェルターにやってきた。

 誰かに今朝のことを話したくてしかたないのだが、あいにく相手はゴロウぐらいしか思いつかない。

「おつかれさまでーす!」

 マルコは管理室の扉を開けて元気いっぱいにあいさつする。

 が、クガとゴロウはギョッとしてマルコを見た。管理室にはムダイもいた。

 マルコの姿を見て皆一様に黙ってしまう。

 管理室は気まずい沈黙に支配される。

「…どうしたの?みんな」

 クガは不機嫌そうに天を仰ぎ、ゴロウが取り繕うようにマルコに話しかける。

「お前こそ、どうしたんだ。今日は非番だろ?」

「そうだけど…」

 空気がおかしい。

 なぜか皆マルコの目を見ようとしない。

 クガが口を開いた。

「マルコ、お前セント・グレゴリオで戦ってた時、反政府側だよな」

「そうだけど?」

「ダンナ…」とゴロウ。

「ゴロウ、どうせそのうちわかることだ。いいかマルコ、はっきり聞くぞ。フランコがまだ憎いか?」

 マルコの顔から一瞬表情が消えた。

「なーんだ、くだらない」マルコはそう答え、空いているパイプ椅子に座り、少し鼻白んで言う。

「国軍も反政府軍も同じだよ。結局偉い奴らががいい目を見たいだけ。そのために兵隊や国民が死んでくんだ。戦争なんてどれもみんな一緒さ」

「マルコ、お前案外シラけてンだねえ…」

 ゴロウは思わず感に堪えない様子で言った。

 ムダイがおもむろに口を開く。

「今、東京にセント・グレゴリオ諸島のフランコ元大統領が来てるね」

「フランコが?」

 クガがムダイに続いて説明する。

「セント・グレゴリオの形勢が逆転した。フランコは逃げた」

「どうして日本に?」

「お前も知ってる通りセント・グレゴリオには世界有数の海底油田がある。それを東京政府への手土産に持ってきたわけだ」

「国を売る気ね」とムダイ。

「ところがセント・グレゴリオから暗殺者が追ってきた。それも相当な手練れだ。それでトッケイに護衛の話が来てる」

「な、マルコ、お前はその…、ムリにやんなくてもいいんだぜ」とゴロウ。

 マルコはしばらく考えて言った。

「今度の仕事ってお金は()いの?」

 皆は驚いた

 マルコは普段そういう事を滅多に口にしない。

 クガが答える。

「ギャラはとびきりいいぜ。だが今度こそ本当に命がけになるかもしれんぞ」

「やるよ」

 マルコはあっさりと言った。

「だけど僕の素性がわかったらフランコの方から断るかもね」

 笑いながらマルコは立ち上がった。

「マルコ、ところでお前、ホントに今日何しに来たの?」

 ゴロウは思い出したように訊ねる。

「別に。何となく!」

 微笑みながらそう言ってマルコは管理室を後にした。

 ゴロウとクガは狐につままれたような顔をしていた。

「何だろうね、今の」不審そうにゴロウが呟く。

「あいつ、変わったな…」

「あ、クガのダンナもそう思う?」

「何というか、ちょっと逞しくなったような…」

 するとムダイが重々しく言った。

「生きる覚悟、できたね」



 渋谷の坂の上に立つ巨大な高層ホテル「プラチナバレー」は、通称「ブラックホテル」と呼ばれていた。

 それは見た目がのっぺりと真っ黒だからということもあるが、そこを利用するのが犯罪者ばかりだという特殊な事情もあった。

 このホテルは震災後東京に初めてできた高層ビルで当初は「復興の象徴」などともてはやされていたが、やがてその正体が明らかになった。

 このホテルはタックスヘイブンとして悪名高いセイマル共和国の持ち物で、その大使館も兼ねている。

 ここは治外法権となった。

 その証拠に、入り口には警備員として海外の民間軍事企業から派遣された重装備の傭兵が立っている。

 

 最上階のスイートルームにマリアたちは宿泊していた。

 豪華なペルシャ絨毯に敷いた奇妙な紋様の丸い敷物の上で、シアンは青いゴーグルをかけたまま胡坐(あぐら)をかき、膝の上に両手を上向きに広げ、やや俯き加減で何事かに集中している。

「動いた…」

 シアンは呟く。

「フランコのクソ野郎、次はどこへ逃げるつもりだ?」

 ベビーベッドからイエローがダミ声で喚く。

 シアンは集中しながら答える。

「まだわからない。どこか開けた場所…」

 マリアが立ち上がり、イエローのベッドに近づく。

「頼むわ。イエロー」

「ちっ!赤ん坊にうつぶせ寝させるのかよ。あぶねえ母親(ママ)だな」

 悪態をつきながらイエローは自力でうつぶせになる。

 その首と両腕の筋肉は異様に発達し、表面は剛毛に覆われていた。

 マリアがイエローのロンパースのフードを脱がせると、そのツルツルした毛のない頭には、様々な形状の無数の穴、プラグの差し込み口が並んでいる。

「さ、空いてるとこならどこにブチ込んでもいいぜ」とイエロー。

 マリアは電話から伸ばしたコードのプラグをイエローのジャックに差し込む。

「おー、来た来た!」

 イエローは今、ネットの海に飛び込んでいる。

 ぎょろりとした両目はもはや何も見ず、痙攣するように小刻みに動いていた。

「シアン、お前の幻映(ヴィジョン)をこっちに送ってくれ」とイエロー。

「わかった」

 イエローに少しだけ残された生身の脳に、シアンが見ている幻映が送られてくる。

 没入したネット世界に、イエローはシアンの幻映を重ね合わせてしばらく考えていた。

「ふむふむなるほど…」

「何かわかった?イエロー」

 集中から解き放たれ少し汗ばんだシアンが、立て膝をついて訊ねる。

「まあそう急かすな。やつら…ヤスクニドーリってとこを動いてるようだな。その先は…イチガヤ」

「防衛省か…」とマリア。

「ちょっと待て、ジエータイとやらのネットにアクセスする。ママ、哺乳瓶をくれ」

 マリアは小さなサーバーから伸びたコードを一本、イエローの頭の別のジャックに差し込む。

「フン、ちんけなファイヤーウォールだ…。はいはい、ちょっとお邪魔しますぜ。お…、何だか動きが激しいな。ククッ、蟻の巣をつついたような騒ぎとはこのこった。よし、カメラを見てみよう」

 イエローは防衛省の監視カメラに入り込む。

「ヒヒ!ピーピングトムでござい。ちょいと正門前を覗かせてもらうよ、っと。おー、来たぜ長い車列だ。兵員輸送車が2台、周りを機動装甲車が固めてる。シアンの幻影からすると輸送車のどっちかにフランコがいるな」

 それを聞いて、それまで黙ってじっとソファーに座っていたマゼンタが立ち上がった。

 マリアがそれを制する。

「まだよ、マゼンタ。狩りは巣穴に逃げ込んだ獲物が安心してから」

 マゼンタは少し不満そうに腰を下ろした。

「どうする?ママ。今度の相手は軍隊だぜ」

 だがマリアはイエローの問いに答えず、うつむいてペルシャ絨毯の複雑な模様の一点を見つめ、なにか詠うように節をつけて独り言を呟いていた。

「ふふっ、あたしは彷徨える狩人

 大きな蝶々に導かれ

 獲物の輝く毛皮に魅入られて

 這いずり回り追いかけ回し

 惑い迷って行きつく果てはさてどこでしょう

 煉獄…煉獄…煉獄…」

 「ありゃ、マリアったらまた煉獄モードね」

 シアンが少し心配そうにマリアを見て言った。

「仕方ねえ、いつもの事だ。ほっときゃ元に戻らァ。俺は狩りに備えてしばらく覗きを続行するぜ」

 イエローはそう言って再びネットの世界に没入していった。


                次回第5話「売国奴の盾」③に続く


今週も読んでいただき、ありがとうございました。

今週観た映画「若おかみは小学生!」があまりに傑作で小説が手に付かず、一時はどうなることかと思いましたが、泊り仕事があったおかげで何とか間に合いました。

この映画は、「トッケイ」の方向性が間違っていないことを示唆してくれて、大いに勇気付けられました。

未見の方、タイトルがちょっとあれですけど、これはアニメ史に残る名作ですので是非ご覧になることをお勧めします。

なお、次回は10月13日(土)午後10時更新予定です。


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