第4話「ペドロの戦争」~さらば戦友~
クリスマスイブに東京に戒厳令が布告された。
ペドロの人質となって逃げるコルティナ。
一方マルコはペドロとコルティナが新宿に居ることを察知し、単身バイクでコルティナ救出に向かう。
どれだけ眠っていただろうか。
コルティナは息苦しさに目を覚ました。
すると目の前にペドロの顔がある。
ペドロはコルティナを押し倒し、荒い息でのしかかっていた。
「ちょっ、ペドロ?」
コルティナは慌ててペドロを押しのけようとする。
「シィッ!声を立てるな!」
ペドロが手でコルティナの口をふさぐ。
二人の頭上を赤い帯状の光がゆっくりと部屋の中をくまなく走査してゆく。
窓の外にどうやら警察のドローンがホバリングしているようだ。
ドローンは執拗に部屋をスキャンし続け、突然ストロボ状の光を発した。それはまるで稲光のように激しい明滅だった。
「クソ!見つかった!」
言うなりペドロはコルティナの手を引いて部屋を飛び出す。
「下だ!」
ペドロは階段を駆け下りる。
コルティナはストロボ光で目が眩み、足取りがおぼつかないが、それでも何とかペドロに引っ張られて階段を走る。
地下室に走り込んだペドロは勢いよく鉄扉を蹴り飛ばした。
錆びた鉄扉はあっけなく外に倒れその先は新宿西口の地下道に通じていた。
二人は無数の追跡ドローンとガスマスクを被った警官たちに追い回され、複雑に入り組んだ地下街をやみくもに逃げ回る。
しかしついに追い詰められ、行き場を失った。
警官たちが後ろへ下がると同時にドローンが前に出て、二人に催涙弾を投擲する。
「燻り出すつもりか…」
ペドロは咳き込むコルティナの手を引いて、傍らの階段を駆け上った。
地上のビルの屋上には狙撃手が配置されていた。
狙撃手は警察官二名、いずれも警視庁特殊部隊に所属する腕利きだ。
それとこれは実験機だが狙撃用のドローンが投入されていた。
二人と一機は三方向から標的を狙うように配置されていた。
地下道の入り口から煙が上がると同時にペドロとコルティナが飛び出してきた。
三発の銃弾は過たず、ペドロの腹部を貫通した。
一瞬の出来事だった。
マルコはバイクで青梅街道をひた走り、ついに新宿にやってきた。
しかしそれまで頼もしく拍動を続けていたKDXのエンジンは急にノッキングを起こして止まってしまう。
燃料ゲージは「E」を示していた。
「ガス欠!」
マルコは迷いなくその場にバイクを乗り棄て、走り始める。
コルティナの居場所までもう一息だ。
その時、少し先から三発の銃声が聞こえた。
ペドロは地上に出た瞬間に棒立ちになり、コルティナの手を放した。
コルティナには何が起きたのかわからない。
ペドロは糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ、その背中の三か所から血がどくどくと噴き出している。
コルティナは、ペドロを抱き起こして頭を膝に乗せ、着ていたペドロのコートで懸命に傷口を押さえるが、血が止まらない。
ペドロはガクッ、ガクッと体を大きく痙攣させる。
狙撃手たちは迷っていた。
止めを刺すか…、しかし人質を傷つけることは命令で禁じられている。
その時、迷わず二発目を発射したのはドローンだった。
だが、銃弾はなぜか大きく逸れて廃ビルの壁に命中する。
スコープから目を離したひとりの狙撃手は自分の目が信じられなかった。
人質の少女の華奢な背中から、巨大な半透明の翼が伸び、標的の身体を包み込んでいる。
「おい…」狙撃手は思わず相棒に無線で語りかけた。
「ああ、見えてる。何だ、ありゃ」相棒が応答する。
ドローンは三発目を発射したがこれもまた大きく弾道が逸れた。
狙撃手は再び夜間用のデジタルスコープを覗くが、ただ少女と倒れた標的の少年だけしか見えない。
「スコープだと見えないが、肉眼だと見える。そっちは?」
「こっちも同じだ」と相棒。
スコープのセンサー表示では標的にはまだわずかながら息があるようだ。
「下りて確認しよう」狙撃手は無線で相棒にそう連絡し、相棒は狙撃ドローンの撤収を要請した。
ペドロの吐く息がどんどん切迫してくる。
―ああ、命が、魂が抜けていく…。
コルティナはなす術もなくペドロを見つめていた。
「お、俺も…運がいいな。こんだけ人を殺して…、女の膝枕で死ねるなんてよ…」
「喋ってはダメ!」
「あー、もうだめだ。何ンも見えねえ…。マルコはまだか?」
と、いつの間にかマルコが二人の側に立っていた。
「マルコ!」
コルティナは思わず大きな声を上げる。
マルコは無言でひざまづき、ペドロの手を握った。
「来たぞ」
「よう、マルコ…。バイク、よく走っただろ?」
「ああ」
「いいことを耳にしたんだ。お前にな…」
ペドロの声はどんどん小さくなっていく。マルコはペドロの口元に耳を近づけた。
「お前に教えてやんなきゃと思ってよ…」
苦しい息の下、ペドロは途切れ途切れに、懸命に喋った。
「お前の…妹な…」
「妹?マリアか?」
「マリアっていったっけか…」
ペドロの口からこぼれた予期せぬ名前にマルコは動揺する。
「マリアがどうしたんだ?!」
「生きてるぜ」
「何だって?!」
「お前の妹は生きてる」
「どこで!」
「セント・グレゴリオのミダス島…。今じゃゲ…ゲリラの頭目って噂だ」
呆然とするマルコの耳に、どこからともなく讃美歌が風に乗って途切れ途切れに聞こえてくる。
今宵はクリスマスイブだ。
きよしこのよる ほしは光り すくいのみ子は み母のむねに ねむりたもう…
するとペドロが掠れた声で唸った。
「誰だ…さ、讃美歌なんか歌いやがって…俺は共産主義者…だ…ぞ。神なんか、し、信じねえ…俺の、俺の葬式に…讃美歌…は、要らねえ…」
それだけ言うとペドロの左目は光を失った。
「死んだわ」
コルティナの声は感情を失っていた。
そこへ、二人の狙撃手が歩み寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
一人が人質だったコルティナに声をかける。
「はい」
コルティナは相手の目を見据えてしっかりと答えた。
「君は?」
もう一人がマルコに訊ねる。
「マルコ・フランスア。東京特殊警備保障所属、特殊警備隊員」
マルコはペドロから目を離さずに答えた。
「この少年、ペドロ・マルティネスには射殺命令が出ていた。すまないが死亡確認をさせてくれないか」
「はい」
二人の狙撃手はペドロの右眼にペンライトを当てたり、様々な器具でペドロの身体を調べていた。
一人が時計を見て言った。
「23時55分13秒、標的の死亡を確認」
もうひとりがそれを無線で伝える。
それを合図にしたように、地下街から続々と警官隊が上がってきた。
付近に潜んでいたパトカーもパトライトを回転させながら続々と現れる。
西口一帯はあっという間に赤色灯に埋め尽くされた。
雨がポツリ、ポツリと降り始めた。
狙撃手がコルティナに話しかける。
「君は…」
「はい?」
狙撃手は先ほど見た、コルティナの背中から伸びた翼のようなものを思い出していた。
「…いや、何でもない」
「ペドロは、遺体はこの後どうなるんですか?」
マルコは狙撃手に訊いた。
「司法解剖の後に、君んとこの社長に引き渡すことになってる」
「高藤さんに?どうして?」
「さあな。そっから先は俺たちの知らない世界の話だ」
その時、ペドロの電脳が再起動し微かな作動音を立てていたが、周囲の喧騒でそれに気付く者はなかった。
「よし、運ぶぞ」
救急車がやってきて、救急隊員たちがストレッチャーを押してきた。
「君…」
救急隊員にうながされ、コルティナは静かに、そっとペドロの頭を路上に下ろして、コートを掛けた。
マルコはペドロの死に顔をじっと見つめた。
―さよなら、戦友。
立ち上がろうとしてよろけたコルティナをマルコが支えて抱き寄せる。
凍てつくように冷たい雨は次第に激しくなり、その一粒一粒がふたりの身体に刺さるようだった。
マルコは涙をこらえるように空を仰ぎ、その顔を冷たい雨粒が容赦なく打つ。
コルティナは立っているのがやっとのようだ。
赤いジムニーがふたりの側に止まった。
ゴロウが窓から顔を出してふたりに声を掛ける。
「迎えに来た。乗れよ」
ふたりはジムニーの後席に乗り込む。
助手席にはミドリが乗っていた。
ゴロウが車を出す。
「どうしてゴロウさんが」
「自衛隊と警察が正式に出てきちゃあな、俺たちトッケイは黙って見守るしかなかった。勘弁してくれ、マルコ」
マルコはぼんやりと聞いていた。
ペドロの死とその死に際に聞かされた事実の大きさにマルコは何も考えることができなかった。
コルティナはカタカタと震えながら硬い表情で窓の外を見て呟いた。
「寒い…」
ミドリはそれを心配そうな表情で眺めて、マルコに言った。
「八王子まで送ってあげようと思ってたけど、ウチに泊ってきなよ。その方が早くあったかくなれるし」
「おい、俺たちゃどうすんだよ」とゴロウ。
「何よ、ポンコツでヒーターもロクに効かないこの車がいけないんでしょ?それにあそこはあたしん家だからね!ね、君たち、そうしなさい」
マルコは白い顔で震えているコルティナを見やった。
コルティナは無言でコクリとうなづく。
マルコもミドリにうなづいた。
ミドリのマンションは新宿からほど近い中野坂上にあった。
マルコとコルティナをマンションの自室に案内し、あれやこれやと世話をしてミドリは一人ゴロウのジムニーに戻ってきた。
「うー、寒い寒い!」
ミドリは白い息で両手を温めながら助手席に乗り込んでくる。
「大丈夫か?あの二人」とゴロウ。
「大丈夫よぉ。この時間、電気は止まってるけど。仮にも男と女なんだからね、何とかするわよ」
「仮にも男と女って…、仮にも元教師がそういうことを言うかね」
「ねえ、そんなことよりさ…、あたしも今晩どっかであったまりたいな」
ミドリはゴロウの肩に頭をもたせかけた。
「なんだお前、泣いてんのか?」
「泣いてるわよ、悪い?あの子供たちのために泣いてあげる大人が一人ぐらいいたっていいでしょ!だってあたしたち、他に何にもできないじゃないの?!」
ミドリはゴロウの胸に顔を埋め、肩を震わせて嗚咽した。
ゴロウは黙って車を出した。
ミドリはガスストーブを点けてくれたが、冷え切った部屋はなかなか温まらない。
部屋は暗く、ストーブの火だけが赤々と燃えていた。
コルティナはダイニングキッチンの椅子に座って震えていたが、突然バスタオルで頭をゴシゴシと拭くと、立ち上がってびしょ濡れの服を脱ぎ始めた。
マルコは慌てた。
「コルティナ?」
コルティナはかまわずどんどん裸になっていく。
マルコは急いで後ろを向いた。
コルティナはあっという間に全裸になると、マルコの傍にスタスタと歩み寄る。
「マルコ」
「は、はい…」
「こっち向いて!」
コルティナの口調には有無を言わせぬ迫力があった。
言われるがままにマルコはゆっくりとコルティナに向き合う。
思ったよりずっと近くに、一糸纏わぬコルティナが立っていた。
マルコの動悸は高くなり、緊張して喉がカラカラになってくる。
コルティナはバスタオルでマルコの頭を優しく丁寧に拭き始めた。
「じ、自分でできるよ」
「いいの!」
部屋は次第に暖かくなってくる。
コルティナは頭を拭き終わると、今度はマルコの服を脱がしにかかった。
あっという間にマルコも素っ裸にされてしまう。
するとコルティナはマルコの手をギュッと握って言った。
「行こっ!」
「行こうって…?」
コルティナはマルコの手を握ったまま駆けだし、ダイニングキッチンの隣、ミドリの寝室に飛び込んだ。
寝室の殆どを占めるダブルベッドにコルティナはマルコを連れて勢いよくダイブする。
ふたりはベッドの上で軽くバウンドした。
コルティナはするりとベッドにかけられた羽毛布団の下に潜り込み、顔だけのぞかせる。
「変なにおい。マルコも来て」
そう言われてマルコもおそるおそる布団に入る。
「ね?変なにおいでしょ?」
マルコはクンクンと布団の臭いを嗅ぐ。
「これはゴロウさんのタバコとミドリさんの香水の匂いだよ」
突然コルティナが叫ぶ。
「マルコ、寒い。抱いて!」
冷たい夜具の中でコルティナは震えている。
マルコはためらいがちにコルティナの身体に手を回す。
「もっとギュッとして!」
マルコは少し力を入れてコルティナを抱き締める。
「もっと!」
「コルティナ、変だよ…」
「わたし、人が殺されるとこ、初めて見た…。」コルティナが呟く。
ハッと気づいたマルコは力の限りコルティナを抱き締めた。
「マルコ、離さないで!そうでないとわたし、なにもかもバラバラになってしまいそう!」
寝室にはふたりの荒い吐息だけが聞こえる。
「マルコ、この傷は?」
コルティナが抱き締められたまま、マルコの右胸にある丸くへこんだ傷を指でなぞった。
「それは、流れ弾をくらった時の。うまく背中から抜けたんで助かった」
コルティナはマルコの背中をまさぐりながら胸の古い銃創に唇を当てる。
「ほんとだ。こっちにも同じのがある」
「左だったら死んでた」
「よかった…、生きててくれて」
コルティナはなおもマルコの傷だらけの身体に指を這わせる。
鎖骨のあたりに長いミミズ腫れがあった。
「これは?」
「それは…、国軍に捕まって拷問された時のやけど。真っ赤になった火掻き棒でやられた」
「酷い…」
そういいながらコルティナは長く伸びたやけどの跡を舌でなぞる。
布団の中はすっかり暖かくなった。
コルティナは覆いかぶさってマルコの唇を吸った。
マルコの口腔にコルティナの舌が大胆に侵入して、乱暴にかき回す。マルコも舌で応戦し、二人の舌は絡み合った。
「んっ…!」
コルティナは唾液の糸を引きながら唇を離し、頬を上気させて言った。
「マルコ…、して」
その夜、ふたりは互いの傷を確かめあうように何度も交わった。
第4話「ペドロの戦争」了、次回第5話「売国奴の盾」①につづく
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
これで第4話はおしまいです。
いかがでしたでしょうか?
ひとりの少年の死に様が、皆さんの心に少しでも残ってくれれば、作者としては幸せです。
それと、今週は少年少女の幼いラブシーンがあります。
これには異論のある方もいらっしゃるとは思いますが、「性」は生きるということの根源を描く上で欠かせないと思っていたので最初から絶対に書くつもりでした。
そしてこのラストは次話に繋がっていきます。
さて、来週からは第5話「売国奴の盾」に突入します。
いよいよこれが最終話となりますが、まだ物語は続きますので、もうしばらくお付き合い下さい。
なお、次回は9月29日(土)午後10時に更新予定です。




