第4話「ペドロの戦争」~新宿騒乱~
ペドロの凶行により、東京は外国人排斥の動きが目立ち始めた。
ンドゥギの死、サギリの自死をきっかけに、ティゲリバも独自に動き始める。
コルティナはムダイに連れられ、新宿にやってきた。
新宿西口闇市での買い物を終えたムダイの一行は、東口に出て食事をとることにした。
新宿でのムダイの行きつけは中村屋レストランだった。
ここでは震災前と全く変わらない味とサービスが受けられると評判ではあるが、今どきの東京でこういう店は貴重で、予約しないと入れない。
コルティナは物珍しそうにキョロキョロしている。
真っ白なテーブルクロスのレストランに入るのは生まれて初めてだし、何よりもさっきから鼻をくすぐるスパイスの香りが空腹感をさそった。
純華もここは初めてらしく、少し緊張して座っている。
「老師、よく予約取れましたね」
「ん?予約してない。ここのオーナーとは知り合いね」
「どうしてカレー屋さんと老師が?」
ムダイは少しがっかりしたようにため息をついて言った。
「純華、勉強足らないね。カレーのスパイスと漢方薬、同じ成分多い。お互いに足りないのを融通し合ってるうちに知り合いになったね」
純華は赤くなって思わずうつむいてしまった。
「コルティナ、カレーは好きか?」とムダイ。
「はい、カレーはムダイさ、いえ、老師の所で初めて食べました。好きです。カレーはよくお昼ご飯に出ます。カレーの日は匂いですぐわかるんです。そういう日はお昼が楽しみ!」
「コルティナは本当にカレーが好きなんですよ。必ずおかわりするほど」
純華がいたずらっぽい目でコルティナを見ながらムダイに言う。
「師範!」
今度はコルティナが顔を赤くして純華に抗議する。
「結好、結好。いっぱい食べる、元気出るね」
「そういえばコルティナ、結局マルコへのプレゼント、買えませんでしたね」
純華がまたしてもいたずらっぽい目でコルティナに話を向ける。
「むー。よく考えたら私、マルコの好きな物って全然知らないんです」
「あんなにいつも一緒なのに?」
「マルコ、あんまり自分の話、したがらないんですよねー」
マルコの来歴を知る純華にはその理由が何となく理解できて、心が痛んだ。
「もっと仲良くすればきっといろいろ話してくれるようになりますよ」
「そうでしょうか」
コルティナの表情が曇る。
純華は話題を変えた。
「だからってセンザンコウはないんじゃない?」
「だってあのアルマジロ、可愛かったから…」
コルティナは闇市で売られていた、生きたセンザンコウを欲しがったのだ。
ムダイがコルティナを諭す。
「あれはセンザンコウ、ちょっと似てるけどアルマジロとは違うね。それにあれは食用に売られてたね。ペットじゃない」
「え?あの子、食べられちゃうんですか?」
「そう。センザンコウの鱗、漢方薬になる。肉も大変美味」
「かわいそう…」
コルティナの表情がまた曇る。
「それにしても絶滅危惧種を堂々と売ってるなんて、どうかしてますよ!」
純華が少し憤慨しつつ言う。
「今の東京、人が生きていくのが大変。誰もかわいそうなセンザンコウのことなど気に掛けない」
「まあ、どちらにせよあれは高価なものですからね。私たちがあれを買うのは無理よ」
純華がコルティナを慰める。
その時、カレーがテーブルに運ばれてきた。
皿に平たく盛られた白いご飯。
独特の形をした銀の器になみなみと注がれたカレー。
テーブルはたちまち幸せな香りに包まれ、コルティナはかわいそうなセンザンコウのことを忘れた。
食事が終わり、一行は支配人に見送られて店を出た。
コルティナは初めて食べたインドカリーの味に感動していた。
ムダイ邸で時々出てくるカレーとは違い、ピリッとスパイスが効いているだけでなく、その調合は複雑で、コルティナは食べ終わった今も鼻孔をくすぐり続けるカリーの残り香をうっとりと味わっていた。
そう、ここではカレーをカリーと呼ぶ。
ムダイが支配人と何やら話をしながら店を出てきた。
支配人がムダイに笑って紙袋を渡す。
ムダイはコルティナを手招きすると、紙袋の中身を見せた。
「マルコへのお土産、できたね」
紙袋の中身はカレーパンだった。
「あの年頃の男の子、何といっても食べ物が一番ね」
支配人に見送られ、一行が新宿駅東口に近づくと、駅前広場は大勢の人であふれ、騒然としていた。
スピーカーからはけたたましく軍歌が流れ、舞台の上では、日の丸の鉢巻きをした男が何事かがなっている。
「いいか、ここは日本なんだよ、そうだろ?
我々純日本人は万世一系の天皇陛下の誇り高き赤子であり、この偉大なる大日本の国土は我々純日本人のものだ!
しかるにどうだ!今のこの東京の有様は!
薄汚い黒ゴキブリどもがうじゃうじゃと這い回り、汚ならしい足で我々のこの美しい国日本を汚している。
やつらを野放しにしておくことは我々偉大なる純日本人にとっては恥辱以外の何物でもない!
奴らを野放しにしておくと大変なことになるぞ!日本は乗っ取られ、我々も職を失ってしまう。そうなる前に我々は奴らを駆除しなければならない!」
聴衆は興奮気味に「そうだ!」「やっちまえ!」などと口々に叫んで気勢を上げる。
「我々の美しい日本国に害をなす黒ゴキブリと反日亜細亜分子どもを叩き出せ!」
鉢巻きの男はひときわ高い声でがなり、スピーカーは甲高くハウリングした。
「ひどい…」
純華は拳を握りしめて言った。
ムダイは珍しく険しい表情をしている。
コルティナは悪意が自分たちに向けられていることを知り、心が凍り付き、立ちすくむ。
舞台上の男は更に聴衆の熱狂を煽る。
「こーろーせー!こーろーせー!」
聴衆もこれに続く。
「こーろーせー!こーろーせー!」
聴衆が吐き出す呪詛は異様な熱気をはらみ、行き場のない悪意が広場に充満し始めた。
「醜いね…」
ムダイの呟きを聞き咎めた一人の若い大柄な男が絡んできた。男は腕にトカゲの刺青を入れている。
「ジジイ、てめー今なんつった?ああ?」
「醜い、そう言ったね」
「何だ、てめー中国人か?」
「だったらどうするね」
騒ぎに気付いた他の連中も集まり始めた。
「お、早速黒ゴキ発見!」
純華がコルティナを体の後ろに隠すが、群衆から伸びた手がコルティナの髪をつかんで引っ張った。
コルティナはバランスを崩してよろけてしまう。
純華はコルティナの髪をつかんでいる手首の関節を素早く極める。
「いてっ!」
声と共に手はコルティナを放した。
純華は転びそうなコルティナを支えて抱き寄せる。
目の前に突然現れた「獲物」に聴衆は殺気立っている。
純華はちらりと東口の交番を見るが、巡査はニヤニヤ笑いながら眺めているだけだ。
「鎮まれッ!!」
ムダイが声を上げる。空気がビリビリと震えた。
聴衆は一瞬静まり返った。
「純華、コルティナを連れてわしの後ろに来るね」
「老師…」
「早くしなさいッ!」
ムダイのこんな荒い、そして大きな声を聞いたことがなかった純華は、慌ててムダイの後ろに隠れる。
「純華はそこでコルティナを守る。いいね」
「はい!」
純華はカレーパンの紙包みをコルティナに渡し、両腕を開いた。
ムダイはトカゲの刺青の男に言った。
「さて、血の気の多い若者。ワシを殺すかね?」
「シナ人!日本から出ていけ!」
「イヤだね」
「ぶっ殺す!」
男は問答無用とばかりにムダイに殴り掛かった。
ムダイはひょいとそのパンチをよけ、少し男と間を取って言った。
「命を獲りにくるか?では逆に獲られても文句はないね」
「この野郎!」
男が再び殴り掛かるが、次の瞬間宙をくるりと回ってコンクリートの地面に背中から叩きつけられて気を失ない、口から泡を吹いた。
ムダイは殆ど動いていない…、大半の人々にはそう見えた。
「人を殺す、命を奪う。それなりの覚悟が必要ね。覚悟なくそれを軽々しく口に出す、それ愚か者」
群衆はムダイに気圧されていた。
ムダイは凄まじい闘気をあらわにして叫んだ。
「貴様ら!殺すと言ったな?ならば殺す気で来ないか!」
取り囲んだ群衆は一斉に総毛立った。
「おい、あいつムダイだぜ」
「やばいぞ」
群衆の中からひそひそと囁き声がする。
その時、舞台の上から声が飛ぶ。
「殺せ!そいつらゴキブリを叩き潰せ!」
その声に我に返った群衆は一斉にムダイ目がけて殺到した。
「久しぶりの野試合、血が騒ぐね」
ムダイは不敵な笑みを浮かべて呟いた。
今や暴徒と化し、襲いかかる群衆をムダイは難なく捌く。
その動きはあくまでも滑らかで、優雅とさえいえた。
暴徒たちは、まるで吸い寄せられるようにムダイに突っ込み、自ら回転して路上に身体を叩きつけているようだ。
たちまち広場の路上には二十人ほどが這いつくばり、呻き声を上げていた。
ムダイの実力に怖気づいた群衆はただ遠巻きに見ている。
からっ風が吹きつけ、大量の砂ぼこりが舞う。
「こ、殺せ殺せ!」
後ろの方から再び煽る声が上がるが、どうも気勢が上がらない。
どこからか石が投げられ、それはコルティナの頬を打った。
「やめなさい!卑怯者!」
純華が思わず叫ぶ。
突然、頭上から声が聞こえた。
「こちらは警視庁です。この集会は無届です。ただちに解散してください。繰り返します…」
見上げると頭上に2機のドローンが浮かんでいた。
こうもり傘に3つのローターをつけたような奇妙な形のドローンは、腹に無数の卵を抱えた昆虫にも見え、気味が悪かった。
白と黒に塗り分けられたその機体には「警視庁」と書かれ、傘の中央で赤色灯が回転している。。
「おい、桜の代紋だ!」
「なんで警察が?」
「うるせーポリ公!今さらしゃしゃり出て来んじゃねえ!」
叫びと共に地上からドローンに向けて二、三発、拳銃が発砲される。
ドローンは少し高度を上げると、サイレンを鳴らしながら腹の下に抱えた「卵」を次々と群衆に投擲し始めた。
「卵」は催涙弾で、煙の尾を引きながら群衆の頭上に降り注ぐ。
地上は大混乱に陥った。
人々はむせ、涙を流して逃げようとして右往左往し、あちこちで将棋倒しになった。
コルティナは人波に押されて、あっという間にムダイと純華を見失ってしまった。
「師範!老師!」
コルティナは悲鳴を上げるが、なす術もなく流され、広場から遠ざかっていく。
その時、コルティナの手をぐいと掴み、引っ張る者があった。
「こっちだ!」
声の主はコルティナを人ごみから引っ張り出し、走り始めた。
連れられてコルティナも一緒に走る。
ふたりは近くの路地に入った。
コルティナを救ったのは少年だった。
赤い布を頭にグルグルと巻きつけ、大きなサングラスをかけた少年はコルティナを見てニヤリと笑って言った。
「あんた、コルティナだろ?俺はペドロ。マルコの友人さ」
次回「ペドロの戦争」⑯につづく
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
私は別に中村屋さんの手先ではありませんが、いつの時代もあそこだけは変わらないでいてほしいという願望を込めて書きました。
書いているうちにすごく食べたくなりました。
最近は新宿にもあんまり行ってないなあ…。
そんなこんなで41週目に突入。次の目標は48週と20万字です。
引き続き、感想、メッセージ、評点、ブックマーク登録など受け付けておりますので、どうかよろしくお願いいたします。
なお、次回は9月15日(土)午後10時に更新予定です。




