第4話「ペドロの戦争」~血斗Ⅱ~
ンドゥギを見つけ出したペドロは、ンドゥギの情婦ナタリーのマンション屋上でついにンドゥギに挑む
ペドロは再び、前と同じ間合いで跳躍した。
ンドゥギもまた寸分違わぬタイミングで前蹴りを繰り出す。
だが、ペドロはさっきより更に高く跳んでいた。
伸びてきたンドゥギの右足の膝を踏み台に、2段目の跳躍をしたペドロはつま先でンドゥギの鳩尾に蹴りを叩き込む。
ペドロの軍靴のつま先には鉄板が仕込んであった。
さすがのンドゥギも呻き声を上げる。
ペドロは蹴りの反動を利用して更に高く跳び、回転しつつンドゥギの肩を越えてその背後に立った。
着地の直前、ペドロはンドゥギの着ているパーカーのフードを掴み、思い切り引き下げていた。
パーカーの前面がンドゥギの顔面を覆い、視界が一瞬奪われる。
その隙をついてペドロはンドゥギの背後から腰に飛びつき、今度はその膝裏をつま先で蹴り上げる。
膝はカクンと前に折れ、ンドゥギはたまらず雪の上に膝を着いた。
ペドロがそのままンドゥギの首に腕を回そうとしたした時、ペドロの右脇腹にンドゥギの手刀がめりこんだ
ンドゥギがその異様に長い腕と柔軟な肩関節を利用して背後のペドロにぐるりと腕を回して、貫手を見舞ったのだ。
「クハッ!」
たまらずペドロはンドゥギから手を放して、背中から雪に落ちる。
吐き気をこらえながらペドロが雪の上を転がっている間に、ンドゥギは立ち上がり、パーカーを元に戻してペドロに向き直った。
今度はンドゥギがゆっくりと間合いを詰める。
ペドロは素早く立ち上がると、いきなり屋上の手すりに向かって助走をつけて跳んだ。
―20階建てマンションの屋上から飛び降りるつもりか!
ンドゥギとナタリーは息を呑むが、ペドロは手すりを蹴って反転しつつンドゥギの頭を越え、再びその背後に着地した。
とっさにンドゥギは後ろ廻し蹴りを放つがその軌道は高すぎ、ペドロの頭をかすめただけだ。
ペドロは後ろに飛びずさって、ンドゥギとの間を取る。
ペドロとの身長差は逆にンドゥギの勘を狂わせていた。
二人の間に再び静寂が訪れ、粉雪を伴って吹きすさぶ寒風のみが音を立てる。
ペドロは再び勢いよく助走して跳躍する。
しかし、踏み込んだンドゥギの上段突きを顔面にまともにくらい、派手に吹っ飛ばされた。
ペドロは雪の上を転がって、立ち上がる。
唇が裂けたのか、雪の上に血が滴り落ちる。
ナタリーは、今や冷徹な観察者となっていた。
そしてペドロがこれだけ体格差のある相手に何度となく打撃を受けて、なぜ立ち上がることができるのかを考えていた。
再びペドロが一直線にンドゥギに向かって走り、跳躍する。
さっきと全く同じタイミングでンドゥギの上段突きが顔面に炸裂したが、今度はその場にぐしゃりと顔から落ちる。
ペドロはすぐに立つことができない。
ンドゥギは倒れているペドロの脇腹に軽く蹴りを入れる。
ペドロは呻きながらヨロヨロと立ち上がり、後ろに下がって間合いをとる。
そしてまた助走をつけて跳躍した。
薄笑いを浮かべながらンドゥギが上段突きを繰り出した瞬間、ペドロは顔をやや左に傾け、顎を引いた。
ンドゥギの拳はペドロのやや右側の額、チタン製の頭蓋骨をまともに捉えた。
ペドロは敢えて彼の肉体の最も硬い箇所で、ンドゥギの上段突きを受けたのだ。
異様な音が響き、ペドロは再びその場に落ちる。
ンドゥギの右の拳が砕けた。
顔を苦痛に歪めて、ンドゥギは右手を押さえてかがみこんだ。
その隙にペドロは雪上を転がりながら再び間合いを取ってよろけながら立ち上がる。
「どうした、右がダメでもまだ左があんだろ?」
ペドロはニヤニヤしながらンドゥギを挑発し、頭に巻いていた真っ赤な布をほどき、首に巻き直した。
その頭の右半分、ヤマアラシのトゲはまるでオールバックのようにピタリと揃って後ろに流れ、左半分、生体素子で真っ赤に彩られたバカみたいな赤い星の刺青はピカピカと点滅していた。
「どうも寒くていけねえ」
「てめえ!」
「その通りさ。最初の二発までは仕掛け。三発目で見事に餌に食いついたわけ。わかったかい?頭の悪いカラス君」
ンドゥギは叫びながら一気にペドロとの間合いを詰め、怒涛のように攻め立てた。
「肩に力が入ってるぜ。切れがねえな。頭に血が上りすぎじゃね?そんなことだから大事な妹をナンパされっちまうんだよ、この間抜けな大鴉!」
ペドロは更に挑発しながらそれをバックステップでスイスイとかわす。
が、次の瞬間ペドロは雪に足を滑らせて仰向けにひっくり返った。
すかさずンドゥギの巨体がのしかかってくる。
「よくもサギリをバカにしたな!もう少しいたぶってやろうと思ってたが、もう許せねえ!今すぐ殺してやる!」
ンドゥギはペドロがマフラー代わりに巻いた布の両端に手をかけ、ギリギリと首を締め上げにかかった。
ペドロの顔がみるみる紫に変色していく。
が、ペドロは指一本を布と自分の首の間に挟んで必死に耐えていた。
ンドゥギが更に締め上げようとペドロに顔を近づける。
その時、突然ペドロの右側頭部のアニマルパーツ、ヤマアラシのトゲが音を立てていっせいに逆立ち、ペドロは頭を左に捻りながらンドゥギの顔面に渾身の頭突きを見舞った。
ンドゥギは獣じみた咆哮を上げながら、跳ねるように立ち、後ずさる。
ナタリーには何が起きたのか、わからなかった。
ンドゥギの顔面には無数のヤマアラシのトゲが刺さり、しかもその一本は左目の瞼の上から眼球を貫いていた。
「エトロフ特製のオシャレなアニマルパーツ、ヤマアラシのトゲだ。心配すんな、毒は塗ってねえ」ペドロが仰向けになったまま言う。
左目を開けることができないンドゥギは目に刺さったトゲを抜こうともがいている。
「やめとけやめとけ、ヤマアラシのトゲにはかえしが付いてる。無理に抜くと目ん玉が飛び出すぜ」
ペドロはふらつきながら立ち上がり、最初に落としたサングラスを拾うとンドゥギに近づいていく。
ンドゥギは理解できない攻撃に完全に恐慌をきたし、顔中血だらけにしながらなおも懸命にトゲを抜こうとしている。
ペドロがよろめくンドゥギの足を払うと、ンドゥギは雪に足を取られて簡単に転んだ。
仰向けになったンドゥギの身体に今度はペドロがのしかかる。
「ハンサムになったな」
「た、たふけへくれ」
ンドゥギは怯えた声で哀願するが、頬に刺さった一本のトゲが口腔に突き抜けて舌にまで達しており、言葉が聞き取れない。
「わかんね。何言ってんの?」
「たふへて…」
「なあ、ンドゥギのダンナ。死ぬのは怖いか?」
ンドゥギは左目から血の涙を流しながら何度もうなづいた。
ペドロは雪が落ちてくる夜空に向かって叫んだ。
「ハハ!聞いたか、ミゲル。こいつも死ぬのは怖いってよ!」
ペドロが手にしたサングラスのつるの部分を鞘のように引き抜くと、中から先端が錐のように鋭く尖った長い金属が光を放って現れた。
ペドロはンドゥギに囁く。
「ミゲルも怖かった。わかるよな?」
ンドゥギに答える暇を与えず、ペドロは躊躇なくンドゥギの首に尖った金属を突き立てた。
ンドゥギが白眼を剥いてヒュッと大きく息を吸い込む。
ペドロが金属を素早く抜くとンドゥギの首から音をたてて血が噴き出した。
鮮血が雪を染めていく。
ー終わった…。
ンドゥギの身体からゴロリと転げ落ち、雪の上に大の字になったペドロを覗き込んで、いつの間に近づいたのかナタリーが言った。
「だいじょうぶ?」
ペドロは荒い息を吐きながら、途切れ途切れに答える。
「…ハアッ、ハアッ、み、見てたんだろ?大丈夫なわけねえよ…、ハアッ、ハアッ、だいたい…その、ハアッ、なんだ、あ、あんた…心配する相手間違えてないか?」
ナタリーはンドゥギをチラリと見た。
「死んだの?」
「ああ…、間違いねえ」
ナタリーはンドゥギの死体の前にかがみこんで、じっと死に顔を見た。
―これが死…。
「あなた、この結末から逆算して戦ってたの?」
ナタリーがペドロに訊く。
「まあね。もうちょい楽に勝てると思ってたんだけどな」
屋上にはペドロの荒い息だけが響く。
ペドロの身体からは薄く湯気が立ち上っていた。
風は止んだ。
雪も止んだ。
しばらくの間、この白い場所だけが世界から隔離されているように静かだった。
ペドロはやっとの思いで上体だけ起こしてナタリーに言った。
「あんた、見届人だよな」
「そうね」
「だったら頼みがある」
「死体の始末でしょ?」
ペドロは驚く。
「私がやっとく。もともとそのつもりだったから」
「念のため訊くけど、あんた、こいつとその…」
「ええ、そういう関係よ。私の男。行きずりだったけどね」
「…じゃあ俺がモグリの火葬屋を紹介してやるよ」
「お願いするわ」
ペドロはコートのポケットをゴソゴソと探して、折れ曲がった黒い紙の名刺を取り出してナタリーに渡す。
「こいつらならちゃんとしてる。安心してくれ」
「わかった」
「それでその…代金なんだけど…」
「いいわよ。お金ならあるし」
「なんか、すまねえな」
「いいってことよ」ナタリーは口元に笑みを浮かべて言った。
ペドロはうつむいて少し考えてから口を開いた。
「すまねえついでにもう一つ頼みがある。嫌なら俺が今これからやる」
「なに?」
「焼く前に、こいつの指か耳か、どっちかを切って銀座のティゲリバって奴に届けてほしい。ティゲリバ、知ってるか?」
「知ってる。でもどうして指か耳なの?」
「どっちもゴールドのアクセサリーをしてるだろ?ティゲリバへの決着にはちょうどいいと思ってさ」
「じゃあ指ね」
「なんで?」
「指にしてる指輪はティゲリバに貰った大事なものだって。この人、よく自慢してた」
「謹んでお返ししてくれ。同じアフリカ系のあんたなら大丈夫だろう」
「そうね」
ペドロはやっとのことで立ち上がった。
身体のあちこちが軋む。痛みに思わず顔をゆがめた。
「じゃあ、頼んだぜ」
「行くの?」
「ああ。まだあと少しやることがある」
ペドロは足を引きずりながらゆっくりとエレベーターに向かった。
そしてペントハウスの入り口で振り返り、意を決したように言った。
「俺にも姉ちゃんがいたんだ。生きてりゃあんたぐらいか」
「その人、今どうしてるの?」
「死んじまった。自殺だ」
ナタリーは黙ってじっとペドロを見ている。
「あんた、その…姉ちゃんにちょっと似てるんだ」
ナタリーは立ち上がってペドロに近づき、無言でそっと抱きしめた。
ペドロはしばらくされるままナタリーの柔らかな胸に顔をうずめている。
「あったけえなあ…」
そう呟いてペドロは両手で静かにナタリーを押しやった。
「このままだと眠ったまま死んじまう」
ペドロは再び足を引きずってエレベーターに向かい、もう一度だけ振り向いた。
「あのな…、ベントレーのタクシーにだけは絶対乗っちゃだめだからな」
ペドロはエレベーターに乗り込み1階のボタンを押すと、ドアに背中を預けてずるずるとその場にへたり込んでしまった。
正面には防犯用の鏡がある。
ペドロには鏡に映ったそれが自分の顔とは一瞬思えなかった。
痣だらけでボコボコに腫れた顔、裂けた唇。
自慢だったアニマルパーツ、ヤマアラシのトゲは殆ど抜け、滑稽にさえ見えた。
ペドロは虚ろな表情で鏡を見て、言った。
「姉ちゃん、俺、こんなとこで何やってんだろ」
薬が切れかけている。
残りの薬も数少ない。
―もうあんまり時間がないぞ。
エレベーターが1階に到着し、ドアが開く。
エントランスホールに転がり出たペドロは立ち上がり、足を引きずりながらゆっくりとマンションを後にした。
次回「ペドロの戦争」⑭につづく
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
ペドロ対ンドゥギ、ついに決着です。
何度書いてもアクションは難しいですね。
二人の動きがうまく読み手に伝わっているかどうか心配です。
第4話、もう少し続きますのでお付き合いください。
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なお、次回は9月1日(土)午後10時に更新予定です。




