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第4話「ペドロの戦争」~血斗Ⅰ~

クラブサバンナを襲ったペドロは、盟友レオナルドとイグナシオを失いながらも、ついに仇敵ンドゥギの居場所をつかむ。

ペドロとンドゥギの対決が迫る。

 気がつくと深い闇の中にいた。

 光は全くなく、空間の認識も全く失われていた。

 ―これが死というものか。

「ウオッ!」

 ペドロは突然跳ね上がるように上体を起こした。

 そこは狭いカプセルホテルで、あやうく頭を打つところだ。

「あー、死んだかと思った」

 ボンヤリと呟きながらテレビを点ける。どうやら一晩中ぐっすりと寝ていたようだ。

 ここ数日、こんなに深く眠ったことはなかった。

 そのせいか、心なしか肉体(からだ)が軽い。

 テレビでは昨夜ペドロが銀座で行なった残忍な犯行がニュースで流れていた。

 ペドロはそれを見て満足げに笑った。

 ―そうだ。そうこなっくっちゃ。あいつらは俺が殺ったんだぞ日本人(ハポネス)!もっともっと俺を憎め!

 テレビによれば今の時刻は午後3時だ。

 念のためカプセル備え付けの時計も見たが、これは壊れていてデジタル表示自体が消えていた。

 ―あの女、ナタリーっていったっけ。もう大学に行っただろうか。

 ペドロはナタリーを思い出すと同時に、昨夜のタクシー運転手の事も思い出していた。

 あれが本当のこととはどうしても思えない。夢でも見たのではなかろうか。

 ペドロが改めてコートのポケットを探ると、はたして一枚の写真があった。

 望遠レンズで盗撮したと思しいアフリカ系の女は、どこか醒めた横顔で遠くを見つめていた。

 じっと写真に見入っていると、ペドロの腹がグゥと鳴った。

「腹減ったな…」

 空腹感を覚えるのは実に久しぶりだ。

 ペドロが枕元にあるタッチパネルを操作すると、カプセルの天井を走るチューブがシューっと鳴り、ガタンという音がして枕元にハンバーガーとコークの入ったプラスティックケースが転がり出た。

 ペドロはケースからコークを取り出して喉を潤す。

 それからハンバーガーに嚙り付く。

「うまい」

 ペドロは無感動にそう言ってガツガツとハンバーガーを貪った。

 テレビではクラブサバンナの襲撃事件を何度も放映しているが、ニュースは淡々と事実を述べるのみで、ペドロの名前や人相はおろか、二人組が中南米系だということすら触れない。

 ―この報道は不自然だ。

 チャンネルを変えても同じ番組しかやっていない。

 東京では今や国営放送しか流れていないし、それもすべて東京政府の検閲下にある。

 ペドロはかすかな苛立ちと不安を覚えたが、気力の充実と体調の良さがそれを押しやった。

 ―どのみち東京ではまともなマスコミは機能していない。情報はヤクザやその取り巻きが好き勝手に流すはずだ。

 ペドロはプラスティック容器をカプセルの外の廊下に放り出すと、再び仰向けになって眠り始めた。



 ゼミが終わり、講師にいくつか質問するとナタリーはさっさと教室を出た。

 ゼミ生の中で「ガイジン」は自分だけ。

 しかもアフリカ系。

 ゼミ生たちに特に表立って差別的な態度を取る者はないが、この時代に日本の古典文学を学ぶためにわざわざ東京にやって来たナタリーへの好奇の目は避けがたいものがあった。

 ―好きなことを学びに来てるだけなのに。

 ナタリーはいつものように正門で年老いた守衛に挨拶すると、家路についた。

 道路にはまだ昨夜の雪が残っていて、歩きにくい。

 住んでいるマンションの近くまで来た時、後ろからチクリと刃物のようなものを突き付けられた。

 いつの間にか背後に誰かが立っている。

 ナタリーは入学以来しつこく自分を付け回している怪しいタクシーを思い出した。

 ―どうしよう、でも私の足ならマンションまで逃げ切れるかも…。

 すると背後からは思いがけず少年の声がした。

「あんたナタリーだね」

「そうだけど、あなたは?」

「こっち向いて顔を見せてくれ」

 好奇心が恐怖心に(まさ)ったナタリーは背後に向き直った。

 少年は小柄でひょろりとしていた。子供のくせに頭にターバンを巻いて大きなサングラスをしている。

 ナタリーの目線は自然と少年を上から見下ろす角度になる。

「ナタリー・サンゴールよ。あなたは?」

「ペドロだ。ペドロ・マルティネス」

 ペドロと名乗る少年はナイフをポケットにしまいながら答えた。

「Buenas nochesこんばんはペドロ。で、ご用は?」

 ペドロはナタリーの口から出た流暢なスペイン語に不意をつかれ、その動じない態度に少し気圧された。

「あんたの部屋にンドゥギって奴が居るだろ?」

「ええ、居るわ」

「そいつに用がある」

「会ってどうするの?」

「弟分が世話になったんで、そのお礼をね」

「殺すの?」

「…そうだ」

「あいつ、ミゲルって子を殺した時のことを酔っぱらって自慢げに話してたわ。最低な奴ね。だけどあなたには殺せないと思う」

「なんでだ」

 ナタリーはペドロを頭から足までじっと見て溜息をつきながら言った。

「会えばわかるわ」

 ペドロは値踏みされたような不快感を覚えたが、なぜかナタリーに対しては敵意を感じなかった。

「立ち話もなんだから、私のマンションに行きましょう」

 ナタリーはさっさと先に立って歩き始める。

 ペドロは慌てて後を追った。

「で、どうするの?」とナタリー。

「何が?」

「どこでどうやってンドゥギと()るつもりかってこと。言っとくけどわたしの部屋は闘技場じゃないんだから。あなたたちが殺し合うのは勝手だけど、どっか他所(よそ)でやって頂戴」

「そ、そうだね。あー、マンションの屋上なんかはどうかな?」

 ―デートじゃねえんだぞ。どうも調子が狂っちまうな、この女。

 ペドロはナタリーと話しているうち、自分がどんどん間抜けになっていく気がしていた。

「いいんじゃない?じゃあ一緒に屋上に上がりましょう。そこから私がンドゥギを呼び出せばいいんでしょ?」

「…そうだな」

 そうこうするうちに二人はマンションに着いた。

 ナタリーはカードキーをリーダーにかざしてエントランスホールに入り、そこからエレベーターに乗ると、エレベーター内のリーダーに再度カードをかざして屋上階のボタンを押した。

 エレベーターはゆっくりと屋上へ向かう。

 ペドロは沈黙に耐えきれず、口を開く。

「あんた、なんで千年も前の日本(ハポネ)色男(ドンファン)の話なんかに興味あるんだい?」

 今度はナタリーが少し驚いた。

「あなた、『源氏物語』を知ってるの?」

 ペドロは柄にもなく照れたように答える。

「あ…、いや、厳密には俺が知ってるわけじゃないんだ。俺のこの頭の半分がね」

 ペドロはおどけた表情でチタン製の頭蓋骨を指でコンコンと叩いてみせた。

「まさか、電脳?!」

「好き好んでこうなったわけじゃないぜ」

 ナタリーは少し考えてから言った。

「とても美しい物語よ」

「え?」

「『源氏物語』のこと。私は英語訳を読んで惹かれたの。だから日本に来た。好きなことをしているだけ。おかしい?」

「…いや、おかしくない」

 エレベーターは屋上に着いた。

 ペントハウスから屋上に出ると、そこは真っ白く雪が積もったままで、まだ誰の足跡もなかった。

 屋上の隅にはベンチが置いてある。

 ナタリーはベンチの上に積もった雪を掻き落として座り、ペドロに言った。

「座れば?」

 ペドロは素直にナタリーの隣に座る。

「今からンドゥギを呼び出すけど、本当にいいのね?」

「ああ」

 ナタリーはカシミヤのコートのポケットから取り出した電話にスワヒリ語で何事か短く話す。電話からは怒鳴り声が返ってくる。ナタリーは思わず電話を遠ざけて、切った。

「来るわ。すごく怒ってる」

「そいつはいい」

「いいの?」

「何がさ」

「その…、ウォーミングアップとか」

 ペドロは思わず吹き出して、笑いながら答えた。

「あんた、さっきから思ってたけど変な女だね。殺し合いの前にストレッチするやつなんているわけねえだろ?」

「そうなの?」

「そうさ。人を殺す準備はいつだって出来てる。そうしないと殺されるんだ。少なくとも俺はそういう風に育った」

 そう言ったペドロの横顔が、ナタリーには急に大人びて見えた。

 ペドロは立ち上がって屋上の片隅に歩いていく。

「あんた、もう帰っていいぜ。ただし帰っても警察(ポリス)なんか呼ぶなよ。そんなことをしたら、俺かンドゥギか、生き残った方があんたを殺すぜ」

「呼んだって来るわけないわ」

「違いねえ」

 ナタリーと話しているうちに、ペドロはそれまで自分の中に渦巻いていた憎しみや怒りが、きれいに取り払われているのを感じていた。

 ―これはあの頃の感覚だ。俺がまだセント・グレゴリオで戦ってた時。突撃前にスイッチが入った、静かなあの感じ。

 思えば択捉以来、ペドロはその感覚を忘れていた。

 ふと気付くと、ナタリーはまだベンチに座っている。

「帰んないのか?」

「ねえ、これは決闘ね?」

「まあ…そうだな」

「決闘には見届け人が必要でしょ?私が最後まで見届けるわ」

 ナタリーの思わぬ申し出にペドロは面食らった。そして少し愉快な気分になった。

「あんた、本当に変わってんな」

「よく言われる」

「好きにすればいい」

 その時、屋上のドアが開き、黒いスエットの上下を着たスキンヘッドの大男が現れた。

 ―こいつがンドゥギか。

 2mはあろうかという長身。加えて手足が異様に長い。

 ペドロは瞬時にンドゥギの実力を測っていた。

「てめえがペドロか?」

 ペドロを睨みつけ、怒気を含んだスワヒリ語でンドゥギが吠えた。

「カラスの言葉はわかんねえんだよ、日本語で話せ」

「あなた、ペドロさんですか?」

 ンドゥギがティゲリバから叩き込まれた「丁寧な日本語」は明らかに場違いで、ペドロは思わず爆笑した。

「笑うな!なにがおかしい!」

 ンドゥギが再びスワヒリ語で怒鳴る。

 ペドロはまだ笑いをこらえ切れないまま、日本語で答える。

「そうさ、俺がペドロだよ。ミゲルの兄貴分だ。あんたンドゥギだな?でかいねー、ハハハ」

 ンドゥギは黙ってペドロを睨みつけている。

「あのな、ククッ…、こっからは頼むから日本語使わねえでくれ。笑っちゃうから」

 そう言ってペドロはサングラスを取り、足元に投げ捨てた。

 夕陽が沈んでゆく。

 ンドゥギが眩しそうに目を細めたその瞬間、夕陽を背にしたペドロは一迅の風となってンドゥギに突っ込み、跳躍した。

 しかしンドゥギは冷静に上段蹴りを繰り出す。

 その蹴りはペドロの予想を大きく超えて伸び、ペドロの顔面を捉えた。

 見事にカウンターを食らったペドロは後ろに大きく吹っ飛び、積もった雪に背中から落ちた。

 ペドロはしばらく立てない。

 だが、ンドゥギは残酷な笑みを浮かべてその場を動かない。

「チビのドブネズミが。リーチが違いすぎるんだよ。てめえなんざ俺の身体に指一本触れることもできねえで死んでいくんだ」

 

 夕陽が落ち、あたりは急に冷え込んできた。

 ナタリーはベンチの上で両膝を抱えて、じっとこの戦いを見守っている。

 

 ペドロは頭を振りながらむくりと起き上がった。

「けっこう効いたぜ…」

「フン、雪のおかげで命拾いしたな。運のいいやつだ」

 

 ―違う、運じゃない。ペドロ(あの子)は最初から計算づくで屋上を選んだんだわ。

 ナタリーはペドロがさっき見せた大人びた表情を思い出し、戦慄していた。

 そしてこの戦いがスポーツなどではなく、間違いなく殺し合いであることを肌で理解した。

 

 立ち上がったペドロは中腰になり、じりじりとンドゥギとの距離を詰める。

「シューッ」

 ンドゥギは歯の間から白い息を吐きながら、ゆるやかに空手の構えを取る。

 ティゲリバ直伝の沖縄空手だ。

 寒風と共に、再び雪が舞い始めた。


               次回「ペドロの戦争」⑬に続く


今週も読んでいただき、ありがとうございました。

ようやく暑さも少し弱まり、少し過ごしやすくなってきましたね。

いよいよペドロとンドゥギが激突しました。

アクションシーンは難しいですが、読者の方々に少しでも戦う二人の肉体性を感じていただけるよう、頑張りたいと思います。

なお、引き続き感想、ブックマーク登録、メッセージ、評点、レビューなど受け付けておりますので、皆さん遠慮なくお願いいたします。

たとえネガティブな感想でも、今の作者にとってはかけがえのない「評価」の一つですので、重ね重ねどうかよろしくお願いいたします。

次回の更新は8月25日(土)夜10時を予定しております。



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