第4話「ペドロの戦争」~屠殺~
陳邸襲撃、発電所の海上攻撃を行なったペドロは、ついにミゲルの仇であるンドゥギを標的に銀座のクラブを襲う。
しかしその店には偶然日本人の刑事が居合わせていた。
刑事を名乗る男の目は怒りに輝いていたが、多分に酩酊している風でもあった。
「ヒューッ」
ペドロは口笛を吹いてカウンターを下り、男の目の前までゆっくり歩いて近づいた。そしてサングラスを外して男が突き出している警察バッジの身分証明書をじっと見た。
右眼に埋め込まれたツァイスのレンズが音もなくズーミング動作を行なう。
「警視庁巡査部長、毒島…、ブスジマ?」
「そうだ」
ペドロは毒島が上着の内ポケットから手錠を取り出そうとしたのを見逃さなかった。
そして次の瞬間、毒島の左手はなぜか椅子の肘掛けの鉄製の支柱に、手錠で繋がれていた。
「な…!」
「手品だよ」ペドロは冷酷に笑って毒島の左手を肘掛けに押さえつけ、手の甲にカウンター内でくすねたアイスピック突き立てた。
「ギャーッ」
アイスピックは毒島の掌を貫通し、革張りのシートの肘掛けにまで深く刺さった。
毒島は慌ててアイスピックを引き抜こうとするが、喉元にサバイバルナイフを突きつけられて動けなくなった。
「ヒラの刑事がえらく高い店で飲んでんじゃないの。どうせタカりだろ?その代わりにガサ入れの情報を流す。違うか?」
毒島は震えていた。
「どうですか、店長さん!こいつはダニでしょ?迷惑でしょ?殺しちゃっていいよね?」
フロアはシンとして返事がない。
「店長さん?」
「店長はさっき死んだわ」
ホステスの一人が声を震わせながら言った。
「あー、さっきのが店長か。そりゃどうも。で、教えてくれたお姉さん、お姉さんはどう思うよ」
ホステスは沈黙をもって応えた。
「誰もあんたの命乞いをする人はいないみたいだな」
「貴様、こんなことをしてタダで済むと思うなよ」
ペドロはそれを鼻で笑って言った。
「彼女の前だからって、いいとこ見せちゃって」
ペドロはナイフで軽く毒島の喉に切り傷をつけた。
「じゃあ勇敢なハポネの刑事さん、ひとつだけ訊きたいことがある。ンドゥギって奴を知ってるか?」
「な、名前は知ってる」
「そいつがどこにいるか教えてほしいんだな」
「知らない」
そう答えた瞬間、毒島は首から血しぶきをあげてがっくりとうなだれた。
ペドロが電光石火の早業で毒島の頸動脈を切断したのだ。
切り口からは水道の蛇口を全開にしたように血が噴き出している。
「ヒィィィッ!」
さっきまで毒島にしなだれかかっていたホステスが全身に毒島の血を浴びて悲鳴をあげた。
ペドロはサバイバルナイフの切っ先をホステスに向けて言った。
「なあ、ンドゥギの居所を知りたいんだよ」
「知らな…」
皆まで言うことなくホステスはナイフで心臓を一突きされて死んだ。
ペドロは立ち上がって頭に巻いた布を取り、その顔を真っ赤に染めた返り血を拭きとり、刑事の隣のボックスシートに座った白髪の日本人に語りかける。
「ロマンスグレイの紳士。俺は耳を削いだり、鼻を削いだり、指を一本ずつ切り落としたり、そういうのは嫌いなんだよ。汚らしいし、みっともなく泣きわめくのもうるさいし。な?だから単刀直入に訊くけど、ンドゥギって奴はどこにいる?」
白髪の紳士は固まったように言葉が出ない。そしてだらしなく床に小便を漏らしていた。
「あららら…」
ペドロはクンクンと臭いを嗅いでわざとらしく顔をしかめた。
その時、向こう側のカウンターに座っていた女が立ち上がって声を上げた。
「ンドゥギなら私が知ってるわ!」
ペドロはその女をじろりと睨んだ。
女は背が高く、アフリカ系らしく複雑に編んだ髪をアップにし、身体にピタリとフィットした紫色のスパンコールのドレスを着ていた。
「へえ…」
ペドロはそう言ってU字型のカウンターをゆっくりと廻って女の隣に座った。
「あんたがンドゥギの彼女?」
「そうだったけど、今は違うわ」
「振られたのか?」
「…そうよ」
「名前は?」
「スーザン」
「スーザン、いい女なのに。残念だったな。で、ンドゥギの居場所は?」
「知らない。でも留学生と付き合ってるって。西北大学の」
「大学生?守備範囲が広いねー、あんたの元カレ。ところで、振られても電話番号ぐらい知ってるだろ?」
「…知ってるわ」
「今すぐここに呼び出してくんねーかな。そしたらあんたも死ななくて済むぜ」
スーザンは震える指でタッチパネルを押す。
何度もコールが繰り返された後、電話は切られた。
次の瞬間、首から血しぶきを上げながらスーザンは倒れた。
ペドロは彼女の手から落ちた電話を拾ってポケットに入れ、フロアを見回して言った。
「さあ、他にンドゥギの居場所を知ってるのは?」
その時、入口に立っていたレオナルドが声を上げた。
「兄貴、誰か来る!」
ペドロは舌打ちして入口に走りながら振り返って言った。
「邪魔したな。ピアノマン、さあ音楽だ!」
二人は階段を駆け上がり、並木通りに出た。
通りの向こうからアフリカ系の屈強な男たちが走ってくる。
二人は通りを渡り、路地に駆け込んだ。
立て続けに三発、拳銃の発砲音が聞こえ、壁に命中する。
二人が路地を出かかった時、レオナルドが前のめりに倒れた。
ペドロが戻ってレオナルドを抱き起こし路地から引っ張り出す。
「レオ!」
「兄貴、やられた…」
レオナルドを抱き起こしたペドロの右手に温かく濡れた感触がある。
「しっかりしろ!」
「行ってくれ。ここは俺が食い止める」
足音が近づいてくる。
「兄貴、行ってくれ!必ずンドゥギを…」
うなづいてペドロは立ち上がり、走り出した。
レオナルドは路地の曲がり角まで這い戻り、舗道にゴロリと仰向けになった。
路地から追撃してきたアフリカ系の男が現れた。
次の瞬間、レオナルドは男のほぼ真下、数十センチの至近距離から散弾銃を撃った。
男は背中から血煙を噴き上げ、散弾でほとんど二つに千切れかけた胴体はくの字に折れ、その場に土下座するような奇妙な恰好で舗道に突っ伏した。
レオナルドは最後の力を振り絞って壁に背をもたせかけ、路地に散弾銃の銃先を突っ込んで盲撃ちした。
悲鳴が聞こえ、誰かが倒れる音がした。
路地を覗くと、男が両膝から下を失ってのたうち回っている。
レオナルドは男の頭にトカレフの9㎜弾を撃ち込んでとどめを刺す。
更にもう一人が突っ込んでくる。
レオナルドは散弾銃のフェアエンドを前後にスライドさせて次弾を装填すると、すかさず引き金を引く。
銃身をカットされた銃からは散弾が傘を開くように飛び散り、男はその正面を全面血みどろにして勢いよく後ろに倒れた。
「ソウド・オフ・ショットガンだ!ヤバいぞ!」
男たちが怯む間に、レオナルドは路地の壁に背をもたせかけ、もう一発散弾銃を撃つ。
轟音と共に散弾は狭い路地の両壁に火花を散らしながらばら撒かれ、路地には跳弾の音が響いた。
追撃の男たちは後ずさりして路地を引き返していった。
足音が遠のいていく。
レオナルドは大きく息をついて、震える手でシャツの胸ポケットからキャメルの箱を取り出す。
箱は自身の胸からの出血でベタつき、ラクダの絵も汚れて判別がつかない。
その中から一本だけ煙草を抜いて口にくわえ、やっとのことで火を点ける。
雪が降ってきた。
レオナルドは煙草を吸いこんで大きく吐き出し、呟いた。
「リク、一人にして悪かった…」
煙草の煙は、雪の降る路地をゆっくりと昇って消えていった。
ペドロは雪の中を走る。
しかしその息は乱れ、目はくらみ、足取りはフラフラしていた。
雪が降っているというのに身体は燃えるように熱く、動悸がする。
道路が波打つようにうねって見える。
薬が切れかけているのだ。
うしろから足音が聞こえ、拳銃の発砲音がした。
ペドロはふらついてアスファルトの車道に倒れたが、そのせいで運よく弾は頭上を通過していった。
その時、路上に止まっていたベントレーのタクシーが後部座席のドアを開けた。
ペドロは朦朧とした意識から一瞬我に返り、その周囲に弾が跳ね返る中、必死でタクシーに這い寄った。
ペドロが何とか後部座席に這い上がるとタクシーはドアを閉め、タイヤを鳴らしながら急発進した。
男たちがタクシー目がけて拳銃を撃つ。
弾丸は鈍い音をたてて何発もリアウインドウに命中したが、一発も貫通することはなかった。
「積層式の防弾ガラスだ。パラベラム弾ぐらいじゃ抜けませんよ」
リアシートの上から運転手の声がスピーカーを通じて聞こえる。
そして運転席との間に分厚い鋼鉄製の仕切り板。
「あんた、さっきの…」
運転手は含み笑いをしながらスピーカーを通して言った。
「面白そうだったからここで待ってた。お客さん、運が良かったね」
ペドロは安堵のため息をつきながらようやくリアシートに這い上って背をもたせかけた。
「何羽殺しました?」
「え?」
「カラスを何羽殺しましたか?」
「あ、ああ…三人。あと多分レオが何人か」
「お連れさんは?」
「やられた。多分」
「そりゃ、残念でしたね」
運転手の声には何の感情もこもってない。
「で、どこまで?」
「…そう言われても、俺は一文なしだぜ」ペドロは息も絶え絶えに答える。
「サービスですよ」
「なんで?」
「あたしゃカラスが大嫌いでね。奴らがこの東京の街を歩いているだけで我慢がならないんですよ。だからね、時々乗っけてやるふりをして駆除したりしてるんです」
—こいつは何を言ってるんだろうか。
ペドロは運転手の告白をボンヤリと聞きながらそう思った。
「そのために後ろのトランクには奴らをバラす道具が一式揃えてあるんです。ガレージは完全防音にしてありましてね…」
「馬場だ」ペドロは行先を告げた。
「え?」
「高田馬場。西北大に通ってるカラスに用がある」
「もしかして女ですか?」
「そうだ」
「そいつなら私も知ってます。カラスのくせに大学なんか通ってる女だ。西北大に一人しかいない」
「知ってんのか?」
「スタイルのいい美人ですよ。名前はナタリー。ずーっと狙ってるんですけどね。巣が近いんでタクシーには乗らないんですよ」
「攫っちまえばいいじゃねえか」
「そりゃできません。私はあくまでもタクシーの運転手なんですから」
—こいつは狂っているのだろうか。
ペドロがそんなことを考えていると、仕切板のすきまが開いて、運転席から写真が一枚差し出された。
「あげますよ」
写真には女がアフリカ系の女が写っている。ショートヘアの背の高い女だ。
「いいのか?」
「何枚でもありますから」
「だけど、本当に用事があるのはこいつの男なんだ」
「知ってますよ。最近転がり込んできたやつだ。背がおそろしく高い」
「ンドゥギってやつだ」
「名前は知りません。そいつを殺すんですか?」
「殺す」
「そういうことでしたら、奴らの巣を教えてあげましょう」
やがてタクシーは西北大学にほど近い小綺麗な白いマンションを少し通り過ぎたあたりで止まった。
「ここですよ」
ペドロはスモークガラスのサイドウィンドウを開けて注意深く周囲を観察する。
雪は降り続き、だいぶ積もってきた。
「わかった。とりあえずどっかで休みたい。ホテルのあるとこに連れてってくれ」
「マンションの前がホテルです」
「そりゃ好都合だ。ここで下ろしてくれ。色々と助かったぜ。ありがとな」
すると再び仕切り板の隙間が開いて、運転席側から10万円札が数枚出てきた。
「さきほどは手違いで頂き過ぎました。これは改めてお釣りです」
ペドロは戸惑うが、背に腹は代えられない。札を握りしめてコートのポケットにねじ込む。
「できれば女は殺さないでください。あれは本来私の獲物でして」
ドアが開いた。
「わかった。女は絶対に殺さねーよ」
ペドロはそう言いながらタクシーを降りた。
タクシーは降り積もった雪を巻き上げながら急加速し、去った。
ペドロは茫然とタクシーを見送って呟いた。
「こんなの、イグナシオでも信じてくれねーな」
よろけながら、ペドロはホテルに入った。
雪は牡丹雪となり、降り続いている。
次回第4話「ペドロの戦争」⑫に続く
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
いよいよ第4話も熱を帯びてまいりました。
ここからは一直線です(多分)。
次回は8月18日(土)に更新予定です。
ご期待ください!
なお、感想、ブックマーク登録、メッセージ、評点など常時お待ちしておりますので、どうかよろしくお願いいたします。




