第4話「ペドロの戦争」~クラブサバンナ~
ペドロが起こした二つの事件は東京を騒然とさせた。
更にペドロは新たな動きを起こす。
12月8日の未明に起きた二つの事件は、東京を騒がせた。
だが結局陳邸の襲撃事件は単なる組織の内輪揉めという結論が下された。
東京の治安を法務省より預かっている各暴力組織は、主犯と目されるペドロの行方を捜した。
荒川ロックゲート制御棟で少年と老人の死体が発見されたこと、ロックゲートが動作した形跡があることなどから、ヤクザたちもペドロが浦安近辺に潜伏していることは察知していたが、その場所は東京政府の管轄外なので手出しできずにいた。
どのみち、これまでの経験上東京のヤクザたちは千葉に関わるとロクなことにならないことはよくわかっていて、この問題に積極的に関わろうとする組はなかった。
もう一つの事件、発電所襲撃には謎が残った。
まず、現場から発見された迫撃砲弾が、自衛隊のものである可能性が高いという事。
次にペドロの犯行にしては陳邸襲撃から殆ど時をおかずして実行されている事。
このことから自衛隊員の犯行という説も流布されたが、何よりも被害者のティゲリバが被害届を出さなかったため、この事件もまたうやむやに処理された。
ティゲリバは犯人捜しをせず、速やかに技術者と資材を集め、自ら陣頭に立って発電所を再建し、送電を再開した。
この態度がティゲリバの人望をさらに高めたのは言うまでもない。
そのティゲリバの事務所を高藤が訪問したのは、12月半ばのことだった。
ティゲリバの事務所は銀座の裏通りのとある名画座の跡地にある。
高藤が訪ねた時ティゲリバは一人、地下の小さな元映画館で映画を観ていた。
モノクロの画面では、丸眼鏡に靴墨で口ヒゲを描いた胡散臭い男が、民衆を戦争に駆り立てるためデタラメな演説をぶっている。
ティゲリバは声を上げて笑っていた。
「贅沢なご趣味だこと」高藤はティゲリバの隣の椅子に座りながら言った。
「やあ、社長。ようこそ。こいつは俺の唯一の道楽でね。こういうのが夢だったんだ」
「喜劇がお好きなの?」
「そういうわけでもないけど、喜劇は結構持ってるよ」
「発電所の再建、早かったわね」
「なあに、もともとそんなに複雑なもんじゃないし。チョイチョイっと直した。うちの技術者は大したもんだろ?」
「再建を急いだは理由は?」
ティゲリバは急に真剣な表情になって答えた。
「攻撃に使われたのは陸自の信越管区で最近採用されたアメリカ製M229・60㎜迫撃砲だ。俺がこの目で砲弾の破片を確かめた。この事が広まると場合によっては内戦に発展しかねない」
「自衛隊の仕業でないという確信は?」
「攻撃は海の上からだ。しかも見たところ着弾点はバラバラで射撃精度は低い。夜中に迫撃砲を船の上から撃つバカは自衛隊にはいないよ。ま、おかげさまで復旧が楽だったけどな」
高藤は自身の懸念を隠さずティゲリバに伝えた。
日本人を含めた民族同士の抜きがたい差別意識、そして憎しみと暴力の連鎖が東京に大きな嵐を巻き起こす可能性が高まっていることを。
ティゲリバは集中して聞いていた。そして最後に深くうなづいた。
高藤は立ち上がった。
「タイミングはあなたに任せるわ」
ティゲリバは手を上げてその言葉に応えながら言う。
「最後まで観ていかないのか?」
「『我輩はカモである』は私も持ってるし。一つだけ教えて。チャップリンとマルクス兄弟、どっちが好み?」
「チャップリンは芸は一流だが嘘つきだ。その点マルクスは本当の事しか言わない」
高藤は納得した表情で劇場から出て、ティゲリバの事務所を後にした。
夜の荒川をハイドロジェットボートがエンジンを止め、ゆっくりとさかのぼっていく。
船尾で長い櫓を力強く漕いでいるのはイグナシオ、ペドロとレオナルドは運転席に乗っている。
冬の川面を渡る風は冷たく、南国育ちのイグナシオとレオナルドにはダウンコートを着ていても堪えたが、ペドロは全く表情を変えない。
ペドロはある時期から暑さや寒さを感じなくなっていた。
そして、自分の死期が近づいていることを確信していた。
だがその一方で、自分の中に説明のつかない万能感が育っている事も感じていた。
やがて船はいつもの係留場所にたどり着く。
三人は岸に上がった
ペドロはイグナシオの肩を抱きながら囁いた。
「明日のこの時間にここで待ち合わせだ。好きなとこで遊んでこい。日が変わっても俺たちが帰らなかったら、一人で浦安に帰れ。後の事はヘススに任せてある」
「兄貴は?」
「ちょいと火に油を注いでくる。そんでミゲルを殺したンドゥギって野郎をあぶりだしてやる」
「俺も行くよ」
するとペドロは笑って言った。
「無理すんな。お前には向いてない仕事だ。それに、お前に死なれたら誰が船団を指揮するんだ?」
「でも…」
「いいってよ。溜まってんだろ?え?」
そういいつつペドロはふざけてイグナシオの股間を握る。
「ちょっ、やめてくれよ!」
三人は笑い合って別れた。
そしてペドロとレオナルドがイグナシオに会ったのはそれが最後になった。
イグナシオは逡巡の末、メイファの所へ行った。
イグナシオには彼女が自分を裏切ったとはどうしても思えなかった。
やはり会って確かめたい。
イグナシオは通りかかった中南米系運転手のトラックの荷台に便乗して新小岩へと向かった。
メイファのアパートは新小岩の路地裏にある。
アパートのがたつく階段を上り、イグナシオは2階の廊下の一番奥のドアの前に立った。
ドアの横のチャイムを押してしばらく待つ。
「だれ?」
メイファの声だ。イグナシオには蜂蜜のように鼻孔をくすぐる甘い声だった。
イグナシオは覗き窓に顔を近づける。
「俺、イグナシオ」
「イグナシオ!待っててね!」
メイファの声は嬉しさを隠せない様子で、イグナシオは自分が歓迎されていることにとりあえずホッとし、そしてこれからの事にあれこれ妄想を巡らせ、気が昂った。
「やっぱ惚れた弱みってやつかね」
イグナシオはそうひとりごちて、ニヤけながらドアの真ん前で待っていた。
だが次の瞬間、イグナシオの肉体は吹っ飛ばされ、廊下の手すりに叩きつけられ、そのままズルズルと廊下に崩れ落ち、仰向けに倒れた。
イグナシオは死んだ。
粗末な木製のドアに弾痕が9つ。
イグナシオの肉体の5か所から血が溢れ出てたちまち廊下に血だまりを作る。
銃撃で壊れたドアが軋みながら開くと、中には拳銃を構えたメイファがいた。
メイファはミンクのコートをさっと羽織って、キャリーバッグを片手に部屋から出た。
ふと手に持った拳銃に気付き、部屋の中に投げ入れる。
メイファはイグナシオに一瞥をくれる。
銃弾はすべてイグナシオの胴体に命中しており、彫りの深い彼の美しい顔はそのままだった。
「溝鼠!」
メイファは美しい顔を歪ませてイグナシオの顔に唾を吐きかけ、ハイヒールの音をカツカツとたてながら廊下を歩き、階段を下りていった。
寒風が吹き、穴だらけで開けっ放しのドアがキイキイ鳴った。
川からあがってしばらくすると、ペドロは頭を赤い布でターバンのようにぐるぐる巻きにし、大きなサングラスをかけた。
「何ですか、それ」
レオナルドが訊ねる。
「俺は今じゃ顔が売れてるからな」
二人は蔵前通りまで歩いて、タクシーを捕まえた。
今日びタクシーは贅沢な貴重品で、ペドロたちのような風体の外国人が手を上げても決して止まらないのだが、運が良かったのか。
ふたりはタクシーに乗り込んで驚いた。
前席と後席の間は分厚い鉄板で仕切られ、鉄板には郵便ポストよりも小さな穴が開いているだけだ。
運転手の声がスピーカーから聞こえた。
「行先は?」
「銀座、並木通り」
「前金で200万。着いたらもう200万」
二人は顔を見合わせる。
「法外ですよ」とレオナルド
しかし、ドアは自動で閉じられた。
後席には更に監視カメラと、ガスの放射口が隠されているのをペドロは即座に見て取った。
ペドロは肩をすくめて運転手の言い値を穴から差し込む。
車は動き出した。
銀座の夜は再び賑わいを取り戻しつつあった。
ティゲリバの縄張りは「子供たち」が礼儀正しく、きちんとした日本語を喋り、治安が良いことも大きな理由だった。
ここ並木通りの会員制クラブ「サバンナ」は今日も裕福な紳士たちで満席、入り口には正装したアフリカ系の用心棒が寒そうに立っていた。
ジャケットの左胸あたりが膨らんでいるところをみるとショルダーホルスターに拳銃が入っているようだ。
ペドロとレオナルドは狭い路地から様子を見ている。
「ここがンドゥギの?」
「ああ、奴の女が働いてるはずだ。あれはイグナシオみたいな奴らしい。あっちこっちに女がいる」
レオナルドはイグナシオの顔を思い浮かべて思わず笑ってしまう。
ペドロは用心棒を値踏みするような目で見ながら、レオナルドに訊いた。
「どう見る?」
「中の下ってとこじゃないですか?」
「しかし騒がれると面倒だ」
「じゃあ静かに退場してもらいましょう」
二人は二手に分かれた。
ペドロが舗道を歩いて用心棒に近づく。
「寒いね」
いきなり声を掛けられた用心棒は驚き、そしてペドロの異様な風体に露骨な警戒心を見せた。
「な、何だ、お前は」
「この寒いのに立ちっぱなしって辛くね?それで幾らになるの?」
「うるさいな。用がないならさっさと行けよ」
「なあ、もうちょいあったかいとこに行きたくない?」
その時、用心棒の背後から音もなく近づいたレオナルドが細い針金を首に素早く巻きつけ、クラブの入り口に下りる階段に引っ張り込んだ。
用心棒は声を出すこともできず、絶命した。
舌をだらりと出し、眼球が飛び出さんまでに目を見開いている用心棒のジャケットをはだけ、ペドロはホルスターに入ったトカレフを奪い、レオナルドに渡した。
クラブ「サバンナ」は、ティゲリバが銀座を縄張りとする前から続く高級店で、アフリカ系のホステスだけが接客する銀座では珍しい店だった。
客は当初裕福なアフリカ系の商売人やスポーツ選手などが多かったが、治安が良くなってからは、日本人の客も増えた。
今日も店は満席で、ピアノの生演奏が静かに流れている。
曲は「酒とバラの日々」だった。
と、店の扉が乱暴に開く。
客や店員たちの注目が一斉に入り口に注がれるその先にはペドロとレオナルドが立っていた。
レオナルドが後ろ手で素早く分厚いドアを閉め、拳銃を構える。
「手を挙げろ!」
一瞬、バーテンダーがカウンターの下に手を伸ばすのをレオナルドは見逃さなかった。
バーテンダーは一発で側頭部を撃ち抜かれ、その場に倒れた。
右手には銃身を切り詰めたレミントンの散弾銃が握られていた。
ホステスが金切り声を上げ、フロアは騒然となった。
レオナルドが天井に向けて発砲する。
ペドロはニヤニヤしながらフロアの人間に語りかけた。
「はい皆さん、お静かに。それとちゃんと手を挙げてくださいね」
続いてペドロは小走りにフロアを走り抜け、カウンターをひらりと越えて、倒れているバーテンダーからレミントンを取り上げた。
「最近はこういう物騒なカクテルが流行ってるのかい?」
ペドロは目を剥いて倒れているバーテンダーに軽口を叩きながらレミントンをレオナルドに放った。
次にペドロはカウンターの上に立った。
「さて、お集りのカラスとカラスマニアの紳士淑女諸君、高い所から失礼いたします。なに、怖がることはありませんよ。これからひとりずつ、ある質問をしていきます。その回答に私が納得したらすぐ皆さんは自由にして差し上げます」
その時、客席の隅に座っていた男が声を上げた。
「おい、いい加減にしろ、ドブネズミ!」
声の方向をペドロが見やると、初老の日本人が何かを持って立ち上がり、ペドロを睨みつけていた。
「警察だ!殺人の現行犯で逮捕する!!」
男はペドロに警察バッジを突き出してそう叫んだ。
次回「ペドロの戦争」⑪に続く
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
殺人的な猛暑が続きますが、皆様くれぐれもお身体にお気を付けください。
ちなみに私は夏バテ気味で相当ボーっとしています。
だから、というわけではありませんが、本編の一部未修正、前書きと後書きを書かないまま掲載してしまいました。
申し訳ありません。
血なまぐさい場面が続きますが、作中の季節は真冬。
寒風吹きすさぶ東京を思い浮かべて、せめて読んでいるときだけは暑さを忘れられるよう、頑張ります。
なお、次回は8月11日(土)夜10時に更新予定です。




