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第4話「ペドロの戦争」~葬送~

ペドロは陳の邸宅を襲撃した後、速やかに洋上からティゲリバの太陽光発電所を攻撃した。

東京に大きな火種を二つ植え付けたペドロは浦安に帰還する。


 ペドロたちが浦安に戻ったのは明け方近くになってからだった。

 途中、強い北風で波が高くなり台船を放棄せざるを得なくなった。

 レオナルド、ヘススと四人の兵隊たちは、急遽曳き舟に乗り移ったが、慣れない船酔いで嘔吐する者が続出した。

 元漁師のイグナシオは慣れたもので、ピタリと桟橋につける。

 ペドロが桟橋に飛び移ってイグナシオから投げられたもやい綱を杭に結んだ。

 ヘススと兵隊のうち二人は船酔いがひどく、真っ直ぐ立っていることができない。

 三人は結局イグナシオの手を借りて桟橋に上ったが、四つん這いになってまだゲーゲーと吐いている。

 そこへ留守番の弟分が二人、キャットウォークを小走りにやって来た。

「兄貴、大変だ!」

「どうした?」

「ジジイとババアとか…、みんな死んじまった!」

 ——そっか、それが残ってたな。

「お前ら、城には近づくなってあれほど…」

「せっかくうまい食い物がいっぱいあるんだからジジイたちにも食わしてやろうぜ、って誰かが言いだして…」

「しょうがねぇなぁ。すぐに戻るからジジイたちの死体を広場に集めて積んどけ。」

「え…?」

「聞こえなかったか?」

「わ、わかったよ!」

 二人は慌てて来た道を引き返していった。

 ペドロはため息をついて、まだ嘔吐を続けるヘススたちに言う。

「お前らもそんなとこにずっといると風邪ひいちまうぞ」

 そう言い残してペドロは桟橋をスタスタと足早に歩き始める。

 後からレオナルドが追い付いてきた。イグナシオはヘススたちの背中をさすってやっている。

「やっぱり死んだんですね」

「そうだ。即死に近い。苦しみより幸福感が強くなるはずというのがあの薬の理論だが、それを生きて証明した人間が今んとこいねえ」

「死ぬってやっぱ苦しいんですかね」

 ペドロは立ち止まり、ニヤリと笑って答えた。

「わかんね。俺、まだ死んだことねえしな」


 ペドロが城の前の広場に着くと、すでに遺体の運びだし作業が始まっていた。

 最初に広場のステージに横たえられたのはプリンセスだった。

 そして次々と遺体は運ばれてくる。

 その数十二体。

 殆どの遺体の顔には幸せそうな笑顔が張り付いていた.

 ただ数体、着ぐるみを着たままの遺体は表情がわからない。

 黄色い熊も、おんぼろのネズミも、もはやピクリとも動かなかった。

 ペドロの指示で遺体は三体ずつ四段に積まれ、上からガソリンがかけられた。

 用意が整うと、ペドロがポケットから出したジッポで無造作に火を点ける。

 遺体の山は一気に炎を上げた。

 眺めている兵隊の中には、慌てて十字を切って小さな声で祈りを捧げる者もあった。

 突然、獣じみた叫び声が聞こえ、炎の中から火だるまの着ぐるみが飛び出してきた。

 着ぐるみは例の黄色い熊で、ステージの上を転げまわっている。

 あまりのことに腰を抜かす者もあったが、数人が上着やコートでバタバタと火を消した。

 黄色い熊は今や半ば黒焦げになって、手足を痙攣させている。

 兵隊の一人が必死で着ぐるみを脱がそうとするが、接着剤のような刺激臭にむせる。

 着ぐるみは溶けた化学繊維がべっとりと中の人間に貼りついて脱がすことができない。

「どけ」

 そう言ってペドロが黄色い熊の頭に44口径を一発ぶちこんだ。

 熊は今度こそ動かなくなった。

 兵隊たちは皆、身を(すく)ませて突っ立っている。

「燃やせ」

 数人の兵隊が着ぐるみを担いで炎に放り込んだ。

「あの火傷(やけど)じゃ、どうせ助からねえ」

 そこへ武装した兵隊たちが、十数名の老人たちを取り囲んでステージに連れて来た。

「生き残りのジジイどもです。地下に隠れてました」

「全員撃ち殺せ」

 レオナルドが一瞬躊躇する表情を見せる。

「待ってくれ!」

 その時、年寄りたちの一人が前に進み出た。

「何だ、てめえは」

「私は牛原清太郎という料理人だ」

「ウシハラ?コックが何の用だ」

「私を、いや我々に仕事をくれないか。ただ殺すよりは役に立つはずだ」

「ふむ…。そんで、お前らに何ができる」

「材料さえあれば、私は君たちに暖かくて美味しい食事を準備できる」

 少年たちがざわめいた。

 別の老人が前に進み出る。

「オレとここにいる何人かは水道屋だ。ここには水が来てねえ。汲みに行くにはずいぶんと奥まで行かなくちゃなんねっぺ。だけどよ、オレたちはここまで水を引っ張って来れるだよ」

「ウソじゃねえだろな」

「ほんな難しいこっちゃなかっぺよ。ただ何人か若い衆の力さ必要だっぺ」

 すかさず次の老人が前に出た。

「俺たちは設備と電気の専門家だ。ここの施設を修理してもっと使えるようにできる」

 牛原と名乗った料理人がペドロの目を真っ直ぐ見て語りかける。

「あんたの演説は聞かせてもらった。あんたたちがこうなったのも私たち大人が不甲斐ないせいかもしれない。その点は個人的に謝る。まあ私が謝っても意味ないかもしれないが…。しかしな、棄てられたのはあんたたちだけじゃない。私たちだってそうだ。家族に棄てられ、会社に棄てられ、行き場がなくなって仕方なくここに住んでる」

「謝る?欺瞞だな。そこまでして生きていたいのか?」

「生きていたい。この世に生まれたからには、最後まで人生をまっとうしたい。誰かに断ち切られたり、自分で断ち切ったり、そんな終わり方はまっぴらだ」

 ようやく顔を出した朝日が牛原の顔に刻まれた深い皺を赤く照らし出す。

 ペドロは牛原の顔から思わず目を逸らして大きく息を吐き、肩を落として言った。

「レオ、俺は疲れた。こいつらはお前とヘススに任せるからいいように決めてくれ。俺はそこらへんで一寝入りしてくる」

 ペドロは薬が切れかけているのを感じていた。

 ——夕べは少し働きすぎたな。

 少しよろけながら園内の廃ホテルに向かうペドロの背中を、レオナルドとヘススが不安そうに見ていた。



 その朝、錦糸町界隈は大騒ぎだった。

 陳の邸宅の焼け跡にはまずヤクザたちが押しかけて、何かを探し回っていた。

 彼らが探していたのは言うまでもなくエメラルドグリーンだったが、見つかるわけがない。

 次にやってきたのは日本人も含めた近隣の連中だった。

 彼らは豪華な陳の邸宅の焼け跡を掘り返して、少しでも金になるものを探した。

 ペドロたちが盗りこぼした金品はもちろんのこと、目ざとい者は割れた陶器の陶片に至るまで徹底的に略奪が行われた。

 そして最後にようやく警察と消防がやってきた。

「ま、この辺の奴らに現場(げんじょう)保存って言っても仕方ないけど…、ひどいねえ」鑑識が嘆く。

「何にも残ってないよ。武器に弾薬に空薬莢、ガイシャの財布に時計に電話、中にゃ金歯まで抜かれてるのもある」

 二人の刑事は顔を見合わせて苦笑した。

「しゃーない。ガイシャをひとりずつ見て回るか。そのうち聞き込みに出かけた連中が何か持って帰るだろう。それまで給料分の仕事ぐらいはしようぜ」

「雀の涙ですけどね」

「会社が潰れないだけましだろ」

 軽口を叩きながら二人は庭園に転がっている死体を一つ一つ検分し始めた。

 そのうち、一人が植え込みに顔を突っ込んでいるヤクザと思しき死体の髪を掴んで持ち上げて言った。

「お、スガワラじゃねえか」

 するともう一人が、眉間に一発食らった死体を見て言った。

「こいつはファビオってやつですよ」

「この距離だと、相撃ちか」

 ファビオの死体を調べていた刑事が、死体の腕に巻かれた赤いバンダナに目を付けた。

「これ…」

「こりゃペドロってガキんとこの奴じゃねえか」

「てことは、陳の組織の内輪揉めってセンですかね」

「かもな」

 二人の刑事はスガワラの死体の前にしゃがみこんで小さな声で念仏を唱えた。

 立ち上がった一人が言った。

「こいつも一風変わったヤクザだったがな」


 ジュンコが開店の支度をしている昼下がり、商店街の組合長があたふたと店を訪れた。

 組合長はカウンター席に座るなり話し始めた。

「ジュンコちゃん、聞いたかい?」

 ジュンコは組合長に水を出す。

 この男は酒がからきし飲めないのだ。

「陳の豪邸が燃えた話?聞いたも何も朝からこのへんはその話で持ちきりじゃない。刑事(デカ)がうろうろしてるし」

「どうやら内輪揉めらしいぜ。殴り込んだのは中南米系の連中だそうだ」

「ラテン?あんな子供たちが?」

「それでよ、スガワラとタナカも殺られたって話だ」

「…そう」ジュンコは少し間をおいて答えた。

 組合長はグラスの水をぐびぐびと飲み干して立ち上がった。

「要するに今錦糸町は誰の縄張りでもないってこった。荒れなきゃいいけどねえ」

 そう言って組合長はまたあたふたと店を去った。

 ジュンコはため息をついて、カウンターのグラスをシンクに置いた。

 そして、ふとあの夜スガワラがギターをつま弾いて歌ったことを思い出した。

 ジュンコはロックグラスに氷を入れ、棚からバランタインの30年物を取り出して少し注ぐ。

 それからアート・ペッパーの古いレコードを取り出して、ターンテーブルに置き、針を落とした。

 スクラッチノイズが流れ、哀愁を帯びたアルトサックスの音色が「ベサメムーチョ」を奏でる。

「男の子はなんでこう死にたがるんじゃろうかねえ」

 ジュンコの口から思わず故郷の訛りがこぼれた。



 六本木特区のシェルターでもその夜の話題は錦糸町の事件だった。

「マルコ、そンでペドロってのはどういうやつなんだ?」ゴロウが訊く。

 マルコはしばらく黙りこくっていたが、しぶしぶ重い口を開く。

「ただの戦友だよ。一緒の部隊にいた」

「マルコ、答えたくなきゃこんな奴の話、聞かなくていいんだぞ」

 クガが分解清掃中のモーゼルから顔を上げて口を挟む。

「あれ、クガのダンナ。また違う拳銃バラしてんの?」

「あのなあゴロウ、お前にはどうもデリカシーってやつが足りねえ」

「デリカシー?あ、それミドリにもよく言われる」

「人にゃそれぞれ触れられたくない過去ってもんがあるだろ?ましてやこんな稼業をしてりゃあよ、みんな理由(わけ)ありじゃねえのか」

「あー、デリカシーってそういう意味か!」

「なんでミドリみたいな女がこういうのと付き合ってんのかねえ…」クガが呆れた表情で言う。

「何だよそれ。デリカシーに欠けてない?」

 そこでおもむろにムダイが口を開く。

「ま、クガの言う通りだな。しかしな、マルコ。私はこの事件に凶兆を感じるね」

「キョーチョー?」

「これからもっと悪いことが始まる。これはその始まりに過ぎない」

 マルコはうつむいてムダイの言葉をじっと噛みしめている。

「心配性だなあ、年寄りは。こりゃ完全にヤクザの内輪揉めだぜ?ペドロって奴は陳のとこの下っ端だったんだ。」

「思い過ごしならそれに越したことはないね。だが、ペドロやその親分の行方がわからないというのが気になる。内輪揉めなら今頃は勝ったそいつらが肩で風切って隅田川から向こうを歩いてるはずじゃないかね。それとティゲリバの発電所への攻撃はどう説明するね?」

「それは…、他の親分衆への根回しとか、ヤクザだってその、色々とあるんだよ。ティゲリバの件はまだペドロの仕業と決まったわけじゃねえし」

「ペドロは…」

 その時、マルコが再び重い口を開いた。

「あいつとは僕が少年兵になったころからの相棒でした。楽しい時も、苦しい時も、悲しい時も、ペドロはいつもそばに居てくれた。かけがえのない戦友でした」

 マルコの目には涙がたまって、今にも溢れそうだった。

 ゴロウはバツが悪そうに頭を掻く。

「でもあいつは戦場でしか生きられない奴です。あいつは僕に『東京に戦争を起こす』って言ってました」

 管理室を重たい空気が支配した。

「それと…、あいつは重度の薬物中毒で、もう長くは生きられないって…」

 ムダイが立ち上がって、マルコのそばに寄り肩をやさしく叩いた。

「マルコ、ありがとう。私は明日高藤君に会いに行く」

「老師、ペドロは…、誰かあいつを止めないと」

 座ったままムダイを見上げるマルコの頬を涙がつたう。

「心配するな、マルコ。単なる年寄りの心配性かもしれないね」ムダイは静かに笑って言った。


               次回第4話「ペドロの戦争」⑩に続く

今週も読んでいただき、ありがとうございました。

ところで作中登場する荒川ロックゲートは実在する施設です。

近所なので荒川を川沿いに散歩しながら実際に取材してきました。

暑い日でしたが、人が死ぬほどじゃなかったなあ…。

本作は近未来アクションですが、舞台は殆ど筆写のご近所となっております(笑)。

台風があり得ない進路で無理やり西日本に向かっています。

どうか皆さんが無事でありますように。

なお、次回は8月4日(土)夜10時に更新予定です。

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