第4話「ペドロの戦争」~扇動~
ペドロは仲間たちにも秘密裏に兵隊を集め、浦安で蜂起の機会を狙っていた。
そのために障害となる親分の「クミチョー」を殺害したペドロ。
そしてその日、12月8日がやってこようとしていた。
12月1日、陳の邸宅には何事も起こらなかった。
2~3日警戒は続いたが、集められた兵隊たちは白け切った表情で三々五々、陳の邸宅を後にした。
陳はまたしてもメンツを失った。
スガワラとタナカは陳に命じられ、クミチョーの屋敷を訪れた。
屋敷には相変わらず武装した門番や下足番など、ペドロの弟分たちがたむろして、いつもと変わらないように見えた。
二人の姿を見て挨拶する門番にスガワラが訊ねた。
「クミチョーいるか?」
「いません」
「いない?どこ行ったんだ」
「腰が痛いんでしばらくエトロフの温泉に行くって。ペドロの兄貴が言ってました」
「じゃあペドロは?」
「兄貴もクミチョーのお供で」
「いつまで?」
「10日ぐらいって」
スガワラとタナカは顔を見合わせた。
そう言われても陳の手前このまま帰るわけにはいかない。
「悪いがちょっと上がらせてもらっていいか?」
「いいっすよ」
門番はあっさりと二人を通した。
二人は庭を通って玄関に向かう。
時折鹿威しが音を響かせ、池の錦鯉が飛び跳ねた。
のどかなものだ。
玄関をがらりと開けると下足番が携帯ゲームに興じていた。下足番はゲームを放り出し、直立不動で挨拶する。
「いらっしゃいませ!」
「クミチョーいるかい?」
スガワラは念のため下足番にも聞いてみる。
「いません。エトロフに行ってます」
「どいつもこいつもエトロフ、エトロフ…。エトロフにいったい何があるってんだよ」
スガワラはブツブツとそう言いながら屋敷に上がり込んだ。
廊下を歩いていつもの応接間に行くと、そこは全て畳が取り去られ、板張りの床がむき出しになっていた。
家具の類も一切ない。
板の間にはペドロの弟分の少年たちがゴロゴロとくつろいでいたが、全員二人に気付いて直立不動になる。
「おい、こりゃどうなってんだ?」
少年の一人が答える。
「えーと、よくわかりません。来てみたらこうなってました」
「モヨーガエ…とか兄貴が言ってましたけど。それって何ですか?」
「そうか、いやわかった。もういいんだ、邪魔したな」
説明するのが面倒くさいので、スガワラは怪訝そうな表情の少年たちを残して立ち去った。
クミチョーの屋敷を出て、車に乗ったスガワラはタナカに言った。
「いねえな」
タナカがハンドルに両腕をもたせかけて答える。
「間違いありませんね。奴らにそういう芝居ができるわけない」
「模様替えってのがちょっと引っかかるが」
「んー、どうですかね。エトロフで湯治ついでに流行の家具を買い揃えるとか?」
「メキシコ人のくせに高倉健が好きとかいうやつがか?」
結局二人は陳にクミチョーもペドロもエトロフに旅行中と報告した。
六本木特区のシェルターには、今日も夜勤でクガ、ゴロウ、ムダイ、マルコの4人が詰めていた。
そして今夜はもう一人、付きっ切りでシェルターの空調機を調整するため、冷凍機の技術者が来ていた。
今晩シェルターで預かっているのは人間の幹細胞から培養した筋肉組織で、微妙な温度調節が必要なのだ。
クガもゴロウも気持ち悪がって物を見ようとしなかったが、好奇心旺盛なマルコはシェルターに行った。
シェルターは冬だというのに凍えるように空調が効いていた。
そしてその床には高さ三十センチほどの金属製の筒がずらりと並べられていた。
筒にはシャーレがいくつも詰められており、シャーレには赤色をした培養筋肉がみっちり入っていた。
神経細胞が入ってないので動きはない。
マルコには冷蔵されたシャーレに入ったそれはハンバーガーのパテに見えた。
クガが外周巡回から管理室に戻ってくると、ゴロウがひとりで奇妙な踊りを踊っていた。
クガはそれをじっと見ておもむろに言った。
「わかった!阿波踊り!」
するとゴロウは踊りを止め、憤然として答える。
「違う!太極拳!」
「お前ひでえな。よくそんなのをムダイの前で…」
言いかけて、クガはムダイが眠っていることに気付く。
そこへシェルターからマルコが戻ってきた。
「どうだった?」ゴロウがマルコに訊く。
マルコは感じた通りの感想を口にした。
「お前、意外と悪趣味だね」
ゴロウは気味悪そうにマルコを見て言った。
「だって、そうとしか見えないんだもん」
「案外食用だったりしてな」とクガ。
「ダンナまでそんな。やめてくれよ」ゴロウが「うえっ」という表情で抗議する。
「でもそのうち結局ホンモノが食いたいなんて言い始めるのさ。まったく人間の欲ってやつは果てがないんだ。どうしようもねえ」
本当に胸がむかむかしてきたゴロウは話題を変えた。
「ところで、これは知り合いから聞いた話なんだけどよ。こないだ陳の邸宅に武装したヤクザが大勢集まって三日ほど泊まり込んでたらしいぜ」
「殴り込みでもあったのか?」
「それがよ、結局何にもなかったんだと」
「なあんだ。そりゃ結構なことじゃないか」
「なんでも陳が襲撃に備えてた相手は中南米系の組織らしいぜ」
ゴロウはマルコをチラッと見て言った。
「ペドロ…」マルコは呟く。
東京に革命を、本物の戦争を。
マルコは新宿で聞いたペドロの言葉を思い出していた。
ゴロウが続ける。
「ところがペドロも、その親分もここんとこ音信不通、行方不明なんだそうだ。結局陳はまた株を下げて、臆病者のレッテルまで貼られちまったってわけさ」
マルコは目をつむってじっと考え込んだ。
ペドロ、どこで何をしているんだ…。
その頃、ペドロは浦安で作戦の最後の仕上げを行なっていた。
集めた兵隊たちの訓練はおおむね順調に終わった。
必要な物資もすべて集まった、
そして12月7日がやってきた。
その日の夕方、ペドロは皆を城の前のステージに集合させた。
ペドロはステージに続く階段の上に立ち、マイクに向かって集まった兵隊たちを見回している。
兵隊たちはざわざわしながらペドロの一言を待っていた。
「俺たちは見棄てられた。」
ペドロは穏やかに話し始める。
「親から見棄てられ、先公から見棄てられ、国から見棄てられ、世界から見棄てられた」
兵隊たちは静まり返った。
「お前ら!」
ここでペドロは初めて大きな声を上げる。
「お前らの中に飢えたことのないやつはいるか?腹を減らしてゴミ箱を漁ったことのないやつは?」
皆黙っている。それが答えだった。
ペドロはニヤッと笑って続けた。
「俺は自慢じゃないが腐ったフライドチキンを食って死にかけたことがあるぜ」
ドッと笑いが起こる。
「俺は悔しかった。死にかけたことじゃねえ。そのフライドチキンが死ぬほど美味いと思ったのが悔しかった。お前らだってあるよな?似たような経験が」
再び笑い。
「Japoneのサルどもは口を開きゃ、故郷へ帰れ、日本から出てけとかほざきやがる。ヤクザも警察も露骨に差別しやがる。何か起こると俺たちを疑いやがる。だけどな…」
ペドロはここで間をおいて天を仰いだ。
「俺たちは日本に来た時、みんなほんのガキんちょだったはずだ。俺たちの中で望んで日本に来た奴がどのくらい居る?気が付いたらここにいた。そうだろ?それが飢えて、ゴミ漁って、病気になっても奴らは気にしねえ。目の前で死んでった奴もいっぱいいるけど、それでも奴らは気にもしねえんだ」
兵隊たちはブーイングで同意を示した。
「なあ、誰か知ってたら教えてくんねえか。俺たちがいったい何をしたってんだ?何の罪で地球の裏側まで連れてこられてこんな目に遭ってる?」
涙を流す少年もあった。
「俺たちがこんなひどい目あってるのに誰も気付かない。奴らには俺たちが見えねえのか?俺たちは透明人間かなんかか?違う!俺たちはここにいる!俺たちは生きてる!俺たちは人間だ!そうだろ?それを奴らに気付かせてやるんだ!」
ペドロの演説は熱を帯び、それが兵隊たちに伝播し始めていた。
「そうとも、気付かせてやるんだ!!だけど奴らは、この世界は、フツーに声を上げただけじゃ誰も気付きゃしねえ。だから俺たちの姿を見せつけてやる。そのために俺たちは戦う。この腐った世界と、俺たちの仲間の食い扶持を食らって肥え太ったサルやブタどもに、俺たちが味わった恐怖と屈辱を味あわせて、そいつを骨の髄まで刻み付けてやろうじゃないか!それで奴らもようやく俺たちの存在に気付くってもんだ。それが平等ってもんだろ?ええ?どうだ、お前ら!!同志たち!!」
兵隊たちはペドロの問いに大歓声で応えた。ステージは熱狂に包まれた。
歓声が静まるのを待ってペドロは再び冷静に語った。
「今夜、始める。まず血祭りにあげるのは陳というchinoのヤクザだ。」
大物の名前に兵隊たちはざわついた。
「心配ねぇ。あいつらは気付いてない。だけどお前ら、はっきり言っとくぞ。これは戦争だ!始まったら容赦するな。向かってくる奴はもちろん、逃げる奴も背中から撃て。命乞いに耳を貸すな。女子供、ジジイもババアも容赦するな。殺らなきゃ殺られるぞ!」
兵隊たちから再び歓声が上がる。
「それから、こいつはちょっとしたボーナスだが、屋敷の中の金目のものは全部持ってっていい。それから食い物も全部いただく。このへんは特別訓練で十分やったろ?陳は宝石や金や高くてかっこいい時計をごっそり隠してるぞ!そしてやつの調理場の冷蔵庫には俺たちが食ったこともないようなうまいもんがぎっしり入ってる。こいつは陳が俺たちから搾取したもんだから俺たちが取り返して当然のものだ。遠慮するな!」
ステージは熱狂的な大歓声に包まれた。
「集合は午後8時、出撃は午後9時30分だ!各隊はそれまで隊長からもう一度詳しい段取りの説明を受けろ!」
それだけ言ってペドロは階段を下りた。
ペドロは「プリンス&プリンセス」に拝謁した。
「いよいよこの時が参りました。敵がここに攻めてくる前に叩きます」
「うむ、攻撃こそ最大の防御であるからして!」
興奮したプリンスの入れ歯が外れる。
「しかしここの守りが心配です。」
「プリンセス、ご心配なく。我らは嵐の如く敵を蹂躙し、疾風のごとく素早く戻って参ります。敵に弱みを見せるようなことは決してありません」
「ペドロよ、それで例のものは確かに手に入るのだな?」
「もちろんですとも。その他にも金銀財宝を山と持って帰ります」
「いいえ、どんな金銀財宝であっても、ペドロの約束した宝には及びません。ペドロ、必ずや!」
「はい、わたくしの両親の魂に誓って」
ペドロはプリンセスから祝福のキスを受け、下がった。
王国の桟橋には平べったい台船とそれを曳航する船がぎっしりと並び、エンジンをかけて出港を待っている。
すでに台船には兵隊たちと武器弾薬が積み込まれていた。
先頭の曳き船を操縦するのはイグナシオだ。
操舵室で舵を握るイグナシオの隣にペドロがやってくる。
「このあたりは浅瀬が多い。イグナシオ、お前が頼りだ」
イグナシオは無言でうなづいた。
ペドロは笑ってイグナシオに言う。
「悪かったな。城の塔に監禁なんかしてよ。その代わりひと仕事終わったら嫌っていうほど女を抱かせてやる」
ペドロが腕時計に目をやる。
21時30分。
ペドロがイグナシオの肩を軽く叩く
「行こう。キャプテン・イグナシオ」
船は、ひと際大きなエンジン音とともに動き始めた。
次回「ペドロの戦争」⑥に続く
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
毎日暑い日が続きますが、熱中症にはくれぐれもご注意ください。
事実、今日私は炎天下にフットサルをやって、ちょっとヤバかった…。
たった2時間で、頭から水をかぶったり、休憩をこまめにとりながらでこれです。
自慢じゃありませんが高校生の時、部活で熱中症(当時はそんな言葉はなかった)になったことがあります。
経験がないと、なんだかわからないうちに取り返しのつかないことになるのが熱中症。
手足にジーンとしびれがきたらまずその予兆と考え、日陰で休む、冷たい飲み物を飲むなどしてください。
豪雨の地域もあります。
土砂崩れや川の増水など、情報をこまめに収集して場合によっては素早い避難を決断してください。
この猛暑に冬の話を書いているのも何だか間抜けですが、真冬に夏の話を書き始めたのだから仕方がないですね(笑)。
さて、次回「ペドロの戦争」⑥は7月7日(土)夜10時に更新予定です。
どうか読み逃しなく!




