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第4話「ペドロの戦争」~親殺し~

ティゲリバはサギリを通じて、アフリカ系組織と中南米系組織の間で抗争の火種が燃え始めていることを知る。

一方、計画を洩らしているのがイグナシオだと気付いたペドロはイグナシオの元に赴く。

陳はイグナシオの情報を元に、襲撃に備えて邸宅の守りを固めていた。

錦糸町界隈に緊迫した夜がやってきた。



 車のハンドルを握って、イグナシオは不安に苛まれていた。

 ペドロはいつものバイクではなく、黒のワンボックスカーでやってきた。

 そして助手席に座り、イグナシオに行先を命じたまま一言もしゃべらずじっと前を見ている。

 後ろに積んであるブルーシートが気になる。

 何よりも今日、12月1日は計画の決行日ではなかったのか…。

 耐えきれずイグナシオは口を開いた。

「あ、兄貴、いよいよ今日ですね」

「やらねえ。気が変わった」

「え?」

「イグナシオよぉ。お前の女、名前なんつったっけ?」

「メイファですか?」

「そうそう、そのchinoの女な。陳のとこの日本人ヤクザの女だぜ」

 イグナシオは絶句した。

「イグナシオ、おめえはいい奴だ。けど女に口が軽すぎるな。今、陳の家は奴の兵隊でいっぱいだ。お前がその女に喋ったネタを信じてな」

「そんなバカな!メイファは俺にぞっこんなんだ!それにあいつはヤクザが大嫌いだって。俺だってあいつには絶対喋るなって…。あいつは惚れた男の言うことには絶対従う女なんだ!」

「お前だってヤクザじゃねえか。だけど最後のひとつだけが本当だったな。問題は惚れた男がおめえじゃなかったってことさ」

「そんな…」

「イグナシオ。優しい奴はこの商売には向かねえ。今度の仕事が終わったらもう足洗え」

 ヒーターの効いてない冷えた車中で、イグナシオの背中を汗がつたって落ちた。



 夜中の0時を回ったが、いっこうに何の動きもなかった。

 陳の邸宅に詰めているヤクザ者たちの間には緊張感と苛立ちがピークに達しようとしていた。

 その空気を察して陳の片腕ともいえる若頭のスガワラは弟分のタナカに言った。

「どうもまずいな、こりゃ」

「最近の奴らはでかい喧嘩を経験してませんからね」

「うーん。ちょいと街に偵察に出るか」

「いいっすね」

 スガワラとタナカは連れ立って邸宅の正門に向かった。

 正門を固めているチンピラに訊くと、さっきから人っ子一人通らないという。

「ちょっと街の様子を見てくる。何かあったらすぐ電話しろ」

 そう言い残して二人は邸宅の外へ出た。


 やがて二人は錦糸町の駅前の繁華街へ出る。

 大半の露店はすでに店じまいをしているが、ペドロの弟分たちは明かりのついているビルの入り口にたむろしてくだらないバカ話で盛り上がっていた。

 スガワラとタナカはその一群に近づいていく。

 二人に気付いた一群は一斉に口をつぐむ。

 そのうちの一人、アブドゥが挨拶した。

「スガワラさん、タナカさん、お疲れ様っす」

 スガワラは無言でアブドゥを平手で殴った。

「さーせん!」アブドゥは反射的に謝る。

「くっちゃべってねえで仕事しろ!ネズミども」

 タナカがドスの効いた声で言うとアブドゥたちは蜘蛛の子を散らすように仕事に戻っていく。

「…どう見るよ」

 スガワラがタナカに尋ねた。

「いや、何かあるようには見えませんね」

 スガワラも無言でうなづいた。

「ペドロの奴を探そう」

 二人はペドロの行きつけのバーに向かった。


 夜も遅くなり、その界隈ではジュンコのバーの看板だけがともっていた。

 二人は地下へ向かう階段を下りていく。

 中からは陽気なラテンポップスとスペイン語のバカ騒ぎが聞こえてくる。

 スガワラが店のドアを開けると、踊り、騒いでいたペドロの弟分たちは一瞬にして静かになり、スガワラを注視した。

 店には音楽だけが流れている。

「あー、ちょっと飲みに来ただけだ。続けてくれや」

 スガワラがそう言ってタナカと共にはカウンターに座ると、二人の前にジュンコが寄ってきた。

「あら、お珍しい」

「ウィスキーくれ」とスガワラ。

 タナカも同じものを頼んだ。

 ペドロの弟分たちは再び踊り始めたが、どこか白けた空気が漂った。

 スガワラがカウンターに座ってラムコークを飲んでいるファビオに声を掛ける。

「こんなとこで遊んでていいのか?」

「俺たち昼番なんで」

「こんなとことはご挨拶じゃないですか、スガワラさん」

 ジュンコがショットグラスになみなみと入ったバランタインのストレートを二つ、スガワラとタナカの前に置いた。

 スガワラはショットグラスを一気に飲み干してファビオとの会話を続けた。

「ところで…、ペドロの姿が見えないな」

「兄貴は調子悪いって先に帰りましたよ」

「ふーん」

 弟分たちは音楽に合わせて何となく体を動かしているだけで、スガワラたちをどこか怯えた目でチラチラ見ている。

 スガワラは立て続けにショットグラスを二杯あおる。

 タナカは一杯目を大事そうにチビチビと舐めている。

「効いたぜ。朝からほとんど食ってねえからな」

 スガワラはダンスフロアにチラリと目をやる。フロアの隅にギターが立てかけてあった。

「ギターじゃねえか。誰か弾くのか?」スガワラがジュンコに尋ねる。

「ああ、あれは兄の置き土産。それ置いてエトロフに行っちまったんですよ」

「そうか」

 スガワラはふらりと立ち上がるとフロアを横切って、ギターを手に取った。

 弟分たちは再び動きを止めてスガワラを目で追う。

 スガワラはギターを持って小さなステージに上がると、パイプ椅子に腰かけてギターをチューニングし始めた。

 ジュンコが慌ててBGMを止める。

 店内は静まり返り、スガワラが何を始めるのか、誰もが固唾を呑んで見守っていた。

 やがてスガワラがギターを爪弾き、そして歌い始めた。

「Bésame,bésame mucho…」



 イグナシオはペドロに言われた通り、ワンボックスカーをクミチョーの家の前に止めた。

 すぐさま警護の弟分が走り寄る。

 ペドロは車の窓を開けて弟分に尋ねた。

「クミチョーいるか?」

「はい」

 弟分はニヤニヤしながら声を潜めて続けた。

「今、おやつタイムです」

 ペドロは苦笑いしながらイグナシオに言った。

「おい、おめーも来い」

 ペドロとイグナシオは車を降りてクミチョーの屋敷の門をくぐった。

 ペドロは門番の弟分に言う。

「みんなに伝えろ。今晩は俺たちとクミチョーだけで話がある。おめえら全員帰っていいぞ」

 弟分は小躍りしながら仲間のもとへ走って行った。


 ペドロはドアをノックしてクミチョーの部屋に入る。

 部屋には薪ストーブが赤々と燃えていて、暖かかった。

 しかし、ペドロはコートを脱がないまま組長の前に座った。

 ステレオからはクミチョーがお気に入りの高倉健の歌声が流れている。

 クミチョーは机の上の盆にどら焼きを山盛りに乗せ、むさぼっていた。

「おう、ペドロどうした?」

「クミチョー、そんなに甘いもんばっかり食ってると病気になるぜ?」

 クミチョーは構わずどら焼きを呑み込んで、熱い緑茶を啜った。

「よくそんなもんが飲めるね」

「バカだな、おめえは。日本じゃ甘いもんには緑茶(グリーンティ)って決まってるんだよ」

 そう言ってどら焼きをもう一つ手に取る。

「ペドロ、イグナシオ、おめえらも食うか?このドラヤキはな、アンコの中にバターが入ってるんだ。うまいぞ!」

 クミチョーは知らないが、中南米系の人々の間でもっとも不人気な和菓子は「ドラヤキ」だ。

「いや、いらねえ」

 ペドロはしばらく黙ってクミチョーを眺めていた。

「それでペドロ、今日は何の用事だ?」

「クミチョー、あんたには感謝してる。拾ってもらった恩は忘れねえよ」

「何だ、改まって。変な奴だな」

 クミチョーはバター入りのどら焼きに夢中で、ペドロがコートのポケットに手を入れたことに気づかない。

「ウっ…」

 突然、クミチョーが喉を掻きむしって苦しみ始めた。顔色がみるみるうちに赤色から紫色に変わっていく。

「ちょ、クミチョー!」ペドロは慌てた。

「ドラヤキが喉に詰まったんですよ!」

 イグナシオがクミチョーに駆け寄ろうとするのをペドロが制する。

 やがてクミチョーはがっくりと頭を垂れて、ソファーに座ったまま動かなくなった。

「死んだ…?」

 イグナシオは呆然と立ち尽くしている。

 ペドロはため息をつきながらゆっくりとかぶりを振った。

「クミチョー、なんて死に様だよ。それじゃ健さんに笑われるぜ」

 ペドロはポケットからS&W44マグナムを取り出した。

「一応止め刺しとくか。」

 マグナムが轟音と共に火を吹き、ソファーごと後ろにひっくり返ったクミチョーは口からどら焼きを吐き出した。

 そしてわずかに息を吸い込んでこう言った。

「死ぬかと思った…」

 それがクミチョーの最期の言葉だった。



 ジュンコの店ではスガワラがギターを弾きながら「ベサメムーチョ」を歌っていた。

 スガワラの声は普段の強面に似合わぬ甘い美声で、最初は「ジジイの歌だよ」などと軽口を叩いていたペドロの弟分たちも、いつしか聞き入っていた。

「あたし、この曲知ってるわ…」

 ジュンコが呟く。

 やがてスガワラはギターをポロンと鳴らして歌い終えた。

 ジュンコが拍手すると、皆それに倣った。

「Bravo!」歓声と口笛に、スガワラは少し照れ笑いしながら手を上げて応えた。

「酔っぱらっちまった」そう言いながら戻ってきたスガワラは、カウンターの上に札を置いた。

「ごちそうさん。釣りはいらねえよ」

 タナカは慌てて残りのウィスキーを飲み干して立ち上がった。

「また来てくださいね!」

 ジュンコはスガワラの背中に声をかけた。


 表へ出たスガワラはタナカに言った。

「やっぱ襲撃はガセだな」

「ですね」

「親分はどうも肝が座ってねえとこがある」

「明日、いや、もう今日か。一日どうします?」

「アホらしいけど、まあ適当にサボりながらやるさ」

「それにしても…、兄貴がプロの歌手だったってのは本当だったんすね」

「お前、喋るんじゃねえぞ」スガワラはわざとドスを利かせて言った。

「へい」タナカはニヤニヤしながら答える。

「あーあ、ヤクザも飽きたなあ。どっかで流しでもやるか…」

 スガワラは夜空を見上げてため息まじりに言った。



 ペドロとイグナシオはブルーシートに包んだクミチョーの死体をワンボックスカーからボートに載せ換えて、東京湾に出た。

 狭いボートの上でブルーシートを解く作業は一苦労だった。

 ペドロが死体の足にワイヤーを結び、その先に重りのコンクリートブロックをくくりつける。

 イグナシオは終始無言で、ペドロに命令されるまま動いていた。

 最後に二人で死体を海に投げ込む。

 死体は海底に沈みながら黒い海面にブクブクと泡を立てる。

 ふたりはしばらく泡を眺めていた。

「なあ、イグナシオ。このあたりって魚は棲んでるのか?」

「はい。アナゴとか」

「アナゴってアンコは好きかな」

「さあ…。何でも食いますからね」

「そうか。これでクミチョーもこれで地球の一部、サークル・オブ・ライフってやつだ」

 二人を乗せたボートは浦安「夢の王国」へ向かった。


                次回「ペドロの戦争」⑤に続く



今週も読んでいただき、ありがとうございました。

今週で連載30週です。

例によって記念に増ページとかはありませんけど(笑)。

淡々と書き続けるだけです。

次週、ようやくペドロの計画が明らかになります(←予定)。

なお、次回第4話「ペドロの戦争」⑤は6月30日(土)夜10時に更新予定です。

お楽しみに。


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