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第1話「僕の名前は」~希望~

トッケイの三人の男たちと少年は、少女娼婦たちを守るという任務をやりとげた。

しかし、それは運命的な出会いをした少女コルティナとの別れを意味する。

そして一夜が明けた。

一夜明け、朝焼けの中、巨大な装甲リムジンバスと護衛の黒塗りの4WD車が続々とビルに到着する。

 護衛の車のサンルーフからは自動小銃を持ったヤクザが身を乗り出している。

 クガを先頭に、少女たちがゾロゾロとビルの正面入り口階段を下りてきた。

 少女たちは昨夜の死闘を知らない。

 眠そうにあくびをしたり、伸びをしたり、「お腹すいた~」など無邪気だ。

 もっとも、エレベーターホールに山のように折り重なっていたりびんぐでっどの死体は、すでに掃除屋(スィーパー)どもがきれいに片づけていった後だが。

 女たちの最後尾はコルティナで、それに少年とゴロウが続いた。

 コルティナは少年の身を案じて何度も振り向くが、少年はかたくなにうつむいて目を合わそうとしない。

 コルティナがこの後どうなるのか、そして二度とコルティナに会えないことが少年には分かっていたから。

「あ~、終わった終わった」

 少年とコルティナの気まずさを知ってか知らずか、ゴロウが大声で言った。

 ゴロウは上半身裸だ。シャワーを浴びて返り血をさっぱりと落とし、首からタオルを下げ、ウィスキーのポケットボトルをあおっている。二の腕には鯉の刺青。

 少女たちは素直に、窓のない装甲バスに次々と乗り込んでいく。

 護衛のヤクザたちが並んで少女たちに頭を下げる。

 これから彼女たちが強いられる仕事を考えると異様な光景だ。

「ヤクザ…」

 少年は、険しい目でクガを睨む。

 少年は今、自分のどうしようもない無力さをクガにぶつけるしかない。


 コルティナが最後にバスに乗ろうとして少年を振り返る。

 少年はコルティナを見ることができない。

 クガの前に、護衛隊のリーダーがやってきた。地味目のスーツを着たヤクザはクガに一礼して事務的な口調で言った。

「少女娼妓十八名、確かに受領しました。規定の警備料金は本日中に会社にお届けします」

 そして礼儀正しく受領証を両手でクガに手渡す。

 クガは無愛想に片手で受領証を受け取った。

 その時、装甲バスの方から怒鳴り声が聞こえた。

「あ、コラッ!」

 コルティナがバスのステップから飛び降り、少年に駆け寄って抱きついた。

 少年の口の中に柔らかくて、温かく、濡れたものが入ってくる。そしてそれは少年の舌に遠慮がちに触れ、出ていく。

 少年には一瞬何が起こったのかわからない。

 頭の芯が痺れ、体は硬直して、彼女の体を抱くことも忘れている。

 コルティナは唇を離しつつ、少年を見つめながら悲しい笑顔で言った。

「ごめんね」

 コルティナは再びバスへ走り去る。そしてもう一度振り向いて大声で少年に呼びかける。

「Adiõs!(さよなら!)」

 コルティナが乗り込むのを待って、バスの扉が閉まる。

 少年はただ茫然とそれを見ていた。

 と、護衛隊のリーダーが、いきなり少年の額に拳銃を突きつける。

 少年は反射的にポケットのナイフを探った。

 クガは二人の間に漲る殺気を遮るように、リーダーの銃口をゆっくりと掌で押さえる。

「こいつはうちの社員でね」

 リーダーはクガの目の色を見て拳銃をショルダーホルスターに戻し、ノーモーションで少年のみぞおちに拳を叩き込んだ。

 それは無駄のないプロの動きで、少年はなす術もなく地べたに這いつくばった。

 クガとリーダーは無表情で少年を見下ろしている。

 リーダーは口元に薄笑いを浮かべながら、威嚇するようにクガに顔近づけて言った。

「ボスには黙っとりますから」

 リーダーはゆっくりと歩いて装甲バスに向かい、自らもバスに乗り込んだ。

 それを合図にヤクザたちのものものしい車列は埃を舞い上げながら去っていく。

「気に入らねえ。あれで貸しでも作ったつもりでいやがる」

 ゴロウは不機嫌そうにタバコを投げ捨てる。そしてしゃがみこみ、まだ地面に這っている少年に声をかけた。

「大したもんだぜ、奴のボディをくらってゲロ吐かないってのはよ」

 クガは電話をかけている。

「あ、社長。終わりました。後始末はいつもどおり警察に任せます。…あ、ハイ」

 少年はのろのろと立ち上がり、砂まみれの顔で去りゆく車列をじっと睨みつけている。

 その手には刃を起こしたナイフが握られ、その眼には涙が滲んでいた。

 両親を殺し、妹と生き別れ、戦場で友を失い、たどり着いた日本で自分すら失った。

 これ以上失うものなどないと思っていた。

 ではこの自分の心をさいなむ引き裂かれるるような痛みは何なのか。

 少年の眼から一筋涙が流れる。

 クガが独り言のように少年に言う。

「あの娘たちは一晩できのうお前が龍を殺った金の10倍は稼ぐんだ」

 故郷の訛りで少年に語りかけた美しい娘の名前はコルティナ・フェリシアーノ。

 決して忘れはしない。

 少年は涙を拭った。



 東京都葛飾区、江戸川区などいわゆる東京の下町は、2020年の大厄災で特に大きな被害を受けた。

 二つのプレートが連動した超巨大地震は、同時に関東平野の活断層を激しく動かした。

 区のほとんどが海抜0m地帯で、おまけに木造家屋が密集したこの地区は、火災と津波に舐めつくされ、葛飾、江戸川区だけで死者・行方不明者は数十万人を超えた。

 しかし、生き残った人々、都心から流れてきた人々はたくましく、思い思いにガレキを使って雨風をしのげる小屋を作り、その様子はびっしりと密生したフジツボのようだった。

 自然発生的に現れたマーケットはごった返し、むせかえるような生命力と活況を呈している。

 ここでは金さえ出せば何でも手に入るといわれ、都心からわざわざ出かけてくる者もあった。

 そして、その日の暮らしのために右往左往する人々を見下ろすように、スカイツリーがにょっきりと突っ立っている光景は場違いで間抜けな光景だ。

 そんな中、焼け残った数少ない小さなビルに「(有)東京特殊警備保障」の看板が出ている。

 東京特殊警備保障は、特殊警備、略して「トッケイ」を専門とする会社だ。

 中央政府が無力となった今、地方警察、自衛隊は各々地方の利権を求めて軍閥化し、その本来の機能を麻痺させた。

 そして中央政府は仕方なくその肩代わりを暴力組織に求めた。

 特殊警備はこの統治機構の歪みから生じる治安の悪化を防ぐための私兵組織といえるが、場合によっては殺人すら許される特殊警備は政府の許可を必要とした。

 任務の特殊性から許可を得るハードルは高く、特殊警備免許を持つ警備会社は数少ない。中でも「トッケイ」専門の会社はここだけで、中央政府からの大きな信頼を得ていた。

 その社長室の壁を埋め尽くす警察、消防署その他官公庁からの感謝状などの賞状が、その信頼を象徴しているが、それらはなぜかテープでぞんざいに張り付けられている。


 

 警察への報告が終わり、クガたちが少年を連れて社長室にやってきたのは昼過ぎだった。

 クーラーの効いた涼しい社長室のソファーに、東京特殊警備保障社長高藤大陸たかとうだいろくが座っている。

 高藤は身長230㎝の大男で座っていても少年より大きい。しかも美男子だった。

 その両脇に屈強なガードマンが立っている。

 二人はとも会社の制帽をかぶり、会社のバッジ付きでノースリーブの黒皮の特製制服を着こみ、同じく黒皮の半ズボンを履いている。

 これは男色家の社長の趣味である。

 少年は高藤の巨大さに圧倒されつつ、あんな大きいスーツは一体どこで手に入れるのだろうかなどとぼんやり考えていた。

「ご苦労様」

 高藤がクガにねぎらいの声をかける。

 クガは無言で一礼して切り出した。

「社長、それでこいつがその…」

 高藤は少年を見て言った。

「いいんじゃない?若手は必要だし。なかなかいい子ね」

「ただちょいと訳ありでして」

「わかってるわ。弦本(つるもと)!」

 呼ばれて別室から、女性が入ってきた。

 女性は眼鏡をかけ、グラマラスな肢体をストライプ柄のスーツにピタリと包み、タイトスカートから美しい脚を見せていた。そして怜悧(れいり)で少し謎めいた雰囲気をもっていた。

 社長秘書の弦本響子だ。

「御用でしょうか」

「この子にパスポートとIDを。正規のルートでね」

「はい」

 弦本は少年にスペイン語で尋ねた。

「キミ、名前は?」

 少年は黙ってうつむいている。

 弦本は少し困ったように高藤を振り返った。

 高藤はため息をつきながら言った。

「そうよねえ、不法移民じゃ。名乗るに名乗れずね」

「どうしましょう」

「なんか適当につけちゃえば?」

 その時、少年が絞り出すようなか細い声で何か言った。

「…ル…コ」

 弦本は聞き取れない。

「えっ?」

「マルコ!」

 少年は決然として大きな声で答えた。

 少年は決意に満ちた表情で、拳を自分の胸に当てながら思いっきり大声で叫ぶ。

「ボクの名前は、マルコ・フランスア!!パパとママからもらっタ名前!」

 初めて聞く少年の大声に、ゴロウが思わずくわえたタバコをポロリと落とす。

 ムダイは静かに笑った。

 高藤は愉快そうに笑いながら言った。

「マルコ、いい名前じゃない。弦本、じゃあちょっと面倒だけどそういうことで」

「かしこまりました」

「それで…、と」

 高藤がなぜかいたずらっぽい表情で指をパチンと鳴らす。

 すると隣室からおずおずと少女が現れた。

 コルティナだった。

 マルコは心臓が止まってしまうのではないかというほど驚いた。

 久我とゴロウも目を丸くする。ムダイですらうっすらと目を開ける。

 コルティナは少し照れた表情で、マルコにあいまいな微笑みを送った。

 高藤が困ったように言う。

「傷物になっちゃったから買い取ってくれって」

 クガが護衛のリーダーの薄笑いを思い出してうめく。

「あいつ…」

「あら、違うのよ。密告(チク)ったのは他の女の子。やあね、女同士の足の引っ張り合いって」

 といいつつ高藤は両脇のガードマンに笑いかける。

 二人のガードマンは互いに顔を見合わせて、無言で肩をすくめた。

「高くついちゃったわ、この娘。でも美しい。高値で売れそう」

 といいつつ高藤はコルティナの髪を撫でる。

 コルティナはピクリともせず、毅然としている。

 マルコは間髪を入れずナイフを抜いて高藤の前のスツールに飛び乗った。

 そしてその目に怒りをたぎらせつつ叫んだ。

「人間は商品じゃないゾ!」

 高藤の両脇を固める二人のボディガードが反射的に前へ出ようとする。

 しかし、高藤が両腕を開いてボディガードたちの顔面に裏拳を叩きつけると、ふたりとも壁まで吹っ飛んだ。

 高藤は巨体をグイと乗り出して、ナイフを持つマルコに顔を近づけて笑いながら言った。

「そんなきれいごと、本気で信じてるわけじゃないでしょ?」

 マルコは反論できない。

 日本に来てから、マルコ自身が自分の肉体を、時には命すら売ってきたからだ。

 悔しそうにうつむいて黙ってしまったマルコに高藤はさらに続ける。

「そう、あの娘は売り物。だけど誰に売るかはわたしが決めるわ。たとえばあなたとか」

 マルコは高藤の言葉に意表をつかれて顔を上げた。

「僕が?」

「ほしいものは買うか奪うか。あなたはどっちかしら」

 マルコは高藤の真意をつかみかねていた。

弊社(うち)のギャラは結構いいのよ。頑張れば1年ぐらいで何とかなるかも」

 高藤の言葉はマルコに思いもかけない希望を与えた。

 それはマルコがこの国に来てから初めて見た光明といえる。

「ホントか?!」

「きれいな仕事ばかりじゃないわよ。それに欲しいものが手に入らないまま死ぬかも」

 マルコはナイフを収め、高藤の目を真っ直ぐ見つめて言った。

「ヤルよ!」

 高藤はゆっくりと再びソファーに背をもたせかけた。タフなボディガードたちはすでに立ち上り、何事もなかったかのように手を前に組んでソファーの両脇に立っている。

 高藤は朗らかに笑いながらマルコに言った。

「じゃ、この娘は売約済み。その代わりあんたの命はわたしが好きに使うわよ。いい?」

 返事の代わりにマルコとコルティナは互いに駆け寄って見つめあう。

 ゴロウがそれを見ながら、溜息まじりに少し白けた声で言った。

「これで奴も鎖付きか」

 クガがニヤニヤしながらこれに応える。

「そうかな?飼い犬に手を噛まれるってこともある。おめえも噛まれねえように用心したほうがいいかもな」

(こえ)(こえ)え」


 高藤はそのちょっとした騒ぎを横目に弦本を小声で呼んだ。弦本は素早く高藤の傍に身を寄せる。

「あの子たちのこと、できるだけ詳しく調べてちょうだい」

「わかりました。」

 弦本が離れると、高藤は笑みを浮かべて呟いた。

「あの二人、お金の匂いがするのよ」


 コルティナがマルコの目の前に真っ白なハンカチを広げる。

 ふたりはそれを見て屈託のない少年少女の顔で笑い合う。

 ハンカチには鮮やかに「Marco(マルコ) Franzua(フランスア)」と刻まれていた。


              第2話「マルコの事情」~戦場の追憶Ⅰ~につづく



「トッケイ‐東京特殊警備保障‐」第1話はこれで終わりです。

 いかがでしたか?

 第2話「マルコの事情」では、少年兵だったマルコが日本にやってくるまでを描きます。

 ご期待ください。

 なお、次回も予定通り、12/23(土)午後10時に掲載予定です。

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