第4話「ペドロの戦争」~悔恨~
ペドロはティゲリバ配下のンドゥギに弟分のミゲルを殺害され、復讐を誓う。ペドロはそれを実行すべく着々と計画を進めるが、それは東京全体を巻き込む可能性のある危険なものだった。
一方、ミゲルのガールフレンドだったサギリは兄ンドゥギの元を抜け出してティゲリバに会いに行く。
銀座の裏路地は平穏だった。
路地から見上げた細長い青空には色とりどりの洗濯物が細いロープに干され、緩やかにはためいている。
ティゲリバの事務所裏には、洗濯を終えた様々な年齢層のアフリカ系の女たちが陽だまりに集まり、他愛のないおしゃべりに興じている。
以前は昼日中から日本や中国、半島系のヤクザがうろつき、女たちに露骨に卑猥な言葉や差別語を投げつけ、挑発していた。
しかし明治神宮での一件以来、この界隈は劇的ともいえるほど静かになった。
ティゲリバが勝ち取った親分衆たちからの畏敬が、たちまち形となって表れたのだ。
そこへ、サギリが息を切らせて走ってくる。
金だらいを逆さに伏せて椅子がわりにしていた少女イレーヌがのんびりと声をかける。
「サギリ、久しぶりじゃないの」
しかし、女たちはサギリのただならぬ様子に気付く。
サギリの裸足の足は泥だらけで、何度か転んだのだろうか両膝を擦りむき、髪も埃まみれで目は血走っていた。
「一体どうしたの?」
「ティゲリバは?」
サギリは息せき切って女たちに尋ねる。
「ティゲリバなら道場にいるけど…、何かあったの?」
サギリは答えず建物に駆け込んだ。
ティゲリバの事務所のワンフロアは畳敷きの道場になっている。
ティゲリバこと伊庭景虎は、3本の巻き藁を前にして正座をし、黙想していた。
腰には練習用の居合刀が手挟んである。
「きえぇぇい!」
掛け声と共に立ち上がり、刀を抜く。
そして掛け声が終わった時には、三本の巻き藁は全て真っ二つに切れ、畳の上に転がっていた。
残心。
日本刀はパチリという音と共に鞘に納まり、ティゲリバはシューっと口から息を吐いた。
ティゲリバが畳に片膝を突いて巻き藁の切り口を眺めていると、サギリが駆け込んできた。
ティゲリバはニッコリしてサギリに声をかける。
「サギリ!久しぶりじゃないか」
しかし、サギリはティゲリバの顔を見るなりワッと泣き出して駆け寄り、抱きついた。
泥足で道場に上がったサギリをティゲリバが咎めなかったのは、サギリの様子が気になったからだ。
サギリとその兄ンドゥギは、ティゲリバがジュアバラカから帰還するとき、一緒に連れ帰った子供たちだ。
まだ赤ん坊で名前のなかった彼女を「サギリ」と名付けたのはティゲリバだった。
それだけにティゲリバはサギリの事を人一倍気にかけていた。
ティゲリバはサギリを抱きしめながら尋ねた。
「サギリ、いったいどうした。何があったんだ」
サギリは発電所でのミゲルとの出会いから今までの事を取り乱しながらティゲリバに話した。ティゲリバはサギリのあちこちに飛んで要領を得ない話を黙ってうなづきながら聞いていた。
「で、そのミゲルという子はそれからどうなった?」
「わからないんです!何がどうなっているのか。あれからずっと外に出ていないので…」
ティゲリバは悪い予感がした。
「わかった。で、今ンドゥギはどこに?」
「今日は発電所に行くって言ってました」
「その日、ンドゥギと一緒にいたのは?」
「コタローとコテツです」
ティゲリバは道場から廊下に出て大音声で叫んだ。
「コタローかコテツを呼べ!」
コタローとコテツは、道場でかしこまってティゲリバの前に座っている。
ティゲリバの横にはサギリが座っている。
二人には呼ばれたのはミゲルの一件だとすぐにわかった。
ティゲリバは怯え切っている二人から穏やかに事実を聞き出した。
事がミゲルの殺害と、遺体への冒涜に及んだ時、サギリは気を失った。
ティゲリバはサギリを抱きとめ、怒りを押し殺しながら苦渋に満ちた表情で二人に言った。
「私刑は禁じたはずだ。それと遺体への冒涜、これは論外。こんなことをしていたらいつまでたっても日本人に認められないぞ」
コタローとコテツはティゲリバの目を見ることができないでうつむいて黙っている。
やがてコタローが震える声でようやく言った。
「…止めたんです。でもあっという間の出来事で…。どうすることも」
「遺体への冒涜は?お前たちも手を貸したのか」
「いえ。俺たちに迷惑がかかるからってンドゥギが一人で」
「なぜ止めなかったのだ」
「ンドゥギがキレたら誰も止められません!」
「サギリを頼む。俺はンドゥギに会いに行く」
ティゲリバは気を失っているサギリを二人に託し、立ち上がった。
「サギリは弱っている。すぐにイレーヌたちを呼んで介抱してやりなさい」
11月30日、陳大人の邸宅には続々と配下のヤクザたちが集まってきた。
陳は12月1日にペドロたちが襲撃を企てているという情報を掴み、厳戒態勢をとっていた。
だが、ペドロの弟分たちはそんなこととは知らず、その日も縄張りを見回っていた。
最初はいつも通り、露店を冷やかしたり女たちをからかったりのんきにしていたが、やがて異変に気付く。
彼らの大嫌いな陳の手下たちの姿がない。
見回りの一人、ファビオがキムチ屋の老婆に尋ねた。
「今日はタナカとかスガワラとか、どうしたの?」
「さあね。そういや朝から見てないよ」
そこへペドロが現れた。
「兄貴!今日は早いっすね」
「ご苦労さん。様子はどうだ?」
「それが…」ファビオは声を潜めて言った。
「陳大人のヤクザたちがいません」
「そうか。奴らでもたまにはサボるんだな。気にするな、いつも通り仕事しろ。何かあったらすぐ俺に知らせろよ」
ペドロは何食わぬ顔でファビオたちと別れたが、内心ほくそえんでいた。
ビンゴだ。やっぱりイヌはイグナシオ。しかしおかげでうまく陳に偽の情報を掴ませることができた…。
しかし、昼過ぎあたりから街の人々も異変に気付き始めた。
陳の邸宅に大勢のヤクザたちが武装して集まっている、今夜あたり出入りがあるらしい。
噂の元は陳の邸宅に出前に行った蕎麦屋で、噂はあっという間に街に広がっていった。
ペドロは素知らぬ顔で、行きつけのバーにもぐりこんでいた。
バーの若い女主人は日本人で、ジュンコという。
ジュンコも噂を聞きつけたらしくペドロに訊いた。
「ねえ、今晩なんかでっかい喧嘩があるって噂、ホント?」
ペドロはチビチビとラム酒を舐めている。
「知らねー。何それ?」
「陳大人の家にいっぱいヤクザが集まってるって」
「マジで?」
「あんたたちも陳の配下だろ?行かなくていいの?」
「だってクミチョーから何にも聞いてねえし。俺たちが勝手に動けるわけねえだろ?」
「そっか…。じゃああれかな、あの何とかっていう銀座のヤクザ」
「ティゲリバ?わかんね。ま、どっちみちあんたらカタギの人たちには関係ないっしょ」
ティゲリバは自衛隊の野戦服に着替え、一人でジープを飛ばし、発電所にやってきた。
相変わらずこの浅瀬にはきつい異臭が漂っている。
ティゲリバは思わず顔をしかめて首に巻いたバンダナをサングラスの下まで引き上げた。
ジープの音を聞いて、番小屋から二人の若者が下りてくるが、その中にンドゥギの姿はない。
ジープを停めて、ひらりと飛び降りたティゲリバの姿を認め、二人が走ってくる。
「ティゲリバ!」
「ンドゥギはどうした?」ティゲリバは二人を詰問する。
「それが…」
「…逃げました」
「俺のバイクを盗んでいきやがった」
遅かった。ティゲリバは内心歯噛みしながら二人に訊く。
「お前たち、ンドゥギの行先に心当たりはないか?」
二人は一瞬顔を見合わせて答える。
「わかりません。ンドゥギは滅多に口を利かないので」
まずい。完全に後手に回っている…。
「このあたりを探ってたミゲルってのはどこの系列だ?」
「俺らもよく知らないんですが、ラテン系だから陳の系列じゃないですか」
「そうか。お前たちはそのまま任務を続行!」
「はい!」
ティゲリバはジープをUターンさせて走り出した。
ティゲリバのジープは永代通りを飛ばし、清砂大橋の手前まで来たところで、ヤクザたちに止められた。
チンピラがティゲリバにぞんざいな口調で話しかける。
「おっちゃん、どこ行くの?」
「私はティゲリバという者だ。この橋を渡りたい」
ティゲリバの名を聞いてチンピラは真っ青になった。
「す、すんませんでした!すぐ親分呼んできますのでしばらくお待ちください」
やがておっとり刀で親分が飛んできた。
よく見ると奉納相撲の後の花会で見知った顔、たしか笠松という名の親分だ。
「こりゃあティゲリバの。どうなすったんで?」
「いやあ、ちょっと隅田川の向こうに用があって。通してくれないか」
親分はしばらく考えて重い口を開いた。
「ティゲリバ、そいつぁお勧めできねえ」
「ほう、なぜ?」
「間違ってたらすまねえが、ズバリ訊くぜ。あんた、陳と一戦交える気じゃねえのかい?」
笠松の意外な言葉に、さすがのティゲリバも驚きを隠せなかった。
「まさか!いったいどこからそんな話が…」
「川向こうからの情報じゃあ陳の邸宅に配下の連中が集まってるってぇ話だ。今夜あたり出入りがあるってもっぱらの噂だぜ」
「全く根も葉もないことだ」
「そうかい。だけど今じゃ陳とやれるのはあんたぐらいだ。」
陳とはいずれは決着を付けなければならない。しかし、ティゲリバはあくまでも平和的な解決方法を模索していた。なぜ今そんな噂が…、何が起こっているんだ。
「やらねえんだな?」
「やらない」
「じゃあ、余計にここは渡らねえ方がいい。あんたに何かあったら、本当に戦争がおっぱじまるぜ。向こうはそのぐらいやべえ」
何かが起ころうとしている。しかし情報が足りない。ティゲリバはすっきりしないまま清砂橋を渡ることを諦めた。
夜が来た。
ペドロは飲み代をカウンターに投げて、腰を上げた。
「あら、もうそんな時間?」
カウンターの向こうでウトウトしていたジュンコが目を覚まして言った。
「ああ、ちょっと早いけどな。なんか疲れた。体調悪ィし、帰って寝るわ」
「また来てね」
ペドロは無言で片手を上げて応えた。
地下にあるバーの階段を上がり、ペドロは油断なく表をを見回した。
そこへファビオが走ってくる。
「兄貴!」
「おお、見回りご苦労だったな。夜と交代か」
「はい!結局陳のヤクザは来ませんでした」
「そっか。」
—やつら、今夜一晩緊張で眠れないに違いない。そして明日も丸一日。気の毒だけど、ざまあみろだ。俺の計画を知ってるのは仲間内でもごく一部、とすると問題は…。
「お前ら腹減ってるだろ?これでジュンコに何か食わせてもらえ。それと、俺のボトル飲んでいいぞ」
ペドロはファビオに札を渡してバイクに跨った。
「兄貴はこれから?」
「疲れた。事務所に帰って寝る。何かあったら電話しろ」
ペドロはファビオたちにウソをついた。
そしてKLX80のキックべダル蹴って、走り去った。
次回「ペドロの戦争」④に続く。
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
またしても手違いで予定時間よりも早く未完成版が掲載されてしまいました。
申し訳ありません。
今晩10時に掲載されたものが完成版です。
さて、いよいよ動き出すペドロの戦い。
果たして東京に何が起きるのか!
今後の展開をお見逃しなく。
なお、次回「ペドロの戦争」④は6月23日(土)夜10時に更新されます。
ご期待下さい!




