第1話「僕の名前は」~コルティナ~
中米の小国で共産ゲリラとして戦った少年兵は、数奇な道のりを経て日本にやってきた。食べるために大物ヤクザを暗殺した夜、少年は「トッケイ」と名乗る奇妙な私兵集団に出会う。「トッケイ」のリーダー、クガに請われるまま、一晩限りのつもりで仕事を引き受けた少年の任務とは…。
コルティナと呼ばれた少女は少年の妹マリアに似ていた。
少年は思い出す。
両親を共産ゲリラに殺害され、妹マリアと生き別れとなった日のことを。
マリアの命を助ける代わりに、少年はゲリラたちに両親を自ら手にかけることを強いられた。
これはゲリラたちが少年兵をスカウトするためによく使う手段で、親族を殺させることにより少年たちのコミュニティとの縁も断つのが目的だ。
コミュニティに「親殺し」の烙印を押された少年たちは共産ゲリラとして生きるしか道がない。
両親は毅然として「自分たちを殺せ」と少年に命じた。
少年は涙を流しながら自動小銃の引き金を引いた。
ゲリラに連れ去られるマリアの最後の叫びが少年の耳から離れることはない。
「聞いてんのか?」
クガの声で少年は我に返る。
クガは、まったく…という表情で毛のない頭を掻きながら少女に言った。
「コルティナ、もう一回説明頼む」
コルティナと呼ばれた少女はもう一度丁寧に、セント・グレゴリオ訛りのスペイン語で説明する。
「あなたは一晩ここにいて私たちを守る。朝になったらこの人が迎えにくる。もしこの人以外だったら相手が誰でも戦う」
クガは二人の様子をじっと眺めている。
コルティナは最後に人差し指を立ててこう付け加えた。
「ただし、できる限り殺さないように」
少年はコルティナの瞳を見つめて力強く答える。
「Si」
するとクガは出し抜けに少年の両肩に手を置いて流暢なスペイン語で言った。
「よっしゃ!お嬢さんたちに傷ひとつ付けるんじゃないぜ、camarada(相棒)!」
少年はクガのスペイン語に驚きつつうなづく。
クガは後の段取りを少年に指示して立ち上がり、少年の耳元でニヤニヤしながらスペイン語で囁いた。
「お前のポケットに入ってるナイフな、あれどこに隠してたか、この娘たちには黙っといてやる」
少年は思わずうつむいて顔を赤らめる。
クガは、少女たちに手をふりながら倉庫を出ていく。
重い鉄扉が閉まるやいなや、少女たちはいっせいに歓声をあげ、少年に駆け寄った。
少女たちは退屈しきっていた。
同世代の若い男性からは常に遠ざけられており、少年が物珍しかったのだ。
もちろん少年の中性的で美しい顔立ちが彼女たちの興味を引いたことも確かだ。
「かわいーっ!」
「男の子?女の子?」
「年はいくつ?」
「彼女いる?」
少年はこれまでこんなに多くの同世代の異性に取り囲まれたことがない。
おまけに彼女たちの言葉の半分もわからない。
さらに彼女たちは皆ほとんど半裸といえる状態だ。
少年は少女たちにもみくちゃにされ、ただただドギマギするばかりだった。
クガが管理室に戻ってくると、ゴロウが倉庫の騒ぎをモニターで眺めていた。
ゴロウはクガを振り返って言った。
「彼氏、モテモテじゃないの」
クガは「どっこいしょ」と言いながら椅子に腰かけた。
ゴロウはモニターに目をやったまま、最前からの疑問をクガに皮肉っぽい調子で問いかける。
「あんなガキを引き込んで、どういうつもりなんですかね?」
「俺たちもいい加減トシだからな。若いのがいねえとよ」クガはゴロウの皮肉を軽く受け流した。
「ガキに情けなんかかけて、らしくないんじゃないの?」
その時、ムダイが重々しく口を開いた。
「あの子、タダ者じゃないね」
少女たちの喧騒はコルティナの懸命の努力によって一応落ち着いた。
彼女らは多国籍で、時には少年との意思の疎通に四人の通訳のリレーを要した。
少女たちは少年を中心に床に座り、一番年上でリーダー格のアニータだけが腕組みをして立っている。
アニータは体格も良く、少年より背も高かった。そして少年を小バカにしたような笑みを浮かべてこう言い放った。
「で、アンタが私たちを守ってくれるって?」
少年は黙ってうなづく。
「ハッ!アンタ私より細っこいし背も低い。おまけに武器も持ってないじゃないの」
少年はポケットからナイフを取り出して刃を起こして見せた。
刃は両刃でよく研がれ、すり減って小さくなっている。
柄は木製で、刃をたたむと手のひらにすっぽり入るほど小さい。
アニータは呆れて思わず笑ってしまう。
「プッ!何それ、エンピツ削り?」
少年は表情を変えず、コルティナに何事かボソボソ喋る。
コルティナは胸元から白い絹のハンカチを出して少年に渡した。
少年は座ったまま、まずアニータに微笑みかけ、他の少女たちにも良く見えるようにハンカチを広げた。
そしてハンカチを宙に高く投げ上げ、自らも座った姿勢から高く跳躍して舞いのように優雅に体を翻す。
細かい布片が散る。
ハンカチはふわりとコルティナの手に戻り、遅れて雪のように白い布片がはらはらと落ちてきた。
コルティナは、手の中のハンカチを見て驚いた表情を見せた。
他の少女たちもコルティナの周りにドッと集まり、その手の中を覗き込む。
アニータはハンカチを見て言葉も出ないほど驚いている。
「これ…。」
少女たちもドッと湧いた。
「すごーい!」
そして、しばし倉庫の中は無邪気な嬌声に満たされる。
少女たちは少年にハンカチを差し出しながら、口々に「私は蝶々がいいな」「私は薔薇の花!」などと注文する。
コルティナは、黙々と少女たちの注文をこなす少年の隣で、自分の手の中のハンカチを見つめ、微笑みながら訊ねた。
「これ、あなたの名前?」
少年はナイフを素早く動かす手を止めず、はにかみながら黙ってコルティナに微笑みを返した。
夜も更けた。
部屋の明かりは消えている。
少女たちはしばらく騒いでいたが眠ってしまった。
誰もが故郷からも家族からも遠く離され、本当は疲れきっているのだ。
少年の傍にコルティナが座っている。
コルティナは少し少年に体を寄せる。
良い香りが少年の鼻をくすぐる。
そしてまるで吸い込まれるように大きな漆黒の瞳。
少年はコルティナが自分より一つ年上の14歳と聞き、彼女を特別に意識していた。
セント・グレゴリオ諸島の男性社会には専ら年上の女性を憧れの対象とする気風があって少年も例外ではない。
もっともコルティナにあまりその意識はないようだが。
コルティナは屈託なく言う。
「セント・グレゴリオの人に会うの、この国に来てから初めて」
少年はセント・グレゴリオの北部の本島出身で、南の島嶼部の訛りで喋るコルティナとは少し言葉が違う。
しかし、遠い異国で聞くその訛りは少年に胸をかきむしられるような懐かしさと愛おしさをかきたてた。
「君はどこの生まれ?」
少年はコルティナに問いかける。
言葉から彼女の出身地は見当がついたが、今は何とか話を繋ぎたい。
「私はサン・アーロン。あなたは?」
「ぼ、僕は、べナス」
コルティナは笑顔で答えた。
「都会ね」
その言葉に少年は悲しそうにうつむいた。
セント・グレゴリオ諸島の内戦では、戦闘は主に北部本島の山岳地帯と都市部で繰り広げられた。
コルティナはセント・グレゴリオの都会で何が起きたか、少年が何をしてきたか知らないに違いない。
管理室ではみな、椅子に座ったまま眠っている。
ムダイが細い目をあける。
クガとゴロウも続いて起きる。
「ようやくおいでなすった」
そう言ってゴロウがビルの正面脇の夜間通用口を捉えたモニターに目をやると、そこには闇の中を幽鬼のような白い影がゆらゆらとさまよい歩いている。
それを見てクガが鼻を鳴らしながら呟く。
「こりゃ、りびんぐでっどじゃねえか。やつら何の冗談だ。」
「りびんぐでっど」とは文字通り「生きた屍」のことだ。
どこかの軍事産業が、死んだ兵士の有効活用方法として死体の脳に電気信号を送る装置を取り付け、意のままに動かす技術を開発したという噂だ。
彼らは痛みを感じることがなく、死を恐れない最強の兵士だという。
しかしこれは戦場に流布する与太話のようなものだとクガは考えていた。
事実、クガは傭兵として世界各国の戦場を経験してきたが、そんなものに出会ったことは一度もなかった。
だがビルの周りを囲んでいる「りびんぐでっど」たちは、いわばその偽物だ。
彼等は「Dee」と呼ばれる薬物の重度の中毒患者で、その最末期にはすべての判断能力を失い、Deeのためなら何でも命令を聞くようになる。
痛みを感じず、死を恐れないということでは正に「りびんぐでっど」なのだが、偽物には欠点はがあった。
それは、その状態が薬が切れるまでの時間に限定されるということ。それからもはや拳銃のような単純な武器を操る能力すら喪失していることだ。
「薬が切れるまでだいたい1時間ってことか」
モニターに映った彼らの様子からクガが冷静に分析する。
「きっと囮ね」ムダイが珍しく口を開く。つまり本隊は…。
ゴロウがムダイの懸念を察してクガに言った。
「さっきの坊や、任せて大丈夫か?」
クガは笑って答えた。
「やつらは俺たちが三人だと思っている。だとすれば大丈夫だ。こいつらを片付けてから下へ行っても十分間に合う」
コルティナは座ったまま眠ってしまった。
少年はコルティナの顔をのぞきこむ。
コルティナの美しい横顔。
睫毛が長い。
少年はコルティナに気づかれないようにそっと距離を縮める。
と、コルティナが突然少年の肩にコトンと頭をもたせかけた。少年はまるで感電したようにビクッとした。
コルティナは眠ったままだ。
少年はこの思わぬ状況に顔を赤らめて緊張した。
少年は再び横目でコルティナを盗み見て、周りを素早く見回し、ゆっくりとコルティナに唇を近づけた。
その時、コルティナが呟いた。
「パパ…」
コルティナの寝言に少年は我にかえり、哀しげにコルティナを見つめた。
管理室の監視モニターすべてに無数のりびんぐでっどが蠢いていた。
クガの「さ、仕事だ」という声を合図にゴロウ、ムダイも立ち上がる。
裏のせまい非常口を遠隔操作で開くと、りびんぐでっど達が押し合いへし合いしながらなだれこんできた。
白粉をはたいたような真っ白な顔に、血走った真っ赤な眼。艶のない髪の毛は伸び放題で色を失っている。
「ヤロー!来やがった来やがった!」
ゴロウははしゃぐように叫んで、手に唾をペッペとかけ、長ドスを抜いて鞘を投げる。
クガが右手首を軽く振ると薬指が第一関節から外れ、キラキラと単分子繊維の糸を引きながら垂れ下がる。
クガが言う。
「相手は重度のDee中患者、つまり格外市民だ。手加減なしでいくぜ!」
これは単純に「殺しも止むなし」という意味だ。
コルティナは少年の肩にあたまをもたせかけて静かに寝息をたてている。
少年は優しい目でコルティナを見つめていた。
日本に来てから、こんな静かで安らかな気持ちになったのは初めてだ。
しかし、少年はすぐにその心を押し込め、そっとコルティナに話しかける。
「起きて」
びくりとして目を覚ましたコルティナは、少年の肩にもたれて寝入っていたことに気付き、顔を赤くしてあわてた。
「あっ、あの、ごめんなさい」
そんなコルティナに微笑みかけながら少年は言った。
「みんなを起こして地下へ」
それはこの場所に危機が迫っているということ。
コルティナは不安げにうなづいた。
非常口を少し入ったエレベーターホールで、三人はりびんぐでっどと戦っている。
クガの糸が、一瞬でりびんぐでっどを体にきれいに五つの肉塊に変える。その切断面はまるでMRI画面のように鮮やかで、切断の瞬間の肉片からは血の一滴も垂れない。
ゴロウのドスの一閃が、りびんぐでっどの首を三つほどすっとばす。一斉に真っ赤な噴水のような血飛沫が上がる。
頭から血をかぶったゴロウはどちらがりびんぐでっどかわからない凄惨な顔でクガに喚いた。
「やつら数で押してきやがった!間に合わねえ!」
「坊やなら大丈夫だ!それよりあんまり血ぃかぶるな。こいつら色々持ってるんだから!」
「ンなもん、洗やぁいいんだよ、洗やぁ!」
ムダイはホールを見渡せる階段の途中に陣取って細い管の吹き矢を操る。
長く細い針がりびんぐでっどのツボをプツッ、プツッと的確にとらえていく。
りびんぐでっど達は「おかあさーん」「ああ、健康になった」「親子丼美味しゅうございました」「もうこれ以上ムリ~」などとわけのわからないことを叫びながら、幸福な表情で動かなくなる。
ムダイは血みどろのホールを見下ろして呟く
「せめて心地良く逝かせる。これ人の情けね」
少年、目をつむって床に片膝を立てて座っている。
部屋は完全な闇と静寂に支配されている。
少年は深く集中していく。
「ジャングル。ここはジャングルだ…」
深く、深く集中し、神経をギリギリまで研ぎ澄ましていく。
闇は少年の頭の中で、次第に彼の戦場だった中米セント・グレゴリオ諸島のジャングルに変貌していくようだ。
真夜中のホエザルの鳴き声。さしずめ少年は闇に潜むジャガーか。
少年の耳がピクリと動く。
はるか遠くから敵の軍靴の音が聞こえた。
実戦で磨いた感覚で少年は敵が三人、いずれもその装備が極めて軽いことを確認する。
勝利を確信した少年は目をあけてニヤリと笑った。
扉がわずかに開き、武装した三人の男たちがスルリと入ってきた。
扉は再び閉まる。
男たちは全員、迷彩のTシャツにカーゴパンツ、暗視ゴーグルという服装。一番大柄のひとりがAK47自動小銃、あとの二人はトカレフという武装のみ。トカレフの一人の右腕に漢字の刺青が見える。
部屋の真ん中には少年がたったひとり、まったく自然体で立っていた。
男たちは一瞬戸惑った。
リーダーだろうか、AK47の男が気色ばんで怒鳴る。
「おい!女どもはどこだ!!」
少年はそれには答えず、不敵な笑みを浮かべながらスペイン語で穏やかに言った。
「来いよ、都会の猫ども。遊んでやる」
男の暗視ゴーグルの視界から上に少年が消える。
男はとっさに自動小銃を正面から天井に向けて連射した。
しかし次の瞬間、少年は男の予測を裏切り、自動小銃を構えた彼の左右の腕の間からスポンと顔を出す。
唇に冷酷な微笑みをたたえて。
簡単なフェイントだが、視界の狭い暗視ゴーグルには効果的だ。
少年のナイフが閃くと、男の鼻腔は縦にサクッと切り開かれる。
男は悲鳴をあげる。
少年は、男が鼻から血を流しながらひるむ隙にAK-47のマガジンキャッチを操作、弾倉の固定を解除し、素早く引き抜き床に投げた。
少年はそのままリーダーを盾にしながら、AK-47の薬室に一発だけ残った弾丸で、刺青が右手にしっかりと握っている拳銃を狙い撃つ。
トカレフは壁まで吹き飛び、刺青は強烈な腕のしびれに声もなく床に膝をつく。
おそらく右肩を脱臼しただろう。
少年はなおも続けて男を盾にしながら三人目の男に素早く接近した。
三人目は盾にされた男に構わず発砲してきた。
リーダーは慌てて三人目に叫ぶ。
「撃つな!撃つなってば!」
次の瞬間、少年は盾にしていた男の肩を踏み台にして跳躍した。
少年は三人目の顔面に膝を叩きこむ。
グシャリと鼻骨の潰れる音。
三人目はひるまずトカレフを構えようとするが、拳銃はなぜかその手から力なく床にゴトリと落ちた。
「手、手に力が…あれ?」
三人目の左右の手首の腱が切られ、手首が力なくブラブラしている。
少年は血のついたナイフの刃をパチリと閉じると、ためらいなくAK47の台尻で三人目の右の鎖骨を砕く。
「があっ!」
三人目は言葉にならない叫びをあげ、そのまま床に転がって動けなくなった。
続いて少年は怯えているリーダーにゆっくりと近づいていく…。
クガは鉄扉をゆっくりと開いた。
暗闇には少年がひとり、AK47を抱いて何事もなかったかのように座っていた。
クガが部屋を見渡すと、三人の襲撃者は全員床に仰向けに倒れてうめいている。
クガはしゃがんでその一人一人を調べる。
全員右の鎖骨を砕かれていた。
しかし命に別状はない。
人間は鎖骨を砕かれると、一人で立ち上がることすらできない。
腕の重みを支えることができないからだ。
拘束具がないという条件で、武装した三人の男の動きを殺すことなく封じるには、一見野蛮に見えるがこれが正解だろうとクガは思った。
クガは少年に「よくやった」と声をかけようとした。
しかしこれだけの戦闘の後、返り血の一抹さえ浴びていない、美しく、そして平穏な少年の顔を見てクガはこれまでにない戦慄を感じた。
言葉は出なかった。
第1話「僕の名前は」~希望~に続く
読んでいただき、ありがとうございます。
次回は12月16日土曜日の午後10時にアップします。