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第3話「神代も聞かず竜田川」~火種~

トッケイのメンバーは横綱竜田川の東京脱出行の計画を練り始めた。

その頃マルコは新宿地下街の怪しい食堂で、戦友ペドロとの再会を果たそうとしていた。

 混み合った店内の人と人の間を殆ど這うようにくぐり抜け、マルコはようやくペドロの隣の席にたどり着いた。

 ペドロはカウンターの一番奥で背中を丸めてコーラを飲んでいた。

 滑り込むようにマルコが隣に座ると、ペドロはいきなりマルコの肩を抱き、そして背中をバンバン叩いた。

「マルコ‼相棒‼」

「ペドロ‼よく生きてたな‼」

「お前こそ‼」

 二人は抱き合って再会を喜んだ。ペドロは頭のトゲを鳴らし、赤い星の刺青を激しく点滅させた。

 周りの客が一瞬驚いてペドロに注目する。

「お前その頭、どうなってんだ?」

 ペドロは自分の頭の右半分にびっしりと生えたトゲを指さす。

「これか?こりゃ今択捉(エトロフ)流行(はや)ってるアニマルパーツだ。世界最先端の最高にクールでパンクなスタイルだぜ!」

「アニマルパーツ?」

「動物の遺伝子から人間への移植用に作られたファッションアイテムさ。ちなみにこれはヤマアラシのトゲで、ちゃんと俺の感情の起伏に合わせて動くように作ってある」

「お前、どうして択捉なんかに…」

 ペドロの表情に一瞬暗い影が走る。

「…いろいろあった。それよりマルコ、お前もその頭はどうしたんだ?真っ白に染めてよ」

「僕もいろいろあった。これは染めてるんじゃなくてこうなっちゃったんだ」

「ふーん」

 二人の間の一瞬の沈黙を見逃さず、カウンターの中から声がかかる。

「で、お客さん、なんにします?」

 とマルコにスペイン語で野太い声をかけたのはまるで熊を思わせる毛むくじゃらの大男で、不機嫌そうにその太い腕を厚い胸板の前で組み、マルコは睨みつけていた。

 マルコは密かに「熊男(くまおとこ)」とあだ名をつけた。

「おっちゃん、怖えよ。マルコが怯えちまうだろ?」

 ペドロは常連なのだろうか、男に気安く口をきく。

「あのな、お前がそこに座ってると気味悪がって隣に誰も座んねえだろ!営業妨害だっての!」

「そう言うなよ。だからこうして隅っこに…、な?それにほら、席はちゃんと埋まったじゃん」

「フン!そんで?何にするの?」

 マルコは遠慮がちに上目遣いで注文する。

「じゃあ、僕もコーラをください」

 熊男は黙って冷蔵庫から冷えた瓶のコーラを出し、栓を指で抜いてマルコの前にドンと置いて厨房に入ってしまった。

「ありゃベネズエラ人だ。ああ見えて割といいやつなんだぜ」

 ペドロがいたずらっぽい目で熊男を追いながらそう言う。

 ふたりは改めてじっと見つめ合った。そして笑ってコーラの瓶をカチンと合わせて無言で乾杯をした。

「なあ、腹減ってないか?俺、腹ペコなんだ。ここは東京でもなかなかいけるんだぜ」

「うん。仕事上がりだから僕もすごく減ってる」

「じゃ、俺に任せてくれ。」

 ペドロが厨房に向かって大声で叫ぶ。

「おっちゃん!煮込み二つ!」

 すぐに熊男が湯気を立てている熱々のどんぶりを二つ、二人の前に置いた。

 丼には先割れスプーンが添えられている。

 ペドロはすぐにガツガツと食べ始めた。

 マルコは物珍しそうに先割れスプーンを眺めている。

「食べないのか?」

「あ、ああ」

 マルコはスプーンでスープをすくって味わい、驚いた。

 口いっぱいに広がるハーブとスパイスの香り、鼻に抜ける唐辛子の刺激。

「これ、モンドンゴじゃないか!」

 ペドロはニヤリと笑った。

「いけるだろ?」

 どんぶりの中身はトマトと大量の唐辛子で煮込んだ牛や豚の様々な内臓部位で、スパイスと刻んだ玉ねぎ・ニンニク・酢を合わせたソフリートという調味料で味付けされていた。

 これはセント・グレゴリオ諸島の伝統料理で、マルコには懐かしくてたまらない味だった。

 熊男が再びやってきてマルコに話しかける。

「どうだい?味は」

「美味しい!東京でモンドンゴが食べられるなんて感激です!」

「日本人にも評判いいんだぜ。(ライス)に合うからな」

「そうだ!ライスも下さい。」

「ほい!ライス一丁!」

 熊男がカウンターの内側にある大きな電気釜を開け、もう一つのどんぶりにご飯を盛る。

 マルコはスプーンに山盛りのモンドンゴをご飯にかけ、モリモリと食べ始めた。

「うまい!美味しいなあ!」

 そんなマルコをペドロはなぜか少し寂しげな表情で見ている。

「ペドロもライスを頼めばいいのに」

「あー、いや。俺はいいや。それよりおっちゃん、コロナちょうだい」

「ガキのくせに朝からビールとはいいご身分だな!」

 熊男は再び不機嫌な表情に戻り、コロナビールの栓を抜いてペドロの前に置いた。

「おっちゃん、ライムが入ってないぜ」

「ばかやろ、今日び東京で生のライムなんて手に入るわけねえだろ!」

「おーい!」と呼ばれて他の客の方に行く間際、熊男は一瞬ペドロを心配そうな顔で見た。



 ミゲルは今日も浅瀬へ通う。

 ティゲリバの発電所の偵察という本来の目的はとうに忘れ去られ、ミゲルはサギリに逢うのが楽しみで仕方なかった。

 ミゲルは着ている白いパーカーのポケットに手を突っ込み、そこに入っている瓶入りコークとビスケットを触る。

 その感触に、思わず笑みがこぼれる。

 ミゲルは11歳。女の子と二人きりで話すのがこれほど楽しく感じたことはこれまでなかった。

 最初はあれほど嫌だった浅瀬の悪臭さえ、今では何か好ましいものに思えてくる。

 発電所の番小屋には、今日も赤いタオルが掛けられている。

 ミゲルは小走りで番小屋に向かった。

 いつものように梯はしごをスルスルと上り、ドアをノックするが中からは返事がない。トイレにでも行っているのだろうと考えたミゲルはドアを開ける。

 だがそこにサギリの姿はなく、三人のアフリカ系ギャングが腕組みをして突っ立っていた。ティゲリバの子分たちだ。

 ミゲルはとっさに(きびす)をかえすが、いつの間にかはしごの下にも一人、ティゲリバの子分が拳銃を構えて立っていた。

 はしごの下の男は真っ白な歯を剥き出して(わら)いながらなぜか丁寧な日本語で言う。

「どうぞ、遠慮しないで」


 ミゲルは番小屋の中で三人の男たちに囲まれた。

 その中でひと際体格が良く、黒のジャージを着た坊主頭の男がやはり丁寧な日本語で言った。

「どちら様ですか?」

 ミゲルは口を開かない。

 黒ジャージはミゲルに近づき、パーカーのポケットを探り、瓶入りのコークとビスケットを取り出す。

「どちら様ですか!」

 言いつつ男はコークの瓶をミゲルの右手首に叩き込んだ。

 男の動きは一瞬で、ミゲルには何が起こったのかわからない。

 ただ、右手が痺れて感覚がない。

 ミゲルの手首の骨は砕けていた。

 男はコークの栓を(くわ)えて歯で抜き、中身を口に含むとミゲルの顔に噴きつけた。

 炭酸が目に染みて、ミゲルは目を開けることができない。

 男はミゲルのドレッドヘアをつかみ上げて言う。

「あなた、他人(ひと)の家を尋ねるときはまず自分から名乗るのが礼儀ですよ。名前は何といいますか?」

 男の丁寧な日本語の言葉使いの端々から、怒りが噴出していた。

 ミゲルは気圧された。

「…ミゲル」

 そう答えたとたん、ミゲルの右手首を初めて強い痛みが襲った。

 ミゲルは右手首を押さえてうずくまろうとするが、後ろの二人がその両脇を掴んで無理やり立たせる。

「ミゲル。あなたはどうしてここに来ましたか?」

 男が尋ねた。

 しかしミゲルは痛みで頭がクラクラして相手の言っていることがわからない。そして胃がせり上がってくる。

 ミゲルは我慢できず嘔吐した。そしてその吐瀉物(としゃぶつ)は床に落ち、黒ジャージの白いピカピカのスニーカーに飛び散った。

 突然、男はコークの瓶をミゲルの頭に振り下ろした。

「てめえ、このネズミ野郎!!よくもこんなもんで妹を慰み者にしてくれたな!」

 男はスワヒリ語でそう叫んだ。

 ミゲルの頭がガクリと前に垂れ、膝が落ちそうになる。

 割れた額から血がポタポタと滴り落ち、ミゲルの吐瀉物と混ざり合っていく。

 両脇からミゲルを支えていた男たちが慌てて言った。

「ンドゥギ!まずいよ、殺すのは。ティゲリバに叱られるぜ!」

「うるせえ!」

 ンドゥギと呼ばれた男はわめいた。

 そして血走った眼で、残りのコークをジャバジャバとミゲルの頭からかけ、空き瓶を力任せに投げ捨てた。瓶は窓ガラスを割って外に飛び出し、浅瀬に落ちた。

 その音にカラスたちが怯え、一斉に羽音を立てて飛びたつ。

 ンドゥギは再びミゲルの頭髪を掴んで顔を引き起こし、その頬に軽く平手打ちをする。

 ミゲルは薄目を開けた。

「薄汚ねえガキネズミが(さか)りやがって。サギリから全部聞いたぞ」

 ミゲルのぼんやりとした頭に「サギリ」という言葉だけは響いた。

 ミゲルは突然顔を起こして言う。

「サギリ…、サギリは?」

「汚ねえネズミが妹の名前を口にすんじゃねえ!」

 ンドゥギはミゲルの鼻に軽くジャブを入れる。

 ミゲルの鼻骨はそれだけで折れ、鼻から血が流れ落ちる。

 ンドゥギは日本語でミゲルに言った。

「サギリは君に犯されたと言ってます」

「嘘だ!」

「君は私の妹が嘘つきと言いますか?」

 ンドゥギはジャージの裾をめくって長い山刀を取り出した。

 二人の仲間は叫んだ。

「だめだ、ンドゥギ!!」

「こいつは一族の誇りを傷つけた。お前らの出る幕じゃねえ」

 そう言ってンドゥギは山刀を大きく振りかぶった。



 マルコが日本に来たいきさつをかいつまんでペドロに話した後、ペドロはしばらく黙ってビールを飲み、そしておもむろに口を開いた。

「択捉はよぉ、サイコーだったぜ。もう何だってある。金さえ出しゃあな。東京(ここ)とは天と地の差だ。何もかもピカピカで、夢みたいだったぜ」

 ペドロはコロナ二本でもう呂律(ろれつ)が怪しい。

 セント・グレゴリオに居た時、ペドロは(ヤク)ばかりやっていてあまり酒を飲まなかったが、それにしても早く酔いすぎていると、マルコは(いぶか)しく思った。

「エスメラルダでよ」

「うん」

「アメ公にギタギタにやられたろ?」

「ああ」

「そっから俺の記憶はねえんだ。気が付いたら択捉さ」

 朝と夜の客が重なる時間は過ぎ、店は少し静かになってきていた。

「後で聞いた話だが、俺は崩れてきた瓦礫に頭半分潰されて掘り出されたたらしい。そこに運良く択捉の医療技術者が来てたってわけさ」

 熊男が空になったマルコのどんぶりを片付ける。

「奴らが捜していたのは俺みたいな死にぞこないだったのさ。そんで氷漬けにされて択捉送り」

 マルコは黙ってコークの残りをちびちび飲む。

「気が付いたら俺の脳みその右半分はコンピューター仕掛けに、目ん玉は便利なカメラにすげ変わってたってわけさ」

「すごいな…」

 マルコは思わず感嘆してそう言った。

「な?だからよ、俺、前より頭良くなってね?」

 確かに、とマルコは思う。以前のペドロは物事を「サイコー」か「クソ」の二語で表現していたが、今は違う。ペドロはボキャブラリーが増え、加えて心なしか考え深くなっているようにマルコは感じた。

「けどさ、やつらは実験が済んだら俺をほっぽりだしやがった」

 ペドロの呂律はますます怪しくなる。

 熊男が厨房から出てきて、心配そうにペドロを気にしているのが今度はマルコにもはっきりとわかった。

            

             次回第3話「神代も聞かず竜田川」~決別~に続く

やー、何とかなりました。

正業のおかげで今週の締め切りは一日早いのですが、何とか今回も無事掲載することができました。私は追い詰められて実力を発揮するタイプ?(笑)。

いや、しかしできれば今後はこういうのは避けたいところです。

次回は4月14日(土)夜10時に更新予定です。

お楽しみに!


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