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第3話「神代も聞かず竜田川」~新宿~

神代と共に東京を脱出することを決意した竜田川は、ゴロウに東京脱出の手助けを依頼する。

竜田川から依頼を受けたゴロウは「調達屋」からロシア製暗号機を入手した。

 神代が調達屋から暗号機を受け取っていた頃、竜田川はタニマチである陳大人に呼び出され、その屋敷に赴いていた。

 陳大人の屋敷は錦糸町駅前の公園の広大な跡地に作られていた。

 周囲はまるで刑務所のように高いコンクリート塀で囲まれ、口の悪い同業者はこの邸宅を「錦糸町番外地」と呼んだ。

 だが、その殺風景な外観とは裏腹に、その内部は豪華で贅を尽くした作りとなっていた。

 まず目立つのはその広い庭で、これはかつて清の西太后が国費を費やして北京郊外に作った大庭園を模したものだった。

 そしてその邸宅はこれまた北京の紫禁城を模したものだ。

 しかしそれらは言うなればミニチュアで、日本に生まれて日本で育ったという邸宅の主の屈折した祖国愛がそこに垣間見えた。


 竜田川はこの悪趣味な庭を通る度、嫌悪感を覚えていた。

 しかし今日はそれ以上に心が重い。

 陳の話は来週開かれる明治神宮の奉納相撲の件に違いない。

 陳は昨年からこの奉納相撲の会長に就任し、運営を任されるようになった。

 この時の陳の喜びようは格別で、「俺はようやく日本人に認められた」と言って男泣きに泣いた。

 竜田川もこの時ばかりは我が事のように嬉しく、貰い泣きしてしまったものだ。


 おれは陳を裏切ろうとしている。

 竜田川はこの奉納相撲での一番について、すでに他の組織からの八百長依頼の半金を受け取っていた。

 陳はヤクザだ。しかしおれは奴に拾って貰い、横綱になるだけの力量を付けられたのも奴の支援があったからこそだ。

 竜田川は陳を善人と考えるほどお人好しではない。しかし、これまで陳から受けてきた「恩義」が彼の背中に重たくのしかかっていた。

 ―おれは「義理」とか「人情」とか、嫌悪してきたヤクザ的しきたりにいつの間にかがんじがらめになっている…。

 思わず竜田川は天を仰いで嘆息した。


 邸宅に上がった竜田川は陳家の家人に案内された。

 竜田川が不審に感じたのは、いつも決まって彼が通される応接間とは違う部屋に家人が案内したことだ。

 部屋に入り、竜田川は唖然とした。

 そこはゴテゴテとした装飾の目立つ応接間とはまったく違ったシンプルで機能的な部屋で、陳の机もデザインこそ中国風のクラシカルで凝った意匠の施されたものではあったが、その上にはパソコンの画面がホログラフとして浮かび上がっていた。

 突っ立っている竜田川に気付いた陳は、仕事を中断して顔を上げ、冷たい笑いを浮かべながら言った。

「やあ横綱、来たね」



 六本木特区のシェルターでは、相変わらず平穏な毎日が続いていた。

 クガがひとり、管理室でコーヒーを飲みながら倉庫を映したモニターを眺めている。

 そこにはマルコがいつもと同じく、太極拳の練習に励んでいた。

 今日は珍しくムダイと一緒だ。

 するとゴロウが段ボール箱を抱えて管理室に入ってきた。

「ちーっす」

 思わずクガは、自分の腕時計を指さしてゴロウに言う。

「ちーっすじゃねえよ。お前今何時だと思ってんだ」

 ゴロウは管理室の掛け時計を眺めて答える。

「11時30分」

「遅刻だよ!」

「どうせ今日も何にもないんだし、いいじゃん30分ぐらい。サラリーマンじゃあるまいしよ。」

「あのな、これはお仕事なの。サラリーマンとか関係ないの。」

 ゴロウはまったく悪びれる様子もなく段ボールを机に置き、クガが見ているモニターを覗き込んだ。

「またやってんのか。あ、今日はジジイも一緒じゃん」

「人の話を聞け!」

「もういいじゃねーの。あんまり細かいことを気にしてると禿げるぜ?」

 ゴロウはスキンヘッドのクガに憎まれ口をたたく。

 クガは苦り切って思わず頭を掻き、ため息をついた。

 ゴロウはモニターに映ったマルコとムダイを見ながら続ける。

「しかしまあ、よくもこう同じことを続けてられるね」

「これは推手(すいしゅ)。こないだまでやってたのは套路(とうろ)

「俺には同じにしか見えないけど」

「この動きには攻撃と防御の基本が入ってる。いわば第2段階だ。お前がのんきに酒くらってる間に小僧はどんどん進歩してるってことさ」

「まあそう言いなさんな。仕事見つけてきたぜ」

「仕事?つまんなかったら俺は乗らねーぞ」

「あ、そうそう。仕事といえばこれだ。まあ見てくれ」

 ゴロウはそう言いつつ段ボール箱を開き、中からパッキングされたいくつかの機械の部品を取り出して机の上に並べた。

 クガはそれらを子細に見て、驚いた表情で言った。

「こりゃ、ソ連製の暗号機じゃねえか」

「ソ連?なにそれ。これはロシア製だよ」

「お前、ソ連ってのは…」

 ーこいつに説明しても無駄だ。

 クガはそう考えて話題を変えた。

「それでお前、何でこんなもんを」

「まあそれについては後でゆっくり話すとして、あんたこれ扱える?」

「ん?ああ、多分な。昔ちょっといじった程度だが、こいつは単純で扱いやすい」

「よかった。なんせトリセツがロシア語でさっぱりわかんなくてよ」


 マルコとムダイが倉庫から戻ってくると、管理室のテーブルの上には何やら小さめのタイプライターのような黒い機械が乗っていた。

 それには長さ30㎝ほどの卓上アンテナとヘッドホンが繋がれ、ヘッドホンを片耳に当てたクガが、機械の横に付いているダイヤルをゆっくりと回している。

「これ何?」

 マルコが尋ねるが、クガは「シッ!」とそれを遮って無言でゴロウを見た。

 ゴロウが掛け時計を見て答える。

「そろそろだ」

 と、クガがダイヤルを回す手を止めた。

「来た」

 クガがそう言ってからしばらくすると、機械はゆっくりとロール紙を吐き出し始めた。


 それから数時間後、機械は止まって赤いランプをチカチカと点滅させた。

 クガはそこで丁寧にロール紙を破り取り、吐き出された長い帯のような紙を頭から黙って読み始める。しばらく読んでからクガは言った。

「大丈夫だ。ちゃんと読める」

「よかったー。さすがだねえ、クガのダンナは」

「これがお前の言ってた仕事ってやつか」

 クガがつまんだロール紙を指でトントンと叩きながら言った。

 ゴロウはニヤリと不敵に笑って答える。

「どうだい?面白そうだろ?」


 暗号機が受信した電文は、神代から送信されてきたものだった。

 ロシア語で打ち出された電文をクガが日本語に訳しながら読むのを三人はパイプ椅子に座り、黙って聞いていた。

 クガが電文を読み終えると、ゴロウが口を開いた。

「要するにあれだ。竜田川は、自分のタニマチと他のヤクザの両方から八百長の礼金をせしめて東京を逃げるつもりか」

 マルコはあの竜田川が八百長に手を染めるのが信じられなかった。

「僕は嫌だな。八百長なんて」

「マルコ、おめえもあの日コルティナの名文句を聞いたろ?それにな、竜田川は八百長をやると()()()()()()で、本当にやるとは限んないだろ?」

「え?じゃあ…」

「そうさ、やつはやんねぇ。俺にはわかる」

「俺もそう思う。しかし奉納相撲ってのはいいな」

「どうして?」

 マルコの問いにゴロウが答える。

「奉納相撲ってのはな、神聖な儀式なんだ。だから入場する連中は厳しいボディ・チェックを受ける。つまり拳銃はおろかナイフ一本も持ち込めないようになってる」

「竜田川が逃げ出すには絶好の機会ってことさ」クガはそう言って立ち上がり、伸びをした。

「問題は明治神宮を脱出した後じゃな」

 眠っているように見えたムダイがおもむろに口を開く。

 クガも同意した。

「その通りだ。俺たちが逃がすのはあの竜田川だ。どこへ連れて行ったって目立つ。ヤクザの情報網は侮れないぞ」

「…しょうがねえ。社長に相談すっか」

「上前ピンハネされるけどな」

 クガは笑ってそう言った。



 翌日、マルコはシェルターでの仕事を終えたその足で歩いて新宿へ向かった。

 山岳地帯を中心に少年兵として過ごしたマルコにとって、六本木から新宿まで歩くのは造作もないことだった。

 新宿にはペドロと会うために行く。

 マルコが連絡した時、ペドロが指定してきたのだ。

 マルコはペドロの指示通り、新宿の地下街にあるという店を目指す。

 マルコは新宿に土地勘があった。東京に流れ着き、浮浪児となっていた頃、しばらくの間棲んでいたのだ。

 しかし、その頃の事を思い出すとマルコは嫌な気分になる。

 左手に新宿御苑を見ながら、マルコは歩き続けた。

 誰も手入れをしなくなったかつての広大な庭園は、震災で家を失い、行くあてのない人々が住む巨大なスラム街と化していた。

 人々は青いビニールシートや瓦礫の山から掘り出した建材を巧みに利用して、様々な「仮設住宅」を作り、たくましく生活していた。

 マルコは少し立ち止まってスラム街を眺める。

 まだ朝早い時間だが、あちこちから湯気や煙が立ち上っている。朝食の準備をしているのだ。

 スラムはマルコが少しの間暮らしていた頃と全く変わっていなかった。悪い思い出しかないと思っていた場所だが、少し懐かしさを感じている自分にマルコは驚き、当惑して再び歩き始める。

 

 マルコは適当な場所で右に折れ、新宿通りに出た。

 新宿通りは働きに出かける人や仕事を探しに行く人の自転車でごった返していた。

 どうしてペドロはこんな場所を指定してきたのだろう。

 そう考えながらマルコは地下鉄の入り口から地下街へと降りていく。。

 地下街の通路には様々な露店が並び、店開きの準備をしている。

 地下の露店には本屋や服屋、機械部品などのガラクタなどを売る店が多い。湿気を嫌う商品を取り扱う店はこうした雨露をしのげる場所を好む。

 こういう場所を縄張りとして仕切っているヤクザもそのあたりを心得ていて、換気の殆ど効かない地下街に飲食を提供する露店の出店を許さないことが多かった。

 

ペドロの指定した店「バリエナ」は、そんな地下街から少し階段をのぼる途中にあった。入口にはなぜかオレンジと緑の派手な野球のユニフォームが1枚づつ暖簾(のれん)代わりにかかっていて、各々胸のところに「Whales」「TAIYO」と書かれていた。

 バリエナはスペイン語でクジラを意味するから「Whales」はわかるが「TAIYO」はどういう意味だろう、とマルコは考えながらその「暖簾」をくぐって店のドアを開けた。

 

 店はマルコの予想よりはるかに広かった。

 そこは大混雑し、喧騒に満ちていた。

 店に充満する旨そうな匂いと湯気はたちまちマルコの胃を刺激し、腹は空腹を訴えてグウッと鳴る。

 かつては大きなビアホールか何かだったその空間には、コの字のカウンターが三つ並び、そのまわりを様々な種類のテーブルが取り囲んでいた。

 カウンターの客は座って酒を飲み、テーブルの客は立って朝食を摂っている。

 客は中南米系が多いが日本人もちらほら混ざり、みな平等に押し合いへし合いしながら空腹を満たし、夜の仕事の疲れを癒していた。

 こんな場所でペドロに会えるのだろうか、そう考えて店を見渡したマルコだったがそれは杞憂だった。

 ペドロの頭皮に縫いこまれた発光生体素子の刺青、大きな赤い星がチカチカと点滅しているのが遠くからでも見えた。

 ペドロは誰よりも目立っていた。

 マルコは苦笑いしながら、人混みを縫い、店の奥のカウンターへゆっくりと近づいていった。


           次回第3話「神代も聞かず竜田川」~火種~に続く

今週も読んでいただき、ありがとうございました。

今週もギリギリでした。

体調不良もあったのですが、原因は遊びすぎなので言い訳できませんね(笑)。

しかし、映画「シェイプ・オブ・ウオーター」は面白かったなあ…。

次回は4月7日(土)午後10時に更新予定です。

お楽しみに!

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